談話研究室にようこそ 第81回 笑いとまじめ:ふたつの婉曲法(その2)

2014年 9月 25日 木曜日 筆者: 山口 治彦

第81回 笑いとまじめ:ふたつの婉曲法(その2)

 前回,対比させたまじめな婉曲法と笑いの婉曲法の関係は,人にものを頼むときのストラテジーになぞらえると,より分りやすいかと思います。

 人にものを頼みたいとき,たとえば,車で送ってほしいとき,どういうふうに頼みますか。「送って」とずばり頼んでももちろんいいのですが,相手を慮ってもう少し丁寧にやろうとするかもしれません。ブラウンとレヴィンソンによると,それには3つの方法があるようです(P. ブラウン・S. レヴィンソン『ポライトネス:言語使用における,ある普遍現象』)。

(108)
a. バス,ちょうど行ってしまったみたい。あー,どうしよう。遅れてしまう。
b. あの,ごめんなさい。とっても申し訳ないんだけど,ちょっと送ってもらえるとうれしいんだけど?
c. ねえ,××さーん,送ってくれるン?♡ お・ね・が・い♡

 (108a) は,それとなく非公然に (off record) お願いする方法です。困っていることを伝えるだけで,はっきりと頼むことを控えています。人にものを頼む際のもっとも差し障りのないやり方と言えるでしょう。聞き手が気を利かして「じゃあ,送ろうか」と申し出てくれるといいのですが,そのままスルーされてしまうかもしれません。

 (108b) は,消極的な丁寧さ (negative politeness) にもとづくやり方です。相手と距離を取りつつ,相手の邪魔になることをわびつつ,お願いしています。「ちょっと送ってもらえると」の「ちょっと」は相手にかかる迷惑をできるだけ少な目に見積もっています。そうすることで依頼にかかわる押し付け具合をことばのうえで弱めるわけです。

 そして,(108c) は,積極的な丁寧さ (positive politeness) にもとづくストラテジーを体現しています。相手の懐に入り込んで,関係の近さを前に出しながらお願いするわけです。

 日本語的な発想から言うと,丁寧とは敬して遠ざけることのみを考えてしまいそうですが,親密さを前面に出して交渉することも相手を慮ったやり方だと言えるでしょう。慇懃無礼ということばがありますが,これは必要以上に相手を敬して遠ざけたためにかえって失礼になってしまうことを表しますよね。他人行儀にならずにやり取りすることも,丁寧さのひとつのパタンなのです。

81_1_s.jpg

 このように,時と場合と相手に応じて,私たちは交渉のストラテジーを変えて頼み事をしています。これまでに取り上げたまじめの婉曲法と笑いの婉曲法の違いは,この交渉ストラテジーの違いに対応するように思います。

 笑いの婉曲法は,(108c) の積極的な丁寧さにもとづくやり方です。仲間意識に訴えつつ冗談めかして,互いの対面を傷つけないようにする方法です。他方,まじめな婉曲法は,(108a) に対応します。タブーに触れないための非公然のやり方です。それとなく,目立つことなく,距離を置きながら互いの対面を慮ります。

 タブーに言及するのは危険を伴う行為です。うまくやらないと気まずい思いをすることになります。互いの対面を傷つけないように婉曲する方法として,まじめな婉曲法と笑いの婉曲法は存在します。特にまじめな婉曲法は,慣習的に確立されています。どのような語彙を使うのか,あらかじめ定まった安定したパタンがあるわけです。

 では,(108b) に対応する,つまり消極的な丁寧さにもとづく婉曲法はあるのでしょうか。おそらく,「汚い話でごめんなさい」とか「すごく聞きにくいことなんですが」と一言断ってからタブーの話題を切り出すのは,(108b) のやり方に当たるんじゃないかと思います。

 婉曲表現と言うと,慣習的な言い回しのみを問題にすることがほとんどで,まじめな婉曲法のみを取り上げるのが常でした。しかし少し視野を広げて,話し手が実際のディスコースにおいてどのような方法でタブーにまつわる体面の危機を乗りこえるのか考えると,婉曲法の枠組みは,従来言及されていたまじめな婉曲法にとどまらず,笑いの婉曲法を含むいくつかのストラテジーから構成されることが理解できるかと思います。

 次回は,笑いの婉曲法を戦略的に使っている雑誌についてお話しします。

<< 前回

◆ほかの回をお読みになる方は⇒「談話研究室にようこそ」目次へ

【筆者プロフィール】

『明晰な引用,しなやかな引用』(くろしお出版) 『語りのレトリック』(海鳴社)山口治彦(やまぐち・はるひこ)

神戸市外国語大学英米学科教授。
専門は英語学および言語学(談話分析・語用論・文体論)。発話の状況がことばの形式や情報提示の方法に与える影響に関心があり,テクスト分析や引用・話法の研究を中心課題としている。
著書に『語りのレトリック』(海鳴社,1998)『明晰な引用,しなやかな引用』(くろしお出版,2009)などがある。

*

【編集部から】

雑誌・新聞・テレビや映画、ゲームにアニメ・小説……等々、身近なメディアのテクストを題材に、そのテクストがなぜそのような特徴を有するか分析かつ考察。
「ファッション誌だからこういう表現をするんだ」「呪文だからこんなことになっているんだ」と漠然と納得する前に、なぜ「ファッション誌だから」「呪文だから」なのかに迫ってみる。
そこにきっと何かが見えてくる。


談話研究室にようこそ 第80回 笑いとまじめ:ふたつの婉曲法

2014年 8月 28日 木曜日 筆者: 山口 治彦

第80回 笑いとまじめ:ふたつの婉曲法

 まじめな婉曲法は,タブーに言及する機会をできるだけ目立たせることなく,上品に事を済ませようとします。これに対し,笑いの婉曲法は発話者間の良好な関係を確認しつつ,タブーを笑って乗り越えていきます。笑いの婉曲法について,もう少し具体的に考えてみましょう。

(107)  a. お通じが悪くて3日もダウンロードしてないの
 b. 爆弾を落としてくるであります
 c. ちょっと横浜に行ってきます

 (107)はすべて排泄にかかわる表現です。辟易されたかもしれませんが,もう少しご辛抱を。(107a) は第76回に例として取り上げました。ネット上にある重めのファイルを端末に下ろしてくるイメージで排泄行為をとらえます。あまりにも具体的で分りやすい肉体的行為を,「ダウンロード」という抽象的で比喩的にしか言及できない現象(「ダウンロード」(download) とは,もともとは「積み荷」(load) を「下ろす」(down) ことを指します)にたとえたことで,避けておきたい排泄のイメージが「ダウンロード」ということばに染み付いたかの印象すら覚えます。一方,(107b) は排泄物を爆発物に見立てますので,さらに派手な効果を伴います。

