明解PISA大事典:活字離れと国民読書年

2010年 5月 7日 金曜日 筆者: 北川 達夫

第37回 読書力・読解力・言語力

 このところ、読書力やら、読解力やら、言語力やらに絡めたイベントが多い。この背景には国民読書年がある。実は今年は「国民読書年」である。改めて言わなければ、ほとんど誰にも通じないあたりが虚しい。

 今年を国民読書年とすることは、一昨年の6月6日「国民読書年に関する決議」において衆参両院の全会一致で決議された。この決議では、人類は文字・活字によって叡智を継承・発展させてきた。だが、「活字離れ」という現状がある。そこで、読書振興のため、国をあげて努力する――と宣言されている(1)

 ただ、その実態については、奇しくも「国民読書年」に関連する一大イベント(2)の開催された4月23日に、「とくダネ!」(フジテレビ)で揶揄されていた。国民読書年にかかわる文科省の予算はゼロ。そのため、関連の財団(3)が細々とイベントなどを開催しているだけ。また、子どもの読書活動支援のために創設された「子どもゆめ基金」(4)は事業仕分けで99%縮減されてしまった。国民読書年に、これではいかんのではないか?――というのである。

 これではいかんのは確かなのだが、なぜいかんのか? よく「読書は必要だ」といわれるが、なぜ必要なのか? そもそも読書とは、どのような行為を指していうのか? マンガを読むのは読書なのか、それとも読書ではないのか? これだけメディアの発達した時代において、紙媒体でなければ読書ではないのか? 新聞紙に書かれたニュースを読むことと、ネットでニュースを読むことは同じなのか、違うのか? ケータイ小説は?……このあたりを曖昧なままにしておくと、「読書は必要だ!」と主張したところで、あまり効果はないように思う。「必要だから必要なんだ」という循環論証では、なんの説得力もない。郷愁にとらわれているだけだと思われたり、出版業界のマワシモノではないかと勘ぐられたりするのがオチである。

 いまフィンランドでは、日本のストーリー漫画が大流行している。4年くらい前までは英語訳の漫画が本屋に並んでいたものだが、3年くらい前からフィンランド語訳版が並ぶようになって大流行が始まった。最近では駅の売店にまで、最新刊の漫画本が並んでいたりする。学校の落書きにも、漫画の人気キャラクターが目立つようになってきた。特に中学生女子に人気のようで、私がフィンランドの中学校を訪れると、「私は漫画家になりたい。日本に留学して漫画家になる勉強をしたい。どうすればいいのか?」という質問を少なからず受けるようになった。

 フィンランドの国語の先生たちは、当初は楽観視していた。「漫画を読むのも読書のうちだ」と余裕を見せていた。ところが、徐々に漫画の恐ろしさ――というか影響力の強さを思い知るようになる。だいたい、それまでのフィンランドでは、漫画といえばムーミン、アメリカ発の幼児向け漫画、あるいは新聞などに掲載される大人向け漫画くらいしか存在しなかった。若者向けの漫画は質・量ともに乏しかったので、若者が漫画にハマるということはなかった。要するに、漫画の恐ろしさ――というか影響力の強さを知らなかったのだ。漫画を読み始めた若者たちは、漫画しか読まなくなった。また、読書の習慣が身についていたはずの若者が、漫画しか読まないでいるうちに、その習慣を失うようになってしまったというのである(5)

 ことここに至って、フィンランドの国語の先生たちも「漫画だけではなく、本を読もう」と言わざるをえなくなった。そのためには、なぜ読書が必要なのか。漫画を読むことと、本を読むことがどう違うのか。なぜ「漫画だけ」ではダメなのか――といった問題を解決せざるをえない。

 では、どのように解決したのか? このあたりについては、日本における国民読書年関連のイベント内容にふれつつ、次回以降で説明したい。

* * *

(1) 決議内容については、(財)文字・活字文化推進機構のウェブサイトに詳しく紹介されている。http://www.mojikatsuji.or.jp/link_5dokushonen2010.html
(2) 『子どもの読書活動推進フォーラム―国民読書年を迎えて―』於国立オリンピック記念青少年総合センター 主催は文科省と国立青少年教育推進機構
(3) (財)文字・活字文化推進機構のこと。
(4) (財)文字・活字文化推進機構が「細々と」行なっているイベントは少なからず、この基金によっていた。
(5)2009年11月、Pirjo Sinkoフィンランド教育庁国語専門官より聴取。

* * *

◆この連載を最新記事からお読みになる方は⇒「明解PISA大事典」アーカイブへ

◆記事のタイトルからお探しになる方は⇒「明解PISA大事典」目次へ

【プロフィール】

北川達夫(きたがわ・たつお)
教材作家・教育コンサルタント・チェンバロ奏者・武芸者・漢学生
(財)文字・活字文化推進機構調査研究委員
日本教育大学院大学客員教授
1966年東京生まれ。英・仏・中・芬・典・愛沙語の通訳・翻訳家として活動しつつ、フィンランドで「母語と文学」科の教科教育法と教材作法を学ぶ。国際的な教材作家として日芬をはじめ、旧中・東欧圏の教科書・教材制作に携わるとともに、各地の学校を巡り、グローバル・スタンダードの言語教育を指導している。詳しいプロフィールはこちら⇒『ニッポンには対話がない』情報ページ
著書に、『知的英語の習得術』(学習研究社 2003)、『「論理力」がカンタンに身につく本』(大和出版 2004)、『図解フィンランド・メソッド入門』(経済界 2005)、『知的英語センスが身につく名文音読』(学習研究社 2005)、編訳書に「フィンランド国語教科書」シリーズ(経済界 2005 ~ 2008)、対談集に演出家・平田オリザさんとの対談『ニッポンには対話がない―学びとコミュニケーションの再生』(三省堂 2008)組織開発デザイナー・清宮普美代さんとの対談『対話流―未来を生みだすコミュニケーション』(三省堂 2009★新刊★)など。
『週刊 東洋経済』にて「わかりあえない時代の『対話力』入門」連載中。

* * *

【編集部から】
学習指導要領の改訂に大きく影響したPISAってなに?
PISA型読解力ってどんな力なの?
言語力、言語活動の重視って? これまでとどう違う?
現代の教育観は変わってきたのか。変わってきたとしたら、そこにどんな経緯があるのか。
国際的に活躍する教材作家である北川達夫先生がやさしく解説する連載「明解PISA大事典」。毎週金曜日に掲載しています。


明解PISA大事典:生きるための知識と技能

2010年 4月 23日 金曜日 筆者: 北川 達夫

第36回 生きるための知識と技能:「生きる力」としての「読む力」の実態

 PISAといえば「生きるための知識と技能」である。PISAの結果が発表されるたびに、そういう題名の本が当局から出されることからしても(*)、PISAといえば「生きるための知識と技能」であることがわかる。だから、PISAの読解力についていえば、「生きるための知識と技能」を読解力という観点で測定するということである。平たくいえば「生きるために読む」力のテストということだ。

 「生きるために読む」とは、どういうことか? ここでPISAの高級な部分のみ取り出せば、「テキストをクリティカルに読むことによって、よりよく生きる」というようなことになり、「クリティカル・リーディングが必要だ」というようなことになる。だが、PISAは高級な部分ばかりではない。いまやPISAの参加国は70を超え、OECD外の参加国のほうが多くなっている。そういった国々の中には、求人情報や製品情報をきちんと読めるかどうかが「生きる力」と直結しているところも少なくない。

 ここで「きちんと読める」という曖昧な書きかたをすると、大きな誤解を招く恐れがある。「きちんと読める」レベルは、国によって大きく異なるからだ。日本では考えられないほど低いレベル――「低いレベル」という言いかたは適切ではないかもしれない。言いかえるならば「サバイバル・レベル」?――で「きちんと読める」かどうかを試さなければならない国も数多く存在するのである。そして、そういう国もPISAに積極的に参加していたりする。よって、PISAにもそのレベルの問題が出題されていたりする。そして、そういう問題の全体に占める割合が、決して低くなかったりするのである。

 サバイバル・レベルの読解問題とは、一般的には次のようなものだ。

 たとえば牛乳のパッケージが課題文だったとしよう。サバイバル・レベルの場合、牛乳のパッケージのように、身の回りにあるもので何らかの情報の取り出せるもの、そして情報の取り扱いようによっては多少の危険やリスクをともなうものが使われる。

 まずは「この製品は何ですか?」を聞かねばならぬ。牛乳のパッケージなのだから牛乳に決まっているなどと考えてはならぬ。製品名が「牛さんのおくりもの」だったりすると、製品が何なのか迷う人がいるかもしれぬ。製品情報の「原材料:生乳」というところきちんと見て、適切に「推論」しなければならぬ。

 牛乳を買う場合、やはり「消費期限」や「賞味期限」を見なければなるまい。ということは、読解問題においても、「消費期限」や「賞味期限」について聞かなければなるまい。ここで聞くべきことは多い。「消費期限」や「賞味期限」は何を意味するのか? どう違うのか? 「消費期限4月30日」と書いてあったら、具体的に何をどうしなければならないのか? そもそも、なぜ「消費期限」や「賞味期限」が表示されているのか?

