明解PISA大事典:PISA型読解力のような力は必要か

2010年 6月 11日 金曜日 筆者: 北川 達夫

第39回 PISA型読解力への疑義あるいは異論1

 最近、二人の作家と「PISA型読解力」について話す機会があった。一人は猪瀬直樹さん、もう一人は石田衣良さんである。話の内容については週刊東洋経済の連載(1)でも少しふれたが、ここでは別の観点から論じることにする。

 今回は猪瀬さんとの話から。ここでの猪瀬さんは作家というよりは、東京都副知事という立場である。石原慎太郎という作家が知事、猪瀬直樹という作家が副知事を務める東京都においては、昨今の活字離れの風潮をなんとかし、それによる言語力の低下をなんとかしようということになった。「活字離れ」と「言語力(読解力)の低下」が単純に結びつくかどうかは難しいところであるが、PISAの読解力調査(2000年のもの)を含む、さまざまな調査において何らかの相関関係がありそうなデータが示されてはいる(2)。とにかくなんとかしようということで、まずは都庁職員から意識改革をしようということになり、その第一回勉強会(4月16日)に私が講師として招かれ、また、猪瀬さんとテレビで対談するなどしたのである(3)

 このような経緯があるため、猪瀬さんとの話は、基本的には「PISA型読解力のような力は必要だ」という雰囲気の中で進んだ。ただ、猪瀬さんに「作家としての立場から」というふうに水を向けたとき、やや含みのある答えが返ってきたのである。

 たとえば「AはBだ」ということを言いたいとき、いわゆる「ぴざ的」な発想からすれば、AとBを線でジリジリと結びつけていくような、言葉を尽くして、論理を組み上げて、誰でも理解できるように納得できるように表現することが求められる。猪瀬さんも、確かにそういう力は必要だ、という。だからこそ、「AはBだ」ということを言うだけのために、一冊の本を書くことになってしまうこともあるというのだ。

 ただ――と、猪瀬さんは話の流れを一時押しとどめ、俳句や短歌のように一瞬の言葉の閃きで、すべてを表現する場合もある、と釘を刺した。

 「AはBだ」ということを言いたいとき、AとBとを線でジリジリと結びつけていくのではなく、AとBの間にある点、あるいはぜんぜん関係ない(ように見える)ところの点を示唆することにより、聞き手あるいは読み手の頭の中でAとBとを一瞬で結び付けさせてしまうという、考えようによっては、たいへんな荒ワザである。だが、文学にはそういう面もあるということだ。

 PISA読解力調査のテキストには、説明文や意見文(これは滅多にないが)はもちろんのこと、物語文であっても、「AだからB、BだからC、CだからD」というように、ジリジリと線をつないでいくような論理性が求められる。もちろん、特に物語文の場合は、この流れは必ずしも明示的なものでなくてもよく、暗示されているだけの部分があっても構わない。いずれにしても、この論理性があるからこそ、「A・B・Cの情報から、何が成り立つか?」(原因から結果の推論)や「Dを成り立たせるには、どのような情報が必要か?」(結果から原因の推論)という問いに、「文章にふれながら」答えさせることが可能になり、かつ自由記述であっても、わりと機械的かつ客観的に評価することが可能になるのである(4)。このようなPISA読解力調査で求められるような力も必要であるが、それ以外の力――一瞬の言葉の閃きを感得するような力も必要であるというのだ。

 坂口安吾は「FARCEについて」において、五十嵐力の著書からの引用として「古池や蛙飛び込む水の音 さびしくもあるか秋の夕暮れ」という短歌をあげている(5)。芭蕉の有名な句に下の句をつけた格好だ。気分と季節と時間帯が加わっているのである。これを見てびっくりしたのは、まず「さびしい」という気分。次は「秋」という季節。そして「夕暮れ」という時間帯。この解釈が正統的なものかどうかは知らないが、少なくとも私は芭蕉の句からぜんぜん違う光景を想像していた。それはともかく、坂口安吾は、この短歌が、言葉を費やしてまんべんなく説明しようとしたために、「結局芭蕉の名句を殺し、愚かな無意味なもの」にしてしまっていると批判している。一瞬の言葉の閃きに、点と点を結ぶ線は無用のようだ。だが、この芭蕉の句が欧米の言語に翻訳されると、「静かな池に、蛙(複数)が飛び込んだので、ボチャンと音がして静けさが破られたが、しばらくしてまた静けさが戻った」というように、言葉をまんべんなく費やして奇妙に論理的なものになってしまう。そうでなければ欧米人は理解できないのだという。まあ、このように翻訳されれば、芭蕉の名句もPISA読解力調査のテキストにも使えそうだが。