 タブーに見立てを用いると,しばしば笑いが引き起こされます。タブーの概念(この場合は排泄行為)と見立てに用いられた概念((107b) なら爆発物),これら異なる2種類の概念が同居するからです。(ちなみに,ふたつの異なる概念が同時に想起される違和感が笑いを引き起こす,という考え方は笑いの現象の説明として有力なものとされています。)また,見立てを用いることで表現が間接的になることも笑いの効果を引立たせます。

 (107c) はさらに,ことば遊びを組み合わせています。横浜の市外局番が045であるので,これを「オシッコ」と呼び習わして,小用に行くことを伝える隠語的な表現です(もっとも,最近はあまり使われていないかもしれません)。

 第72回に取り上げた「キジ撃ちに行く」も,同様に,笑いが隠された婉曲表現です。草むらに腰を下ろして待つ「大キジ」のほうなのか,鉄砲を構えてねらう「小キジ」のほうなのか,いずれにせよ,排泄の行為をキジ撃ちにたとえるユーモラスな意図があるように思います。

80_1_s.jpg

 このような表現は,ところかまわず使えるものではありません。テレビのニュース番組で――つまりお堅いイメージが伴うような場面で―― (107) のような表現を使うと,たちまち苦情が出るのではないでしょうか。(107) は仲間同士だから使える表現です。タブーを共に笑いながら乗り越えていく,聞き手との共犯関係にもとづいた婉曲のストラテジーなのです。

 まじめな婉曲法はこれと対照的です。それとなく目立たずにやり過ごします。だから,聞き手と親しくなくとも使えます。ニュースキャスターだって使えます。

 これまで婉曲表現と言えば,このまじめな婉曲法のことをもっぱら指していました。そして笑いの婉曲法がまじめに取り上げられることは,ほとんどありませんでした。重要なことは,ひとつの問題に対し複数の対処法があるということです。口にするとお互いの気分を害するかもしれない表現がある。だから,そのことばを使わずにことをすませたい。そのときの方法はひとつのみではないのです。

 実際,一般にお互いの対面が問題になるとき,聞き手と社会的にどの程度距離があるのか,当該伝達交渉(の結果)がどの程度聞き手の負担になるのか,などによって私たちは対処方法を違えています。婉曲法もその例外ではありません。次回は,まじめと笑いの婉曲法の関係について,そのような観点からさらに考えてみます。

<< 前回  次回>>

◆ほかの回をお読みになる方は⇒「談話研究室にようこそ」目次へ

【筆者プロフィール】

『明晰な引用,しなやかな引用』(くろしお出版) 『語りのレトリック』(海鳴社)山口治彦(やまぐち・はるひこ)

神戸市外国語大学英米学科教授。
専門は英語学および言語学(談話分析・語用論・文体論)。発話の状況がことばの形式や情報提示の方法に与える影響に関心があり,テクスト分析や引用・話法の研究を中心課題としている。
著書に『語りのレトリック』(海鳴社,1998)『明晰な引用,しなやかな引用』(くろしお出版,2009)などがある。

*

【編集部から】

雑誌・新聞・テレビや映画、ゲームにアニメ・小説……等々、身近なメディアのテクストを題材に、そのテクストがなぜそのような特徴を有するか分析かつ考察。
「ファッション誌だからこういう表現をするんだ」「呪文だからこんなことになっているんだ」と漠然と納得する前に、なぜ「ファッション誌だから」「呪文だから」なのかに迫ってみる。
そこにきっと何かが見えてくる。


談話研究室にようこそ 第79回 笑いの婉曲法

2014年 7月 31日 木曜日 筆者: 山口 治彦

第79回 笑いの婉曲法

(仕事がたまりすぎて,連載を少しお休みしてしまいました。またせっせと書きますので,どうかよろしくお願いします。)

 婉曲法に関するこれまでの話をおさらいすると,次のようになります。婉曲法には3種類の比喩――見立て・すり替え・ぼかし――がよく使われますが,見立てはトピックによって使われ方に偏りが生じます。死を婉曲する表現には,「あの世へ行く」「他界する」「永眠する」のように,見立てがよく用いられるのに対し,排泄と性に関する(まじめな)婉曲法では見立ては避けられます。

 誰もが経験したことのない不可解な死とは違い,性や排泄という具体的な肉体の行為は,わざわざほかのものになぞらえて理解する必要がありません。逆に,性交や排泄行為をほかのものに見立てると,避けたいイメージをかえって喚起してしまいます。上品に事なかれを目指す(まじめな)婉曲の意図からは外れるのです。

 しかし,婉曲の意図は上品な事なかれだけではないようです。V. フロムキンらが挙げる婉曲表現の例はその点でとても示唆的です(V. フロムキンほか『フロムキンの言語学』BNN, 2006年)。(105)は男子小用を,(106)は性交を表すオーストラリアの俗語的な慣用表現です。

(105)
a. drain the dragon(竜から放水する)
b. siphon the python(ニシキヘビを空にする)
c. water the horse(馬に水をやる)
d. squeeze the lemon(レモンを搾る)
e. drain the spuds((ゆでた)ジャガイモの水気を切る)
f. wring the rattle snake(ガラガラヘビを絞る)
g. shake hands with the wife’s best friend(女房の親友と握手する)
h. point Percy at the porcelain(パーシーを磁器に向ける)
i. train Terence on the terracotta(素焼き陶器でテレンスを鍛える)

(フロムキンほか上掲書p. 461;訳文を一部変更)

(106)
a. shag(弾むように踊る)
b. root(植え付ける)
c. crack a fat(脂肪を割る)
d. dip the wick(芯を浸す)
e. play hospital(病院ごっこをする)
f. hide the ferret(フェレットを隠す)
g. play cars and garages(車庫入れごっこをする)
h. hide the egg roll/sausage/salami(春巻き/ソーセージ/サラミを隠す)
i. boil bangers(ソーセージをゆでる)
j. slip a length(長いものを滑り込ませる)
k. go off like a beltfed motor(ベルト駆動のモーターのように暴発する)
l. go like a rat up a rhododendron(ネズミのようにシャクナゲをかけ登る)
m. go like a rat up a drainpipe(ネズミのように排水パイプを登る)
n. have gin on the rocks(ジンをロックで飲む)
o. have a northwest cocktail(北西部のカクテルを飲む)

(フロムキンほか上掲書pp. 461-462;訳文を一部変更)

