耳の文化と目の文化(23)―熟語の1語書きと造語(3)―

2010年 11月 1日 月曜日 筆者: 新田 春夫

クラウン独和辞典―編集こぼれ話―(97)

前回の形容詞の場合と同様に、名詞・形容詞・副詞と現在分詞・過去分詞からなる語も動詞句を背景にもつだけに造語による語というよりは句を1語書きにしたものと解釈される場合が多い。

fleischfressend「肉食の(動物)」はFleisch fressendと分かち書きをしてもよい。

freudestrahlend「喜びに輝く」は句の形ではvor Freude strahlendだが、前者を分かち書きにすることはない。angsterfüllt「不安に満ちた」も句の形ではvon Angst erfülltだがやはり前者を分かち書きにすることはない。

bahnbrechend「画期的な」はすっかり形容詞化しているからこれをBahn brechendのように分かち書きすることはない。

kriegsgefangen「戦争捕虜の」もすっかり形容詞化しており、しかもこの場合、接合辞sがあるから1語化してしまっていて、分かち書きされることもない。

schwerverletzt「重傷の」はschwer verletztと分かち書きしてもよい。これを名詞化するときもder Schwerverletzte「重傷者(男性)」とder schwer Verletzte「ひどく負傷をした人(男性)」のふたつの形がある。

schwerwiegend「重大な」、weitverbreitet「広く浸透した」もschwer wiegend, weit verbreitetのように分かち書きすることもある。また、比較変化した場合、1語書きのものを語尾変化させてschwerwiegender, schwerwiegendst, weitverbreiteter, weitverbreitetestとしてもいいし、2語書きしたものの副詞用法の形容詞を変化させてschwerer wiegend, am schwersten wiegend, weiter verbreitet, am weitesten verbreitetとしてもいい。また、alleinerziehend「(シングルマザーなどが)ひとり子育ての」も allein erziehendと分かち書きすることもある。


【筆者プロフィール】
新田 春夫(にった・はるお)
武蔵大学教授
専門は言語学、ドイツ語学
『クラウン独和辞典第4版』編修委員


【編集部から】
2008年2月に『クラウン独和辞典』(第4版)が刊行されました。日本初、「新正書法」を本格的に取り入れた独和辞典です。編修委員の先生方に、ドイツ語学習やこの辞典に関するさまざまなエピソードを綴っていただきます。


ドイツのお菓子(11)―アーモンド―

2010年 10月 25日 月曜日 筆者: 石井 正人

クラウン独和辞典―編集こぼれ話―(96)

お祭りの屋台で世代を超えて馴染みの食べ物といったら、綿菓子、たこ焼き、天津甘栗、いか焼き、あんず飴、といったところか。的屋も流行り廃りに敏感で、売れない物はいつの間にやら見られなくなり、代わりに新機軸を色々打ち出してくる。都筑道夫のエッセイを読むと、戦前の東京の屋台には、水でといた小麦粉にウスターソースを混ぜ込んで食パンの両面に塗り、油で焼いた「パンカツ」と称するものが売られていたそうで、都筑道夫は好きだったようだが、私は見たこともない。

キリスト教の教会でもクリスマスや復活祭やKirmes, Kirchweih「教会開基祭」(献堂記念日)といった例大祭に市が立って、屋台が並ぶ。焼きソーセージBratwurstは当たり前として、ドイツの屋台で昔ながらのお馴染みのお菓子といったら、綿菓子Zuckerwatte、アーモンド(Mandel)の飴がけ、ハート型のレープクーヘンLebkuchen、それからマーゲンブロートという、一口大の菱形のパンに香料のきいたチョコをまぶした、九州銘菓の「黒棒」のような見かけのお菓子だろう。

ハートの形をした大型のレープクーヘンにはきれいなデコレーションが施してあって、気の利いたテキストが書いてあったりする。娘がドイツの小学校で聞いたところでは、見かけの誘惑に負けてドイツの子供は大抵一度は渋る親にねだってあのハート型レープクーヘンを買ってもらうが、親の警告した通りやはり不味く、全部食べられなかったという経験を持っているそうだ。親も子供の頃に同じことをしたからこそ成り立つ話であろう。

