イチゴ
2011年 1月 31日 月曜日 筆者: 石井 正人クラウン独和辞典―編集こぼれ話―(107)
いわゆる木の実で、汁気たっぷりのものをBeere(漿果)といい、乾いたものをNuss(ナッツ)といって区別するのはヨーロッパに広くある習慣であることはよく知られている。ナッツ類は保存がきき、輸送が可能なので、日本にいてもかなり珍しい外国産のものを愉しむことができ、なじみのものが多いが、Beereの方はそうは行かないので、はやり産地に行かないと分からないようだ。
私などまだ子供の頃には、都会の住宅街でもあちこち近所の庭にスグリやユスラウメ、グミなどが植わっていて、良く実って色づいたやつを生け垣越しに失敬してもさして叱られもしなかった。むしろ調子に乗って食い過ぎると腹をこわすと、そちらで注意されたものだ。ドイツではHimbeere(キイチゴ、ラズベリー)やBrombeere(クロイチゴ)が、道ばたや駐車場の端に大きな茂みになっていたりする。もちろん季節になると実り放題だが、場所からしてあまり清潔そうでもないからか、誰もつまんでいく様子がない。私は喜んで賞味したが、勧めても家族は手を出さなかった。キイチゴ類はイラクサ風にトゲを持った蔓で絡みながら、ああ見えて結構憎々しげに太くなって繁茂するので、ドイツで昔は農地の境界によく植えたものなのだそうで、その名残であちこちの道ばたで見かけるのだという話を聞いたことがある。
あるときドイツでバスの中から、畑の真ん中に巨大なイチゴErdbeereがあるのが見えた。何事だろうと思って行ってみると、イチゴ農家の直販店だった。大きな箱に新鮮だが、サイズや形を揃えるなどということはおよそ考えたこともないような様子の不揃いなイチゴをぶち込んで売っている。洗いもせずそのまま口にすると、ほどよく冷たくて、おいしいなんてものじゃない。店番の女性もしきりとつまみながら売っていたが、こちらも家族でつまみながら帰る。そのほかに、HimbeereやBrombeereやJohannisbeere(スグリ)やStachelbeere(セイヨウスグリ、グズベリー)やKirsche(サクランボ)も箱詰めで売っていた。どれも新鮮でおいしかった。ドイツのあちこちで季節になるとこういう店を見かけた。もういいや、というほど子供たちに好物のおいしいイチゴやサクランボを食べさせてやれて、こちらもうれしかったものだ。
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【筆者プロフィール】
石井 正人(いしい・まさと)
千葉大学教授
専門はドイツ語史
『クラウン独和第4版』編修委員
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【編集部から】
2008年2月に『クラウン独和辞典』(第4版)が刊行されました。日本初、「新正書法」を本格的に取り入れた独和辞典です。編修委員の先生方に、ドイツ語学習やこの辞典に関するさまざまなエピソードを綴っていただきます。
ドイツ語の地域差と独和辞典
2011年 1月 24日 月曜日 筆者: 飯嶋 一泰クラウン独和辞典―編集こぼれ話―(106)
日本語と同じようにドイツ語にもさまざまな方言がある。それらは大きく、北ドイツの低地ドイツ語、中部ドイツの中部ドイツ語、南ドイツ・オーストリア・スイスの上部ドイツ語に三分され、そこからさらに各地域の諸方言に枝分かれしていく。隣接する方言、たとえば南東ドイツのバイエルン方言と南西ドイツのシュヴァーベン方言は相応の類似性を示すが、北ドイツの話者とスイスの話者が各々の方言で理解しあうことはきわめて難しい。もちろん、今日では大部分の人々が標準語を話せるので、ドイツ人とスイス人の間で通訳が必要になることはないし、我々も教科書で習ったドイツ語で不自由なく旅行したり暮らしたりすることができる。
とはいえ、実際にドイツ語圏に赴いてみると、方言はともかく、各地で話される「標準語」(ないし標準語に準ずる日常語)にもかなりの相違があることが実感される。一番目立つのは発音で、たとえば語末の-ig [ıç]は、ドイツ語圏の南部では[ık]となる。また、rは口蓋垂(のどひこ)の[R]が優勢であるが、バイエルン州とオーストリアなどでは巻き舌の[r]が用いられる。このような発音上の偏差は、「習うより慣れよ」で、特に意識しないでも自然に耳に馴染んでくる。