 猪瀬さんは、それ以外の力の必要性にふれながらも、「ぴざ的な力」の必要性も認めてくれた。ところが、石田衣良さんには真正面から否定されてしまう。これについては次回。

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(1) 週刊東洋経済「わかりあえない時代の『対話力』入門」第52回(2010年5月29日号)と第55回(2010年6月19日)
(2) たとえば「生きるための知識と技能―OECD生徒の学習到達度調査PISA2000年調査国際調査結果報告書」国立教育政策研究所編/ぎょうせい 2002年など
(3) 東京MXテレビ「東京からはじめよう」(2010年5月1日放映)
(4) PISAの問いについては、第7回第8回を参照。
(5)『堕落論』p.17/坂口安吾/新潮文庫

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【プロフィール】

北川達夫(きたがわ・たつお)
教材作家・教育コンサルタント・チェンバロ奏者・武芸者・漢学生
(財)文字・活字文化推進機構調査研究委員
日本教育大学院大学客員教授
1966年東京生まれ。英・仏・中・芬・典・愛沙語の通訳・翻訳家として活動しつつ、フィンランドで「母語と文学」科の教科教育法と教材作法を学ぶ。国際的な教材作家として日芬をはじめ、旧中・東欧圏の教科書・教材制作に携わるとともに、各地の学校を巡り、グローバル・スタンダードの言語教育を指導している。詳しいプロフィールはこちら⇒『ニッポンには対話がない』情報ページ
著書に、『知的英語の習得術』(学習研究社 2003)、『「論理力」がカンタンに身につく本』(大和出版 2004)、『図解フィンランド・メソッド入門』(経済界 2005)、『知的英語センスが身につく名文音読』(学習研究社 2005)、編訳書に「フィンランド国語教科書」シリーズ(経済界 2005 ~ 2008)、対談集に演出家・平田オリザさんとの対談『ニッポンには対話がない―学びとコミュニケーションの再生』(三省堂 2008)組織開発デザイナー・清宮普美代さんとの対談『対話流―未来を生みだすコミュニケーション』(三省堂 2009★新刊★)など。
『週刊 東洋経済』にて「わかりあえない時代の『対話力』入門」連載中。

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【編集部から】
学習指導要領の改訂に大きく影響したPISAってなに?
PISA型読解力ってどんな力なの?
言語力、言語活動の重視って? これまでとどう違う?
現代の教育観は変わってきたのか。変わってきたとしたら、そこにどんな経緯があるのか。
国際的に活躍する教材作家である北川達夫先生がやさしく解説する連載「明解PISA大事典」。金曜日に掲載しています。


明解PISA大事典:PISA、言語力検定と日本の読解教育

2010年 4月 9日 金曜日 筆者: 北川 達夫

第35回 PISAと言語力検定

 OECDの実施したPISAは日本の教育に大きな衝撃を与えたが、(財)文字・活字文化推進機構の実施した言語力検定(1)も、日本の教育現場にそれなりの衝撃を与えたようだ。現場の声で意外に多かったのが、「ふつうの国語ならできる子が、言語力検定はあまりできなかった。その一方で、ふつうの国語はあまりできない子が、言語力検定では意外にできている場合があった」というもの。

 (財)文字・活字文化推進機構の3月26日付プレス・リリースによると、言語力検定の合格率は、3級で全受検者の21.7%、4級で13.9%、不合格者64%(2)。どの級にも受かることなく、落ちてしまう割合のほうが圧倒的に高い。ふつうの国語(というのも奇妙ではあるが)ならできる子が落ちてしまって、ふつうの国語はあまりできない子が受かるという現象が起こったのだろう。もちろん、全体として見れば、「ふつうの国語ができれば、言語力検定もできる」というケースのほうが多かったはずだ。だが、よほど目立つかたちで逆転現象が起こったものと思われる。

 言語力検定は、作問と評価の方式と体制について、OECDのPISAを完全に踏襲するかたちをとっている。PISAに関する情報が限られている現状において、PISAの読解力調査の実際を知る、よい手がかりになるだろう。OECDのPISAと異なるのは、完全に日本人を対象とした作問であるということ。とはいえ、読解問題のレベルとしては、基本的にはPISAと同じ。つまり、「生きる力」としての読解力ということで、クリティカル・リーディングの問題として特に高度なわけではない。ところが、この連載でも、繰り返し述べてきたように「PISA型読解力=高度な能力」という認識が蔓延しているためか、受検した進学校を中心に面白い反応があった。