天津甘栗と同じように美味しいのがアーモンドの飴がけである。大粒のロースト・アーモンドが香ばしく砂糖にくるまれている。大学芋のように砂糖で煮詰めて作るらしいが、アーモンドはかりっと乾いている。このアーモンド屋はお祭りの市だけでなく、観光名所の教会やお城の前の広場にひっそりと単独で店を広げていることがあって、思わず買ってしまい、家族全員で競争で食べてしまう。ルートヴィッヒスブルクというシュトゥットガルトの直ぐ北にある小都市で食べたアーモンドが忘れられないほど美味しかった。いやしいことを言うようだが、アーモンドの倍はあろうかというほどたっぷりの砂糖が付いていたのが印象的だった。それ以後、あれほど美味しいアーモンドに出会えない。大都市にあるのはどれも、けちっていて砂糖が薄い。六本木で本格的なドイツのクリスマス・マーケットWeihnachtsmarktをやるというので喜んで行ってみたら、なるほど内容は本物だったが、値段が高すぎて閉口した。いくら大好物でも、たかがアーモンド一袋に千円も払えない。


【筆者プロフィール】
石井 正人(いしい・まさと)
千葉大学教授
専門はドイツ語史
『クラウン独和第4版』編修委員


【編集部から】
2008年2月に『クラウン独和辞典』(第4版)が刊行されました。日本初、「新正書法」を本格的に取り入れた独和辞典です。編修委員の先生方に、ドイツ語学習やこの辞典に関するさまざまなエピソードを綴っていただきます。


耳の文化と目の文化(22)―熟語の1語書きと造語(2)―

2010年 10月 18日 月曜日 筆者: 新田 春夫

クラウン独和辞典―編集こぼれ話―(95)

複合名詞と名詞句の区別とは違って、複合形容詞と形容詞句の区別、複合動詞と動詞句の区別は、形容詞、動詞が目的語や副詞などを統括し、文を作る能力があるだけに、造語なのか句の熟語化による1語書きなのか、判断がつかない場合がある。

名詞と形容詞が並んでいる場合、句であれば形容詞の目的語である名詞に格表示があるが、複合形容詞であればそれがないから区別することができる:schneeweiß : weiß wie Schnee「雪のように白い」、hitzebeständig : gegen Hitze beständig「熱に強い」、hilfebedürftig : der Hilfe bedürftig「助けの必要な」。さらに、altersschwach「老衰した」、sonnenarm「日光に乏しい」などは接合辞s、[e]nも見られるから名詞+形容詞という造語パターンがあると考えられる。しかし、これらの造語による複合形容詞と思われるものも、接合辞のあるものを別にすれば、本来の句が熟語化することによって格表示のための冠詞や前置詞が落ちて、1語に書かれるようになったと解釈することもできる。

形容詞・副詞と形容詞が並んでいる場合は、形容詞・副詞は語形変化しないから、複合形容詞と形容詞句の区別をつけることはできない。しかし、複合形容詞と思われるものも形容詞・副詞-形容詞という並びから句の熟語化による1語書きと考える方が自然である: schwerkrank「重病の」: schwer krank「重い病気の」、nichtöffentlich「非公開の」: nicht öffentlich「公開でない」。いずれにしても、1語書きしたものと分かち書きしたものでは、ひとつの概念としてとらえたのか分析的にとらえたのかといった表現に微妙な差がある。

反対に、形容詞を並列的につなげて1語としたものは形容詞句が熟語化し、並列の接続詞undが落ちて1語書きされるようになったと言うよりも、並列的複合形容詞を作る造語パターンがあると考えることができよう:nasskalt「湿寒の」: nass und kalt「湿っぽくて寒い」、schwarzweiß「白黒の」: schwarz und weiß「白と黒の」、schwarzrotgold「黒・赤・金の」:schwarz und rot und gold「黒と赤と金の」。

動詞と形容詞が並んだ場合は、lernbegierig「学習意欲のある」, schreibgewandt「文章力のある」のように動詞の語幹が来る。句であれば動詞の語幹が表れることはないので、これは複合形容詞であり、動詞語幹+形容詞という造語パターンがあると考えられる。


【筆者プロフィール】
新田 春夫(にった・はるお)
武蔵大学教授
専門は言語学、ドイツ語学
『クラウン独和辞典第4版』編修委員


【編集部から】
2008年2月に『クラウン独和辞典』(第4版)が刊行されました。日本初、「新正書法」を本格的に取り入れた独和辞典です。編修委員の先生方に、ドイツ語学習やこの辞典に関するさまざまなエピソードを綴っていただきます。


