ドイツのお菓子(7)―ワッフル(2)―
2010年 3月 8日 月曜日 筆者: 石井 正人クラウン独和辞典―編集こぼれ話―(83)
Waffelの話を続ける。しかしここでもう一つ気にかかることがある。辞書によってはWaffelに「ワッフル」の他に「ゴーフル」という意味をあてているものがある。極薄の軽い焼き菓子にクリームを薄くはさんだあのフランス菓子は、本格的なベルギー・ワッフルよりはるか以前に、風月堂のゴーフルとして日本人には馴染みがある。しかし両者は似ても似つかないように思われる。
実はフランス語のゴーフル(gaufre)は、オランダ語のワッフルからきた外来語である。中世ではフランス語は[w]の発音が苦手で、外来語に[w]があると[g]の音に替えていた。「ウィリアム(William)」という人名がフランス語では「ギョーム(Guillaume)」になったり、「戦争」ウォー(war)がゲール(guerre)になったりしたのが、よく挙げられる例である。
名称が言語史的に正確に対応しているように、フランス人がワッフルを勝手にあんな風に変えてしまったのではなく、実はワッフルの原形もあのゴーフルのような軽いビスケット風の焼き菓子であって、フランスのゴーフルの方が原形をとどめているようなのだ。
元々は、種を入れない小麦粉の生地を、熱した鉄板の上に薄くのばして焼き上げるだけのもので、その際に鉄板の凹凸で押し型の模様を付けたりした。その模様が独特の発達を遂げてワッフルが始まったようだ。ベルギー・ワッフルがああいう粉ものになっていく一方で、ゴーフルは薄焼きビスケットというかウェハース風の原形をフランス風に洗練させていったもののようだ。
それではワッフルがワッフルになる前の薄い焼き物は何と呼ばれていたかというと、Oblate「オブラート」と呼ばれたようだ。しかしそうなるとオブラートも今日私たちが知るものとは随分イメージが違う。今では薬局で特別に買い求める他は、ボンタンアメくらいでしかお目にかからないが、透明でパリパリして食べられるあの膜は、後から開発されたもので、もともとはウェハースのような薄い焼き物を水に浸して柔らかくし、薬を飲むために使っていたのだそうだ。
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【筆者プロフィール】
石井 正人(いしい・まさと)
千葉大学教授
専門はドイツ語史
『クラウン独和第4版』編修委員
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【編集部から】
2008年2月に『クラウン独和辞典』(第4版)が刊行されました。日本初、「新正書法」を本格的に取り入れた独和辞典です。編修委員の先生方に、ドイツ語学習やこの辞典に関するさまざまなエピソードを綴っていただきます。
ドイツのお菓子(6)―ワッフル(1)―
2010年 3月 1日 月曜日 筆者: 石井 正人クラウン独和辞典―編集こぼれ話―(82)
Waffel「ワッフル」といえばベルギーが有名で、マネケン社によって国産の本格的なベルギー・ワッフルも簡単に手にはいるようになった。ベルギーを旅した人なら、言葉に出来ないほど美味しい、焼きたての熱々のワッフルを道ばたで頬張った感激を忘れがたいという向きも多かろうが、家庭で手作りのベルギー・ワッフルを楽しめる道具も日本で普通に見かけるようになった。
因みにマネケンというオランダ語(フラマン語)は、ドイツ語のMännchen「小男」のことで、ベルギー、特にブリュッセルにおいては、あの名高い「小便小僧」のことを指している。世界三大ガッカリで有名であることはともかく(後の二つはコペンハーゲンの人魚姫とシンガポールのマーライオン)、各国からの観光客が必ず立ち寄って記念写真を撮るブリュッセル名物ではあるので、国産ベルギー・ワッフルの社名に選ばれているのである。
さて実際にはベルギー・ワッフルでさえ、Lüttich (Liège) リエージュ風とBrüssel (Bruxelles) ブリュッセル風とがあるのだそうで、その他に北欧風だとか、アメリカ風だとか、果ては香港風というものまで、多様なヴァリエーションがあるようだ。確かに日本でもマネケン社のベルギー・ワッフル以前から、パンケーキ風の生地でクリームをくるんだタイプとか、ビスケットような固いタイプとか、違う種類のワッフルが存在した。
こうなると、そもそも何を以てワッフルというのか分からなくなってくる。実際にはどうもワッフルのメルクマールは、生地の質やふりかける砂糖や塗るジャムやクリームにではなく、あの独特の格子状の形状にあるようだ。