しかし、問題は発音にとどまらない。語彙や表現においてもドイツ語には少なからぬ地域差が見られる。ドイツ語学習者が一番はじめに習う挨拶Guten Tag!「こんにちは」からして、ドイツ語圏の南半分ではGrüß Gott!(南ドイツとオーストリア)、あるいはGrüezi!(スイス)という(ともに「神があなた[がた]に挨拶してくれるように」の意)。もちろん、南部でGuten Tag!といっても十分に通じるが、土地の流儀で挨拶をした方が好感を持たれるであろう。この挨拶表現に関しては、次のサイトに興味深い言語地図が掲載されている。
http://www.philhist.uni-augsburg.de/de/lehrstuehle/germanistik/sprachwissenschaft/ada/runde_2/f01/ [Atlas zur deutschen Alltagssprache]
さて、『クラウン独和』ではこれらの表現に対してどのような説明がなされているであろうか。Grüß Gott!については、grüßenの項に「GrüßI [dich/euch/Sie] Gott!《南部・オーストリア》おはよう;こんにちは;こんばんは;さようなら」とある。この挨拶は四六時中使えるため多数の訳語が並べられているが、「おはよう」は実は南部でもGuten Morgen!ということが多い。また、「さようなら」の意味での用法は(方言を除いて)稀であると思われる。スイスドイツ語のGrüezi!はそのまま見出し語になっており、同様の訳語が配されている。
もう1つ例を挙げよう。朝食として好まれる小型の白パンをBrötchen(<Brot「パン」+縮小語尾-chen)というが、これも全ドイツ語圏で使用される語ではない(「理解」はされるが)。地域ごとに(たとえ標準語で話すときでも)、Semmel、Wecken、Rundstück、Schrippeなど区々な呼称がある。クラ独で調べると、SemmelとWeckenは《南部・オーストリア》、Rundstückは《北部》、Schrippeは《ベルリン》となっている。これらの記述は一見マニアックと思われるかもしれないが、実は有益な情報である。かつて旧東独の教授から次のようなエピソードを聞いたことがある。彼が地元のギムナジウムを卒業して、ベルリンで大学生活を始めたころにパン屋で「Brötchen」を求めたところ、店員に「Schrippeですね」といわれたとか。まあ「おのぼりさん」であることが露呈しても特に損をするわけではないし、まして我々外国人がそこまで見栄を張ることもないかもしれないが、現地での暮らしに馴染むために多少の勉強が必要ではある。
このように各地で耳新しい表現に出会ったら、ぜひクラ独で調べていただきたい。「地域限定版」の語彙・語法には、通用域の記載とともに、類義語として「メジャー」な対応語が挙げられている(たとえばSemmelやSchrippeには(→Brötchen)といった形で)。一方、逆方向での(つまり「メジャー」な語から「地域限定版」への)類義語指示は原則としてなされていない。しかし、特に重要な情報は♦印の注として盛り込まれている。ちなみに、Brötchenの項には「♦南部・オーストリアではSemmelという」とある。このような言語上の地域差を、ドイツ語圏文化の多様性の一事例として楽しみながら学ばれてはいかがだろうか。
クラ独は大辞典ではないし、方言辞典でもない。しかし、ドイツ語の標準語~日常語に地域差が存在する以上、学習者に役立つ最低限の情報は提供されてしかるべきであろう。このような点で、クラ独の記述は中型辞典としては充実していると自負する。飽き足りない方は、上述のサイトや、W. König: dtv-Atlas Deutsche Sprache. München (Deutscher Taschenbuch Verlag) 142004をご覧になるようお勧めしたい。同書にはBrötchenの言語地図も収録されている。
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【筆者プロフィール】
飯嶋一泰
早稲田大学文学学術院教授
専門はドイツ語学
『クラウン独和辞典第4版』編修委員
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【編集部から】
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お酒の話
2011年 1月 17日 月曜日 筆者: 石井 正人クラウン独和辞典―編集こぼれ話―(105)
