ドイツのスズメ・日本のスズメ

2010年 4月 12日 月曜日 筆者: 飯嶋 一泰

クラウン独和辞典―編集こぼれ話―(87)

ドイツの町中で見かけるスズメは日本のスズメとやや異なる容貌をしている。とりわけ頭が灰色であるのが目につく。実は、これらのスズメはHaussperling(家スズメ)と呼ばれるもので、我々のスズメ、すなわちFeldsperling(スズメ、直訳すると「野スズメ」)とは別種である。ドイツに限らずヨーロッパで人間の身近に姿を見せるのは家スズメであり、野スズメは林や農地などに棲息する。ただし、日常語ではいずれも愛称的にSpatzということが多い。

家スズメの頭が灰色であると述べたが、実はそれはオスのユニフォームであり、メスは全体に地味な茶色を帯びている。家スズメは日本のスズメのように人間を恐れず、戸外で飲食しているとおこぼれに与ろうと擦り寄ってきたりする。その姿は可愛いらしいともいえるし、見方によっては図々しいともいえる。それを受けてか、ドイツ語にはfrech wie ein Spatz「スズメのように厚かましい」という言い回しもある。今回は、スズメに関するこのような慣用句やことわざをもとに、スズメに対してドイツ語人が抱くイメージを探ってみたい。

辞典類を調べると、何よりもスズメが小さなもの、取るに足りないものの比喩に用いられているのがわかる。Ein Spatz in der Hand ist besser als eine Taube auf dem Dach.「明日の百より今日の五十(<屋根のハトよりも手の中のスズメのほうがよい)」、mit Kanonen auf (nach) Spatzen schießen「鶏を割くに牛刀をもってする(<大砲でスズメを撃つ)」などがそれである。ein Spatzen[ge]hirn haben「脳みそが足りない」も文字どおりには「スズメの脳みそを持っている」ということでスズメには失礼な話だが、日本語の「雀の涙」にも通ずる楽しい表現である。

スズメのにぎやかな囀りをイメージした言い回しにもポピュラーなものがある。Das pfeifen die Spatzen von den Dächern.「そんなことは誰でもとっくに知っている(<そのことをスズメが屋根からぴーちくしゃべっている)」がそれである。ただし、その鳴き声があまり美しいものでないことは、Der Spatz will die Nachtigall singen lehren.「釈迦に説法(<スズメがナイチンゲールに歌を教えようとする)」にも現れている。日本語の「雀の千声、鶴の一声」などに近い発想といえようか。

これらの表現から共通して見えてくるのは、小さく身近な生き物であるスズメに対する「親しみ」であろうか。もちろん、ヨーロッパにおいてもスズメは穀物を荒らす「害鳥」として忌避されてきた長い歴史がある(実は害虫を食べる「益鳥」でもあるのだが)。しかし、少なくとも今日よく用いられることわざ・慣用句からは、スズメに対する「敵意」は感じられない。同じことは日本語についても言える。『新明解故事ことわざ辞典』に挙げられている9つのことわざのトーンには、今まで見てきたドイツ語の言い回しに通ずるものがある。近年、ヨーロッパや日本のあちこちでスズメが姿を見せなくなったというニュースを耳にする。スズメが言葉の上だけでの存在になりませんように。


【著者プロフィール】
飯嶋 一泰(いいじま・かずやす)
早稲田大学文学学術院教授
専門はドイツ語学
『クラウン独和辞典第4版』編修委員


【編集部から】
2008年2月に『クラウン独和辞典』(第4版)が刊行されました。日本初、「新正書法」を本格的に取り入れた独和辞典です。編修委員の先生方に、ドイツ語学習やこの辞典に関するさまざまなエピソードを綴っていただきます。


和独辞典の見出し

2010年 4月 5日 月曜日 筆者: 信岡 資生

クラウン独和辞典―編集こぼれ話―(86)

「独和辞典」に比べると「和独辞典」の数はずいぶん少ない。この関係は「英和」と「和英」、「仏和」と「和仏」についても同じことが言えよう。明治年間(1868-1912)に出た「独和」は25点ほどあるが、「和独」は6点しかないし、昭和年代(1926-1989)でも、「独和」48点以上に対して「和独」は13点でしかない(同書名の増補、改訂版や専門用語辞典を除く)。これは、彼我の間の学術・文化交流の在り方の一面の表れでもあろう。