海外でつくられた独和・和独辞書

2010年 10月 4日 月曜日 筆者: 信岡 資生

クラウン独和辞典―編集こぼれ話―(94)

日本語の使用される地域はほとんど日本領土内に限られているし、日本語表記文字の独自性からみて、独和辞典も和独辞典も、日本国内で編集・印刷・出版され、流通するものと考えられがちである。しかし事実は、日本語に興味関心を寄せる人間は明治以前からドイツ語圏に存在していたので、彼の地にも以前から日本語とドイツ語の対照辞書があった。

1851年Wienで“Wörterbuch der japanischen Sprache von August Pfitzmaier.”のLieferung1が刊行された。August Pfitzmaierはオーストリア帝国科学アカデミー会員で東洋学者であった。当分冊は33.5×26.0cmの大型判で全80頁の中にI「い」に始まる日本語1040語を収めてドイツ語で解説している。残念ながら第2分冊以降は刊行されずに終ったようである。1851年といえば嘉永4年に当り、ペリー来航(嘉永6年)の2年前であり、当時の日本では、幕府の「洋書調所」がようやくドイツ語の単語集『官版獨逸單語篇』を出したのが1863年、最初の独和辞典とされる『孛和袖珍字書』(1872 明治5年)の出版される20年以上も以前であることを思えば、驚くほかはない。筆者がこの原書を日本の古書店の目録で見つけて入手した経緯については、すでに他のところで書いたことがあるのでここでは繰り返さない。

1873年5月刊行の『獨和字典』(DEUTSCH-JAPANISCHES WÖRTERBUCH MIT EINEM VERZEICHNISS DER UNREGELMÄSSIGEN ZEITWÖRTER. 松田爲常 瀬之口隆敬 村松經春編)は、その扉の右頁にSHANGHAI AMERIKANISCHE MISSIONS BUCHDRUCKEREI と書かれてあり、さらにその裏頁にGedruckt in der Amerikanisch
Presbyterianischen Missions Presse in Shanghai と記されてあるように、中国の上海のアメリカ長老派教会美華書院で印刷されたものである。おそらく当時の日本の欧文活字印刷技術などの関係上、上海で作って日本に運搬したと思われる。編者たちが薩摩学生と名乗っていることから薩摩辞書と称せられた。

筆者の手許に赤い表紙に金文字でLANGENSCHEIDTS TASCHENWÖRTERBÜCHER Japanisch と記された辞典がある。これはベルリンのランゲンシャイト社が、ポケット版外国語辞典シリーズの一つとして1911年に出版した獨和辭典と和獨辭典の合本版である。

最初の扉頁にはTaschenwörterbuch der japanischen Umgangssprache⁄ Mit Angabe der Aussprache nach dem phonetischen⁄ System der Methode Toussaint‒Langenscheidt⁄
Erster Teil Japanisch ‒ Deutsch⁄von Rennosuke Fujisawa⁄ BERLIN‒SCHÖNEBERG⁄
Langenscheidtsche Verlagsbuchhandlung と記され、その右頁には日本語の扉があって、新譯 和獨辭典 伯林 藤澤廉之助著 發行所ランゲンシヤイド*書店 獨逸伯林シェーネベルグ* 發賣所丸善株式会社東京・大阪・京都 と記されている。大きさは15.3×9.8cm 2段組みで、第一部は408頁に約3万語の見出し語を、第二部獨和辭典Zweiter Teil Deutsch‒Japanisch は622頁に約5万語の見出し語を収めている。この辞書はドイツ人を対象につくられたため、第一部のはじめに日本語の動詞と助動詞をドイツ語で解説した15頁に及ぶDie japanischenVerben und Hilfsverben が付いている。一・二部ともドイツ語はドイツ字体、日本語はローマ字(ラテン字体)が用いられている。著者の記す独文のVorwortによれば、この辞書でいうUmgangsspracheとは、文語体に対する口語体、文章語に対する話しことばの意味であり、第一部で必要かつ便宜的に採り入れたSchriftsprache(文章語)の見出しには*印を付しているのが ― 例えば*bujin Kriegerや*chien suru sich verspätenのように ― 大きな特色である。
*原文のママ