 このあたり、自由記述で答えるとなると、なかなか難しいものもある。だから、サバイバル・レベルの読解問題では、まず間違いなく多肢選択式の課題になる。

 〆の課題としては、たとえば「この製品を買ったら腐っていました。どうしたらよいですか?」というようなもの。実際には、もう少し具体的に聞く。「電話をする場合、どこに(どの番号に)電話したらよいですか?」「製品を取りかえてもらうためには、何をしなければなりませんか?」など。製品情報のところには、製品に問題があった場合の対処法について書いてあるので、そこをきちんと読めるかどうかを問うのである。

 PISAの読解力における「生きるための知識と技能」の底辺は、ざっとこのようなものである。もちろん、日本の国語教育の新たな方向性を見出していくのなら、底辺を見てもあまり意味はないかもしれない。だが、いわゆる「PISA型読解力」が、時としてコケオドシのように機能している現状を見るにつけ、その実態を知ることは必要だろう。

* * *

(*) 『生きるための知識と技能』『生きるための知識と技能2』『生きるための知識と技能3』国立教育政策研究所編/ぎょうせい2002・2004・2007

* * *

◆この連載を最新記事からお読みになる方は⇒「明解PISA大事典」アーカイブへ

◆記事のタイトルからお探しになる方は⇒「明解PISA大事典」目次へ

【プロフィール】

北川達夫(きたがわ・たつお)
教材作家・教育コンサルタント・チェンバロ奏者・武芸者・漢学生
(財)文字・活字文化推進機構調査研究委員
日本教育大学院大学客員教授
1966年東京生まれ。英・仏・中・芬・典・愛沙語の通訳・翻訳家として活動しつつ、フィンランドで「母語と文学」科の教科教育法と教材作法を学ぶ。国際的な教材作家として日芬をはじめ、旧中・東欧圏の教科書・教材制作に携わるとともに、各地の学校を巡り、グローバル・スタンダードの言語教育を指導している。詳しいプロフィールはこちら⇒『ニッポンには対話がない』情報ページ
著書に、『知的英語の習得術』(学習研究社 2003)、『「論理力」がカンタンに身につく本』(大和出版 2004)、『図解フィンランド・メソッド入門』(経済界 2005)、『知的英語センスが身につく名文音読』(学習研究社 2005)、編訳書に「フィンランド国語教科書」シリーズ(経済界 2005 ~ 2008)、対談集に演出家・平田オリザさんとの対談『ニッポンには対話がない―学びとコミュニケーションの再生』(三省堂 2008)組織開発デザイナー・清宮普美代さんとの対談『対話流―未来を生みだすコミュニケーション』(三省堂 2009★新刊★)など。
『週刊 東洋経済』にて「わかりあえない時代の『対話力』入門」連載中。

* * *

【編集部から】
学習指導要領の改訂に大きく影響したPISAってなに?
PISA型読解力ってどんな力なの?
言語力、言語活動の重視って? これまでとどう違う?
現代の教育観は変わってきたのか。変わってきたとしたら、そこにどんな経緯があるのか。
国際的に活躍する教材作家である北川達夫先生がやさしく解説する連載「明解PISA大事典」。金曜日に掲載しています。


明解PISA大事典:PISA、言語力検定と日本の読解教育

2010年 4月 9日 金曜日 筆者: 北川 達夫

第35回 PISAと言語力検定

 OECDの実施したPISAは日本の教育に大きな衝撃を与えたが、(財)文字・活字文化推進機構の実施した言語力検定(1)も、日本の教育現場にそれなりの衝撃を与えたようだ。現場の声で意外に多かったのが、「ふつうの国語ならできる子が、言語力検定はあまりできなかった。その一方で、ふつうの国語はあまりできない子が、言語力検定では意外にできている場合があった」というもの。

 (財)文字・活字文化推進機構の3月26日付プレス・リリースによると、言語力検定の合格率は、3級で全受検者の21.7%、4級で13.9%、不合格者64%(2)。どの級にも受かることなく、落ちてしまう割合のほうが圧倒的に高い。ふつうの国語(というのも奇妙ではあるが)ならできる子が落ちてしまって、ふつうの国語はあまりできない子が受かるという現象が起こったのだろう。もちろん、全体として見れば、「ふつうの国語ができれば、言語力検定もできる」というケースのほうが多かったはずだ。だが、よほど目立つかたちで逆転現象が起こったものと思われる。

 言語力検定は、作問と評価の方式と体制について、OECDのPISAを完全に踏襲するかたちをとっている。PISAに関する情報が限られている現状において、PISAの読解力調査の実際を知る、よい手がかりになるだろう。OECDのPISAと異なるのは、完全に日本人を対象とした作問であるということ。とはいえ、読解問題のレベルとしては、基本的にはPISAと同じ。つまり、「生きる力」としての読解力ということで、クリティカル・リーディングの問題として特に高度なわけではない。ところが、この連載でも、繰り返し述べてきたように「PISA型読解力=高度な能力」という認識が蔓延しているためか、受検した進学校を中心に面白い反応があった。

 ひとつは、大変な危機感を抱くパターン。これはまずい。これを機会に、ウチでもPISA型読解教育を始めなければ、と思い立つのである。

 この反応はよく理解できる。PISAの読解力調査で求められているような力、すなわち言語力検定で求められているような力は、もちろん進学校においても育む必要がある。ただ、あくまでも「足元を固める力」であることを忘れてはならない。ちゃんとした進学校であるならば、通常の国語の授業において、PISAの読解力調査や言語力検定よりも、はるかに高度なことをやっているのだから。

 もうひとつは「なんだこんなものか!」と拍子抜けするパターン。PISA型読解力というから、どれほど御大層なものかと思ったら、ぜんぜんたいしたことないじゃないか。選択問題は正答が自明なものばかりであるし(3)、自由記述問題にしても文中から適切な根拠さえ見つけられれば簡単に書けるものばかりだ。こんなことは、昔からウチでもやっていた、というのである。

 この反応は大変に正しい。何度でも言うが、言語力検定にせよ、その向こうにあるOECDのPISAの読解力調査にしても、このテの読解問題としては簡単なものなのだ。ただ、ちゃんとした進学校ならば、中学生にせよ高校生にせよ、全員が合格するくらいでなければ、これからの多様化・複雑化・グローバル時代のリーダーを育むのはおぼつかない。

 何年か前、あるテレビ番組で(これから述べる肝心の部分は編集で切られてしまったので、番組名は伏せる)、PISAのサンプル問題をスタジオの大学生たちに解いてもらい、その場で正答例と誤答例をとりあげて解説したことがある。有名大学の学生ばかりだったが、正答と誤答の割合は半々くらいだったか。そのあと、記述問題の考えかたについて簡単に説明したところ、司会のKさん(劇団主宰者)が「おれ、コツわかっちゃったぞ。これ、コツがわかれば、簡単に答えられるぞ」とおっしゃって、用意していたすべての問題について、即座に模範解答となるような正答を連発されたことがある。Kさんがとても頭のよい方である点を差っ引いても、実はPISAの読解力調査程度の問題であれば、コツさえ知っていれば簡単に解けてしまうものばかりなのだ。

