国語辞典入門:語釈(意味説明)の括弧〔〕()や・△って?

2010年 8月 25日 水曜日 筆者: 飯間 浩明

第31回 語釈のカッコにも意味がある

 見出し語、漢字表記、品詞表示と来れば、次は、語釈、つまり意味の説明です。語釈は、どの国語辞典もふつうの日本語で書いてあり、読むのにそう困ることはないはずです。

 ただし、中には、語釈を限られたスペースに収めるため、括弧の使い方に独特の意味を持たせている国語辞典もあります。そういう辞書を使う人は、括弧の意味を知っておくと、説明がいっそうはっきり分かるようになります。

 括弧に特別の意味を持たせている国語辞典の代表は、『三省堂国語辞典』『新明解国語辞典』(三省堂)、それに『学研現代新国語辞典』です。この3つの辞書に共通する部分に焦点を当ててみます。

 まず、『三省堂』の「願文」「近郷」を比べると、括弧の使い方に違いがあります。

 〈願文 〔神仏にささげる〕願いごとを書いた文。〉
 〈近郷 (都会の)近くの いなか。〉

 語釈の冒頭に注意してください。前者には〔 〕(亀甲括弧)が、後者には( )(丸括弧)がついています。どうして、こんなふうに区別してあるのでしょうか。

 〔 〕も( )も、そこを読まなくても、ことばの意味はいちおう理解できます。「願文」は、文字どおりに解釈すれば「願いごとを書いた文」です。また、「近郷」は、これも文字どおりに読めば「近くのいなか」です。どちらの括弧も、その部分がなくても、最低限の説明にはなるという点では同じです。

 ただ、「願文」は、「お母さんに小遣いの値上げの願文を渡す」などいう使い方はしません。必ず神仏に捧げる場合だけに使います。ということは、〔神仏にささげる〕という部分は、「願文」の文字どおりの意味には含まれないにせよ、つねに必要な要素です。

 一方、「近郷」は、都会の近くの田舎も指しますが、村の人が「ちょっと近郷まで行って来よう」と出かけることもあります。単に「近くの田舎」も指すのです。「近郷」の意味のうち、(都会の)は、場合によって必要であったりなかったりする要素です。

 つまり、〔 〕も( )も、意味の説明では脇役という点では同じですが、〔 〕は必須要素、( )は必須ではない場合がある要素を表すという点で違いがあります。

( )と「・」とで一括表記

 もうひとつ、この3つの辞書が採用する書き表し方として、( )と「・」(ナカグロ)(『新明解』では「△」)とを組み合わせるものがあります。

 たとえば、「大食い」は、『三省堂』ではこうなっています。

 〈一度の食事にたくさん食べる・こと(人)。〉

 これは、「一度の食事にたくさん食べること。また、食べる人」と読みます。「・」の意味は、そこから次の( )へ飛んでもかまわないということです。このようにまとめることで、数文字分のスペースを省略することができます。

 こうした一括表記は、うまく使えば、かなりの情報を圧縮して示すことができます。『三省堂』の「同宿」は、その好例です。

 〈同じ・やどや(下宿)にいる・こと(人)。〉

 これは、括弧を外して展開すれば、「同じ宿屋にいること。また、その人。あるいは、同じ下宿にいること。また、その人」ということです。ずいぶん長くなります。一括表記のおかげで、はるかに簡単になりました。

 もっとも、こうした特別の書き方は、ともすると分かりにくくなるので、注意が必要です。同じく『三省堂』の「きざっぽい」「思わしい」を比べてみます。

 〈きざっぽい きざな感じ(を あたえるようす)だ。〉
 〈思わしい のぞんだとおり・になる状態(のことが得られるようす)だ。〉

 「きざっぽい」のほうは、途中の( )を省略して読めば「きざな感じだ」となり、省略せずに一続きに読めば、「きざな感じをあたえるようすだ」となります。これは誰でも分かるはずです。ところが、「思わしい」のほうは、一続きに読んでしまうと、「のぞんだとおりになる状態のことが得られるようすだ」となって、わけが分かりません。