 ひとつは、大変な危機感を抱くパターン。これはまずい。これを機会に、ウチでもPISA型読解教育を始めなければ、と思い立つのである。

 この反応はよく理解できる。PISAの読解力調査で求められているような力、すなわち言語力検定で求められているような力は、もちろん進学校においても育む必要がある。ただ、あくまでも「足元を固める力」であることを忘れてはならない。ちゃんとした進学校であるならば、通常の国語の授業において、PISAの読解力調査や言語力検定よりも、はるかに高度なことをやっているのだから。

 もうひとつは「なんだこんなものか!」と拍子抜けするパターン。PISA型読解力というから、どれほど御大層なものかと思ったら、ぜんぜんたいしたことないじゃないか。選択問題は正答が自明なものばかりであるし(3)、自由記述問題にしても文中から適切な根拠さえ見つけられれば簡単に書けるものばかりだ。こんなことは、昔からウチでもやっていた、というのである。

 この反応は大変に正しい。何度でも言うが、言語力検定にせよ、その向こうにあるOECDのPISAの読解力調査にしても、このテの読解問題としては簡単なものなのだ。ただ、ちゃんとした進学校ならば、中学生にせよ高校生にせよ、全員が合格するくらいでなければ、これからの多様化・複雑化・グローバル時代のリーダーを育むのはおぼつかない。

 何年か前、あるテレビ番組で(これから述べる肝心の部分は編集で切られてしまったので、番組名は伏せる)、PISAのサンプル問題をスタジオの大学生たちに解いてもらい、その場で正答例と誤答例をとりあげて解説したことがある。有名大学の学生ばかりだったが、正答と誤答の割合は半々くらいだったか。そのあと、記述問題の考えかたについて簡単に説明したところ、司会のKさん(劇団主宰者)が「おれ、コツわかっちゃったぞ。これ、コツがわかれば、簡単に答えられるぞ」とおっしゃって、用意していたすべての問題について、即座に模範解答となるような正答を連発されたことがある。Kさんがとても頭のよい方である点を差っ引いても、実はPISAの読解力調査程度の問題であれば、コツさえ知っていれば簡単に解けてしまうものばかりなのだ。

 では、コツさえ教えれば、日本の子どもたちもPISAで一位になれるではないか――PISAで国際順位を上げることだけを考えれば、確かにそのとおりである。だが、この連載で綿々と述べてきたように、問題の所在を考えれば、日本がその選択肢をとらなかったのは賢明であった。

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(1) (財)文字・活字文化推進機構が実施する検定で、PISA型読解力の測定を目的とする。1級(大学生・社会人対象)~6級(小学校中学年対象)の級判定をする。昨年10月~11月に第一回を実施。初年は3~4級(高校生・中学生対象)のみ実施。受検者は9984名。
(2) 3級と4級は同一の問題を用い、得点率に応じて3級合格あるいは4級合格の判定がなされた。
(3) PISAにおける読解力の選択問題には、いわゆる「ひっかけ問題」が存在しない。そのため、ややこしい選択肢を見慣れた日本人の目には「正答が自明な問題」ばかりに見えるのがふつうである。

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北川達夫(きたがわ・たつお)
教材作家・教育コンサルタント・チェンバロ奏者・武芸者・漢学生
(財)文字・活字文化推進機構調査研究委員
日本教育大学院大学客員教授
1966年東京生まれ。英・仏・中・芬・典・愛沙語の通訳・翻訳家として活動しつつ、フィンランドで「母語と文学」科の教科教育法と教材作法を学ぶ。国際的な教材作家として日芬をはじめ、旧中・東欧圏の教科書・教材制作に携わるとともに、各地の学校を巡り、グローバル・スタンダードの言語教育を指導している。詳しいプロフィールはこちら⇒『ニッポンには対話がない』情報ページ
著書に、『知的英語の習得術』(学習研究社 2003)、『「論理力」がカンタンに身につく本』(大和出版 2004)、『図解フィンランド・メソッド入門』(経済界 2005)、『知的英語センスが身につく名文音読』(学習研究社 2005)、編訳書に「フィンランド国語教科書」シリーズ(経済界 2005 ~ 2008)、対談集に演出家・平田オリザさんとの対談『ニッポンには対話がない―学びとコミュニケーションの再生』(三省堂 2008)組織開発デザイナー・清宮普美代さんとの対談『対話流―未来を生みだすコミュニケーション』(三省堂 2009★新刊★)など。
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明解PISA大事典:学習者中心型指導法の欠陥