 では、コツさえ教えれば、日本の子どもたちもPISAで一位になれるではないか――PISAで国際順位を上げることだけを考えれば、確かにそのとおりである。だが、この連載で綿々と述べてきたように、問題の所在を考えれば、日本がその選択肢をとらなかったのは賢明であった。

* * *

(1) (財)文字・活字文化推進機構が実施する検定で、PISA型読解力の測定を目的とする。1級(大学生・社会人対象)~6級(小学校中学年対象)の級判定をする。昨年10月~11月に第一回を実施。初年は3~4級(高校生・中学生対象)のみ実施。受検者は9984名。
(2) 3級と4級は同一の問題を用い、得点率に応じて3級合格あるいは4級合格の判定がなされた。
(3) PISAにおける読解力の選択問題には、いわゆる「ひっかけ問題」が存在しない。そのため、ややこしい選択肢を見慣れた日本人の目には「正答が自明な問題」ばかりに見えるのがふつうである。

* * *

◆この連載を最新記事からお読みになる方は⇒「明解PISA大事典」アーカイブへ

◆記事のタイトルからお探しになる方は⇒「明解PISA大事典」目次へ

【プロフィール】

北川達夫(きたがわ・たつお)
教材作家・教育コンサルタント・チェンバロ奏者・武芸者・漢学生
(財)文字・活字文化推進機構調査研究委員
日本教育大学院大学客員教授
1966年東京生まれ。英・仏・中・芬・典・愛沙語の通訳・翻訳家として活動しつつ、フィンランドで「母語と文学」科の教科教育法と教材作法を学ぶ。国際的な教材作家として日芬をはじめ、旧中・東欧圏の教科書・教材制作に携わるとともに、各地の学校を巡り、グローバル・スタンダードの言語教育を指導している。詳しいプロフィールはこちら⇒『ニッポンには対話がない』情報ページ
著書に、『知的英語の習得術』(学習研究社 2003)、『「論理力」がカンタンに身につく本』(大和出版 2004)、『図解フィンランド・メソッド入門』(経済界 2005)、『知的英語センスが身につく名文音読』(学習研究社 2005)、編訳書に「フィンランド国語教科書」シリーズ(経済界 2005 ~ 2008)、対談集に演出家・平田オリザさんとの対談『ニッポンには対話がない―学びとコミュニケーションの再生』(三省堂 2008)組織開発デザイナー・清宮普美代さんとの対談『対話流―未来を生みだすコミュニケーション』(三省堂 2009★新刊★)など。
『週刊 東洋経済』にて「わかりあえない時代の『対話力』入門」連載中。

* * *

【編集部から】
学習指導要領の改訂に大きく影響したPISAってなに?
PISA型読解力ってどんな力なの?
言語力、言語活動の重視って? これまでとどう違う?
現代の教育観は変わってきたのか。変わってきたとしたら、そこにどんな経緯があるのか。
国際的に活躍する教材作家である北川達夫先生がやさしく解説する連載「明解PISA大事典」。金曜日に掲載しています。


明解PISA大事典:高度ながら知識不問の「PISA型」問題の答え

2010年 3月 19日 金曜日 筆者: 北川 達夫

第34回 笑話による問題解決型読解教育――解答篇

 前回笑話を素材文にした場合の問題解決型読解について紹介した。最終課題は「笑話になるように、ほかの解決策を考えなさい」である。念のため、素材文のあらすじと、素材文における「問題―解決」を再掲する(*)

物語「くらのとびら」のあらすじ
 おまぬけ村のお父さんとお母さんの話である。お父さんは、野良仕事をしている間に蔵のお金がドロボウに盗まれるのではないかと心配していた。そこで、お母さんに、家事をしながら蔵の扉を見張っているように命じた。お母さんは蔵の扉を見張っていたが、話し相手のお父さんがいないので退屈である。畑に行けばお父さんと話せるのだが、それでは蔵の扉を見張ることができない。そこで、お母さんは蔵の扉を取り外し、それを背負って畑に行くことにした。お父さんはお母さんが畑に来たのでびっくりしたが、お母さんが蔵の扉を見張っていることがわかったので安心した。野良仕事を終え、家に帰った二人はびっくりした。蔵のお金がすっかり盗まれていたからである。

〈問題と解決〉
◎お父さんにとっての問題と解決
お金を盗まれるのではないか⇒お母さんに蔵の扉を見張っていてもらう。
◎お母さんにとっての問題と解決
退屈である。しかし蔵の扉を見張らなければならない⇒蔵の扉を背負って畑に行く。

 ポイントは、お父さんもお母さんも問題解決に大真面目に取り組んだつもりでいるのに、課題文のように「お金を盗まれてはならない」という大前提が崩れるか、新たな大問題が発生するように物語を書き換えることである。それができているかどうかが評価の対象であり、物語がおもしろいかどうかはそれほど重要ではない。

 当たり前のことだが、こういった課題に決まった正答はない。そこで、フィンランドと日本の実践例から、解答パターンを五つに分類して紹介することにしよう。

①見張っていたら盗まれた

 お母さんが蔵の扉「だけ」をずっと見張っていたために、ドロボウに蔵の壁を破られたり、窓を壊されたり、屋根をはずされたりしても気付かず、結局お金を盗まれてしまう――という解答パターンである。私の知るかぎり、フィンランドでも、日本でも、この解答パターンがいちばん多い。ただ、この場合は、お母さんにとっての「退屈である」という問題について、別の解決策を考える必要がある。お母さんにとって、蔵の扉を見張ることは退屈で仕方のないことなのだ。フィンランドでも、日本でも、ドロボウにお金を盗ませることにばかり熱中して、肝心のお母さんの問題を忘れてしまう場合が多い。その点を指摘すると、「お母さんは蔵の扉を見ているうちに楽しくなってきました。なんと蔵の扉がお母さんに話しかけてきたからです」などと、急にメルヘンな展開が始まったりするので、それはそれでおもしろい。

②ドロボウ登場

 物語の挿絵には二人組のドロボウのシルエットが描かれている(*)。そこから「ドロボウは二人組である」ということがわかる。この事実を利用しないテはない。たとえばドロボウの一人がお母さんの話し相手になって退屈をまぎらわし、もう一人が蔵の壁を破ったり、窓を壊したり、屋根をはずしたりしてお金を盗む(お母さんは世間話と『扉を見張ることだけ』に熱中していて気付かない)――というような解答パターンがある。お母さんの問題も自然に解決されており、①の改良型ともいえる。

 親切なドロボウがお母さんから事情を聞き、「かわりに蔵の扉を見張っていてあげましょう」と申し出る。お母さんはその提案をありがたく受け入れて畑に行き、結局お金を盗まれてしまう――というようなパターンもある。このあたりで、ちょっと別の問題の存在に気付く可能性があるのだが、これについては⑤で述べることにしよう。

③お母さん暴走

 お母さんは「蔵の扉を見張る」という行動に疑問を抱く。なぜこんなつまらないことをやらなければならないのか?「そうそう、蔵の中にお金があるからいけないんだわ」とかなんとか言って、「ドロボウさ~ん」などとドロボウを呼び寄せ、蔵の中のお金を全部持っていってもらう。そして「もう扉を見張る必要はなくなったわ」とかなんとか言って、お父さんのいる畑に向かうのである。そしてお父さんも「そうか、見張る必要がなくなったか」などと嬉しそうに言うのである――こういった凄まじい破壊力の解答を、たまにフィンランドの教室で聞くことができる。けっこうおもしろい。

④見張っていたら枯れちゃった

 お母さんの退屈をまぎらわすため、あるいはお母さんを信用できないために、お父さんも一緒に蔵の扉を見張ることになり、お父さんは野良仕事を一切しなくなってしまったために、畑の作物が全部枯れてしまう――というようなパターン。この物語の場合、フィンランドでも、日本でも、あまり新たな問題を発生させる余地がないようだ。