先に私がお酒(ビール)の話(第98回)を書いたら、早速お酒に詳しい I 先生から訂正の連絡をいただいた。
「Russeは地域によって違うのかもしれませんが、少なくともバイエルンではRuss’nはヴァイツェンビールとレモネードを混ぜたものです。ふつうのビールとレモネードなら良く知られたRadlerです……」
他にも誤記訂正などあったのだが、煩瑣になるのでいちいちここには紹介せず、私個人の反省材料に使わせていただくことにする。I 先生、ありがとうございました。
以前にはケーキのサバランさえ口に出来なかったという、代々酒が飲めない(呪われた)家に生まれた私などが酒の話に口を出すと、必ず失敗するのは分かっていることなのに、懲りずにやってしまう。実は以前にもI先生に叱られたことがある。
『クラウン独話辞典』の最初の原稿が機械的に割り振られた際に、どういう手違いか私にWeinの項が回ってきた。ろくに飲んだことすらないワインのことを(これまでの人生で3回くらい口にしたことがある)、仕方ないのであちこちの辞書から引き写して何とか形にしたが、我ながらぼけた原稿である。いつも頼りにする妻も酒が駄目なので、今回ばかりは助けてくれない。悪いことはできないもので、これが I 先生に見つかってしまった。I 先生は覚えておられないだろうが、私のまずいWeinの原稿を見るなり、「駄目だよ、Weinのことを石井君なんかに書かせたら。原稿に魂が入ってない。」
石井の書くワインの原稿には魂が入っていない!けだし名言であって、I 先生らしい的確な上に味わいのある表現がひどく気に入って、前の原稿にも登場してもらった、急逝した故 F 先生に紹介した。故 F 先生は、飾らない飄々たる I 先生の人柄をかねがねとても愛していたので、このエピソードも喜んで聞いてくれた。そんなことまで思い出しましたよ……。
あ、ちなみにWeinの原稿はお酒に詳しい他の編集員の方々が全面的に改稿し、立派なものになっているので、読者諸氏は安心願いたい。
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【筆者プロフィール】
石井 正人(いしい・まさと)
千葉大学教授
専門はドイツ語史
『クラウン独和第4版』編修委員
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色彩と文化
2010年 12月 27日 月曜日 筆者: 重藤 実クラウン独和辞典―編集こぼれ話―(104)
日本では、虹は七色(赤・橙・黄・緑・青・藍・紫)ということになっている。たとえば絵本などで虹が出てくると、ほとんどの場合、七色に描かれている。しかし虹の色は物理的にはもちろん七つに分かれているわけではなく、可視光線は波長の長い赤から短い紫まで、連続体を形成している。それがもし七色に見えるとしたら、それは「思い込み」にすぎない、ということになる。ただしその「思い込み」は個人的なものではなく、日本語話者は「七色の虹」というような固定化された表現に影響されて、七色に見えてしまう、ということのようだ。つまり、文化圏によって、同じ物を見てもその見え方が異なることがあるのである。
ドイツ語圏では、虹はいくつの色でできていると思われているのだろうか。鈴木孝夫著「日本語と外国語」(岩波書店)では、ドイツ語では五色と考える人が多い、との記述があるが、日本語の「七色の虹」ほど強固で固定的な思いこみはないようだ。ドイツ語圏の絵本などを見ると、虹はほとんどが五色か六色で描かれている。次の図では、小さくてわかりにくいかもしれないが、虹が六色で描かれている。

色に関する「思いこみ」の例は、他にも多くあげることができる。たとえば太陽の色は何色だろうか。太陽を直接見ると眼を痛めることになるので注意が必要だが、そもそも実際の太陽には、色は無い。一方、朝日や夕日、雲に隠れた太陽などは様々な色を呈する。
日本の絵本などを見ると、ほとんどが赤で描かれている。太陽は熱源でもあるので、色で表現する場合には暖色系が選ばれることになるようだ。しかし暖色の中でも赤が選ばれるのは「思いこみ」の一つらしい。一方ドイツ語圏を含む多くの欧米諸国では、「太陽は黄色」という思いこみがあるようだ(太陽の色に関しても、上記の鈴木孝夫氏の本にくわしい記述がある)。たとえば次の図では、太陽が黄色で描かれている。

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【筆者プロフィール】
重藤 実(しげとう・みのる)
東京大学大学院人文社会系研究科教授