【筆者プロフィール】
信岡資生(のぶおか・よりお)
成城大学名誉教授
専門は独和・和独辞典史
『クラウン独和辞典 第4版』編修主幹


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耳の文化と目の文化(21)―熟語の1語書きと造語(1)―

2010年 9月 27日 月曜日 筆者: 新田 春夫

クラウン独和辞典―編集こぼれ話―(93)

本来は句である熟語を1語に書くかどうかという問題はあくまで正書法の問題であるが、どのような場合に1語に書くかは必ずしも明確には決められない。従って、正書法辞典などの形で人為的に決めるほかはない。これに対して、複数の語から新しい単語を作る造語は最初から1語に書くことが決まっており、その造語法は統語規則とは区別される。例えば、いわゆる分離動詞は動詞句が熟語化したものであり、正書法によって不定詞形、分詞形を1語で書くことに決められたものであるが、非分離動詞は接頭辞による造語である。

名詞の場合、造語による複合名詞があるだけで、名詞句の熟語化による1語書きは存在しない。まず、名詞と名詞が並んでいるとき、複合名詞であれば付加語的要素の名詞はその語幹のみが前に置かれるから、句ではないことがわかる。反対に、名詞句であれば付加語的要素の名詞は後に置かれ、それの格表示もなされるから、これを1語に書くことはない:die Stadtmitte「都心」:die Mitte einer Stadt「都市の中心」。ただ、歴史的に見れば、die Königskrone「王冠」などは本来、eines Königs Krone「王の冠」という句であったものが1語書きされるようになったと言える。ただし、現代語では属格名詞は前置されなくなったので、属格を表わすsは接合辞と解釈される。このことは属格にsが付くことがない女性名詞との複合名詞にもそれが表れることからわかる:der Arbeitsmarkt「労働市場」、die Universitätsbibliothek「大学図書館」。また、中世語では女性名詞にも弱変化があったから、その単数属格形には語尾[e]nが付いた。従って、der Sonnenschein「日光」 die Frauenkirche「聖母教会」などにおける[e]nはそれぞれdie Sonne「太陽」、 die Frau「女性(ここでは聖母マリア)」の単数属格形のなごりであり、これも今日では接合辞として機能している。

形容詞と名詞、動詞と名詞が並んでいるときも両者の区別は明確につけることができる。複合名詞であれば形容詞、動詞は語幹が使われるから句ではないことは明らかだし、名詞句であれば、付加語としての語形変化をしているからこれを1語に書くことはないからである:die Großstadt「大都会」:die große Stadt「大きな都市」、der Schreibtisch「書き物机」:der Tisch zum Schreiben「書き物のための机」。

句が名詞として1語に書かれるようになったものとしてはder Taugenichts「役立たず(人)」、das Vergissmeinnicht「わすれな草」などがあるがこれは文が名詞化したもの。


【筆者プロフィール】
新田 春夫(にった・はるお)
武蔵大学教授
専門は言語学、ドイツ語学
『クラウン独和辞典第4版』編修委員


【編集部から】
2008年2月に『クラウン独和辞典』(第4版)が刊行されました。日本初、「新正書法」を本格的に取り入れた独和辞典です。編修委員の先生方に、ドイツ語学習やこの辞典に関するさまざまなエピソードを綴っていただきます。


かこつけて(3)―ライン河の丈くらべ―

2010年 5月 24日 月曜日 筆者: 新井 皓士

クラウン独和辞典―編集こぼれ話―(92)

細かい日付は忘れてしまったが、3月の『朝日新聞』に「ライン川、本当は90キロ短かった」というベルリン特派員(支局長?)の記事が載っていた。ネタは『南ドイツ新聞』などらしいから、日本の他の新聞にも類似記事がみられたかもしれない。亡くなった友人に朝日のボンやヴィーンの支局長(といっても、部下は臨時・現地雇いらしかった)などを務めた大阿久という男がいたが、「ヨーロッパ関係の記事をセッセと送っても、日本ではアメリカが中心で大概ボツさ」と、ぼやいていた表情や、当時ドイツ連邦共和国の(暫定)首都はボン、今はとうとうベルリンか、などと妙な感慨にしばしふけっているうち、ふと湧いた心配の一滴がにわかにその輪を広げ始めた。というのは、15年ほど前に『ドイツ・ラインとワインの旅路』という本を出したことがあり、津田さんという写真家のすてきな画像を多くふくむ、まずまずの(?)本なのだが、誤植が幾つかあり、直したいとは思っても、今は古ボンしかないらしい。まぁ知らぬ顔の半兵衛でもよいようなものの、たしか源流行に関連してライン河の長さのことにもふれたはず、もしや間違ったことを書いてはいないか、気になりだしたのだ。本棚の隅から念のため残しておいた修正用の一本を取り出し……以下は、日付を忘れた記事切抜きと小著該当部分の引用だが……