⑤余計なことに気付いちゃった

 世の中には気がつかないほうが幸せなことがある。だが、そういうことに必ず気がついてしまう人間はいるものだ。なぜ蔵の扉を見張らなければならないのか? 扉にカギはないのか? ここで挿絵を見る。なんと、お母さんの背負っている扉には、大きくて頑丈そうな錠前がついているのである(*)。こんな立派な錠前が付いているんだったら、扉を見張る必要はないんじゃないか! そう、その通り。挿絵も含めてクリティカルによく読むと、この物語はちょっとおかしいのである。

 お母さんが「錠前があるから大丈夫」と思って畑に行ったら、その間に錠前をこじあけられた/蔵の壁が破られた――というような解答パターンもあるが、これでは当たり前すぎて笑話にならない。お母さんかお父さんによる大真面目な問題解決が、直截的に大前提を崩したり、新たな大問題を引き起こしたりしていないと笑話にならないのである。

 たとえば、②の二番目の解答パターンを改良する。親切なドロボウが「かわりに蔵の扉を見張っていてあげましょう」と申し出る。そのとき、「お金が盗まれていないかどうか、蔵の中を確かめてみましょう」と言って、お母さんに錠前を開けさせる。そのあと一応は錠前を閉めさせるのだが、ドロボウは「私が見張っている間も、ときどき蔵の中にちゃんとお金があるかどうか確かめてあげましょう」などと言って、お母さんから錠前のカギを預かってしまうのだ――クラスの中で錠前の存在に気付いた児童がいて、「蔵の扉を見張ること」の意味に疑義が差し挟まれると、全員の話し合いによってこういった解決策を考えていくことになる。ただ、笑話の場合は、あまり細部をクリティカルに詰めすぎると、どんどんつまらなくなっていくことがあるので難しいところだ。

* * *

(*) 『フィンランド国語教科書 小学3年生』pp82-83 メルヴィ・バレ他著/北川達夫訳/経済界 2006年

* * *

◆この連載を最新記事からお読みになる方は⇒「明解PISA大事典」アーカイブへ

◆記事のタイトルからお探しになる方は⇒「明解PISA大事典」目次へ

【プロフィール】

北川達夫(きたがわ・たつお)
教材作家・教育コンサルタント・チェンバロ奏者・武芸者・漢学生
(財)文字・活字文化推進機構調査研究委員
日本教育大学院大学客員教授
1966年東京生まれ。英・仏・中・芬・典・愛沙語の通訳・翻訳家として活動しつつ、フィンランドで「母語と文学」科の教科教育法と教材作法を学ぶ。国際的な教材作家として日芬をはじめ、旧中・東欧圏の教科書・教材制作に携わるとともに、各地の学校を巡り、グローバル・スタンダードの言語教育を指導している。詳しいプロフィールはこちら⇒『ニッポンには対話がない』情報ページ
著書に、『知的英語の習得術』(学習研究社 2003)、『「論理力」がカンタンに身につく本』(大和出版 2004)、『図解フィンランド・メソッド入門』(経済界 2005)、『知的英語センスが身につく名文音読』(学習研究社 2005)、編訳書に「フィンランド国語教科書」シリーズ(経済界 2005 ~ 2008)、対談集に演出家・平田オリザさんとの対談『ニッポンには対話がない―学びとコミュニケーションの再生』(三省堂 2008)組織開発デザイナー・清宮普美代さんとの対談『対話流―未来を生みだすコミュニケーション』(三省堂 2009★新刊★)など。
『週刊 東洋経済』にて「わかりあえない時代の『対話力』入門」連載中。

* * *

【編集部から】
学習指導要領の改訂に大きく影響したPISAってなに?
PISA型読解力ってどんな力なの?
言語力、言語活動の重視って? これまでとどう違う?
現代の教育観は変わってきたのか。変わってきたとしたら、そこにどんな経緯があるのか。
国際的に活躍する教材作家である北川達夫先生がやさしく解説する連載「明解PISA大事典」。金曜日に掲載しています。


明解PISA大事典:高度ながら知識不問の「PISA型」問題

2010年 3月 5日 金曜日 筆者: 北川 達夫

第33回 笑話による問題解決型読解教育

 前回はフィンランドの「分離・融合方式」について紹介した。分離段階(小学校5年生くらいまで)においては、相当に仕組まれた素材文を用い、学年相応の知識と経験のみを駆使してクリティカルに読むことが求められる。要するに、自分たちと同じような登場人物が、自分たちも経験したことのあるような問題に遭遇し、自分たちもやりかねない方法で解決する物語を読んで、ああだこうだと意見を言い合うようなやりかたである。いわゆる「PISA型読解力」を容易に習得できる方法ではあるが、「深さ」の感じられる方法ではないため、日本の国語の先生にとっては物足りなく感じられるようである。

 とはいえ、やりかたによっては、けっこう手ごたえのある課題を設定することもできる。

 一例を挙げよう。小学校3年生用の教科書に掲載されている事例である(1)

物語「くらのとびら」のあらすじ
 おまぬけ村のお父さんとお母さんの話である。お父さんは、野良仕事をしている間に蔵のお金がドロボウに盗まれるのではないかと心配していた。そこで、お母さんに、家事をしながら蔵の扉を見張っているように命じた。お母さんは蔵の扉を見張っていたが、話し相手のお父さんがいないので退屈である。畑に行けばお父さんと話せるのだが、それでは蔵の扉を見張ることができない。そこで、お母さんは蔵の扉を取り外し、それを背負って畑に行くことにした。お父さんはお母さんが畑に来たのでびっくりしたが、お母さんが蔵の扉を見張っていることがわかったので安心した。野良仕事を終え、家に帰った二人はびっくりした。蔵のお金がすっかり盗まれていたからである。

〈問題と解決〉
◎お父さんにとっての問題と解決
お金を盗まれるのではないか⇒お母さんに蔵の扉を見張っていてもらう。
◎お母さんにとっての問題と解決
退屈である。しかし蔵の扉を見張らなければならない⇒蔵の扉を背負って畑に行く。

 このように各人が各人の問題を解決しているにもかかわらず、大前提が崩れてしまった、つまり盗まれてはならないお金が盗まれてしまったのである。「おまぬけ村(Hölmölä)」の物語というのは、フィンランドでは定番の民話型笑話であり、だいたいこのパターンで笑いをとることになっている。

 この物語について、通常の問題解決型読解の方式(2)で話し合ってもあまり意味はない。「お金を盗まれてはならない」という大前提のもとで、「ほかに解決策はありませんか?」「あなただったらどうしますか?」と考えさせたところで、おまぬけ村の住人のようなアホな解決策をとらなければよいだけだからである。もちろん、小学校3年生が対象の課題なので、一応は確認のために「お金を盗まれないためには、どうすればよかったのですか?」と聞くことにはなっているが……。

 このように笑話が素材文の場合は、あくまでも笑話のルールに則って問題解決思考をすることになる。つまり「笑話になるように、ほかの解決策を考えなさい」というのが、この素材文を用いた場合の最終課題である。登場する各人が各人の問題を真面目に解決したにもかかわらず、そのために大前提が崩れるような解決策――お父さんかお母さんの解決策を考えなければならないのである。

 さて、この「おまぬけ村」の物語では、ほかにどのような解決策があるだろうか?