専門はドイツ語学
『クラウン独和辞典』編修委員
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ドイツのお菓子(13)―クリスマス菓子(2)―
2010年 12月 20日 月曜日 筆者: 石井 正人クラウン独和辞典―編集こぼれ話―(103)
まだ日本でそれほど知られていないのが、オランダが発祥の地だというシュペクラーツィウス Spekulatius というクリスマス用の香料入りクッキーである。地味なクッキーだが、特徴は色々な図柄が付いていることだ。聖ニコラウスの姿が浮き彫りになっているのが原形らしい。レープクーヘンに比べると香料も遙かにおとなしく、さくさくした食感で飽きのこない美味しさである。

もともとドイツのクリスマスにサンタクロースはいなかった。十二月六日の聖ニコラウスの日に、子供にちょっとしたお菓子やお小遣いをプレゼントする習慣があっただけのようだ。見知らぬ老婦人が突然にこにこしながら寄ってきて、「ニコラウス!」と言いながら何かこちらの手の中にねじ込むから、何だろうと思って手を開いてみると五マルク硬貨だった、というようなエピソードをK先生から聞かせてもらったことがある。しかしその時先生はもう四十歳くらいだったというから驚くが、一般に日本人は若く見られるから、必ずしもあり得ないことではない。これはまた別の話である。
ウィーンのクリスマス菓子ならさぞやゴージャスだろうと期待すると、伝統というのはそんな安易なものではないらしく、ウィーンでクリスマスに食べるキプフェル Kipfel, Kipferl という三日月型の焼き菓子もいたって地味なものである。これの別名が Hörnchen で、クッキー生地で作る場合と、パン生地で作る場合があって、マリー・アントワネットのお輿入れの後に後者がフランスで発展してクロワッサン Croissant の原形になったのだというのはよく知られた話である。
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【筆者プロフィール】
石井 正人(いしい・まさと)
千葉大学教授
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ドイツのお菓子(12)―クリスマス菓子(1)―
2010年 12月 13日 月曜日 筆者: 石井 正人クラウン独和辞典―編集こぼれ話―(102)
日本ではクリスマスケーキは際物というやつで、十二月二十五日を過ぎたらもう売れないから、二十五日の夜にはあちこちで声をからして売り急いでいる。しかしドイツのクリスマスケーキは感覚が違うようだ。友人のドイツ人に言わせると「クリスマスケーキは焼きたてではまだ美味しくないもので、二十五日過ぎてからだんだんに水分が抜けて美味しくなってくる。一番美味しいのは復活祭の頃」なのだそうだ。後半はドイツ人がよく使う冗談である。しかし、何しろアトヴェントAdvent「待降節」というクリスマス前の約一ヶ月の間徐々に盛り上がりながらお祝い気分が続き、十二月二十五日の降誕祭Weihnachtenそのものが過ぎても、明けて一月六日の「主の公現の祝日」Dreikönige, Dreikönigsfest, Epiphanieまでクリスマスツリーを飾ってお祝いが続く決まりであるから、伝統的なドイツ語圏のクリスマス菓子が日持ちのする焼き菓子で、むしろ作ってから日を置いた方が美味しくなるようになっているのも頷ける。(因みにクリスマスツリーは本来二十五日に飾り付けるものだったのだそうだ)
代表格は何と言ってもシュトレンStollenやレープクーヘンLebkuchenだ。日本でも本格的なものが簡単に手に入るようになった。見かけは地味だが、ドイツの祝い菓子にはこれでもかこれでもかと言うほど、ドライフルーツとナッツと香料が入っていて、日本人は面食らうくらいだ。ドイツでも昔はこういうものが憧れの贅沢品で、祝い菓子でたっぷり楽しんだ様子がうかがえていじらしいような気がする。それに伝統的なドイツの祝い菓子は大きかった。老舗の本格的なレープクーヘンをドイツの友人が送ってくれたことがあるが、ハトサブレくらいの大きなものだった。もうあんな大きなレープクーヘンはドイツでも見かけなくなった。香料も随分おとなしくなった様な気がする。
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【筆者プロフィール】
石井 正人(いしい・まさと)
千葉大学教授