2010年 1月 22日 金曜日 筆者: 北川 達夫

第30回 実践適用の難しさ

 前回、フィンランドの「喚起・共有・探求」型授業について紹介した。OECDのPISAの関係の偉い人たちは、このような授業形態を「学習者中心型」ということで推奨している。だが、これをこのまま「型どおり」踏襲すると、致命的な欠陥のある指導法になってしまう。

 当たり前のことであるが、「学習者」がまったく知らない事がらについては、この指導法はまったく機能しない。まずは何らかの手段で基礎知識を注入するしかないだろう。また、ちょっと別の問題ではあるが、この指導法は学習者に意欲と関心がなければ、まるで機能しない。意欲と関心を持たせるのが指導者の役目と言ってしまえば、それまでのことではあるのだが……。

 指導法そのものにも、このままでは機能しえない欠陥がある。基本的な発問は「学習者が何を知っているか?」「学習者が何を知りたいか?」「学習者が何を調べたか?」であるが、このように並べてみると明らかなように、最初から最後まで「学習者」の視点しか存在しないからだ。指導者がうまく誘導するか、適当に知識を注入するかしないと、学習者は知識を体系的に身につけることができない。その意味では、同じく前回紹介した、説明文の指導事例のほうが「型」としては現実的である。説明文が基礎的な知識を体系的に注入する役割を果たしてくれるからだ。ただ、それでも指導者がうまく誘導しないと、学習者は自分の枠の中でしか知識と向き合えなくなってしまう。

 知識基盤社会においては学習者中心型の学びが必要なのだろうが、何もかも学習者に丸投げしてはマズいのである。もちろん、その程度のことは職業的な指導者であれば重々承知しているのだろうが、フィンランドでも承知していない職業的な指導者がたまに存在するので注意を要するのである。

 第12回第13回で述べたように、これからの時代は知識基盤社会であり、内部情報(自分の知っていること)と外部情報(他者の知っていること)の統合による「創造的問題解決」の能力が必要とされる。内部情報と外部情報を統合しなければならないのだから、創造的問題解決においても内部情報、つまり自分が持っている知識の質と量は重要である。ところが、PISAの「知識を問うテスト」ではないという売り文句のためか、いわゆる「PISA型の授業」というと、「絶対に知識注入という要素があってはならない」という印象があるようだ。また、いわゆる「PISA型読解力」というと、「文中から根拠さえ挙げられれば、どれほど素頓狂な解釈をしてもいい。どれほど非常識な意見を言ってもかまわない」という印象があるようだ。公開されたPISAのサンプル問題が、その印象をさらに強める効果を発揮していることも否めない。

 当初のPISAショックもフィンランド崇拝も薄らいできた昨今、「PISA的なもの」に対するアレルギーというか拒絶反応が強まってきたように感じられる。

 さて、どうしたものか。次回以降に考えることにしよう。

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明解PISA大事典:PISA型読解力「PISA型読解力はなかった?…」

2009年 6月 12日 金曜日 筆者: 北川 達夫

第6回 PISA型読解力はなかった? PISAをめぐる誤解あれこれ

 PISA型読解力など存在しない――と言うとびっくりするかもしれないが、事実なのだから仕方がない。そのようなものはハナから存在しないのである。

 PISAの読解力は、欧米ではありがちな「reading」の問題である。決してPISA特有のものではない。私の翻訳したフィンランドの国語教科書を見て「さすがPISA型読解力の発問ばかりだ」と感心する方々がいる。しかし、あれが欧米では普通なのだから感心するだけソンなのだ。このことは日本のPISA読解力班主査の有元秀文先生が最初からおっしゃっているのだが(1)、意外に浸透していない。

 これまでにも述べてきたように、PISAの読解力は多文化主義をとることによってグローバル・スタンダードを目指している。その点で特異といえば特異である。だが、この「グローバル・スタンダード」という言葉が新たな誤解を生んだ。

 私たちは「グローバル・スタンダード」というと、なんとなく高度なものを想像しがちである。PISAの読解力の問題も、形式は一般的な欧米型であるにしても、内容は高邁であるような気がしてしまう。