(解答例は次回)

* * *

(1) 『フィンランド国語教科書 小学3年生』pp82-83 メルヴィ・バレ他著/北川達夫訳/経済界 2006年
(2) 問題解決型読解については第16回を参照。

* * *

◆この連載を最新記事からお読みになる方は⇒「明解PISA大事典」アーカイブへ

◆記事のタイトルからお探しになる方は⇒「明解PISA大事典」目次へ

【プロフィール】

北川達夫(きたがわ・たつお)
教材作家・教育コンサルタント・チェンバロ奏者・武芸者・漢学生
(財)文字・活字文化推進機構調査研究委員
日本教育大学院大学客員教授
1966年東京生まれ。英・仏・中・芬・典・愛沙語の通訳・翻訳家として活動しつつ、フィンランドで「母語と文学」科の教科教育法と教材作法を学ぶ。国際的な教材作家として日芬をはじめ、旧中・東欧圏の教科書・教材制作に携わるとともに、各地の学校を巡り、グローバル・スタンダードの言語教育を指導している。詳しいプロフィールはこちら⇒『ニッポンには対話がない』情報ページ
著書に、『知的英語の習得術』(学習研究社 2003)、『「論理力」がカンタンに身につく本』(大和出版 2004)、『図解フィンランド・メソッド入門』(経済界 2005)、『知的英語センスが身につく名文音読』(学習研究社 2005)、編訳書に「フィンランド国語教科書」シリーズ(経済界 2005 ~ 2008)、対談集に演出家・平田オリザさんとの対談『ニッポンには対話がない―学びとコミュニケーションの再生』(三省堂 2008)組織開発デザイナー・清宮普美代さんとの対談『対話流―未来を生みだすコミュニケーション』(三省堂 2009★新刊★)など。
『週刊 東洋経済』にて「わかりあえない時代の『対話力』入門」連載中。

* * *

【編集部から】
学習指導要領の改訂に大きく影響したPISAってなに?
PISA型読解力ってどんな力なの?
言語力、言語活動の重視って? これまでとどう違う?
現代の教育観は変わってきたのか。変わってきたとしたら、そこにどんな経緯があるのか。
国際的に活躍する教材作家である北川達夫先生がやさしく解説する連載「明解PISA大事典」。金曜日に掲載しています。


明解PISA大事典:学習者中心型指導法の欠陥

2010年 1月 22日 金曜日 筆者: 北川 達夫

第30回 実践適用の難しさ

 前回、フィンランドの「喚起・共有・探求」型授業について紹介した。OECDのPISAの関係の偉い人たちは、このような授業形態を「学習者中心型」ということで推奨している。だが、これをこのまま「型どおり」踏襲すると、致命的な欠陥のある指導法になってしまう。

 当たり前のことであるが、「学習者」がまったく知らない事がらについては、この指導法はまったく機能しない。まずは何らかの手段で基礎知識を注入するしかないだろう。また、ちょっと別の問題ではあるが、この指導法は学習者に意欲と関心がなければ、まるで機能しない。意欲と関心を持たせるのが指導者の役目と言ってしまえば、それまでのことではあるのだが……。

 指導法そのものにも、このままでは機能しえない欠陥がある。基本的な発問は「学習者が何を知っているか?」「学習者が何を知りたいか?」「学習者が何を調べたか?」であるが、このように並べてみると明らかなように、最初から最後まで「学習者」の視点しか存在しないからだ。指導者がうまく誘導するか、適当に知識を注入するかしないと、学習者は知識を体系的に身につけることができない。その意味では、同じく前回紹介した、説明文の指導事例のほうが「型」としては現実的である。説明文が基礎的な知識を体系的に注入する役割を果たしてくれるからだ。ただ、それでも指導者がうまく誘導しないと、学習者は自分の枠の中でしか知識と向き合えなくなってしまう。

 知識基盤社会においては学習者中心型の学びが必要なのだろうが、何もかも学習者に丸投げしてはマズいのである。もちろん、その程度のことは職業的な指導者であれば重々承知しているのだろうが、フィンランドでも承知していない職業的な指導者がたまに存在するので注意を要するのである。

 第12回第13回で述べたように、これからの時代は知識基盤社会であり、内部情報(自分の知っていること)と外部情報(他者の知っていること)の統合による「創造的問題解決」の能力が必要とされる。内部情報と外部情報を統合しなければならないのだから、創造的問題解決においても内部情報、つまり自分が持っている知識の質と量は重要である。ところが、PISAの「知識を問うテスト」ではないという売り文句のためか、いわゆる「PISA型の授業」というと、「絶対に知識注入という要素があってはならない」という印象があるようだ。また、いわゆる「PISA型読解力」というと、「文中から根拠さえ挙げられれば、どれほど素頓狂な解釈をしてもいい。どれほど非常識な意見を言ってもかまわない」という印象があるようだ。公開されたPISAのサンプル問題が、その印象をさらに強める効果を発揮していることも否めない。

 当初のPISAショックもフィンランド崇拝も薄らいできた昨今、「PISA的なもの」に対するアレルギーというか拒絶反応が強まってきたように感じられる。

 さて、どうしたものか。次回以降に考えることにしよう。

* * *

◆この連載を最新記事からお読みになる方は⇒「明解PISA大事典」アーカイブへ

◆記事のタイトルからお探しになる方は⇒「明解PISA大事典」目次へ

【プロフィール】

北川達夫(きたがわ・たつお)
教材作家・教育コンサルタント・チェンバロ奏者・武芸者・漢学生
(財)文字・活字文化推進機構調査研究委員
日本教育大学院大学客員教授
1966年東京生まれ。英・仏・中・芬・典・愛沙語の通訳・翻訳家として活動しつつ、フィンランドで「母語と文学」科の教科教育法と教材作法を学ぶ。国際的な教材作家として日芬をはじめ、旧中・東欧圏の教科書・教材制作に携わるとともに、各地の学校を巡り、グローバル・スタンダードの言語教育を指導している。詳しいプロフィールはこちら⇒『ニッポンには対話がない』情報ページ
著書に、『知的英語の習得術』(学習研究社 2003)、『「論理力」がカンタンに身につく本』(大和出版 2004)、『図解フィンランド・メソッド入門』(経済界 2005)、『知的英語センスが身につく名文音読』(学習研究社 2005)、編訳書に「フィンランド国語教科書」シリーズ(経済界 2005 ~ 2008)、対談集に演出家・平田オリザさんとの対談『ニッポンには対話がない―学びとコミュニケーションの再生』(三省堂 2008)組織開発デザイナー・清宮普美代さんとの対談『対話流―未来を生みだすコミュニケーション』(三省堂 2009★新刊★)など。
『週刊 東洋経済』にて「わかりあえない時代の『対話力』入門」連載中。

* * *

【編集部から】
学習指導要領の改訂に大きく影響したPISAってなに?
PISA型読解力ってどんな力なの?
言語力、言語活動の重視って? これまでとどう違う?
現代の教育観は変わってきたのか。変わってきたとしたら、そこにどんな経緯があるのか。
国際的に活躍する教材作家である北川達夫先生がやさしく解説する連載「明解PISA大事典」。金曜日に掲載しています。


明解PISA大事典:「外交官に育てるような教育」のワケ

2009年 12月 18日 金曜日 筆者: 北川 達夫

第28回 フィンランドから日本へ

 前回、フィンランドの国語教育について「まるで国民全員を外交官に育てるような教育」と書いた。これは外交官の目で見た場合の正直な感想である。その時点では、このような教育が日本で必要かどうかなど考えもしなかった。「フィンランドでは、こういう教育が必要なんだろう」と思った程度のことである。

 フィンランドを専門に担当してきた外交官の観点からして、「フィンランドでは、こういう教育が必要なんだろう」と考えたのには理由がある。

 東西冷戦時代、フィンランドは東欧と西欧の狭間で苦難の歴史を歩んできた。国際紛争からの局外中立を志向しつつ、現実にはソ連と密接な関係を保たざるをえなかったあたりに、綱渡りのような外交戦術があったのだろうと推察される。なぜ「推察」しかできないのかというと、ソ連が存在したころ、フィンランドとソ連の間の重要なことは、両国の偉い人同士がクレムリンでゴニョゴニョ密談しただけで決まっていたらしいからだ。

 このような背景があるため、フィンランド人というと「外交戦術に長けた、したたかな人々」というイメージがある。だから「まるで国民全員を外交官に育てるような教育」が必要なような気もする。ただ、現実にどうだったのかは、クレムリンをのぞくわけにもいかないので分からなかったのである。

 このイメージが崩れたのは、1995年にEUに加盟したときだ。EU議会に出席したフィンランドの代表団はロクに発言することもできず、欧州各国から「フィンランド代表は何も発言せず、自分たちだけで『暗号』で会話していた」と揶揄されたのである。そこには「外交戦術に長けた、したたかな人々」というイメージのかけらもなかった。ただ、そのような弱点が白日のもとにさらされたからこそ、逆に「まるで国民全員を外交官に育てるような教育」が最近になって行なわれるようになったのではないかと考えたものである。