語源辞典によれば、ワッフルはオランダで生まれた言葉だが、その元になったのは、ドイツ語でならweben「織る、編む」に対応する意味を持つ言葉であった。Gewebe「織物」とかWabe「蜂の巣」という、webenと語源を同じくする概念から考えてみるに、やはりあの格子状の形こそがワッフルの特徴とされていたのだろう。
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【筆者プロフィール】
石井 正人(いしい・まさと)
千葉大学教授
専門はドイツ語史
『クラウン独和第4版』編修委員
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辞書の定価
2010年 2月 22日 月曜日 筆者: 信岡 資生クラウン独和辞典―編集こぼれ話―(81)
前回(第77回)取り上げた『大獨日辭典』(昭和8年 大倉書店)は、著者登張竹風先生自ら記すところによれば、5,000枚に及ぶ校正刷りを7、8校して完成には7年かかったそうで、コンピューターはおろかコピー機もファクスもなかった時代のことを思えば、労苦の程が偲ばれる。奥付に「完成記念價拾圓」とある。人事院の資料によると、当時(1926-37)の国家公務員(1種行政職大学卒)の初任給は月額75円であり、また、別の資料によると1929年当時の大学教員の初任給は、私立で普通55円から高いところでも100円であったようだ。これでは大学を出たばかりの教師にとって10円もする辞書はおいそれとは買えない。現在月給20万円そこそこの教師が2~3万円の電子辞書を買うようなものである。恥ずかしい話だが、筆者自身昭和30年春愛媛大学に赴任したときの給料は9,200円だったと記憶している。だから昭和33年6月に戦後はじめての大型独和辞典である『大独和辞典』(相良守峯編 博友社)が2,500円(特価2,200円)で刊行されたとき、私費で購入するのをためらった覚えがある。
昭和8年当時の大型独和辞典には、片山正雄著『雙解獨和大辭典』(昭和2年 南江堂 昭和6年第一次改訂 昭和9年改訂増補版)があって、革表紙で定価8円(特価7円)であった。「雙解」の名にたがわずドイツ語訳もついていたが、活字はドイツ文字(Fraktur)を使用していた。これに対し、登張著『大獨日辭典』ではラテン字体を用いた。
販売事情を考慮したのか、翌昭和9年12月に大倉書店は『大獨日辭典』の普及版を出した。普及版は、もとがB5判で硬くて分厚い表紙だったのを、半分の大きさB6判に縮刷して軟らかい布表紙とし、定価5円30銭、特価5円80銭とした。この普及版も、上記片山著『雙解獨和』も、戦後の昭和20年代に筆者は古本で入手して大いに活用させていただいたものである。三省堂が『コンサイス獨和辭典』を刊行したのは昭和11年で、定価は3円50銭、また『木村・相良獨和辭典』(博文館)が出たのは昭和15年で、定価は6円80銭(特価5円70銭)であった。
大倉書店は明治中期から大正・昭和のはじめにかけて外国語の辞典を刊行した大手の出版社で、夏目漱石の『我輩は猫である』の初版を刊行(明治39年11月)したことでも知られている。竹風先生の御子息登張正實先生は私の旧制高校時代からの恩師であるが、正實先生から直接お聞きしたところによると、大倉書店の創業者大倉孫兵衛は抜け目のない人物で、道で拾った大金入りの財布をネコババしてそれを元手に出版業を始めたとの噂もあるような男、父竹風は金銭才覚に乏しかったから、この社長にいいようにあしらわれ、幾つもの辞書を出版させた割りには自身の懐はさっぱり潤わなかったとの話である。
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【筆者プロフィール】
信岡資生(のぶおか・よりお)
成城大学名誉教授
専門は独和・和独辞典史
『クラウン独和辞典 第4版』編修主幹
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かこつけて(2)―『マーモット』―
2010年 2月 15日 月曜日 筆者: 新井 皓士クラウン独和辞典―編集こぼれ話―(80)
去年も暮近い朝のことだ。久しぶりに寝坊した床の中で、とある歌曲をめぐって男女が楽しげに会話しつつ投稿の紹介をするFM番組をぼんやり聴いていた。むかし中学で習い好きだった「水うち清めし朝のちまたに、白露宿せる紅花黄花、花売る乙女の・・・」なる美しい詩句の『花売』という歌が、こともあろうに(原題)『モルモット』(作詞ゲーテ)とは何たる幻滅!といった趣旨の投書が披露され、にぎやかな話題になっていことが、段々明らかになった。作曲はなんとなんと(!)ベートーヴェン、短調の特徴あるメロディで、後でハーモニカでちょっとなぞってみると、ラとシが多く、結構息が苦しい。一葉の『たけくらべ』に、公立小に通う連中が唱歌は公立が本家というような顔をする、と(貧しい)私立の生徒が悔しがる叙述もあり、明治期の唱歌国策論をたまたま目にしたこともあって、少し気になるので本務の合間にぽつぽつ調べてみた。