 ところが、欧米型の「reading」の問題として見た場合、PISAの読解力は決して高度な内容ではない。おおざっぱな表現だが、欧米各国の「reading」の問題と比較すると、PISAは明らかにカンタンなのである(2)

 グローバル・スタンダードの設定が多文化主義によって最大公約数的なものにならざるをえない以上、これは当然の帰結といえる。素材文の受け止めかたが文化によって異なるのだから、あまり突っ込んだ質問はできないのだ。

 もうひとつ、「グローバル・スタンダード」というと、万国共通の公平中立なものだと思うかもしれない。これも国際社会の現実からすれば大きな誤解である。

 さまざまな分野に「グローバル・スタンダード」が存在するが、その設定にあたっては各国の思惑や利害が真正面からぶつかりあう。だいたいは強者の論理が強烈に反映され、それに対して弱者が異議を唱え続けるという構図になりがちである。

 これはPISAにおいても例外ではない。この連載の第2回に「欧米のスタンダードを『グローバル・スタンダード』というのはおかしい」と異議を唱えた話を書いた。だが、そもそも「グローバル・スタンダード」とは、その程度のものなのである。欧米寄りの設定に異議を唱える日本もいれば、そういう設定だからこそ頑張る韓国もいるということだ。

 ただ、PISAを「欧米諸国が手前勝手に実施しているテストに日本が無理に参加して、悪い点をつけられて返されている」ととらえるのも大きな誤解である。

 2006年調査のOECD・PISA運営理事会の議長は日本人だし、国際調査実施の中枢機関である国際コンソーシアムには日本の国立教育政策研究所も名を連ねている(3)。日本はPISAの単なる受検国ではなく、むしろ主催国なのである。

 このようにPISAに関する誤解は数多い。これらの誤解を解くことによって、かえってPISAの意義に疑問を抱いた方もいるかもしれない。

 たしかにPISAの読解力は欧米型の読解問題である。しかも突っ込みの足りない問題である。だが、スタンダードが欧米寄りに設定されたという事実は、むしろ世界の現実を強烈に反映したものともいえる。突っ込みの足りない問題なのも、世界中のありとあらゆる子どもを視野に入れたテストなのだから、当然といえば当然なのである。また、一見すると突っ込みの足りない問題であっても、国内では見落とされがちな「国際的な能力」を求めている場合があるので注意を要する。これについては今後の連載の中で徐々に明らかにしていくことにしよう。

 PISAの現実に失望したかもしれない。だが、PISAの現実は世界の現実なのである。

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(1)たとえば『国際的な読解力を育てるための相互交流のコミュニケーションの授業改革』序文(ii) 渓水社 2006年
(2)たとえばアメリカのNAEP(全米対象の学力調査)「reading」の問題(http://nces.ed.gov/nationsreportcard/reading/)を参照されたい。
(3)『生きるための知識と技能3』OECD生徒の学習到達度調査(PISA)・2006年調査国際結果報告書 p007/国立教育政策研究所編/ぎょうせい 2007年

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明解PISA大事典:グローバル・スタンダード「夢の多文化主義」

2009年 5月 22日 金曜日 筆者: 北川 達夫

第3回 夢の多文化主義

 PISAの読解力は多文化主義をとっている。いろいろな国からいろいろな文化を反映した問題を募集して採用しているのだという。

 多文化主義。いい響きだ。さまざまな文化が平等な立場で共存できるような感じ。かくして世界平和が達成される――ような気さえする。

 読解力は言葉が勝負。多文化主義とくれば多言語主義といきたいところだが、そうは問屋がおろさない。いろいろな文化を反映しているのはいいが、それがいろいろな言葉で書かれていたら、いろいろな国の子どもが受ける国際テストとして成り立たないからだ。

 PISAの言語に関して、「調査問題の国際標準版は英語及びフランス語で用意され」ているという(1)。英語表記とフランス語表記の問題を正文とし、それを各国語に翻訳して使うのである。多文化主義だが二言語主義なのだ。

 これがどういう状況かというと、たとえば日本文学を素材として日本語で問題提案したとしよう。提案された問題は英語とフランス語に翻訳される。そして、もとが日本語であるにもかかわらず、英語とフランス語に翻訳されたものが正文になるということだ。「吾輩は猫である」は「I Am a Cat」「Je suis un chat」となって正式な姿を得るのである。