本邦における「和独辞典」の嚆矢とされているのは、明治10年10月に刊行された『和獨對譯字林』で、最初の「独和辞典」が現れてから5年後のことである。この辞書は、見出し語はヘボン式ローマ字としながら、その排列を日本古来の辞書事典に倣って「いろは」順としたため、ABC文字の「いろは」順排列という、今日から見ればなんともちぐはぐな感じの、利用者にとってたいへん引きにくい辞書となった。私の亡友の数学者杉ノ原保夫君は昭和19年春に陸軍幼年学校に入校したが、入校式で新入生の名前が次ぎ次ぎと呼び挙げられていくのにいつまでたっても自分の名前が呼ばれない、ひょっとして自分の合格は間違いだったのかと不安になったが、ようやく最後に名前を呼ばれてほっとしたと言っていた。陸軍では当時まだ「いろは」順が採られていたので、「す」は最後になるのである。

日本の古い辞書事典の類は見出し語を「いろは」順にしている。大槻文彦博士は明治24年刊行の『言海』の見出し語を伝統的な「いろは」順でなく、あえて五十音順にしたが、その理由を「本書編纂ノ大意」の「十」で、「各語ヲ、字母ノ順ニテ排列シ、又、索引スルニ、西洋ノ「アルハベタ」ハ、字數僅ニ二十餘ナルガ故ニ、其順序ヲ暗記シ易クシテ、某字ハ、某字ノ前ナリ、後ナリ、ト忽ニ想起スル事ヲ得、然ルニ、吾ガいろはノ字數ハ、五十弱ノ多キアルガ故ニ、急ニ索引セムトスルニ當リテ、某字ハ何邊ナラムカ、ト瞑目再三思スレドモ、遽ニ記出セザル事多ク…」としながらも、続けて「五十音ノ順序ハ、字數ハ、いろはト同ジケレドモ、先ヅ、あかさたな、はまやらわ、ノ十音ヲ記シ、此ノ十箇ノ綱ヲ擧グレバ、其下ニ連ルかきくけこ、さしすせそ、等ノ目ヲ提出スル事、甚ダ便捷ニシテ、いろは順ハ、終ニ五十音順ニ若カズ、因テ、今ハ五十音ノ順ニ従ヘリ。」と述べている。しかし、大槻博士本人の手から『言海』を直接進呈された福沢諭吉は、「いろは」順でなく五十音順であることに顔をしかめたそうである(『ちくま学芸文庫 言海』(2004)所載の武藤康史「『言海』解説」による)。

明治以来、「和独」の見出し表記は「かな」でなくローマ字(大部分はヘボン式で、日本式、訓令式は僅か)で、排列はABC順が普通である。この慣例は『郁文堂 和独辞典』(1966)の出現まで踏襲され続けたが、同辞典は「序」で、日本語から他の国語に橋渡しする辞典でローマ字を見出しに用いるのは「その必然性がない」し、「かな」の方が自然であり、便利である、と述べて、「かな」見出し、五十音順排列の最初の「和独辞典」となった。

『クラウン独和辞典』の「和独インデックス」は、「かな」見出し、五十音順排列であることを念のため付言しておく。


【筆者プロフィール】
信岡資生(のぶおか・よりお)
成城大学名誉教授
専門は独和・和独辞典史
『クラウン独和辞典 第4版』編修主幹


【編集部から】
2008年2月に『クラウン独和辞典』(第4版)が刊行されました。日本初、「新正書法」を本格的に取り入れた独和辞典です。編修委員の先生方に、ドイツ語学習やこの辞典に関するさまざまなエピソードを綴っていただきます。


ドイツのお菓子(9)―ワッフル(4)

2010年 3月 29日 月曜日 筆者: 石井 正人

クラウン独和辞典―編集こぼれ話―(85)

Waffelの話は今回で終えたいと思う。Karlsbad「カールスバート」名物のOblateに特別の思い出があったので、つい長く書いてしまった。

第2次大戦後旧ドイツ領を追われた多くの難民がドイツに戻ってきた。比較的経済的に安定していたせいか、難民はよく南西ドイツのシュヴァーベン地方に住み着いたと聞いている。シュヴァーベン地方に留学していた筆者をよくかわいがってくれた、友人の母親がやはりそうで、実家はdie Sudeten「ズデーテン地方」から逃れてきたのであった。カールスバートこそ、このズデーテン地方の中心地だった。