 いずれにしても、外交官時代の私は、当初は「フィンランドだからこそ、こういう教育が必要なんだろう」としか考えていなかったのである。

 ところが、これまでのような経緯からフィンランドにおいて教育の勉強を始めてみて、(ただの外交官にしてみれば)驚くべきことが分かってきた。世界のグローバル化が進みつつある昨今(90年代後半のことである)、どの国においても「まるで国民全員を外交官に育てるような教育」が必要だというのである。むかしは外国に出て活躍するような人だけが、そういう教育を受ければよかった。だが、いまは自国から外国に出るまでもなく、外国から自国へと人々がどんどん流入する時代なので、国民のだれもがそういう教育を受けなければならないというのである。多文化が共生していくためには、言語のチカラの「無限ループ」(第26回参照)を誰もが自覚しなければならないというのである。

 この点に関しては、移民が数多く流入し、また欧州各国間でも人々の流動の激しいヨーロッパ特有の問題のようにも感じられる。だが、日本もグローバル化する世界の一員であり、また少子高齢化による労働人口の減少から外国人労働者を大量に導入する必要性も言われており、決して他人事ではないのである。

 また「外国」という要素を除外したとしても、特に先進各国の成熟した社会においては、たとえばフィンランド人同士であっても価値観の共有が期待できなくなりつつある。価値観がばらけてしまって多様化し、フィンランド人同士であっても外国人とコミュニケーションを図るような感覚が必要であるというのだ。文化と歴史を共有する同士であっても、ある意味での「多文化共生」の感覚が必要であるというのだ。そのためにも「まるで国民全員を外交官に育てるような教育」が必要だというのである。

 この点に関しては、日本でも徐々に実感されるようになってきた。もはや日本も、かつての高度成長期のように皆で心を一つにして一つの目標を目指すような社会ではなくなりつつある。明らかに価値観がばらけて多様化しつつある。

 なるほど、これからの日本においても「まるで国民全員を外交官に育てるような教育」が必要なのだな――そう思いつつ、日本の教育に改めて接してみて、心底からびっくりした。少なくとも世紀の変わり目のあたりの日本の教育界では、そのような危機感はほとんど存在しなかったからである。

 これはなんとかしなければならないな――そう思いたって、現在に至るのである。

* * *

◆この連載を最新記事からお読みになる方は⇒「明解PISA大事典」アーカイブへ

◆記事のタイトルからお探しになる方は⇒「明解PISA大事典」目次へ

【プロフィール】

北川達夫(きたがわ・たつお)
教材作家・教育コンサルタント・チェンバロ奏者・武芸者・漢学生
(財)文字・活字文化推進機構調査研究委員
日本教育大学院大学客員教授
1966年東京生まれ。英・仏・中・芬・典・愛沙語の通訳・翻訳家として活動しつつ、フィンランドで「母語と文学」科の教科教育法と教材作法を学ぶ。国際的な教材作家として日芬をはじめ、旧中・東欧圏の教科書・教材制作に携わるとともに、各地の学校を巡り、グローバル・スタンダードの言語教育を指導している。詳しいプロフィールはこちら⇒『ニッポンには対話がない』情報ページ
著書に、『知的英語の習得術』(学習研究社 2003)、『「論理力」がカンタンに身につく本』(大和出版 2004)、『図解フィンランド・メソッド入門』(経済界 2005)、『知的英語センスが身につく名文音読』(学習研究社 2005)、編訳書に「フィンランド国語教科書」シリーズ(経済界 2005 ~ 2008)、対談集に演出家・平田オリザさんとの対談『ニッポンには対話がない―学びとコミュニケーションの再生』(三省堂 2008)組織開発デザイナー・清宮普美代さんとの対談『対話流―未来を生みだすコミュニケーション』(三省堂 2009★新刊★)など。
『週刊 東洋経済』にて「わかりあえない時代の『対話力』入門」連載中。

* * *

【編集部から】
学習指導要領の改訂に大きく影響したPISAってなに?
PISA型読解力ってどんな力なの?
言語力、言語活動の重視って? これまでとどう違う?
現代の教育観は変わってきたのか。変わってきたとしたら、そこにどんな経緯があるのか。
国際的に活躍する教材作家である北川達夫先生がやさしく解説する連載「明解PISA大事典」。金曜日に掲載しています。


明解PISA大事典:質問と、フィンランド国語教育の目的

2009年 12月 11日 金曜日 筆者: 北川 達夫

第27回 フィンランド紀行7

 フィンランドの日本国大使館に勤務していた時のことだ。現地の小学校を巡るのも、私の重要な仕事のひとつだった。小学校を巡って何をするのかというと、日本についての「楽しい話」をするのである。日本文化を紹介するビデオやら写真やら、日本の伝統的なおもちゃやら、いろいろと小道具を使って、「いかに日本が美しく素晴らしい国であるか」を宣伝するのである。その目的はただひとつ――フィンランドにおいて将来の「親日家」を育てること。この日本政府による壮大なる未来志向のプロジェクト――しかもお金はほとんどかからないプロジェクトのことを「教育広報事業」という。これはフィンランドのみならず、どこの国でも行なわれていたはずだ。また、現在も行なわれているはずである。

 そのようにして小学校を巡っていると、だいたいどこでも先生方から「授業を観ていきませんか?」「子どもたちと一緒に給食を食べていきませんか?」などと誘われる。ありがたくお受けする。ただ、私がフィンランドで暮らしていた90年代当時、フィンランドはまだ「学力世界一」などと煽てられてはおらず、また私自身も教育について専門的なことは何も知らなかったので、心を空しうしてフィンランド教育に接する――つまり完全にドシロウトの目で楽しく参観することができた。

 ヘルシンキ郊外の小さな小学校で国語(当時の科目名は『母語科』。現在は『母語と文学科』という)の授業を観ていたときのことだ。小学校3年生のクラスだったと思うが、このあたりはあまり記憶が定かではない。なにやらクラス全体で話し合いをしていた。一人の男の子がなにやら意見を言う。それに対して、ほかの男の子が「そんなの絶対におかしいよ」と反論というかイチャモンをつけた。すると、そのイチャモンをつけた男の子に対して、中年の女性の先生が次のように注意したのである。

 「『絶対におかしい』じゃなくて『なぜそう思うの?』でしょ。攻撃するのではなく、質問しなさい」

 これを聞いて「ほう!」と思った。この場合は教育のドシロウトの目ではなく、外交官の目で見てびっくりしたのである。相手と意見の対立があるとき、攻撃するのではなく、質問をするのは外交対話の基本だからだ。これを小学生のときからやっているとは――興味が湧いたので、授業のあと先生にくわしく聞いてみた。

 「意見を言うときには、相手が理解できるように納得できるように話しなさいと教えているのだけれど、実際には言うほうも聞くほうもいろいろでしょう? どんなに自分で分かりやすく話したつもりでも、相手には通じないことはいくらでもある。だから、相手の言っていることが『絶対におかしい』とか『ぜんぜん意味が分からない』と思ったときには、そう言って攻撃するのではなく、『なぜそう思うの?』、つまり『いまの説明だけでは自分にはよく分からなかったから、なぜそう言えるのかをもっと詳しく教えて下さい』と質問しなさいと教えているのです。これは教師についても同じこと。子どもが意見を言って、『絶対におかしい』と思うことは多々ありますが(笑)、必ず『なぜそう思うの?』と質問しなければならないのです」

 この説明を聞いて、改めてびっくりした。平明な言葉で語ってはいるが、前回紹介した言語の力にまつわる「無限のループ」を意識していなければ、たぶんこのような指導方法にはならないからである。

 ただ、当時は私はただの外交官であり、教育のドシロウトであったから、「まあ、そういうすごい先生もたまにはいるのだろう」という程度にしか考えていなかった。だが、後に私も少しは教育のことを勉強し、さらにフィンランドの国語教育について勉強するうちに、それが決して例外的なものではないことが分かってくる。