「独メディアによると、独西部ケルン大学の研究者がライン川に関する本を執筆するため、20世紀初めごろの文献を調査していたところ、これまで定説とされてきた1320キロより短い、1230キロとの記述を見つけた。独の公文書などはライン川の長さを1320キロとしていたが、実際に最新の地図などで確認したところ、1233キロ前後であることが判明したという。調査では1932年に出版された事典に、百の位と十の位を取り違えたと見られる「1320キロ」の記述があった。60年ごろには間違った長さの1320キロがほぼ定着してしまったようだという。」

「こう書いて僕はふと疑問にとらわれた。ライン河は1320キロメートルと大概の本に書いてある。源流なるトゥマ湖の地図の裏にも確かそう載っていた。(中略)僕はなんだか落ちつかなくなって、ドライブ・マップと、その上をなぞれば距離換算ができる歯車つき計測器を取り出した。あまり正確ではないが、糸とピンを使うより手軽な、僕自慢の小道具だ。これで図面をたどってみると、どうやらコンスタンツから北海にそそぐ河口まで、2000キロ前後であるらしい。源泉からコンスタンツまでは2百数十キロ。給与額を見て喜んでいたら、税金や年金積立分をゴソッと引かれて、がっかりしたような気分である。」

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どうやら完全には間違いではない、身びいきでいえば、結構いい線をいっているようにもみえる。約千キロと2**キロを足せば、1320より1233に近いからだ。少しほっとしたのだが、もう少し考えてみると、ライン河の長さというとき、ボーデン湖の部分やオランダに入ってからの所謂デルタ地帯の部分をどう計測・加算するか、という問題があって、「正確には」決定できないのではないか、とまた余計な心配(?)が生じてしまった。もっとも、地球温暖化の影響はともかくとして、細かいことを言い出すときりがないかもしれない。ドナウ河についても『理科年表』―4年ほど前のものだが―には2850キロとあるが、これも数種の説があることは小著でもふれている。源流と河口の確定は、誕生と他界の社会的認定より実は厄介なのかもしれない。19世紀に大規模な河川整備工事が行われて、エルザス帰属問題もからむ「オーバーライン」が82キロほど短くなったことだけは確かだが。


【筆者プロフィール】
新井 皓士(あらい・ひろし)
放送大学特任教授・東京多摩学習センター所長 一橋大学名誉教授 
専門はドイツ文学・文体統計学
『クラウン独和辞典第4版』編修委員


【編集部から】
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辞書の大きさ(2)

2010年 5月 17日 月曜日 筆者: 信岡 資生

クラウン独和辞典―編集こぼれ話―(91)

明治29年(1896)9月に三省堂から『袖珍獨和新辭林Neues Deutsch=Japanisches Taschenwörterbuch mit Angabe der gebräuchlichsten Fremdwörter und Eigennamen nebst einem Anhang』(高木甚平 保志虎吉共編)が発刊された。これは三省堂としては最初に発行した独和辞典であるが、「袖珍」の名に違わず、今日の私たちの目から見ても文字通り小型の豆辞典で、筆者の手許にある第十五版(明治37)の本文頁の寸法は9,2×6,3cmで、厚さは3,7cmである。ただし、表紙にも扉にも「獨和新辭林」と記されていて袖珍の文字はないが、本文第1頁の始まりA項の上方には「袖珍獨和新辭林」と記されている。小型ながら、本文1539頁に小活字(7号?)で6万語をぎっしり詰め込んだこの辞書は、売行きがとても良かったようで、奥付によれば既に発売の三ヶ月後の12月には第三版を発行し、第十版を明治33年6月に発行というように毎年のように版を重ねている。一般に書物は初版の発行年は明確だが、最終版の年月は明きらかにしにくいもので、『袖珍獨和新辭林』も何時の時代まで売れ続けていたのかわからないが、少なくとも三省堂が次に『大正獨和辭典 Neues Deutsch-Japanisches Wörterbuch mit Angabe der gebräuchlichsten Fremdwörter und Eigennamen nebst einem Anhang』(保志虎吉編 *筆者注:ドイツ語題名は「獨和新辭林」と同じ)を発行した大正元年までは版を重ねていたのではないか。この辞書は今日でも古書店で見つかることも珍しくないから、相当数販売されたと思われる。