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『クラウン独和第4版』編修委員
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イノシシの肉
2010年 12月 6日 月曜日 筆者: 石井 正人クラウン独和辞典―編集こぼれ話―(101)
ローマ時代の不屈のガリア人を主人公にした有名なマンガ「アステリクス」は私も留学中は夢中になって読み、ドイツ語版はもちろん全巻揃え、フランス語の原版や、各国語の翻訳版を集められるだけ集めたものだった。当時はマンガなんてゴミ扱いで、なかなか系統的に入手できなかった。色々な国を旅行するたびにキオスクの雑誌売り場をあさり、少しずつ「アステリクス」を見つけていったのである。言語学関係であのマンガに興味を抱いた人は皆同じような苦労を経験しているようだ。
しかし言語学的な関心ばかりではない。あのマンガを見ていると、日本で今流行りの「マンガ肉」ではないが、イノシシWildschweinの肉がどんなに美味しいのか是非試してみたくなる。私のそんな気持ちをよく知っているドイツ人の友人が、数年前に田舎の伝統あるレストランへ連れて行ってくれた。イノシシのステーキを食べさせてくれる店である。昔ながらの雰囲気を残している店だから、まず量がすごい。一人分の皿が大ぶりのフライパンくらいあって、その大皿を覆い尽くす勢いの大きさで肉が載っている。なるほど、じっとりとコクを付けたブタの香りである。私がわくわくしながらイノシシの肉にナイフを入れたとたんに、辺り一面に濃密な血のにおいが広がり、周りにいた家族全員手を止めて私の方を見たものだ。ミディアムで食べるものらしい。おまけに野趣というのか、血のにおいも濃いのである。たいへん美味しくいただいたが、続けて食べると体調を崩すような気がする。やはりあれは日本人の食べ物ではないようだ。
ボン近郊にイノシシ牧場があり、色々な「山のけものWild」を飼っていて、自然動物園になっている。子供たちが好きで何度か行った。イノシシの餌も売っていて、それをイノシシにやるのが子供たちのお気に入りだった。住んでいた家の近くには丈高いハシバミHaselの並木道があり、季節になるとヘーゼルナッツHaselnussが道を覆うほど落ちていた。それをスーパーのレジ袋にどっさり拾い集めて、その動物園に持ち込み、くだんのイノシシにやると、ものすごく喜んで音を立ててむさぼり食った。いつもの餌よりうんとうまかったらしい。リンゴ狩りと並んで、ドイツで最も楽しかった家族連れのレジャーだった。
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【筆者プロフィール】
石井 正人(いしい・まさと)
千葉大学教授
専門はドイツ語史
『クラウン独和第4版』編修委員
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【編集部から】
2008年2月に『クラウン独和辞典』(第4版)が刊行されました。日本初、「新正書法」を本格的に取り入れた独和辞典です。編修委員の先生方に、ドイツ語学習やこの辞典に関するさまざまなエピソードを綴っていただきます。
対応英語
2010年 11月 22日 月曜日 筆者: 信岡 資生クラウン独和辞典―編集こぼれ話―(100)
『クラウン独和辞典 第4版』では、語義の記述に先立って対応する英語を適宜掲げている。例えば Brief(手紙)で letter を、kaufen(買う)で buy を、nehmen (手に取る・受け取る)で take を挙げるというぐあいに、掲げられるのは語源的にではなく、意味上、もしくは語法上対応する英語*である。だから、sterben(死ぬ)では同語源の starve(餓死する・させる)ではなく die を、同様にklein(小さな)では clean (きれいな)ではなく small, little を、また Affe(サル)でも ape(類人猿)ではなく monkey を挙げている。 Hund (犬)で dog を挙げて hound(猟犬)を挙げず、Vogel(鳥)で bird を挙げて fowl(ニワトリ;鶏肉)を挙げないのは、より一般的で平易な英語に限ったからである。語義ごとに分けて異なる英語を挙げるも場合ももちろん生じ、例えば Frau では ①(英woman)女性… ②(英 wife)妻…、rasenでは ①(英 rush, speed)疾走する… ②(英 rage)荒れ狂う… などとなるので、そこに語源を同じくする英語が登場するケースもある。Bein で ①(英 leg)(人間・動物の)足… ④(英 bone)骨… となっているが、bone がBein と同語源であるとはあえて記述しない。