意外だったのは手元のゲーテ作品集などに「マーモット」の詩が簡単にみつからなかったことである。実はこれは『プルンダースヴァイラー(がらくた村)歳の市の祭り』と題された、俄狂言や謝肉祭劇に類する滑稽風刺劇が出典で、歳の市をあてこんだ色々な登場人物中、芸を仕込んだアルプス・マーモット(鼠の仲間モルモットではなく、兎の仲間)を見世物に投げ銭を集めて旅暮らしをする少年が歌うものだった。1772年ごろ書かれた原作が1778年に宮廷人達の余興にも供されるため改作されたとき、この詩も付け加えられたようで、この「劇」自体ゲーテ作品としてはマイナーなものゆえ、専門家でもないと目につきにくいし、選集程度のものには収められていないようだ。僕がこれを漸くみつけたのは、『クラウン独和』第2代編集主幹・故濱川祥枝先生から頂戴したひげ文字の古い全集だった(ついでながら、最近あるインタヴューで有能かつ魅力的なさる女性編集者が濱川祥枝教授は同性とばかり勘違いしていることがわかり、僕得々として然らざる由縁を述べたてたものであります、合掌)。
4連(節)、総計24行のゲーテ詩『マーモット』だが、ドイツ語部は各連2行しかなく、残りは古風なフランス語リフレーンが各連3行、その変形1行から成っている。ドイツ語行をDとし、リフレーン行をFとし、変形をfとすると、各節は D1-F-D2-F-f-F となるわけだが、Fの部分が「このマーモットと共に」という意味であるのに対し、fの部分は厳密な意味は不明で、多分フランス語とイタリア語をもじった戯れ(si だっけ、la だっけ)であり、歌う少年が当時の世相を反映しサヴォア出身の貧しい旅芸人であることを垣間見せているともとれよう。使われる音は(日本やイタリア式)音階名でいえば、ラとシが頻出、ファとソは出てこない短調メロディで、一種独特の哀歓(と諧謔)がこもっている。さてこそベートーヴェン、一件落着、と言いたかったが、なお一つ疑問が残った。この曲は作品番号(Op)でいえば52-7だが、このあたりは「クロイツェル」(Op.47)やら「ヴァルトシュタイン」(Op.53)、「交響曲第3番」(55)など、大きな一級品が並ぶところだ。その片手間にちょいちょい、というわけではなく、出版こそ遅くなったが、どうやら青年期までをすごしたボン時代の作品らしい。それにしても、数多あるゲーテ詩の中で、よりによってなぜこれをベートーヴェンが選んだのだろうか、ライン河沿いの故郷ボンで実際このような旅芸人に出会う機会もあったのか、この詩に関しては友人仲間や師などの影響ないし情報があったのだろうか。印刷公刊されたのは1817年の「ゲーテ作品集」第9巻であるから、その遥か以前、おそらく二十歳前後には知っていたに違いないが、直接証拠はみつからない。父親がテノール歌手であったこともあってか、ベートーヴェンは歌曲と意外に長い付合いがあることだけは確かだが。
ともあれこのちょっといわくありげな曲が、ゲーテの詩と無関係に、明治の日本では唱歌のメロディとして採り入れられ、数種の歌詞をもつことになった。それらの歌詞はおよそ滑稽とは無関係な「詩的」情操豊かなものであること、たとえば大和田建樹作詞『あすの日和』では「夕山しづかに雲をおくりて、あらしのなごりは窓の小笹に・・・」とある。これらを一種の換骨奪胎と批判することは可能であろうし、賛美歌をふくめ民謡や西洋歌曲に独自の歌詞を付し取り入れた成長期近代日本の「唱歌」には、小国民育成の政治的意図が見え見えなものもあったようだが、ことばとメロディの調和を意識した努力があったことも確かであろう。『マーモット』の歌など原詩の意味を生かしメロディに載せるのはほとんど不可能かもしれない、と承知しつつ、通勤電車のつれづれに、駄句をひねってみた。
(1)渡り来た邦々(くにぐに)、ともはこのマーモット
かつかつの暮しさ、ともはこのマーモット
めぐりシいずラとて、ともはこのマーモット
(2)紳士にも遇い申(も)した、(F)、娘御には目がない、(F)、(f)(F)
(3)淑女にも遇い申(も)した、(F)、ちびっこにも目をくれた、(F)、(f)、(F)
(4)お情けです御喜捨を、(F)、若い衆(し)はひもじい、(F)、(f)、(F)