題名に袖珍を掲げない普通の辞書はどれくらいの大きさだったかといえば、『孛和袖珍字書』と同年の明治5年10月に刊行された『和譯獨逸辭典 Handwörterbuch der Deutschen Sprache für Japaner』(河村文昌他共編 東京 春風社)は17,6×13,0cmで、17,0×12,0cmの『孛和袖珍字書』とほぼ同じ大きさで、頁数を比べると『孛和袖珍字書』の1,366に対し『和譯獨逸辭典』は1,064で、むしろ薄い。

明治の半ばころから最も良く使用された独和辞典の一つである『増訂挿圖獨龢字典大全 Vollstaendigstes Deutsch-Japanisches Wörterbuch einschliesslich der im Deutschen gebräuchlichen Fremdwörter nebst einem Anhang, enthaltend Tabellen der unregelmäßigen Zeitwörter, der deutschen geographischen und christlichen Namen, der Münze, Gewichte und Masse, sowie der Abkürzungen und Zeichen』(福見尚賢 小栗栖香平他 南江堂 明治28)は、筆者の手許にある第八版(明治31)では22,5×15,0cm、厚さ7cmの大型本である。奥付によるとこの辞書は明治18年6月に初版を発行し、明治28年7月第4版に際し大幅な増訂を行い、以後も毎年版を重ねているようである。

筆者が所有する独和辞書のなかでとりわけ大きなものに『獨英和三對字彙大全 Neues vollständiges Wörterbuch der Deutschen, Englischen und Japanischen Sprache, einschließlich der wichtigen im Deutschen gebräuchlichen Fremdwörter, mit einem Verzeichniß der unregelmäßigen (starken) Zeitwörter und der gebräuchlichen Abkürzungen』(高 良二 寺田勇吉譯 共同館 明治20)があり、この辞書は27,0×20,0cm、厚さは堅牢で分厚い表紙共だと11,5cmある。これは16万語のドイツ字体の見出しに英語と日本語の二ヶ国語訳を施したもので、用例にもすべて英訳が付いている。あまりに大きくて不便だったためか、この辞書から語彙を抜粋し、収録語数6万5千語の中型(18,2×12,3cm)の『獨英和三對小字彙 Handwörterbuch der Deutschen, Englischen und Japanischen Sprache, einschließlich eines Verzeichnisses der unregelmäßigen Zeitwörter』(寺田勇吉 保志虎吉共著 共同館 明治26)が刊行されている。 


【筆者プロフィール】
信岡資生(のぶおか・よりお)
成城大学名誉教授
専門は独和・和独辞典史
『クラウン独和辞典 第4版』編修主幹


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スパゲティの食べ方

2010年 5月 10日 月曜日 筆者: 石井 正人

クラウン独和辞典―編集こぼれ話―(90)

スパゲッティの正式な食べ方と問われれば、大抵の日本人がスプーンとフォークを使った食べ方を答えるだろうが、実際にはイタリアではスプーンもいらないと聞いたことがある。そんなことより日本人が注意した方が良いのは、焼きそばやラーメンのように音を立ててスパゲティを啜り上げないようにすることだろう。生まれ育ちが違うから、われわれ日本人にとってめん類を音を立てずに食べるのは窮屈至極だが、向こうは向こうで子供の頃から叩き込まれているので、ヨーロッパ人にとって近くで音を立ててめん類を食べられることは、公然とゲップ(ausstoßen, rülpsen)を聞かされたり、目の前で大の大人に洟をすすられたりするくらい不快きわまりないのである。(因みに後の二つも日本人はよく注意した方が良い)