 セックスや性器,そして排泄行為の言い換えに対する英語話者の執念にはすさまじいものがあります。そういう表現を列挙する辞書もありますが,その数はすぐに100や200に到達します。数のうえでもバリエーションのうえでも,日本語の類似表現をはるかに凌駕しているようです。

79_1_s.jpg

 さて,上記の表現は,排泄や性交のことをそのものズバリ言い表さない点では,婉曲的であると言っていいでしょう。しかし,これまでに見てきたまじめな婉曲表現とは,明らかに性格を異にします。

 (105)は,言及がためらわれる身体部位をthe python(ニシキヘビ)やthe rattle snake(ガラガラヘビ),またはthe wife’s best friendなどに見立てます。(106)では,同じ身体部位がthe wick(芯)やthe ferret(フェレット)になぞらえられ,当該の行為全体がplay cars and garages(車庫入れごっこをする)というふうに表現されます。直喩を用いるもの(go like a rat up a drainpipe(ネズミのように排水パイプを登る))まであります。

 また,siphon the python(ニシキヘビから絞り出す)やpoint Percy at the porcelain(パーシーを磁器に向ける)のように脚韻や頭韻を踏んだ遊戯性の強い表現も散見されます。

 これらの表現はとても目立ちます。そして,表現のそこここに笑いが感じられます。それとなく,そして目立つことなく,上品に事を済ませる(まじめな)婉曲法とは対照的です。では,まじめな婉曲法と笑いの婉曲法はどのような関係にあるのでしょうか。すでに紙数を超過していますので,そのお話は次回以降に。

<< 前回  次回>>

◆ほかの回をお読みになる方は⇒「談話研究室にようこそ」目次へ

【筆者プロフィール】

『明晰な引用,しなやかな引用』(くろしお出版) 『語りのレトリック』(海鳴社)山口治彦(やまぐち・はるひこ)

神戸市外国語大学英米学科教授。
専門は英語学および言語学(談話分析・語用論・文体論)。発話の状況がことばの形式や情報提示の方法に与える影響に関心があり,テクスト分析や引用・話法の研究を中心課題としている。
著書に『語りのレトリック』(海鳴社,1998)『明晰な引用,しなやかな引用』(くろしお出版,2009)などがある。

*

【編集部から】

雑誌・新聞・テレビや映画、ゲームにアニメ・小説……等々、身近なメディアのテクストを題材に、そのテクストがなぜそのような特徴を有するか分析かつ考察。
「ファッション誌だからこういう表現をするんだ」「呪文だからこんなことになっているんだ」と漠然と納得する前に、なぜ「ファッション誌だから」「呪文だから」なのかに迫ってみる。
そこにきっと何かが見えてくる。


談話研究室にようこそ 第78回 死の婉曲表現

2014年 6月 5日 木曜日 筆者: 山口 治彦

第78回 死の婉曲表現

 死の婉曲表現のレパートリーは,すり替えとぼかしが用いられる点では,性と排泄の婉曲表現と同じです。つまり,すり替えとぼかしは,性・死・排泄という婉曲の3大トピックのいずれにおいても生産的に用いられています。

(102) すり替えによる表現
a. 〈時間的に先行する行為〉 息を引き取る,息絶える;眼を瞑(つむ)る
b. 〈時間的に後続する行為〉 冷たくなる,骨になる,土になる;空しくなる;鬼籍に入る,亡き数に入る,仏になる
(103) ぼかしによる表現
万一のこと,もしものこと,何かあったら;(御)不幸;事切れる

 (102)と(103)についてもはや説明はほとんど不要でしょう。息を引き取って死に至る,死んで土になり,鬼籍に入る。「もしものこと」は数あるはずですが,死にかかわる「もしも」のことだけ取り出します。このように,性と排泄のときと同様に,死に関してもすり替えとぼかしが多用されます。事情が大きく異なるのは,見立ての使用に関してです。

(104) 見立てによる表現
a. あの世に行く,他界する,往生する,幽明境を異にする,世を去る,辞世,死出の旅に出る,不帰の客となる
b. 冷たくなる,骨になる,土になる;空しくなる;鬼籍に入る,亡き数に入る,仏になる
c. お隠れ,巨星落つ,没する,死没
d. (安らかに)眠る,永眠する

 死を移動に見立てる表現はたくさんあります。(104a)の「逝く」も「罷る」も,もともと移動を表します。移動の起点と終点を明示しない表現は,ぼかしの効果も含みます。どのような移動であるかについてはつまびらかにしないからです。

 一方,(104b)におけるように移動先をあの世,出立する場所をこの世と明示的にとらえると,「あの世に行く」「他界する」といった表現になります。「往生する」も,現世を去り浄土で生まれ変わることを表します。

 (104c)は,死を天体の運行などの自然現象に喩えます。月が雲間に隠れたり,日が水平線に没したりすると,見えなくなります。生きて目の前で活動していたときからの変化を見える状態から見えなくなった状態への以降ととらえる訳です。その点では,移動の見立てと似ています。

78_1_s.jpg

 そして(104d)は,死を覚めることのない眠りに喩えます。墓碑銘に刻まれる「ここに眠る」という表現は,この眠りの見立てを用いています。移動の見立ても天体現象の喩えも,基本的に動きを表すので,このような場合には使いづらい。墓碑銘では,静止した状態を記述するのがふつうですので,静的な表現は「眠る」ぐらいしかないのです。

 さて,死は,性や排泄とは異なり,自分の肉体では経験できない概念です。ですから,人は死を頭で理解するほかありません。そして,死の婉曲に用いられる移動や天体の見立ては,婉曲という目的だけでなく,死を理解し表現するのにも役立ちます。

 生から死へという状態の変化をこの世界から別の世界への移動に置き換えてみる。すると,死は移動の結果,自分が認知できる世界からいなくなった状態というかたちで理解することができます。

 このような把握の仕方は,私たちの日常に広く見られます。たとえば,携帯が見当たらない。そのとき「あれ,ケータイどっか行った」というふうに言わないでしょうか。自ら移動するはずのない対象が,ひとりでに移動した結果,私たちの認知が及ばないのだと考える。私たちにとってそれはとても自然な事態把握の方法です。

 死という体験不可能な事態の把握に見立てを用いる。その際,死が持つ恐ろしいイメージを移動や天体の動きなどに置き換えることができます。そうすることで婉曲も同時に行ってしまうわけです。

 基本的に肉体の行為である性や排泄とは,この辺りの事情が大きく異なります。性と排泄に関しては,おそらくは性愛にかかわる心理を理解する以外に,見立てを必要とはしません。だから,性と排泄のトピックに不用意に見立てを持ち込むと,避けたいイメージをかえってまざまざと呼び起こしてしまいます。見立ての使用がトピックに応じて異なるのには,このような理由があります。