「お粗末様で」と引っ込むべきところ、なお蛇足を付け加えれば、原詩の第2連(節)と第3連(節)には、hätt’ 及び täte という、接続法とみまがう語が出てくるが、これは南部方言の一種とみてよいだろう。『ファウスト』第1部でグレートヒェンが歌う「トゥーレの王」に類例がある。
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【筆者プロフィール】
新井 皓士(あらい・ひろし)
放送大学特任教授・東京多摩学習センター所長 一橋大学名誉教授
専門はドイツ文学・文体統計学
『クラウン独和辞典第4版』編修委員
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【編集部から】
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ドイツの食材―ニワトコ―
2010年 2月 8日 月曜日 筆者: 石井 正人クラウン独和辞典―編集こぼれ話―(79)
翻訳をしていて面倒なことの一つに、植物の名前がある。ピタリと対応する日本名がないことが多く、かといって正確なだけの学名では感興がそがれる。その昔さるフランス文学の大家は、小説を翻訳していて知らない植物が出てくると、何でも「ニワトコ」と訳したと、大先輩のI先生からうかがったことがある。日本語を壊さないで、ヨーロッパ風の雰囲気だけあれば良いというなら、これはこれである時代には巧いやり方であったと言えるだろう。良心的だとは決して言えないが。
さてそのHolunder「ニワトコ」であるが、以前にはドイツのどの農家の庭にも一本はあって、春に咲く花からも、秋になる実からも、美味しいジュースやジャムを手軽に作ったものだそうである。特に美味しいのは、花から作るシロップである。
春になると、散房花序というのだそうだが、コデマリのように、ニワトコには小さな白い花が房のように固まって咲く。この花を房ごと摘んできて、濃いレモネードに漬けておく。1週間ほどでさわやかな香りがレモネードにうつるので、炭酸水でわって飲む。スイカズラの仲間なので、蜜が甘く、何よりも芳香が特徴である。
こういうものが手作りされなくなったのは日本でもドイツでも事情は似ているらしく、ニワトコ・シロップは季節になると既製品を売っている。
驚いたことに、このニワトコの白い花をテンプラにして食べるという。砂糖を入れて水でといた小麦粉のころもをつけて、さっと油で揚げる。なるほどさわやかなニワトコの香りが楽しめる。まあ、大葉や三つ葉のテンプラと言ったところで、香りを楽しむ箸休めである。ただニワトコも「接骨木」という名の立派な漢方薬だから、副作用もあり、花のテンプラも食べ過ぎるとおなかを壊すそうだ。
ライン河畔の広々とした緑地帯に、何十本というニワトコが大きく茂り、特に注目されるでもなく、地味な花を満開にさせていたのを思い出す。すばらしく天気の良い春の昼下がり、若い母親が小さな娘を連れ、娘に持たせた大きなカゴの中に、ニワトコの白い花を摘みたいだけ摘み取って集めていた。たっぷりとシロップができたことだろう。
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【筆者プロフィール】
石井 正人(いしい・まさと)
千葉大学教授
専門はドイツ語史
『クラウン独和第4版』編修委員
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【編集部から】
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ドイツのハーブ―ウイキョウ―
2010年 2月 1日 月曜日 筆者: 石井 正人クラウン独和辞典―編集こぼれ話―(78)
においがなじめないといえば、Lakritze「カンゾウ(甘草)」と並んで、Fenchel「ウイキョウ(茴香)」がある。
ドイツのスーパーマーケットでは、様々な種類のKräutertee「ハーブティー」が並んでいる。伝統の漢方薬や薬湯というわけだ。Pfefferminze「ペパーミント」やHagebutte「野バラ」やKamille「カミツレ(カモミール)」やEibisch「ハイビスカス」のお茶などは珍しくもないが、さらにこれを様々にブレンドして、「こども茶」だの「腎臓茶」だの「おはよう茶」「おやすみ茶」などと称して、様々に特別な薬効をうたうものがある。ノーベル賞作家Günter Grassグラスの『はてしなき荒野』で主人公の老妻が愛飲しているのがこの「腎臓茶」である。