 「思わしい」の語釈には、「・」が入っているのがポイントです。つまり、これは、「大食い」などと同じルールで読まなければなりません。正しくは、「のぞんだとおりになる状態だ」「のぞんだとおりのことが得られるようすだ」と2通りに読むのです。

 この場合、いささか一括表記を濫用したと言わざるをえません。語釈の書き手は、スペース節約の一方で、分かりやすさを損なわないよう、十分考慮すべきです。

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◆飯間先生の記事はここにも⇒「三省堂WebDictionary」ことばパティオ第8回「「串刺し」に堪える語釈でなければならない」

筆者プロフィール

【飯間先生の新刊『非論理的な人のための 論理的な文章の書き方入門』】飯間浩明(いいま・ひろあき)
 早稲田大学非常勤講師。『三省堂国語辞典』編集委員。
 早稲田大学文学研究科博士課程単位取得。専門は日本語学。古代から現代に至る日本語の語彙について研究を行う。NHK教育テレビ「わかる国語 読み書きのツボ」では番組委員として構成に関わる。著書に『遊ぶ日本語 不思議な日本語』(岩波書店)、『NHKわかる国語 読み書きのツボ』(監修・本文執筆、MCプレス)、『非論理的な人のための 論理的な文章の書き方入門』(ディスカヴァー21)がある。
URL:ことばをめぐるひとりごと(http://www.asahi-net.or.jp/~QM4H-IIM/kotoba0.htm)

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【編集部から】
これまで「『三省堂国語辞典』のすすめ」をご執筆くださった飯間浩明先生に「国語辞典の知っているようで知らないことを」とリクエストし、「『サンコク』のすすめ」が100回を迎えるのを機に、日本語のいろいろな辞典の話を展開していただくことになりました。
辞典はどれも同じじゃありません。国語辞典選びのヒントにもなり、国語辞典遊びの世界へも導いてくれる「国語辞典入門」の始まりです。


国語辞典入門:名・スル・サ・形動・ダナニ・タルト・形・副・自・他って?

2010年 8月 20日 金曜日 筆者: 飯間 浩明

第30回 品詞表示を無視するのはもったいない

 漢字表記欄の下には、品詞表示の欄があります。(名)(形)(副)などとあるのがそれです。この品詞表示、読者はどう役立てているのだろうと、考えこむことがあります。

 ある単語の品詞は何か、動詞か、形容詞か、ということに関心を持つ人は、残念ながら少数でしょう。日本語・日本文学専攻の大学生に聞いても、「中学で何か習ったような気はしますが……」という程度の認識です。文法が実生活に役立っていません。

 それなら、国語辞典に品詞表示はいらないじゃないか、ということにもなりそうです。現に、いわゆる実用辞典では、品詞表示は省かれています。でも、品詞についての知識を持っておくと、実生活でもけっこう役立つものです。

 たとえば、テレビのニュースで、〈私は最初、唐突と始まった話の中身がよく分かりませんでした。〉という発言がありました(NHK「ニュース7」2006.2.23)。「唐突に」は私も使いますが、「唐突と」とは言うだろうか、と疑問を持ちました。こういうときに、国語辞典の品詞表示を参考にしてみます。

 いくつかの国語辞典を見ると、「唐突」の項目には、(形動ダ)、〔ダナ〕などと書いてあります。これは、「唐突」が「ダ」型の形容動詞で、「唐突だ・唐突な・唐突に」などと活用することを示しています。この記述に従えば、一般的には、「唐突と」ではなく、「唐突に」のほうが伝わりやすそうだ、ということが分かります。

 あるいは、こんな例もあります。自動車会社の人が、〈〔運転のコンピューター化が進むと〕いつもいつも漫然な運転〔を〕されてしまいますので〉と発言していました(NHK「特報首都圏」2010.7.23)。