 ただ,ひとつ補足すべき事項があります。というのも,性と排泄にかかわる婉曲表現においても(これまで取り上げてきた婉曲表現のほとんどとは性格がかなり異なるものの),見立てが積極的に用いられることがあるからです。第72回で挙がっていた「キジ撃ち」は,実はそのような例でした。婉曲表現に関する考察のしめくくりとして,この種の見立ての表現について考えてみましょう。

<< 前回  次回>>

◆ほかの回をお読みになる方は⇒「談話研究室にようこそ」目次へ

【筆者プロフィール】

『明晰な引用,しなやかな引用』(くろしお出版) 『語りのレトリック』(海鳴社)山口治彦(やまぐち・はるひこ)

神戸市外国語大学英米学科教授。
専門は英語学および言語学(談話分析・語用論・文体論)。発話の状況がことばの形式や情報提示の方法に与える影響に関心があり,テクスト分析や引用・話法の研究を中心課題としている。
著書に『語りのレトリック』(海鳴社,1998)『明晰な引用,しなやかな引用』(くろしお出版,2009)などがある。

*

【編集部から】

雑誌・新聞・テレビや映画、ゲームにアニメ・小説……等々、身近なメディアのテクストを題材に、そのテクストがなぜそのような特徴を有するか分析かつ考察。
「ファッション誌だからこういう表現をするんだ」「呪文だからこんなことになっているんだ」と漠然と納得する前に、なぜ「ファッション誌だから」「呪文だから」なのかに迫ってみる。
そこにきっと何かが見えてくる。


談話研究室にようこそ 第77回 性の婉曲表現

2014年 5月 15日 木曜日 筆者: 山口 治彦

第77回 性の婉曲表現

 排泄に関して上品に婉曲しようとすると,見立ては使いづらいことを前回確認しました。同じことは,性交に関する表現についても言えます。しかし,使いづらさの程度には差があるようです。排泄のトピックにおいてほとんど皆無であった見立ては,性に関する婉曲表現では若干ではありますが見受けられます。どのような経緯でそのような違いが生じるのか考えてみましょう。

 まずその前に,性の婉曲表現においてもすり替えとぼかしが多用されることを先に確認しておきます。

(100) すり替えによる婉曲表現
a. 〈全体で部分を言う〉 寝る;一夜を共にする,床を共にする
b. 〈時間的に先行する行為〉 床に入る;ホテルに行く;契り(を結ぶ,を交わす),契る;抱く,身を任せる
c. 〈抽象物で具体物〉 愛し合う,情けを交わす,情交
d. 〈入れ物で中身〉 房事
(101) ぼかしによる婉曲表現
する;関係を持つ,男女の関係になる;交渉,夫婦生活;経験,初体験;交合,交接,合歓;慇懃を通じる;最後まで行く[+見立て],全てを許す

 「寝る」や「一夜を共にする」は,指示する行為の時間幅が広く,言及を避けたい当該の行為を時間的に包含します。(100a) は,このように時間的に広がりを持つ行為に言及することによって,そのものズバリを言わずにおく表現です。他方,(100b)はそこにいたるまでの出来事を取り上げることで核心をはずします。

 (100c)は,実のところ分類に迷いを感じているのですが,すり替え(メトニミー)には伝統的に「抽象物で具体物を表す」という下位項目があるので,それに分類しました。具象的な肉体の行為に言及するのを避けるために,それに対応する心理的な感情(「愛」「情け」という抽象概念)を持ち出すという解釈です。もしくは,「愛」や「情け」という原因を取り上げることによって,性交という結果に対する言及を避けた,と考えてもよいかもしれません。

 (100d)の「房事」とは,閨房(けいぼう),つまり寝室のなかでのことを表します。寝室という入れ物に言及し,その中身に当たる行為を言わないわけです。

 (101)は,ぼかしを用いた婉曲の例です。何を「する」のか,どのような「関係」を持つのか,詳細については語らずぼかします。「慇懃を通じる」の「慇懃」は親しい交わりを指しますが,この場合は特定の「親しい交わり」を表します。「最後まで行く」という表現には,[+見立て]と書き入れてあります。それは,性交を到達点に据えた一連の過程を道のりに喩える見立てにのっとっているからです。ただ,何の「最後まで行く」のかを明らかにしませんので,ぼかしに分類しました。

77_1_s.jpg

 このように,性交に関する婉曲表現においてもすり替えとぼかしは豊富に見られます。排泄の場合よりもバリエーションが多いかもしれません。しかし,性の婉曲表現で特に目を引くことは,冒頭で述べたように,見立てを用いた表現が若干ながらも観察されることです。「結ばれる」や「落とす(落ちる)」がその例です。

 「結ばれる」を性交の婉曲として用いる場合は,人をひものように見立てて互いが一体感を持つことに焦点を当てます。他方,「落とす」は相手を城に見立てて,その城を陥落させて自分のものにしてしまうわけです。英語でもtake(奪う)やsurrender(降伏する)という表現が,同様に用いられます。

 これらの婉曲表現は,愛に対する慣用的な見方にもとづいています。「結ばれる」の背後には,「愛は対象との一体化である」という慣用的な見方が存在しています。愛にかかわる一般的な表現として,「一心同体」や「離れられない」といった表現がありますが,これらも「愛は対象との一体化である」に端を発します。

 一方,「落とす」は,「愛は戦いである」という見方に下支えされています。「プレゼント作戦」や「(彼氏/彼女をゲットする)攻略法」も同根の表現です。

 ここで重要なことは,「結ばれる」も「落とす」も性愛にかかわる心理的な側面を強調しつつ,婉曲をおこなう点です。たとえば,愛を戦いと見なす見方は,本来勝ち負けのない(少なくともはっきりとはしない)はずの性愛の問題に,勝ち負けを設定し,障害を乗り越える作戦を作り出します。「落とす」や「結ばれる」はそのものズバリを言わない点においてたしかに婉曲的ですが,婉曲をおこなうという目的のみでこれらの表現が使われるわけではありません。性愛の心理面に関心を持たないなら,話者はきっとほかの表現を選ぶでしょう。性の婉曲表現に若干であっても見立てが用いられるのには,このような事情によります。

 しかし,排泄の問題はこれと対照的です。性愛を語る際に心理的な側面が重要になることはじゅうぶん考えられますが,排泄はつとめて具体的な肉体の行為です。排泄のある側面を見立てによって理解する必要は,ふつう存在しないのです。そして特段の必要なしに見立てを用いると,前回確認したように避けたいイメージを逆に喚起してしまいます。そのような訳で,真面目な婉曲を意図する場合,排泄の表現に見立ては使われないのです。