このようなハーブティー中にFenchelのお茶があって、Teebeutel「ティーバック」の箱の封を切っただけで、咳き込むほどのにおいがする。英語でフェンネル、あるいはキャラウェイと呼ばれているものと同じで、御存知の方もあるだろう。しかしウイキョウやキャラウェイと言われてもピンと来ない向きには、要するにSellerie「セロリ」の種であると言えば、風味に想像がつくだろう。
セロリの強い独特の風味も好き好きだが、あれが種になって凝縮している。セロリはもともとセリ(芹)の仲間だそうで、そう言われればにおいが似ていなくもないが、セリのあえかな風味をあっさりした和食に仕立てたものと比べると、セロリの強烈さは同日の談ではない。因みにドイツで普通に見かけるセロリは、葉や茎ではなく、カボチャほどもあるKnolle「球根」を食べる種類である。日本のものよりにおいがもっときつく、ドイツ人でも食べられない人がいるようだ。
しかしFenchelも、香料としては肉のにおい消しとか、Roggenbrot「ライ麦パン」と相性が良かったり、Sauerkraut「ザウアークラウト(酢漬けキャベツ)」の煮物には薬味として欠かせない。Mohn「ケシの実」やSesam「ゴマ」と同じことで、料理やパンや焼き菓子に少量使う分には、Fenchelもちょっと変わった印象的な香料ですむ。だがお茶だといって煎じるとすごいことになる。「ウイキョウ(茴香)」と言えば日本ではそもそもまた漢方薬だから、そう言われて日本人なら何となく納得する、独特の臭さになるのだ。
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【筆者プロフィール】
石井 正人(いしい・まさと)
千葉大学教授
専門はドイツ語史
『クラウン独和第4版』編修委員
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【編集部から】
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「独和」辞典と「独日」辞典
2010年 1月 25日 月曜日 筆者: 信岡 資生クラウン独和辞典―編集こぼれ話―(77)
竹風こと登張信一郎はその著『大獨日辭典』の冒頭で、『本書は「大獨日辭典」と申します。多年の通稱となってゐた「獨和」の「和」の一字は、外交其の他に於いて、夙に廢語となってゐるもので、凡て現代語を以って譯述しようとする本書題名には、最もふさはしくありません。況んや「日本」はどこまでも「日本」であるに於いてをやであります。敢て從來の因襲を破って、「大獨日辭典」と稱する所以であります。』と記している。「和」は、中国で日本を指す「倭」に代えて用いられる字で、明治中期に刊行された大槻文彦著『言海』(六合館 明治22)では、『日本國ノ一稱、多クハ外國ニ對シテ種種ノ物事ニ添ヘテイフ。「―漢」「―文」「―譯」「―書」「―本」「―産」「―製」「―船」「―藥」』と解説されている。因みに「和」は漢和辞典でノギヘンではなく、クチヘンの部にある。
明治以来ドイツ語に限らず、英和、仏和、露和、西和などというように、外国語辞典の名称では日本語を「和」で表している(中国語辞典だけ「中日」というのは「漢和」辞典と区別するためであろう)。これは(私の推測では)ドイツ語単語を和訳したとの意味が元であろうと思われる。明治初期に『和譯獨逸辭典』(東京春風社合著 明治5)や「和譯獨逸辭書』(京都村上勘兵衛出版 明治5-6)があるように、英語でも最初の英和は『英和對譯袖珍辭書』(洋書調所 文久2)であった。また、同じ「わ」でも「龢」の字を使用した『挿入圖畫獨龢字典大全』(国文社 明治18)もある。竹風先生ご自身も同じ大倉書店から、先に『新式獨和大辭典』(明治45)、『新譯獨和辭典』(大正4)や『新和獨辭典』(共著 明治34)を著していらっしゃる。
明治以降外交面ではもっぱら「日」が使用された(日清・日露戦役、日英同盟、日米通商航海条約、日韓議定書など)。だが、「和」が廃語となっているというのは言い過ぎであろう。和服、和菓子、和風など、「和」は「洋」の対語として今日でも一般に使われている。はたして竹風先生の力説に乗る辞典は多くない。例えば『日英對照獨逸語標準單語辭典』(日獨書院 昭和6)、『日独口語辞典』(早川東三ほか著 朝日出版社 1985)、『日・英・独語辞典』(ジャパン・タイムズ編集局編 原書房 昭和47)、『デイリー 日独英・独日英辞典』(渡辺学監修 三省堂 2004)などが挙げられるが、守備範囲が狭まるようである。医学にも『日獨・獨日慣用醫語辭典』(鳳鳴堂編輯部編 昭和14)、『医学ドイツ語小辞典(独―日・日―独)』(清水・松室編 大学書林 昭和34)、『日英独医学小辞典』(藤田拓男編 南山堂 1972)などがある。これらの例のように3カ国語以上にまたがる場合「日」が使用される傾向が強い。『日独英仏対照スポーツ科学辞典』(大修館書店 1993)、『日仏英独製菓用語対訳辞典』(吉田菊次郎著 イマージュ(三洋出版貿易)1992)、『日英仏独対照服飾辞典』(石山彰編 ダヴィッド社 昭和47)等等で、語学辞書の範疇からは離れていく。