*筆者注:本稿では便宜上英語をイタリック体で表す。
意味の上で対応する英語を挙げるのは、ドイツ語が多くの日本の大学でいわゆる第2外国語に入っているように、ドイツ語の学習者のほとんどが第1外国語である英語の既習者であると考えられる現状を踏まえてのことである。独和辞典の利用者であるそうした人たちに、彼らの知っている英語をまず与えて、当該ドイツ語単語の意味の見当をつけさせるのは、語学の学習上たいへん有効であるからである。
先に「辞書の大きさ(2)」(こぼれ話91)でも触れたが、明治20(1887)年6月に共同館が発行した高良二・寺田勇吉共譯『獨英和三對字彙大全』(この当時は独和辞書の編著者は譯[述]者と称していた)は約16万語を収録する大型辞典であるが、見出し語だけでなく、用例句、派生語や関連語に至るまで記述されたすべてのドイツ語に英語訳と日本語訳を施している。巻末の跋言に「… 此書ノ體裁(テイサイ)タル英文ノ譯語ヲ採用セル者ハ他ナシ一ハ和譯ノ不充分ヲ補ヒ一ハ佗年(タネン)英語ノ益々(マスマス)我邦ニ流行シ竟(ツイ)ニ通用語トモナルベキノ気運アルニ由リテ然(シカ)ルナリ …」(注:ふりがなは筆者)と記されてある。今日われわれの身の回りにも英語あるいは英語とおぼしき日本語が充溢氾濫してはいるが、幸いなことに英語を我が国の通用語にしようなどという運動はまだ起こっていないようである。
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【筆者プロフィール】
信岡資生(のぶおか・よりお)
成城大学名誉教授
専門は独和・和独辞典史
『クラウン独和辞典 第4版』編修主幹
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【編集部から】
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耳の文化と目の文化(24)―熟語の1語書きと造語(4)―
2010年 11月 15日 月曜日 筆者: 新田 春夫クラウン独和辞典―編集こぼれ話―(99)
複数の語から成り立っている動詞の場合は、造語によるものはわずかで、動詞句が熟語化したものが大部分である。その中のあるものはさらに不定詞形、分詞形を1語に書くようになった: Rad fahren「自転車に乗って走る」、teilnehmen「参加する」、freisprechen「無罪放免する」、abfahren「発車する」。動詞と動詞の場合は基本的には分かち書きされるが、比喩的な意味の場合は不定詞形、分詞形を1語に書いてもいい: einkaufen gehen「買い物に行く」、schwimmen lernen「泳ぎを習う」、sitzen bleiben「すわったままでいる」、sitzen bleiben / sitzenbleiben「留年する」。また、sein動詞の場合は常に分かち書きされる:da sein「いる、ある」。
ただ、brandmarken「烙印を押す」、langweilen「退屈させる」、bausparen「住宅貯蓄銀行に積み立てる」などはそれぞれBrandmarke「烙印」、Langweile「退屈」、Bausparkasse「住宅貯蓄銀行」という名詞から造語された動詞である。従って、これらは分離動詞のように、人称変化したときにbrand, lang, bauが分離することはない。ちなみに、staubsaugen「掃除機をかける」も本来Staubsauger「掃除機」という名詞から造語された動詞であるから、staub「埃」とsaugen「吸う」が分離することはなく、人称変化したときもIch staubsauge.「私は掃除機をかける」となる。しかし、Staub saugen「埃を(掃除機で)吸い取る」という動詞句が熟語化したと解釈され、Ich sauge Staub.「私は(掃除機で)埃を吸い取る」という形も生まれた。