こんなものを見つけたと言って、ある日息子と、息子の友人である私たち夫婦の前に、いかにも古くさい印刷の薄いボール箱を置いた。まだあったのね、昔のままよ、と言って見せてくれたそれが、カールスバートのOblateだった。当時まだ東西対立の最後の頃で、東側のチェコで作られたものは、何となくあか抜けなかったが、そのOblateは昔のままのデザインを墨守していたせいもあった、尚更ぱっとしなかったのだろう。

箱を開けると、袋に小分けしてあるわけでもなく、いきなり小振りのピザほどはあろうかという大きさのOblateが出てくる。へえ、これがあのゴーフルや、ワッフルの原形ですかと、そこにいる「子供たち」みなお菓子は好きだから、興味津々である。

私たちはみな、たいそうな期待をもってかぶりついたものだ。本当に生地はゴーフルそのものだったが、間に薄くはさまっているのが、白砂糖に砕いたナッツを申し訳程度に混ぜて薄くのばして塗りつけたもので、当然のことに、かじるとバラバラと音を立ててこぼれてくるのである。「信玄餅」ではないが、そうと分かっていたら、初めからもっと気をつけて口に運んだのだ。それ以上に、この「あんこ」では味がぱっとしない。何ともコメントのしようがない。私たちは皆、何とも言えない顔で黙り込み、慌ててこぼれた砂糖の始末などをしながら、後を黙々と食べ続けた。

微笑みながらじっと私たちの様子を眺めていた母親は、ゆっくりと少し満足げにこう言ったものだ。ふふふ、あんまり美味しいものじゃないのよね。

夫の定年後、夫の故郷であるホーヘンローエの奥へ引き込んだとたん、還暦を迎える前に亡くなってしまった。私たちは皆、誰も満足に親孝行ができなかった。


【筆者プロフィール】
石井 正人(いしい・まさと)
千葉大学教授
専門はドイツ語史
『クラウン独和第4版』編修委員


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ドイツのお菓子(8)―ワッフル(3)

2010年 3月 15日 月曜日 筆者: 石井 正人

クラウン独和辞典―編集こぼれ話―(84)

Waffelの話をさらに続けたい。Waffelの原形となったOblateについてである。

Oblateは、ラテン語の「捧げもの、犠牲」(oblatum)という言葉から来ている。「捧げる、犠牲にする」(offero)の過去分詞の名詞化である(oblatumがラテン語で「楕円」を表すところから来たという説を見かけるが、間違いである)。

どの辞典のOblateの語義説明を読んでも、何故こんなに雑多な意味があるのか、相互のつながりがよく分からない。実は全て、古い教会用語や習慣から発している。修道士も教会の前の捨て子も、皆神に「捧げられた者」である。そして何よりキリスト自身が、自分の体を十字架に「捧げた」、「犠牲となった」のであった。

ミサとは「最後の晩餐」を記念するものである。「最後の晩餐」でキリストが弟子たちに、自分の体だと言ってパンを配り、血だと言ってブドウ酒を配り、自分の体を食べ、血を飲んで、自分と一体になれと言った、そのままをミサで繰り返す。毎回信者たちはミサの中で、「キリストの体」である「パン」を食べる。儀式化されていてもはや「パン」ではなく、まさに丸いウェハースのような(決して甘くない)焼き物である。これはミサの中で「キリストの体」であり、「捧げもの、犠牲」となる。ミサ用に焼いた薄焼きせんべいをOblateと呼び、ミサの中で特別の祈りを捧げて「聖変化」させ「キリストの体」となったものをHostie「ホスチア、聖体」と呼ぶ。キリスト教の信仰と典礼の中心となる。

因みに、よく間違えて「アヴェ・マリア(めでたし、マリア)」(マリア賛歌)を集めたCDに混ざっていることがある「アヴェ・ヴェルム・コルプス(めでたし、真のお身体)」(聖体賛歌)とは、このHostieを称えた聖歌である。