 ふたたび国語辞典で「漫然」を引くと、こんどは(形動タルト)、〔ト タル〕などと書いてあります。「漫然」は「タルト」型の形容動詞で、「漫然たる・漫然と」と活用します。「漫然な運転」よりも「漫然とした運転」のほうが伝わりやすいと考えられます。

 国語辞典の中で、形容動詞は多数の項目を占める品詞のひとつです。これに「ダ」型・「タルト」型の2つのタイプがある、ということを頭に入れておくだけでも、読み書きの際に役に立ちます。品詞表示を無視するのはもったいない話です。

自サ・他サとは何さ?

 国語辞典に多く出てくる品詞表示としては、(名・自サ)(名・他サ)も無視できません。たとえば、「安眠」は(名・自サ)、「批判」は(名・他サ)と示されます。

 これは、次のような意味です。「安眠」「批判」は、(名)、つまり名詞としても使われるし、「する」をつけて「安眠する」「批判する」のようにも使われます。「する」は「さ・し・する・すれ・せよ」などとサ行に活用するので、「サ」という略号をつけてあるのです(辞書によっては、「ス」「スル」などの略号を使っていますが、同じことです)。

 では、その間の「自」「他」は何かと言うと、自動詞・他動詞のことです。英語に両者の区別のあることは知られていますが、国語辞典でも、自動詞・他動詞を区別しています。ごく大ざっぱに言えば、「首相を批判する」のように、「○○を」の形で、誰か(何か)に対してはたらきかけるのが他動詞です。一方、「彼は安眠していた」のように、「○○を」の形をとらず、周りにはたらきかけないのが自動詞です。

 私たちが動詞を使うとき、その動詞が「を」「に」のどちらをとるかで迷うことは、しばしばあります。たとえば、ある落語家が〈新しいインフルエンザが、まあ、世界を蔓延しておりまして〉と語っていました(NHK教育「日本の話芸」2009.7.14)。でも、こういうときは、「世界に蔓延」と言うのではないかと思われます。

 国語辞典を引いてみると、「蔓延」は(名・自サ)と書いてあります。「自」、つまり自動詞は「を」を取らないので、「世界に蔓延」のほうがいいことが分かります。

 あるいは、〈基地に依存している沖縄経済にも考慮しなければならない。〉(『週刊文春』2006.10.26 p.55)という例。「考慮」は、国語辞典では(名・他サ)と出ています。「他」、つまり他動詞ですから、「を」を取ります。そこで、この文章は「沖縄経済をも考慮」(または、「沖縄経済も考慮」)と書いたほうがいいことになります。

 自動詞・他動詞の表示も、こんなふうに、実際の用に役立てることができます。もっとも、国語辞典によって、自動詞・他動詞の認定のしかたはけっこう違いがあって、単純に「『を』を取らないか、取るか」だけでは判断していない場合もあります。ただ、以上のような実用性を踏まえるなら、「『を』を取れば他動詞、取らなければ自動詞」という分け方を原則にしたほうがいいと、私は考えています。

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筆者プロフィール

【飯間先生の新刊『非論理的な人のための 論理的な文章の書き方入門』】飯間浩明(いいま・ひろあき)
 早稲田大学非常勤講師。『三省堂国語辞典』編集委員。
 早稲田大学文学研究科博士課程単位取得。専門は日本語学。古代から現代に至る日本語の語彙について研究を行う。NHK教育テレビ「わかる国語 読み書きのツボ」では番組委員として構成に関わる。著書に『遊ぶ日本語 不思議な日本語』(岩波書店)、『NHKわかる国語 読み書きのツボ』(監修・本文執筆、MCプレス)、『非論理的な人のための 論理的な文章の書き方入門』(ディスカヴァー21)がある。
URL:ことばをめぐるひとりごと(http://www.asahi-net.or.jp/~QM4H-IIM/kotoba0.htm)

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【編集部から】
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