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【筆者プロフィール】
信岡資生(のぶおか・よりお)
成城大学名誉教授
専門は独和・和独辞典史
『クラウン独和辞典 第4版』編修主幹
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【編集部から】
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和独インデックス―増加した外来語
2010年 1月 18日 月曜日 筆者: 信岡 資生クラウン独和辞典―編集こぼれ話―(76)
『クラウン独和辞典 第4版』の「和独インデックス」は、従来のものを全面的に書き改めた。その結果、第3版に比べ、ページ数は8ページ増えて57ページに、見出しは約800語も増加して6,351語になった。試みに第4版の「和独インデックス」の第1ページで新たに立項された見出しを挙げると、アーケード Arkade 女; Bogengang男、アーモンド Mandel女、アイコン Icon中、あいている2 開いている offen、アウトバーン Autobahn女、あえぐ 喘ぐ keuchen 、アクセサリー Zubehör中・男 ;(装身具)Schmuck男、アクセス Zugriff男; ~する zu|greifen 、アクセル Gaspedal中. ~を踏む aufs Gas treten 、あげる2 挙げる(名前、例、理由を) an|geben; (数を) an|führen. の10語で、このうち、7語までがカタカナつまり外来語である。全体として増加された語には外来語が多い。
新しく立項されたこれらの外来語は世相を反映するものである。オリエンテーション Orientierung女 、エコノミークラス Economyklasse 女. ~症候群 Economyklassen- Syndrom中 、キオスク Kiosk男 、
「和独インデックス」のカタカナ立項語は全体のほぼ15%に当る960語ある。ただし、動・植物名はカタカナ書きしているので(例:ミミズ Regenwurm男、イチジク Feige女、ヒマワリ Sonnenblume女)その全部が外来語というわけではない。
ドイツ人との交流や旅先で、カタカナ慣れしている日用品で、それに当るドイツ語がとっさに思い浮かばない際などにも ― 例えばクリップ Klammer女 とか、セロ[ハン]テープ Tesafilm男 ― この「和独インデックス」が役に立つであろう。
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【筆者プロフィール】
信岡資生(のぶおか・よりお)
成城大学名誉教授
専門は独和・和独辞典史
『クラウン独和辞典 第4版』編修主幹
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【編集部から】
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ドイツのお菓子(5)―グミ(2)―
2009年 12月 21日 月曜日 筆者: 石井 正人クラウン独和辞典―編集こぼれ話―(75)
Haribo社の本家グミについて、一つ書き忘れたことがあった。
既に紹介したようにHariboの製品には、一説に3千種と言われるほど数多くの種類があり、日本に輸入されているのはその中のほんの一部である。
クマの形をした5色のフルーツ味のGoldbären「金のクマ」とLakritze「カンゾウ(甘草)」入りの黒い円盤形のグミRotella Schneckeの話は既にしたが、他にも例えば、コーラ味でコーラのビンの形をしたHappy Colaとか、緑のカエルの形で青リンゴ味のFrösche「カエル」とか、トロピカルフルーツの形と味のTropi Frutti、イチゴ・ミルク味で砂糖をまぶした赤い小粒のPrimavera、ひも状のBalla-Balla等々、個人的に好んで口にしたものを上げているだけでもきりがない(大人のくせをしてそんなに色々なグミを食べた方がどうかしているのだが)。