 フィンランドの国語教育のトップに位置する方々と2005年に鼎談したときのことだ。トップの一人はフィンランド教育庁(1)のピルヨ・シンコ(2)さん。もう一人はフィンランドの国語教科書を30年以上にわたって作ってきたメルヴィ・ヴァレ(3)さんである。どちらも現在のフィンランドの国語教育を作り上げてきた立役者ともいうべき、すごいおばさんである。そのおばさんたちによれば、フィンランドの国語教育の第一の目的は――

 「まず基本的な読み書きを身につけさせることねえ。最近は単に『読む』『書く』『聞く』『話す』だけではなく、『見る』とか『表す』とかも加わってきたけれど……」

 そして、それができるようになったら――

 「世界中のどこのだれが相手でも、その言いたいことを理解して、世界中のどこのだれが相手でも、自分の言いたいことを理解させる力をつけること、でしょうね」

 まるで国民全員を外交官に育てるような教育である。フィンランド教育のこの点に関しては、いまだに「すごい!」と思っている。

* * *

(1) 日本では「国家教育委員会」などと訳されているが、これは英語名「National Board of Education」からの訳語。フィンランド語では「Opetushallitus」。教育政策の決定機関である教育省(Opetusministerio)の下で、執行機関として機能する。「省(ministerio)」の下の役所(hallitus)なので、「教育庁」という訳語のほうが適切だと思われる。
(2) Pirjo Sinko。教育庁の国語担当の専門官(Opetusneuvos)。彼女の場合、日本でいえば文科省の国語科の視学官と教科調査官を合わせたような地位に相当する。
(3) Mervi Ware-von Hedenberg。元ヘルシンキ大学付属小学校教諭。昨年、最高の教育者に贈られる「シグネウス賞(Cygnaeus-palkinto)」を受賞した。

* * *

◆この連載を最新記事からお読みになる方は⇒「明解PISA大事典」アーカイブへ

◆記事のタイトルからお探しになる方は⇒「明解PISA大事典」目次へ

【プロフィール】

北川達夫(きたがわ・たつお)
教材作家・教育コンサルタント・チェンバロ奏者・武芸者・漢学生
(財)文字・活字文化推進機構調査研究委員
日本教育大学院大学客員教授
1966年東京生まれ。英・仏・中・芬・典・愛沙語の通訳・翻訳家として活動しつつ、フィンランドで「母語と文学」科の教科教育法と教材作法を学ぶ。国際的な教材作家として日芬をはじめ、旧中・東欧圏の教科書・教材制作に携わるとともに、各地の学校を巡り、グローバル・スタンダードの言語教育を指導している。詳しいプロフィールはこちら⇒『ニッポンには対話がない』情報ページ
著書に、『知的英語の習得術』(学習研究社 2003)、『「論理力」がカンタンに身につく本』(大和出版 2004)、『図解フィンランド・メソッド入門』(経済界 2005)、『知的英語センスが身につく名文音読』(学習研究社 2005)、編訳書に「フィンランド国語教科書」シリーズ(経済界 2005 ~ 2008)、対談集に演出家・平田オリザさんとの対談『ニッポンには対話がない―学びとコミュニケーションの再生』(三省堂 2008)組織開発デザイナー・清宮普美代さんとの対談『対話流―未来を生みだすコミュニケーション』(三省堂 2009★新刊★)など。
『週刊 東洋経済』にて「わかりあえない時代の『対話力』入門」連載中。

* * *

【編集部から】
学習指導要領の改訂に大きく影響したPISAってなに?
PISA型読解力ってどんな力なの?
言語力、言語活動の重視って? これまでとどう違う?
現代の教育観は変わってきたのか。変わってきたとしたら、そこにどんな経緯があるのか。
国際的に活躍する教材作家である北川達夫先生がやさしく解説する連載「明解PISA大事典」。金曜日に掲載しています。


明解PISA大事典:フィンランドの社会と教育事情

2009年 11月 27日 金曜日 筆者: 北川 達夫

第25回 フィンランド紀行5

 このところ「フィンランド紀行」と銘打ちつつ、実際にはフィンランド教育の概要について紹介してばかりいたので、今回は今次の訪問によって明らかになったことについて紹介することにしたい。

 最も目についたのは「少子化」の影響である。フィンランド社会も、他の先進国と同様に少子化に悩まされている。フィンランドの学校では児童・生徒数に応じて予算が比例配分されるため、児童・生徒数の減少は学校経営を直截的に悪化させる。それでも国や自治体の財政状況が豊かならば大した問題にはならないのだが、フィンランド経済は昨年のリーマン・ショックからまだ立ち直れていないようで、現在でも毎週のように大企業が大規模リストラの実施を発表している。国や自治体の財政状況の悪化により教育予算が減らされる一方で、現時点では物価は上昇傾向にあるため、どこの基礎学校の台所事情もまさに火の車であった。あちこちの学校の校長先生が「実際にかかるお金は児童・生徒の数が多かろうが少なかろうが大して変わらない。それなのに児童・生徒数に応じて予算を比例配分するとはひどい制度だ」と嘆く姿は哀れであった。

 学校選択の可能な都市部の学校では状況はより深刻である。各校が特色を出すことによって児童・生徒を集めようとするのだが、前回も紹介したように「児童・生徒の能力適性に応じた自己実現が重視されているため、高校や大学に進学することが『望ましいコース』とはあまり考えられていない」ので、進学率の高さを売り物にすることはできない。そういうことは保護者の間で噂にすらならない。外国語の授業時数の多さや、自由選択科目の選択肢の多さを売り物にしたり、芸術科目に特に力を入れていることを売り物にしたりするのがやっとのところ。それで児童・生徒を集めることに成功したとしても、少子化がどんどん進んでいるため、児童・生徒数の減少を食い止めるのがやっとのところ。そこそこの人気校の校長先生が「わが校の児童・生徒数はこの10年で2割しか減っていない」と自慢する姿は哀れであった。

 児童・生徒数が大幅に減ってしまった学校では、学校予算も大幅に減額され、最低限の施設管理すらままならない。ある学校では通風の悪さによる結露に悩まされているのだが(1)、児童・生徒数の少なさを理由に何年たっても補修の予算をつけてくれないことに困っていた。また、ある学校では男子トイレが壊れたのだが(2)、児童・生徒数の少なさを理由に修理の予算をつけてくれないため、ここ半年にわたって男子トイレが使えないままであるという。そこの校長が地域の教育委員に向かって「学校の基本はトイレである」と力説する姿は哀れであった。

 もうひとつ。第21回でフィンランドの教育は「女子向きのシステム」と呼ばれていると書いたが、このことから男子に対する「ひいき」が問題になっているようである。同じ「でき」ならば、男子に高い評価点を与えるというのである。フィンランドでは4~10の7段階で成績評価するが、同じ「でき」ならば女子には「7」を、男子には「8」を与えるというのである。フィンランドの学校では、すべてのペーパーテストに素点と評価点の対照表がついているため(3)、ペーパーテストでの「ひいき」はできない。だが、レポートや作文などの提出課題であれば、そもそも素点はなく、単に4~10の評価点のみをつけるため「ひいき」が可能になるのである。これについてフィンランド教育省の偉い人は「そういう気分があることは承知しているが、現実に『ひいき』はしていないはずだ」と強く否定していたが、少なくとも「気分がある」ことだけは認めていたから、それが多少は結果に反映することもあるのかもしれない。

* * *

(1) 校舎内の結露はフィンランド各地の学校が悩まされている問題である。古い校舎の場合、保温性を重視するぶん、通風が悪くなってしまうらしい。結露を防ぐには全面的な改修が必要なため、莫大な費用が必要であるうえ、半年から一年くらいは校舎が使えなくなるので、とにかく被害は甚大なのである。
(2) 生徒によって壊されたらしいが犯人は特定できず。犯人が特定されれば、その保護者が修理の費用を出さなければならない。
(3) たとえば30点満点のテストであれば、28~30点は「10」、26~28点は「9」、21~26点は「8」というように、素点と評価点の対照表が付けられている。学校で行なわれるすべてのテストの素点と評価点は公開されており、保護者は自分の子どものみならず、ほかの子どもの素点と評価点を閲覧することもできる。