<< 前回  次回>>

◆ほかの回をお読みになる方は⇒「談話研究室にようこそ」目次へ

【筆者プロフィール】

『明晰な引用,しなやかな引用』(くろしお出版) 『語りのレトリック』(海鳴社)山口治彦(やまぐち・はるひこ)

神戸市外国語大学英米学科教授。
専門は英語学および言語学(談話分析・語用論・文体論)。発話の状況がことばの形式や情報提示の方法に与える影響に関心があり,テクスト分析や引用・話法の研究を中心課題としている。
著書に『語りのレトリック』(海鳴社,1998)『明晰な引用,しなやかな引用』(くろしお出版,2009)などがある。

*

【編集部から】

雑誌・新聞・テレビや映画、ゲームにアニメ・小説……等々、身近なメディアのテクストを題材に、そのテクストがなぜそのような特徴を有するか分析かつ考察。
「ファッション誌だからこういう表現をするんだ」「呪文だからこんなことになっているんだ」と漠然と納得する前に、なぜ「ファッション誌だから」「呪文だから」なのかに迫ってみる。
そこにきっと何かが見えてくる。


談話研究室にようこそ 第76回 排泄の婉曲表現

2014年 5月 1日 木曜日 筆者: 山口 治彦

第76回 排泄の婉曲表現

 見立て,すり替え,ぼかし。この3つについて概観しました。第72回で触れたように,婉曲法にはこの3つがよく用いられます。ただし,3つの比喩の使用頻度はトピックに応じて異なります。そこで,婉曲法の主要なトピックである排泄と性と死について,見立て,すり替え,ぼかしの3つがどのように用いられているのか確かめてみます。

 まずは排泄です(改めて読み返すと,妙な言い方ですね)。すり替えとぼかしについては,以下のような表現がみられます。

(97) すり替えによる婉曲表現
a. 〈時間的に先行する行為に言及する〉 トイレ/便所に行く;席を外す,席を立つ;失礼する
b. 〈時間的に後続する行為に言及する〉 手を洗う,手水;化粧を直す
c. 〈全体で部分を言う〉 休憩する,一息入れる
(98) ぼかしによる婉曲表現
用を足す,用に行く,用便,小用;お通じ;憚り,ご不浄

 (97)はすり替えによる表現です。トイレに行くことや「ちょっと失礼します」と席をはずすことは,排泄に先立つ行為です。時間的に先行する行為に言及することで,言いづらい行為について言わずにすませるわけです。逆に,手を洗うことは問題の行為の後に行う行為です。

 (97c)の「休憩する」行為全体の中に用便をすませる行為が含まれると考えてみました。もしくは,用便をすませた結果,休憩したことになる,というふうに原因と結果にもとづくすり替えであると考えてもよいかもません。いずれにせよ,「休憩」は排泄の行為と近しい関係にあり,その関係にもとづいてすり替えが行われます。

 そして(98)は,ぼかしの例です。「用足し」のような表現は,「用」という一般的な表現を用いることで,言いにくい特定の「用」に言及することを避けるレトリックです。この場合,一般的な語彙を用いる(「類」で「種」を表す)特殊化は数多く見られますが,特殊化と対になる一般化(「種」で「類」を表す)は婉曲に用いられることがありません。ぼかすためには「類」を表す一般的な表現を用いるのが理にかなっているからです。

 ほかにも排泄の婉曲法に欠けているものがあります。それは見立てです。上品な婉曲を心がける際に見立てはほとんど用いられません。なぜでしょうか。

76_1_s.jpg

 それは見立ての表現効果と婉曲法本来の目的とが矛盾するからです。見立ては,第73回で見たように,あるものをより身近な別のものになぞらえて理解し,表現する方法です。排泄という具体的であまりに身近な行為は,そもそも別のものになぞらえて理解する必要があるとは思えません。だから見立てを持ち出すのにふさわしい理由がここには存在しないのです。

 それどころか,見立てがもたらすイメージは,できれば避けておきたいイメージを喚起しかねません。以下の例は,朝日新聞に連載中のマンガから採りました。排泄に関係することがらに対して無理にIT用語を用いたことで,かえって強烈なイメージを伝えてしまいました。

(99)
新入社員: この課はもう少し ITスキルをアップ した方がいいと 思いますよ
上司: うむ 大切な ことだな
上司: すでに我々は IT用語を日常的に 使うことで慣れるよう 努力してるんだが…
新入社員: どんな ですか?
社員A: 「ガマンできなくてトイレ 行ったのに先に誰かが ログインしてるのよ」
社員B: 「お通じが悪くて 3日もダウンロード してないの」
上司: 「わしは痔なので お尻に座薬を インストールして おる」
新入社員: ひどい ……

(しりあがり寿『地球防衛家のヒトビト』『朝日新聞』2014年4月18日)

 新入社員が「ひどい……」と嘆くのも無理からぬことだと思います。「3日もダウンロードしてない」って,やっぱり最悪です。身近なものになぞらえて理解するという要因がないのに,言い換える目的だけで見立てを用いるとしばしば逆効果になってしまいます。排泄に関して上品にことを収めようとする際には,見立ては用いないほうがいいのです。

 身近なものになぞらえて理解する必要性は,つまり見立ての必要性は,トピックに応じて高まったり低まったりします。したがって,婉曲法において見立ての使い方に偏りが生じるのは,理にかなったことなのです。

<< 前回  次回>>

◆ほかの回をお読みになる方は⇒「談話研究室にようこそ」目次へ

【筆者プロフィール】

『明晰な引用,しなやかな引用』(くろしお出版) 『語りのレトリック』(海鳴社)山口治彦(やまぐち・はるひこ)

神戸市外国語大学英米学科教授。
専門は英語学および言語学(談話分析・語用論・文体論)。発話の状況がことばの形式や情報提示の方法に与える影響に関心があり,テクスト分析や引用・話法の研究を中心課題としている。
著書に『語りのレトリック』(海鳴社,1998)『明晰な引用,しなやかな引用』(くろしお出版,2009)などがある。

*

【編集部から】

雑誌・新聞・テレビや映画、ゲームにアニメ・小説……等々、身近なメディアのテクストを題材に、そのテクストがなぜそのような特徴を有するか分析かつ考察。
「ファッション誌だからこういう表現をするんだ」「呪文だからこんなことになっているんだ」と漠然と納得する前に、なぜ「ファッション誌だから」「呪文だから」なのかに迫ってみる。
そこにきっと何かが見えてくる。