 多文化主義でも二言語主義では、読解力の問題はかなり限定的なものとなる。

 たとえば、私は「吾輩は猫である」について、猫ごときが「吾輩」などという大時代な一人称を使っているあたりに独特のおかしみを感じる。しかし、「I Am a Cat」と「Je suis un chat」の前では、そのような議論はハナから成り立たない。逆にいえば、そのようなところにおかしみを感じようと感じまいと関係ないところで、PISAの読解力の問題は成り立っているということである。

 日本語が特殊だとか、日本語は繊細だが英語やフランス語は粗雑だと言いたいのではない。日本語独特の表現が英語やフランス語では訳しきれないように、英語やフランス語独特の表現も日本語では訳しきれないのである。特に表現が生命の文学作品には、完璧な外国語翻訳など絶対にありえないのだ。

 二言語主義にはもうひとつ論点がある。英語やフランス語に翻訳できない概念や、翻訳したら意味が変わってしまうような概念を含んだ問題は、まず採用されないだろうということ。つまり、もともとの問題がどのような言語でつくられ、どのような文化を反映していようと、結局は英語の言語文化とフランス語の言語文化になじむものしか採用されない可能性が高いのである。多文化主義の夢が二言語主義によって打ち砕かれたようなものだ。

 こういった問題については、水村美苗さんが著書『日本語が亡びるとき』(2)で深く掘り下げて論じておられるので、興味のある方はぜひ読んでほしい。

 ちなみに、日本でPISAを実施するときは、英語とフランス語で表記された問題を日本語に翻訳しておこなう。もともとの素材文が日本語だったとしても、正文が英語とフランス語である以上、そこから翻訳しなおさなければならない。そして日本語に翻訳したものが英語とフランス語にきちんと対応しているかどうか、「国際センター」なるところで徹底的にチェックされるのだという(3)。「吾輩は猫である」は「I Am a Cat」と「Je suis un chat」となり、それをまた日本語に翻訳しなおすということだ。

 さて、いったん「I」と「Je」に化けた「吾輩」は、再翻訳によって「吾輩」に戻ることが許されるのだろうか。

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(1),(3)『生きるための知識と技能3』OECD生徒の学習到達度調査(PISA)・2006年調査国際結果報告書 p029/国立教育政策研究所編/ぎょうせい 2007年
(2)『日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で』水村美苗著/筑摩書房 2008年

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明解PISA大事典:グローバル・スタンダード「PISAはグローバル・スタンダードなのか?」

2009年 5月 15日 金曜日 筆者: 北川 達夫

第2回 PISAはグローバル・スタンダードなのか?

 PISAはグローバル・スタンダードの学力を測定するテストだという。グローバル・スタンダード、つまり国際規格の学力ということだ。

 そのようなことが本当に可能なのだろうか?

 数学と科学なら可能なような気がする。しかし読解力では難しそうな気がする。読解力といえば言葉が勝負だ。言葉の違いは翻訳で克服できるのか? 同じ文章を読んでも、文化が違えば受け止めかたも違うのではないか。

 PISAの読解力というと、日本は当初より成績がふるわない。その理由として、欧米的な発想のテストだ、日本人には向かない、日本語は特殊なんだ――というように、文化と言語の違いを強調するむきもある。

 たしかにPISAの公開された問題を見るかぎり、少なくとも日本的ではない。落書きがいいか悪いかなどという下らない議論を、日本のだれがやるものか。こういう益体もないことを理詰めでやりたがるのは、いかにも欧米的である。欧米のスタンダードを「グローバル・スタンダード」というのはおかしいのではなかろうか。

 この点について、私は公開の国際研究会で(1)、PISAの関係者に問いただしたことがある。問いただした相手はACER(オーストラリア教育研究センター)のメンデロビッツ研究員。ACERとは、PISAの読解力の統括を行っている機関。メンデロビッツ研究員はPISAに関わるプロジェクトの責任者である。

 メンデロビッツ研究員によれば、たしかに読解力で「文化」は重大な要素であるという。だが、文化的に中立なテキストを用いると、問題として味気なくなってしまう。だからPISAの読解力では「多文化主義」を目指しているのだという。そのために、できるだけ多くの国から問題を募集しているというのだ。

 それにしては欧米的な発想の問題ばかりではないか――と私は反論した。

 多くの国から問題を募集しているのかもしれない。欧米以外の国も問題提出できるのかもしれない。PISAの読解力に日本文学が出題されることも夢ではないのかもしれない。しかし、OECD加盟30カ国のうち28カ国は欧米圏であり、非欧米圏は日本と韓国の2カ国だけである。多文化主義を標榜しつつも、結局は数の論理で「欧米のスタンダード」=「グローバル・スタンダード」にしているのではないか?