さてこの中にBronchiolというミント味のシリーズがある。Bronchien「気管支」と引っかけた名称で、日本ならさしずめハッカのきいた「のど飴」とか「痰切り飴」とかいったところだろう。
ところでこのBronchiolのシリーズの袋には、日本人なら一目で分かり、おや?と思う、富士山の絵が描いてある。おまけに「純正日本ハッカ入り」と誇らしげにうたってある。恥ずかしい話だが、妻に教えられてこのグミを見るまで、「日本ハッカ」がそんなに有名だと私は知らなかった。(Hariboのグミを日本で論じるのに、Bronchiolを欠かす人があるかと妻に指摘されたのである)日本風を意識したシリーズらしくて、富士山にさらにサクラの花を添えた、Kirsche「サクランボ」風味もある。サクラとサクランボの違いが、日本におけるほど意識されていないらしいのが少々気にはなるが。
第2次世界大戦前まで日本の、特に北海道は世界有数のハッカの生産地で、一時は世界のハッカの7割を生産していたものなのだそうだ。その後は衰退してしまい、今はインドやブラジルが生産の中心だそうだが、それでも日本で改良したハッカが使われ、「日本ハッカ」と呼ばれているのだそうだ。どこで日本の名が発揚されているか分からないものである。
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石井 正人(いしい・まさと)
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ドイツのお菓子(4)―カンゾウ(甘草)―
2009年 12月 14日 月曜日 筆者: 石井 正人クラウン独和辞典―編集こぼれ話―(74)
Lakritze「カンゾウ(甘草)」の話をもう少し続ける。
もう亡くなったが、一世を風靡したアメリカの文化人類学者マーヴィン・ハリスは、大学に入学したばかりの学生たちに異文化接触の実体験をさせるため、日本から取り寄せたイナゴの佃煮のビンを回し、全部食べるなよ、後の人に残しておけよ、と言って、試食させたそうだ。アメリカ人の学生には昆虫を食べるということに対する拒否感が強く、毎回教室が大騒ぎになったそうである。これを真似て私も、ときどきドイツ文化関係の授業で、これが食べられないとドイツ文化は分からないよ、と言い添えて、Lakritze入りの黒いグミを学生に回している。イナゴやザザ虫の佃煮よりは遙かに罪のないいたずらだと思うが、どうだろうか。
ニュルンベルク名物のクリスマス菓子Lebkuchen「レープクーヘン」や、アーヘン名物の焼き菓子Printe「プリンテ」でも似たような効果が得られるが、やはりLakritzeほどのインパクトはない。ポイントは要するに、馴染みのない強い香料を使った食べ物から受けるショックである。においをかいだだけでみな顔をしかめ、黒いグミを口にしようという勇敢な学生にまだお目にかかったことがない。
しかし先にも述べたとおり、ヨーロッパでLakritzeは今でも甘味として好まれていて、Lakritzeを使った様々のお菓子のヴァリエーションがあるようだ。強い香料というのは、慣れるとくせになるもので、日本人にも少数だがその域に達した通人がいる。それにそもそも醤油には欠かせない成分なのだそうで、日本人なら毎日口にしているものなのだ。
妻の記憶ではコクトーの『恐るべき子供たち』の中に主人公の少年がカンゾウをおやつにしゃぶるシーンがあるそうだ。あの黒いグミが好きでたまらず、信じられない量を三日三晩食べ続け、ついに死んでしまったドイツ人の話さえ、何かの世界珍実話集で読んだことがある。何と言っても漢方薬で珍重されるほどのものだから、過剰摂取による副作用にも注意が必要なのだ。オチをつけるようだが、確かこのエピソードの次に載っていたのが、タイでは大変好まれるタガメ(昆虫)のスナックを食べ過ぎ(一気に大袋二つ)、タガメの残留農薬にあたって死亡したタイの労働者の話だった。
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【筆者プロフィール】
石井 正人(いしい・まさと)
千葉大学教授
専門はドイツ語史
『クラウン独和第4版』編修委員
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【編集部から】
2008年2月に『クラウン独和辞典』(第4版)が刊行されました。日本初、「新正書法」を本格的に取り入れた独和辞典です。編修委員の先生方に、ドイツ語学習やこの辞典に関するさまざまなエピソードを綴っていただきます。
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2007年