談話研究室にようこそ 第75回 見立て・すり替え・ぼかし(その3)

2014年 4月 3日 木曜日 筆者: 山口 治彦

第75回 見立て・すり替え・ぼかし(その3)

 そして最後は,ぼかしです。ぼかしは,あるカテゴリーを表すことば(上位語)でそのカテゴリーに属する構成素を指し示します。平たく言うと,一般的な(ぼかした)ことばで特殊なものを表現する方法です。表す意味は本来指し示す内容よりも特殊なものに絞り込まれています。だから,(意味の)特殊化と呼んでもいいでしょう。

 具体例について考えてみましょう。まずは「親子丼」。親子丼と言えば,鶏肉と鶏卵の組み合わせですが,親子のペアはこの組み合わせ以外にもいろいろあります。だから,イクラとトロサーモンがどんぶりに載っていてもいいはずです。(そういえば以前,行きつけの居酒屋で「親子サラダ」というのを注文したら,豆腐の上に納豆が載っていました。親子というよりも,孫と婆ちゃんのような気がしました。)しかし,「親子丼」は,数ある親子の組み合わせから鶏肉とたまごを選び出します。

 そう言えば「たまご」も問題です。「たまご焼きできたわよ」と言われて,カエルの卵が焼いてあったら,かなり厳しいものがあります。ふつうは,「たまご」という類全体を表す名前で鶏卵という種を指し示します。「花見」も同様です。「花」という類名で「サクラ」という種を表します。花見においでと友人宅に呼ばれていったら,ドクダミの花が満開って,そんな訳ないですよね。

 ぼかしはすり替えとよく混同される概念です。サクラを花の部分だと考えてしまうと,羽根と扇風機全体との関係と間違えてしまいがちです。扇風機はそれを現実に構成する要素(部分)として羽根や羽根カバー,モーターといった部分を持ちます。他方,サクラと花の関係は意味の関係です。「花」という意味上のカテゴリーの構成要素として,サクラやチューリップ,ヒマワリやらドクダミがあります。

75_1_s.jpg

 もう少し分かりやすい例で言うと,犬というカテゴリー(類)に,柴犬やラブラドール・レトリバー,ブリタニー・スパニエルにワイマラナーといった(種)が存在する関係と,犬のからだ(全体)が頭と胴体と脚と尻尾(部分)からなるのとは,明らかにレベルの違う話です。

 ぼかし(特殊化)には対になる比喩が存在します。一般化です。これは逆に特殊例(種)で一般(類)を表す比喩です。「サランラップ」「エレクトーン」「セロテープ」「ホッチキス」。これらはすべて,もともと特定の商標名です。しかし,とても有名になった商標名は,食品用ラップ全般,電子オルガン一般,等々,というように,その商標が属するカテゴリーを指すのにしばしば使われます。「人はパンのみによって生くるにあらず」ということばの「パン」も同様です。パンという個別の種を表す名前が,食べ物というカテゴリー(類)全体を指し示しています。

 ひとつの意味カテゴリーが与えられたとき,そのカテゴリーの典型例(パンとかエレクトーン)は,しばしばそのカテゴリーを代表するかのような印象を与えます。だから,個別の種の名前(「パン」)が当該の類(食べ物全般)を指す現象,もしくはその逆の「花」や「たまご」という類名が「サクラ」や「鶏卵」という典型的な種を表すという現象は,私たちの関心のあり方に合致しており,自然なのです。

 ぼかし(特殊化)と一般化をあわせると,佐藤信夫や瀬戸賢一が言うシネクドキ(提喩)という比喩になります。(興味のある人は佐藤信夫『レトリック感覚』(講談社学術文庫,1992年)や瀬戸賢一『レトリックの宇宙』(『認識のレトリック』所収,海鳴社,1997年)をご覧になるといいでしょう。どちらも,英語で書かれなかったことが残念と言うか,日本語で読めることが幸せな本です。)ここではやはり分かりやすさを重視して(また,以降の回で述べますが,婉曲を論じる際には一般化のお世話にはなりませんので),「ぼかし」という名称をもっぱら用います。

 これで,基本的な比喩3種の紹介が終わりました。次回からは,この「見立て」「すり替え」「ぼかし」の3つをたよりに婉曲表現を観察していきます。

<< 前回  次回>>

◆ほかの回をお読みになる方は⇒「談話研究室にようこそ」目次へ

【筆者プロフィール】

『明晰な引用,しなやかな引用』(くろしお出版) 『語りのレトリック』(海鳴社)山口治彦(やまぐち・はるひこ)

神戸市外国語大学英米学科教授。
専門は英語学および言語学(談話分析・語用論・文体論)。発話の状況がことばの形式や情報提示の方法に与える影響に関心があり,テクスト分析や引用・話法の研究を中心課題としている。
著書に『語りのレトリック』(海鳴社,1998)『明晰な引用,しなやかな引用』(くろしお出版,2009)などがある。

*

【編集部から】

雑誌・新聞・テレビや映画、ゲームにアニメ・小説……等々、身近なメディアのテクストを題材に、そのテクストがなぜそのような特徴を有するか分析かつ考察。
「ファッション誌だからこういう表現をするんだ」「呪文だからこんなことになっているんだ」と漠然と納得する前に、なぜ「ファッション誌だから」「呪文だから」なのかに迫ってみる。
そこにきっと何かが見えてくる。


談話研究室にようこそ 第74回 見立て・すり替え・ぼかし(その2)

2014年 3月 20日 木曜日 筆者: 山口 治彦

第74回 見立て・すり替え・ぼかし(その2)

 次は,すり替えです。

 やかんを火にかけたままにしていたら,ものすごい勢いで沸騰しています。思わず近くにいた家族に頼みます。「やかん止めて!」そのとき,「やかんじゃなくてコンロの火を止めるんでしょ」と訂正されたら,少しムッときますよね。とにかく火を止めてよって言いたくなります。

74_1_s.jpg

 同様に,少し暑いので「扇風機回してくれる?」と頼んだら,「ちょっと待ってね,よっこいしょ」と持ち上げた扇風機本体をぐるぐる回しだしました。もう,相手をするのが面倒くさいですよね。

 やかんの相手も扇風機の君も,表現を(わざと)文字通りに受け取りました。すると,表現と現実とのあいだのズレが明らかになりました。このズレはすり替えの結果生じたものです。「やかん」と「コンロの火」は隣り合っています。回るべき扇風機の羽根と,扇風機本体とは部分と全体の関係です。部分と全体はちょっと特殊な隣り合い方をしていると考えればいいでしょう。