* * *

◆この連載を最新記事からお読みになる方は⇒「明解PISA大事典」アーカイブへ

◆記事のタイトルからお探しになる方は⇒「明解PISA大事典」目次へ

【プロフィール】

北川達夫(きたがわ・たつお)
教材作家・教育コンサルタント・チェンバロ奏者・武芸者・漢学生
(財)文字・活字文化推進機構調査研究委員
日本教育大学院大学客員教授
1966年東京生まれ。英・仏・中・芬・典・愛沙語の通訳・翻訳家として活動しつつ、フィンランドで「母語と文学」科の教科教育法と教材作法を学ぶ。国際的な教材作家として日芬をはじめ、旧中・東欧圏の教科書・教材制作に携わるとともに、各地の学校を巡り、グローバル・スタンダードの言語教育を指導している。詳しいプロフィールはこちら⇒『ニッポンには対話がない』情報ページ
著書に、『知的英語の習得術』(学習研究社 2003)、『「論理力」がカンタンに身につく本』(大和出版 2004)、『図解フィンランド・メソッド入門』(経済界 2005)、『知的英語センスが身につく名文音読』(学習研究社 2005)、編訳書に「フィンランド国語教科書」シリーズ(経済界 2005 ~ 2008)、対談集に演出家・平田オリザさんとの対談『ニッポンには対話がない―学びとコミュニケーションの再生』(三省堂 2008)組織開発デザイナー・清宮普美代さんとの対談『対話流―未来を生みだすコミュニケーション』(三省堂 2009★新刊★)など。
『週刊 東洋経済』にて「わかりあえない時代の『対話力』入門」連載中。

* * *

【編集部から】
学習指導要領の改訂に大きく影響したPISAってなに?
PISA型読解力ってどんな力なの?
言語力、言語活動の重視って? これまでとどう違う?
現代の教育観は変わってきたのか。変わってきたとしたら、そこにどんな経緯があるのか。
国際的に活躍する教材作家である北川達夫先生がやさしく解説する連載「明解PISA大事典」。金曜日に掲載しています。


明解PISA大事典:発問 劇にしてみましょう

2009年 9月 25日 金曜日 筆者: 北川 達夫

第20回 発問:最後の一問 ~本当に完結

 前3回(第17回第18回第19回)にわたって、フィンランドの国語教科書を用いて「問題解決方式の発問」について紹介してきた。前回で問題解決プロセスは完結したため、私としては「このシリーズはこれで終わり」と思っていたのだが、ある小学校の先生から「もう一つ残っているではないか」との指摘があった。たしかに残っている――。そこで今回は本当に完結させるため、最後の一問について説明することにしよう。しつこいようだが念のため素材文を再掲する(1)

●物語「ちょうど35キロ」のあらすじ●

 学校でバザーが開かれている。バザー会場に体重計があり、おじさんが呼びこみをやっている。料金1ユーロで体重を計測し、ちょうど35キロであれば賞品がもらえるとのこと。ユッシ少年の体重は36.5キロ、ラミ少年の体重は33.5キロで、いずれも賞品を獲得できない。そこでユッシは目的を告げぬまま、ラミにレモネードを1.5リットル飲ませる。わけのわからぬままラミはレモネードを飲み、体重計に乗る。ちょうど35キロ! みごと賞品を獲得する。レモネードを飲みすぎて気持ち悪くなったラミが受け取った賞品は、レモネード一箱だった。

最後の一問とは以下の通り。

この話を劇にしてみましょう。ラミの家にレモネードが届いてからのことも考えましょう。

 「劇にしてみましょう」というのは、フィンランドの初等教育の国語(1~5年生)における定番の課題である(2)。単元の終わりに、必ずといっていいほど「劇にしてみましょう」という課題があるのだ。これについては、劇作家の平田オリザさんがしきりに感心していた(3)。平田さんが数えたところによると(律儀な御仁である)、全単元のうち3分の2が「劇にしてみましょう」で終わっているという。日本で演劇教育を推進されている平田さんにしてみれば、こういう国語教科書はさぞかしうらやましいに違いない。

 読解教育の観点からしても「劇にしてみましょう」という課題には大きな意味がある。物語の場面や状況をよく把握し、登場人物のそれぞれについて深く理解していないと、演じることはできないからだ。

 日本で「『劇にしてみましょう』をやりましょう」と言うと、「とても時間が足りません」という答えが返ってくる。配役を決めて~/シナリオを作って~/それを覚えて~/練習を重ねて~/全員が発表に参加して~というのに、膨大な時間がかかるというのだ。

 一方、フィンランドでは、こういう活動にはぜんぜん時間がかからない。4~5人のグループで演じるとしても、15分あれば充分である。それはフィンランドのクラス全体の人数が少ないからではない。30人でも40人でも、15分あれば充分なのである。

 フィンランドの国語教育の発想からすると、物語の流れを大づかみに把握した上で、即興的に演じることを重視するため、シナリオを用意して~/それを覚えて~/練習を重ねて~ということにはならない。だから、この課題を実施する場合には、「4分で配役を決めて練習、1分で実演!」という指示を与えるのが一般的である。これなら、児童が30人いようが40人いようが、15分もあれば全グループが演じられるだろう。

 この課題では「レモネードがラミの家に届いてからのことも考えましょう」となっており、物語の続きを自分たちで創作しなければならない。ただ、創作といっても、それまでの話の流れにそったものでなければならないから、読解教育の「推論」としての要素が強い。それまでの話の流れを手がかりにして、物語の続きを推論するのである。そして、この「推論」と「創作」も含めて、「4分で配役を決めて練習」なのである。

 もちろん「4分で決めて練習、1分で実演!」というやりかたでは、演劇としてはヘタクソなものにならざるをえない。だが、限られた時間内にグループ全員で合意形成し、その決定に基づいて全員で行動するというところに、この課題の最大の目的があるのだ。

* * *

(1) 『フィンランド国語教科書 小学3年生』pp80-81 メルヴィ・バレ他著/北川達夫訳/経済界 2006年
(2) 教科書にもよるが、6年生以上では演劇教育は原則として別単元になる。
(3) 『ニッポンには対話がない』pp44-45 北川達夫・平田オリザ著/三省堂 2008年

* * *

◆この連載を最新記事からお読みになる方は⇒「明解PISA大事典」アーカイブへ

◆記事のタイトルからお探しになる方は⇒「明解PISA大事典」目次へ

【プロフィール】

北川達夫(きたがわ・たつお)
教材作家・教育コンサルタント・チェンバロ奏者・武芸者・漢学生
(財)文字・活字文化推進機構調査研究委員
日本教育大学院大学客員教授
1966年東京生まれ。英・仏・中・芬・典・愛沙語の通訳・翻訳家として活動しつつ、フィンランドで「母語と文学」科の教科教育法と教材作法を学ぶ。国際的な教材作家として日芬をはじめ、旧中・東欧圏の教科書・教材制作に携わるとともに、各地の学校を巡り、グローバル・スタンダードの言語教育を指導している。詳しいプロフィールはこちら⇒『ニッポンには対話がない』情報ページ
著書に、『知的英語の習得術』(学習研究社 2003)、『「論理力」がカンタンに身につく本』(大和出版 2004)、『図解フィンランド・メソッド入門』(経済界 2005)、『知的英語センスが身につく名文音読』(学習研究社 2005)、編訳書に「フィンランド国語教科書」シリーズ(経済界 2005 ~ 2008)、対談集に演出家・平田オリザさんとの対談『ニッポンには対話がない―学びとコミュニケーションの再生』(三省堂 2008)組織開発デザイナー・清宮普美代さんとの対談『対話流―未来を生みだすコミュニケーション』(三省堂 2009★新刊★)など。
『週刊 東洋経済』にて「わかりあえない時代の『対話力』入門」連載中。

* * *

【編集部から】
学習指導要領の改訂に大きく影響したPISAってなに?
PISA型読解力ってどんな力なの?
言語力、言語活動の重視って? これまでとどう違う?
現代の教育観は変わってきたのか。変わってきたとしたら、そこにどんな経緯があるのか。
国際的に活躍する教材作家である北川達夫先生がやさしく解説する連載「明解PISA大事典」。金曜日に掲載しています。


次のページ »