 雰囲気が緊迫したそのとき、韓国の研究者がおもむろに手を挙げた。

 「日本は成績が悪かったから、そんなことを言っているんじゃないか?」

 やられた――と思った。韓国を少数派の仲間と信じて油断した。もちろん成績が悪かったから言っていたわけではないが、そう言われては立つ瀬がない。

 絶句する私を尻目に、韓国の研究者は自国の取り組みについて得々として語った。「韓国の文化は欧米的なのかもしれません」などと皮肉をまじえつつ……(2)

 その国際研究会から1年ほどのち、2006年PISAの結果が発表された。

 読解力で韓国は堂々の第1位。日本は第15位。PISAの読解力が欧米的であろうとなかろうと、非欧米圏の韓国は結果を出したのである。順位を競うことが目的ではないとはいえ、これまた「やられた」という感じだ。

 PISAの読解力が多文化主義を目指しているのは事実である。だが、まだ「目指している」ところであって、現状は模索中といったところなのだろう。

* * *

(1)2006年8月6日 読解リテラシー国際研究会「読解リテラシーの測定、現状と課題~各国の取り組みを通じて~」於東京大学
(2)Sokutei Report Vol.4「2006年度・8月国際研究会報告書」
東京大学大学院教育学研究科 教育研究創発機構 教育測定・カリキュラム開発講座編

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【プロフィール】

北川達夫(きたがわ・たつお)
教材作家・教育コンサルタント・チェンバロ奏者・武芸者・漢学生
(財)文字・活字文化推進機構調査研究委員
日本教育大学院大学客員教授
1966年東京生まれ。英・仏・中・芬・典・愛沙語の通訳・翻訳家として活動しつつ、フィンランドで「母語と文学」科の教科教育法と教材作法を学ぶ。国際的な教材作家として日芬をはじめ、旧中・東欧圏の教科書・教材制作に携わるとともに、各地の学校を巡り、グローバル・スタンダードの言語教育を指導している。詳しいプロフィールはこちら⇒『ニッポンには対話がない』情報ページ
著書に、『知的英語の習得術』(学習研究社 2003)、『「論理力」がカンタンに身につく本』(大和出版 2004)、『図解フィンランド・メソッド入門』(経済界 2005)、『知的英語センスが身につく名文音読』(学習研究社 2005)、編訳書に「フィンランド国語教科書」シリーズ(経済界 2005 ~ 2008)、対談集に演出家・平田オリザさんとの対談『ニッポンには対話がない―学びとコミュニケーションの再生』(三省堂 2008)組織開発デザイナー・清宮普美代さんとの対談『対話流―未来を生みだすコミュニケーション』(三省堂 2009★新刊★)など。
『週刊 東洋経済』にて「わかりあえない時代の『対話力』入門」連載中。

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【編集部から】
学習指導要領の改訂に大きく影響したPISAってなに?
PISA型読解力ってどんな力なの?
言語力、言語活動の重視って? これまでとどう違う?
現代の教育観は変わってきたのか。変わってきたとしたら、そこにどんな経緯があるのか。
国際的に活躍する教材作家である北川達夫先生がやさしく解説する連載「明解PISA大事典」。金曜日に掲載しています。


明解PISA大事典:PISA「二十一世紀之怪物 ぴざ」

2009年 5月 8日 金曜日 筆者: 北川 達夫

第1回 二十一世紀之怪物 ぴざ

 “PISA”という怪物が日本の教育界をバッコしている。

 “PISA”の順位が落ちたために、学力低下が叫ばれ、「ゆとり教育」ではダメだとされた。“PISA”を強く意識して学習指導要領が改訂され、全国学テの問題がつくられた。どこでもかしこでも“PISA型学力”という、わけのわからぬものに取り組まねばならなくなった。すべて“PISA”が発端である。たいへんな破壊力だ。

 では、“PISA”とはなにか?