ところでイタリア人以外にとって、フォークだけでものを食べるのは大変落ち着かないことだし、具合の悪いことらしい。知り合いのドイツ人はスパゲティをナイフとフォークで食べていた。驚いて聞くと、スパゲティの作法に反することは知っているが、ナイフを使わないとどうもうまく食べられないのだ、という答えだった。ある北欧人もナイフとフォークでスパゲティを食べる習慣で、日本人が驚いて指摘すると、他に一体どうやって食べるんだと心底不思議そうに聞き返したという。他でも聞くから、スパゲティをナイフとフォークで食べているヨーロッパ人は結構いるようである。

ついでに言っておくと、スパゲティを茹でながら隣でソースを作っておき、茹で上がったスパゲティに直ぐソースを絡めて、全体が混ざった状態を熱々ですすめるのが本格的だが、あれも実はドイツ人には気に入らない、とは言わないまでも、落ち着かない調理法なのだそうだ。茹だったスパゲティを皿に盛る。その上からおもむろにソースをかける。混ざらない状態ですすめて、各人が混ぜながら食べていく、とこれが料理の理想なのだと、友人のドイツ人が話してくれたことがある。


【筆者プロフィール】
石井 正人(いしい・まさと)
千葉大学教授
専門はドイツ語史
『クラウン独和第4版』編修委員


【編集部から】
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辞書の大きさ(1)―袖珍(しゅうちん)辞書―

2010年 4月 26日 月曜日 筆者: 信岡 資生

クラウン独和辞典―編集こぼれ話―(89)

明治5年(1872)は日本で最初の独和辞書が生れた年である。先頭を切ったのは8月発刊の『孛和袖珍字書』(小田篠次郎 藤井三郎 櫻井勇作編 東京 學半社)で、9月にはそれに続いて『袖珎孛語譯囊』(山本松次郎編 長崎 出藍社)が出た。「孛」は孛漏生、孛魯土、孛露西などと宛字されたプロイセンまたはプロシアの略であるが、どちらも「袖珍」を題名に掲げた(珎=珍)。「袖珍」とは「着物の袖の中に入れて携行できるほど小型の」の意味で、今日ならさしずめ「ポケット版」といったところ。両書ともドイツ語の題名は「Taschenwörterbuch」である。學半社版は「Deutsch‒Japanesisches Taschenwörterbuch zum Gebrauch der deutsch lernenden japanesischen Jugend wie der, der japanesischen Schrift und Sprache Kundigen」(原文のママ、japanesischはjapanischの誤記か)、出藍社版は「DEUTSCH‒JAPANISCHES TASCHENWOERTERBUCH ZUM GEBRAUCH für SCHULER, KUNSTLER, REISENDE UND AUSWANDERER」(原文のママ)である。しかし、その大きさは、學半社のほうは本文紙型が16,4×11,3cm、出藍社のは19,5×12,5cmもあり、袖珍でも『クラウン独和 第4版』より大きく、袖と言っても筒袖ではなく、袂を含めた広義の袖の中でないと入らない。『全訳漢辞海 第二版』(三省堂2006)の「袖」の例文に「朱亥袖四十斤鉄鎚」(朱亥(人名)は40斤の鉄槌を袖の中に隠した)があり、1斤500gとしてもかなりの重量のものが袖には入るのである。東大医学部教授だった入澤達吉博士は「明治十年以後の東大醫學部回顧談」(『雲荘随筆』白揚社 昭和10)の中で、学半社の辞書は「厚い真四角な字引で丁度枕に宜いから、それで「枕字引」と申して居った」と述懐しているが、筆者自身が神田の古書店で見つけて成城大学図書館に納入させた『孛和袖珍字書』は、総頁1,373に、厚さが7mmもある堅牢な17,0×12,0cmの表紙が付いた、まさに「枕字引」の呼称に相応しいものである。