 すり替えは,あるものをそれと隣り合うものにずらして表現する方法です。この方法の背後には,隣接する物を同じと見る認知戦略があります。

 そのようなとらえ方がよく現れる行為に形見分けがあります。たとえば,おばあさんの形見に櫛をもらったと仮定してください。たとえそれが歯の欠けた小汚い櫛であったとしても,愛するおばあ様がずっと愛用していらした物なら,おばあさんと同じように愛しいはずです。「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」の精神です。

 すり替えも日常のことばのそこここに見受けられます。お湯を沸かしてレトルトをあっためるのも面倒だからチンして出来上がり。それじゃ,あんまりだから今晩はやっぱり鍋だ。鍋が煮えたら食べるぞー。前の3つの文にいくつすり替えがありましたか。

 細かいことを言うようですが,沸かす本来の対象は水です。沸かした結果,お湯になります。その結果の「お湯」を目的語にとりました。レトルトは「缶詰や袋詰め食品を高圧・高温殺菌するための装置」のことですが,その装置で作った結果の食品もレトルトと呼ぶことがあります。「チンする」は,出来上がりの「チン」という合図の音によってレンジで温めるというプロセス全体を表します。鍋は入れ物で食べたり煮えたりするのはその中身です。ですが,私たちは,グツグツいっているそれを「鍋」ととらえます。

 今取り上げた例において,結果(お湯)と原因(水),原因(レトルト)と結果(レトルト食品),結果(チン)とプロセス(温める),入れ物(鍋)と中身(具と出汁),これらはみな時間的に(因果関係で)もしくは空間的に隣接しています。すり替えはそのような関係における横滑りの現象です。私たちの関心の方向に合致する横滑りなので,このような認識と表現の機構があるととても便利で効率的なのです。

 と,すり替えとぼかし,2つの説明を一度にすませるつもりでしたが,すり替えについてちょっとがんばりすぎてしまいました。ぼかしは次回に。

<< 前回  次回>>

◆ほかの回をお読みになる方は⇒「談話研究室にようこそ」目次へ

【筆者プロフィール】

『明晰な引用,しなやかな引用』(くろしお出版) 『語りのレトリック』(海鳴社)山口治彦(やまぐち・はるひこ)

神戸市外国語大学英米学科教授。
専門は英語学および言語学(談話分析・語用論・文体論)。発話の状況がことばの形式や情報提示の方法に与える影響に関心があり,テクスト分析や引用・話法の研究を中心課題としている。
著書に『語りのレトリック』(海鳴社,1998)『明晰な引用,しなやかな引用』(くろしお出版,2009)などがある。

*

【編集部から】

雑誌・新聞・テレビや映画、ゲームにアニメ・小説……等々、身近なメディアのテクストを題材に、そのテクストがなぜそのような特徴を有するか分析かつ考察。
「ファッション誌だからこういう表現をするんだ」「呪文だからこんなことになっているんだ」と漠然と納得する前に、なぜ「ファッション誌だから」「呪文だから」なのかに迫ってみる。
そこにきっと何かが見えてくる。


談話研究室にようこそ 第73回 見立て・すり替え・ぼかし(その1)

2014年 3月 6日 木曜日 筆者: 山口 治彦

第73回 見立て・すり替え・ぼかし(その1)

 前回,婉曲表現に見立てとすり替えとぼかしが用いられると述べました。この3つの概念についてもう少しくわしく説明しておきます。

 まずは,見立てについて。今しがた私はデスクトップに仮に保存していたファイルを開いて,この文章を書く仕事を再開しました。一生懸命書いていますが,気に入らなかったらそのファイルはゴミ箱に捨ててしまうかもしれません。

 さて,直前の段落に見立てはいくつあったでしょうか。

 「デスクトップ」「ファイル」「ゴミ箱」はすべて見立てをもとにした表現です。コンピュータの作り手になったと想像してください。そのとき,コンピュータの画面を何と呼びましょう。できればそこに配置されたアイコンと一緒にうまく言及できると助かります。また,保存された情報のひとつひとつのまとまりを何と言えばいいでしょうか。

 ここで採用されたのは,新しく考案された対象を机周りの既成の事物に見立てて命名するやり方です。スクリーンに投影された画面を机の上(デスクトップ)になぞらえる。保存された情報は書類をまとめて挟んで保存するファイルと呼ぶ。そうすると,データを画面上に呼び出したり元へ戻したりことを,ファイルをデスクトップで「開いたり」,「閉じたり」すると言えばいいのです。ファイルを破棄するときのアイコンはもちろん「ゴミ箱」です。これまでの机の上での作業になぞらえたことによって,とてもスムーズに命名できただけでなく,たとえば「ファイル」と名づけたことで,なにやらこむずかしい説明が必要な,電子的に保存された情報のことをすっきりと理解できた気になります。

73_1_s.jpg

 見立ては,このように,あるものをより身近な別のものになぞらえて理解し,表現する方法です。似ているものは同じ(ようなものだ)という認知戦略がこの表現機構の前提となっています。私たちが物を理解するときのとても基本的な方法でもあります。

 いや,見立ての能力は私たち人間という種だけに限られるわけではありません。犬や猫の前で手をパクパク開いたり閉じたりしてやると,じゃれて手「首」に噛みついてきたりしますが,これは,犬やネコが人の手をご同類の顔に見立ててしまったためだと思います。見立てはとても基本的で重要な能力なのです。

 そして,いたるところに見立てはあります。「椅子の脚」「本の背」「列の先頭」,「台風の目」,「パンの耳」これらはすべて椅子・本・列などのある部分を人体の部位に見立てた上での命名です。上で挙げたコンピュータ関連の例には,先ほど取り上げたほかにも「仕事を再開しました」「気に入らなかった」という表現がありました。仕事を扉があるような空間にたとえたからこそ「再開」できるのですし,同様に気持ちを入れ物に見立てたからこそ,「気に入る」ことが起こるわけです。

 見立ては,レトリックや認知言語学の分野ではメタファーもしくは隠喩と呼ばれますが,ここでは意味の分かりやすい素朴な「見立て」で通します。見立てとすり替えとぼかしです。メタファー・メトニミー・シネクドキと耳慣れない用語がいきなり3つも出てくるのは,少し厳しいかと思います。授業でも,学生はたいていそこで戸惑います。

 と,3つの説明を一度にすませるつもりでしたが,見立てについてちょっとがんばりすぎてしまいました。すり替えとぼかしは次回に。

<< 前回  次回>>

◆ほかの回をお読みになる方は⇒「談話研究室にようこそ」目次へ

【筆者プロフィール】

『明晰な引用,しなやかな引用』(くろしお出版) 『語りのレトリック』(海鳴社)山口治彦(やまぐち・はるひこ)