 PISAとはProgramme for International Student Assessment(生徒の学習到達度調査)のこと。OECD(経済協力開発機構)が2000年から3年毎に実施している国際テストである。対象は義務教育を終えたあたりの生徒。日本では高校1年生が受ける。科目は数学・読解・科学の3つ。問題解決という科目が加えられたこともあった(2003年調査)。

 この国際テストで順位を落としたことがすべての元凶である。ただ、順位を落としたといってもビリになったわけではない。57カ国が参加した2006年調査の順位は数学10位、読解15位、科学5位。良くもないが悪いというほどではない。

 ところで、なぜOECDなのだろう?

 OECDとは経済協力開発機構。読んで字のごとく経済専門の国際機関である。教育とはあまり関係なさそうだ。それなのになぜOECDが国際テストをやるのか?

 これについて「教育・人材養成は労働市場や社会、経済と密接に関連していることから、OECDは幼児教育から成人教育までの広い範囲で、将来を見据えた教育政策のあり方を提言」「近年では経済のグローバル化とともに、世界各国の教育を共通の枠組みに基づいて比較する必要性」というような説明がなされている(1)

 つまり経済の“グローバル化”が背景にある。経済が“グローバル化”すれば日本製品が世界中で売れるように、日本人も世界中で働ける。こうなると製品の国際規格を統一すると便利なように、人材の国際規格も統一したほうが便利だ。“PISA”は各国の人材が国際規格に適合しているかどうかを測定するテストということか。

 もちろん「人材の国際規格」などという露悪的な言葉を使う必要はない。むしろ「世界のどこにいっても通用する能力」といったほうが適切だろう。日本の教育の追求してきた学力とはちょっとズレるような感じはあるが、これからの世界を生き抜いていくためには必要な能力であるに違いない。

 ちなみに「PISA」は「ぴさ」ではなく「ぴざ」と読む。なぜ「ぴざ」なのかというと、国際会議でそういうのが普通だからだそうだ(2)

 これは「PISA」の英語読みが「ピザ」であることに由来する。たとえば斜塔で有名なイタリアの都市PISAはイタリア語読みならば「ピサ」だが、英語読みだと「ピザ」になる。なぜ「PISA」というつづりでSが濁るのかと思うかもしれないが、「VISAカード」を「びざカード」と読んでいることを考えれば納得できるのではないか。

 ただ、「PISA」を「ぴざ」と読むのは日本独特の生真面目な原音主義によるもので、ほかの国はけっこう勝手な読みかたをしている。たとえばPISAでいちやく有名になったフィンランドではフィンランド語の発音法則に従って「ぴさ」と読んでいるのである。

 かくのごとく、この連載ではPISAという怪物について、特にその読解力について、虚像を排しつつ実像を探っていくことにしたい。

* * *

(1)『生きるための知識と技能3』OECD生徒の学習到達度調査(PISA)・2006年調査国際結果報告書 p002/国立教育政策研究所編/ぎょうせい 2007年
(2)有元秀文国立教育政策研究所総括研究官のウェブサイト(http://www.nier.go.jp/arimoto/index.html)「よくある質問」より

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【プロフィール】

北川達夫(きたがわ・たつお)
教材作家・教育コンサルタント・チェンバロ奏者・武芸者・漢学生
(財)文字・活字文化推進機構調査研究委員
日本教育大学院大学客員教授
1966年東京生まれ。英・仏・中・芬・典・愛沙語の通訳・翻訳家として活動しつつ、フィンランドで「母語と文学」科の教科教育法と教材作法を学ぶ。国際的な教材作家として日芬をはじめ、旧中・東欧圏の教科書・教材制作に携わるとともに、各地の学校を巡り、グローバル・スタンダードの言語教育を指導している。詳しいプロフィールはこちら⇒『ニッポンには対話がない』情報ページ
著書に、『知的英語の習得術』(学習研究社 2003)、『「論理力」がカンタンに身につく本』(大和出版 2004)、『図解フィンランド・メソッド入門』(経済界 2005)、『知的英語センスが身につく名文音読』(学習研究社 2005)、編訳書に「フィンランド国語教科書」シリーズ(経済界 2005 ~ 2008)、対談集に演出家・平田オリザさんとの対談『ニッポンには対話がない―学びとコミュニケーションの再生』(三省堂 2008)組織開発デザイナー・清宮普美代さんとの対談『対話流―未来を生みだすコミュニケーション』(三省堂 2009★新刊★)など。
5月11日発売の『週刊 東洋経済』(5/16号)から、「わかりあえない時代の『対話力』入門」が連載開始。

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PISA型読解力ってどんな力なの?
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