ともかく「袖珍」は「掌中」と並んでこの頃の携行可能な小型(?)辞典の題名に好んで用いられた言葉で、他にも『袖珍挿圖獨和辭書 Neuestes Taschenwörterbuch der deutsch‒ und japanischen Sprache, nach dem Standpunkt ihrer heutigen Ausbildung mit besonderer Rücksicht auf die Schwierigkeit in der Beugung der Wörter, und mit dem einigen Anhang』(ホフマン原著 小野 操纂譯 伊藤誠之堂 明治18)、『獨和袖珍字彙 Deutsch‒Japanisches Taschen Wörterbuch』(井上 勤纂譯 字書出版社 明治18)、『袖珍獨和字典 Neuestes Taschen‒Wörterbuch Deutsch und Japanisch』(山脇 玄校閲 田村化三郎纂譯 南江堂 明治26)などや『掌中獨和字彙 Deutsch und Japanisches Taschenwörterbuch』(吉原秀雄譯 六合館 明治19)などがあり、幕府の洋書調所が刊行した本邦最初の英和辞書とされているものも『英和對譯袖珍辭書 A Pocket Dictionary of the English and Japanese Language』(堀 達之助編 文久2)の名であって、縦160×横196mmの横長であった。欧米人の洋服のポケットは大きかったとみえる。

辞書――電子辞書ではなく、紙の辞書――は掌に載るくらいの大きさ・重さがよいと、筆者の大学同期生で『クラウン独和辞典 第4版』の監修者故濱川さんは常々言っていたし、それには筆者も大賛成であった。つまり右利きの人であれば、左の手の平に辞書を載せて右手でページを繰ることができるからである。『クラウン独和辞典 第4版』はちょうどその大きさになっている。


【筆者プロフィール】
信岡資生(のぶおか・よりお)
成城大学名誉教授
専門は独和・和独辞典史
『クラウン独和辞典 第4版』編修主幹


【編集部から】
2008年2月に『クラウン独和辞典』(第4版)が刊行されました。日本初、「新正書法」を本格的に取り入れた独和辞典です。編修委員の先生方に、ドイツ語学習やこの辞典に関するさまざまなエピソードを綴っていただきます。


ドイツのお菓子(10)―ミカド―

2010年 4月 19日 月曜日 筆者: 石井 正人

クラウン独和辞典―編集こぼれ話―(88)

フランスあたりの日本通がスシや刺身への蘊蓄は当たり前で、和菓子にまでこだわりを見せるのは知られた話だが、一般にはヨーロッパ人に和菓子は喜ばれない。われわれ日本人も冷静になって考えてみれば和菓子の八割方は小豆で出来ているのに気付く訳なのだが、あの「甘くした豆」というのがピンと来ないらしいのだ。フランスには「栗のジャム」というのがあって(ボンヌママン社のものが日本でも簡単に手に入る)、あんこや汁粉のような味に慣れているのかもしれない。因みにこの「栗のジャム」を私は好きだが、一般に日本人はそんなに好まない。私にだってもちろん、小布施堂の「栗鹿の子」の方が遙かに美味しいのは分かっている。

こういう高級和菓子の話ではなくて、洋菓子とも呼べない日本の駄菓子を結構ドイツのスーパーで見かけて驚くことがある。たとえば「コアラのマーチ」は定番のように置いてある。そう言えば以前何かの日本のテレビ番組で見かけたが、フランスの有名料理人を集めて日本の駄菓子の食べ比べをしてもらったところ、一番美味しいと意見が一致していたのが「コアラのマーチ」だった。駄菓子の中では、ということだろうが。

また「ポッキー」も人気がある。ただし「ミカド」という商品名で売られている。これは「ミカド」というゲームの駒に形が似ているからだ。「ミカド・ゲーム」は、筮竹から来たという細い棒を41本がさりと山にして、その折り重なった中から一本ずつ他のを動かさないように抜いていくという、「将棋くずし」のようなゲームである。この棒がミカドだのサムライだのBonze(坊主)だのと、端に塗った色で区別してあって、抜き取ったときの得点が決まっている。この棒が「ポッキー」に似ているというのである。

ドイツ人は何でもチョコをかぶせないとお菓子と認めないようなところがある。「コアラのマーチ」も「ポッキー」もちょうどのその感覚にマッチしたのではないかと思っている。


【筆者プロフィール】
石井 正人(いしい・まさと)
千葉大学教授
専門はドイツ語史
『クラウン独和第4版』編修委員


【編集部から】
2008年2月に『クラウン独和辞典』(第4版)が刊行されました。日本初、「新正書法」を本格的に取り入れた独和辞典です。編修委員の先生方に、ドイツ語学習やこの辞典に関するさまざまなエピソードを綴っていただきます。


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