最後に、複数の語から成り立っている前置詞、接続詞、副詞であるが、これらはすべて特定の造語パターンによるのではなく、句が熟語化することによって生まれたものであり、意味的な一体化が進むにつれて1語に書かれるようになる:前置詞: in Bezug auf「…に関して」、an Stelle / anstelle「…の代わりに」、anhand「…をもとに」。接続詞:statt dass「…する代わりに」、so dass / sodass「その結果…する」、indem「…することによって。副詞:zu Lande「陸路で」、zu Hause /zuhause「自宅で」、sowieso「いずれにしても」。
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【筆者プロフィール】
新田 春夫(にった・はるお)
武蔵大学教授
専門は言語学、ドイツ語学
『クラウン独和辞典第4版』編修委員
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【編集部から】
2008年2月に『クラウン独和辞典』(第4版)が刊行されました。日本初、「新正書法」を本格的に取り入れた独和辞典です。編修委員の先生方に、ドイツ語学習やこの辞典に関するさまざまなエピソードを綴っていただきます。
ドイツの香料―ヴァルトマイスター―
2010年 11月 8日 月曜日 筆者: 石井 正人クラウン独和辞典―編集こぼれ話―(98)
たとえば緑色のジュースがあったとしたら、日本人なら何味を期待するだろうか。緑茶の系統ではないとすれば、普通はメロン味ということになっている。日本ではソーダ水というと緑色でメロン味のものを指すことになっていたから、その影響だろうと思う。ソーダ水といえばメロンソーダという日本のこの決まりは何時から、どういうきっかけで始まったのか誰か教えてくれないだろうか。
めったに見かけないが、もしドイツで緑色のお菓子やジュースがあったら、もちろんメロン味ではない。緑色のグミは、酸味のある青リンゴ味である。ではジュースなら?それが、ヴァルトマイスター Waldmeisterという「ヤエムグラ属」の植物からとった香料の風味である。古くから香料として使われており、パンチ酒Bowleによく用いて、ヴァルトマイスター入りパンチのことを特にMaibowleと呼んだりする。
ヴァルトマイスターの風味はクマリンという成分に由来するのだそうで、日本だと桜餅の風味(つまり塩漬けにした桜の葉の香り)がそれだという。さわやかな青臭さとでもいうべきか。このヴァルトマイスターをレモネードにひたしてシロップを作るのだが、本当は緑色にはならない。森の香りのイメージから、緑色に着色しているらしいのだ。
特に驚くのは、ヴァイツェン・ビールWeizenbier, Weißenbier, Weißeとのカクテルである。ベルリーナー・ヴァイセBerliner Weißeというベルリン名物のビールがあって、キイチゴ(Himmbeere)かヴァルトマイスターのシロップと混ぜて飲む。赤や緑の甘酸っぱいビールを、特別のグラスに入れて、ストローで飲むのが決まりである。私は酒が飲めないのでよく知らないのだが、ビールをカクテルにして飲むというのはドイツでよく行われているらしい。ビールとコーラを混ぜたものは、コーラ・ビールだのビール・コーラだのディーゼルだの各地にいろいろな名称があるそうだ。レモン・ジュースとビールを混ぜた「ロシア人Russe」というのも、友人のドイツ人が一時期凝っていた。
若くして惜しまれつつ急逝したドイツ文学者のF氏とドイツでレストランに入った際に、メニューを見てニヤリと笑った彼は、「お前は酒が飲めなくて見る機会がないだろうから、面白いものを見せてやろう」と言って、Berliner Weißeを注文してくれた。ストローで飲む緑色の飲み物がビールだと聞いて、酒を飲めない私も仰天した。驚く私の様子をおもしろがっていたF氏の優しい笑顔が忘れられない。
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【筆者プロフィール】
石井 正人(いしい・まさと)
千葉大学教授
専門はドイツ語史
『クラウン独和第4版』編修委員
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【編集部から】
2008年2月に『クラウン独和辞典』(第4版)が刊行されました。日本初、「新正書法」を本格的に取り入れた独和辞典です。編修委員の先生方に、ドイツ語学習やこの辞典に関するさまざまなエピソードを綴っていただきます。







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2007年