神戸市外国語大学英米学科教授。
専門は英語学および言語学(談話分析・語用論・文体論)。発話の状況がことばの形式や情報提示の方法に与える影響に関心があり,テクスト分析や引用・話法の研究を中心課題としている。
著書に『語りのレトリック』(海鳴社,1998)『明晰な引用,しなやかな引用』(くろしお出版,2009)などがある。

*

【編集部から】

雑誌・新聞・テレビや映画、ゲームにアニメ・小説……等々、身近なメディアのテクストを題材に、そのテクストがなぜそのような特徴を有するか分析かつ考察。
「ファッション誌だからこういう表現をするんだ」「呪文だからこんなことになっているんだ」と漠然と納得する前に、なぜ「ファッション誌だから」「呪文だから」なのかに迫ってみる。
そこにきっと何かが見えてくる。


談話研究室にようこそ 第72回 言いにくいことを言う方法

2014年 2月 20日 木曜日 筆者: 山口 治彦

第72回 言いにくいことを言う方法

 口にするのがはばかれることばってありますよね。性や排泄,そして死に関してそのものズバリの表現はできれば避けたい。ほかにもタブーとなることばはあると思います。そのことばを口にするだけで,気まずい思いをしたり,場違いな空気を作ってしまったりするものです。

 しかし,どうしてもそういった対象に言及せねばならないときもあります。たとえば,医者から排泄にかかわる問診を受けるとき,お互いにどのようなことばを使うでしょうか。日頃あまり口にはしない「排便」や「排泄」ということばを使ってみたり,「お通じ」と上品にやり過ごしたりするんじゃないでしょうか。

72_1_s.jpg

 「排便」(何度もスミマセン)は,日常的ではない硬い文体によって,卑近なことばを使うことに伴う不快さをいくらかなりでも避けています。高尚な話をしているかのようにふるまうわけです。漢語などフォーマルなスタイルを使ったり,外来語を利用したりして日常語からスタイルを変更するのは,婉曲のための有力な手段です。

 他方,「お通じ」は比喩を用いてタブー語を避ける方法です。何が「通じる」のかは明かしません。ぼかしてそっとしておくわけです。そのうえ美化語の「お」で上品な雰囲気を添えています。

 上品に会話を進めようとすると,しばしば私たちはこのような婉曲の方法に頼ることになります。婉曲法には,スタイルを変えるか,比喩を使うか,大きく分けてそのふたつのオプションがあります。ここでは比喩表現に焦点を当ててみます。タブーを避けるために私たちはどのように比喩表現を使い分けているでしょうか。

 私の先輩の瀬戸賢一さんは『レトリックの知』(新曜社,1988)で次のように述べています。「婉曲語法に三つの主たる手段があり、一つは《見立て》による飛躍、二つは《すり替え》による横すべり、三つは《ボカシ》による目くらましである」(p.135)と。その例として「キジ撃ち」「手洗い」「用足し」の三つを挙げています。

 「キジ撃ち」は登山家などが山で用いることばです。男子が戸外で用を足すことを言うそうです。用便の行為をキジ撃ち――鉄砲を構えて草むらでじっと待つ――に見立てたわけです。草むらで待ち構える姿勢の違いで,「大キジ」か「小キジ」か,表現を区別する人もいるようです。この表現の女性バージョンが「お花を摘む」というメルヘン的な表現です。こちらは花の大小に区別はありません。

 次に,「手洗い」。私たちはふつう問題の行為の後に手を洗います。「手洗い」は,時間的に後続する行為によって,言いにくい先行することがらをすり替えました。

 最後の「用足し」は,数ある「用」の中から排泄という特定の「用」を選び出します。「用」という上位語を使うことで,排泄という具体的な行為に言及せずにぼかしました。先ほどの「お通じ」と同じ仕組みの比喩です。

 見立て・すり替え・ぼかしという分かりやすい名前で呼ばれていますが,これらはレトリックの分野で言うメタファー(隠喩),メトニミー(換喩),そしてシネクドキ(提喩)にそれぞれ当たります。比喩(転義形式)のなかでも中心的な3つです。

 瀬戸さんのこの説明を読んだとき,なるほどと感心しました。これで婉曲表現を見通せる,と。ただ,小さな疑問がその後,浮かびました。たしかに,見立ては婉曲に使われます。たとえば,「あの世に行く」とか「永眠する」とかいう表現は,死を旅や眠りに見立てた表現です。しかしなぜ,わざわざ「キジ撃ち」という例なのか。「手洗い」や「用足し」のように誰もが知る表現ではありません。私自身,「キジ撃ち」になじみがなかっただけに,それが不思議だったのです。

 その疑問が婉曲法に関して考える出発点になりました。次回以降ではまず,道具立てとなる見立て・すり替え・ぼかしの3つの比喩について,もう少しくわしく整理しておこうと思います。そしてその後は,これら3つの比喩が婉曲のトピック(排泄・性・死)に応じて使い分けられることを示します。また,婉曲という行為は,同質的なひとつの戦略にもとづいてなされるのではなく,少なくともふたつ以上の異なるアプローチがかかわることを明らかにするつもりです。

 トピックの性格上,言いにくい対象に言及せねばならないことがたびたびありますし,「城の崎にて」以降,死に関する話題が多くなってしまいますが,その辺はご容赦を。

<< 前回  次回>>

◆ほかの回をお読みになる方は⇒「談話研究室にようこそ」目次へ

【筆者プロフィール】

『明晰な引用,しなやかな引用』(くろしお出版) 『語りのレトリック』(海鳴社)山口治彦(やまぐち・はるひこ)

神戸市外国語大学英米学科教授。
専門は英語学および言語学(談話分析・語用論・文体論)。発話の状況がことばの形式や情報提示の方法に与える影響に関心があり,テクスト分析や引用・話法の研究を中心課題としている。
著書に『語りのレトリック』(海鳴社,1998)『明晰な引用,しなやかな引用』(くろしお出版,2009)などがある。

*

【編集部から】

雑誌・新聞・テレビや映画、ゲームにアニメ・小説……等々、身近なメディアのテクストを題材に、そのテクストがなぜそのような特徴を有するか分析かつ考察。
「ファッション誌だからこういう表現をするんだ」「呪文だからこんなことになっているんだ」と漠然と納得する前に、なぜ「ファッション誌だから」「呪文だから」なのかに迫ってみる。
そこにきっと何かが見えてくる。


次のページ »