しかしOblateは世俗にも使う。有名なのがKarlsbad「カールスバート」(現在はチェコのKarlovy Vary「カルロヴィ・ヴァリ」)名物のOblateである。これこそがワッフルの原形なのだと(特にカルロヴィ・ヴァリでは)主張されている。実際に、こう言っては何だが、洗練されないゴーフルのようなお菓子であって、それなりの説得力がある。


【筆者プロフィール】
石井 正人(いしい・まさと)
千葉大学教授
専門はドイツ語史
『クラウン独和第4版』編修委員


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ドイツのお菓子(7)―ワッフル(2)―

2010年 3月 8日 月曜日 筆者: 石井 正人

クラウン独和辞典―編集こぼれ話―(83)

Waffelの話を続ける。しかしここでもう一つ気にかかることがある。辞書によってはWaffelに「ワッフル」の他に「ゴーフル」という意味をあてているものがある。極薄の軽い焼き菓子にクリームを薄くはさんだあのフランス菓子は、本格的なベルギー・ワッフルよりはるか以前に、風月堂のゴーフルとして日本人には馴染みがある。しかし両者は似ても似つかないように思われる。

実はフランス語のゴーフル(gaufre)は、オランダ語のワッフルからきた外来語である。中世ではフランス語は[w]の発音が苦手で、外来語に[w]があると[g]の音に替えていた。「ウィリアム(William)」という人名がフランス語では「ギョーム(Guillaume)」になったり、「戦争」ウォー(war)がゲール(guerre)になったりしたのが、よく挙げられる例である。

名称が言語史的に正確に対応しているように、フランス人がワッフルを勝手にあんな風に変えてしまったのではなく、実はワッフルの原形もあのゴーフルのような軽いビスケット風の焼き菓子であって、フランスのゴーフルの方が原形をとどめているようなのだ。

元々は、種を入れない小麦粉の生地を、熱した鉄板の上に薄くのばして焼き上げるだけのもので、その際に鉄板の凹凸で押し型の模様を付けたりした。その模様が独特の発達を遂げてワッフルが始まったようだ。ベルギー・ワッフルがああいう粉ものになっていく一方で、ゴーフルは薄焼きビスケットというかウェハース風の原形をフランス風に洗練させていったもののようだ。

それではワッフルがワッフルになる前の薄い焼き物は何と呼ばれていたかというと、Oblate「オブラート」と呼ばれたようだ。しかしそうなるとオブラートも今日私たちが知るものとは随分イメージが違う。今では薬局で特別に買い求める他は、ボンタンアメくらいでしかお目にかからないが、透明でパリパリして食べられるあの膜は、後から開発されたもので、もともとはウェハースのような薄い焼き物を水に浸して柔らかくし、薬を飲むために使っていたのだそうだ。


【筆者プロフィール】
石井 正人(いしい・まさと)
千葉大学教授
専門はドイツ語史
『クラウン独和第4版』編修委員


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ドイツのお菓子(6)―ワッフル(1)―

2010年 3月 1日 月曜日 筆者: 石井 正人

クラウン独和辞典―編集こぼれ話―(82)

Waffel「ワッフル」といえばベルギーが有名で、マネケン社によって国産の本格的なベルギー・ワッフルも簡単に手にはいるようになった。ベルギーを旅した人なら、言葉に出来ないほど美味しい、焼きたての熱々のワッフルを道ばたで頬張った感激を忘れがたいという向きも多かろうが、家庭で手作りのベルギー・ワッフルを楽しめる道具も日本で普通に見かけるようになった。

因みにマネケンというオランダ語(フラマン語)は、ドイツ語のMännchen「小男」のことで、ベルギー、特にブリュッセルにおいては、あの名高い「小便小僧」のことを指している。世界三大ガッカリで有名であることはともかく(後の二つはコペンハーゲンの人魚姫とシンガポールのマーライオン)、各国からの観光客が必ず立ち寄って記念写真を撮るブリュッセル名物ではあるので、国産ベルギー・ワッフルの社名に選ばれているのである。

さて実際にはベルギー・ワッフルでさえ、Lüttich (Liège) リエージュ風とBrüssel (Bruxelles) ブリュッセル風とがあるのだそうで、その他に北欧風だとか、アメリカ風だとか、果ては香港風というものまで、多様なヴァリエーションがあるようだ。確かに日本でもマネケン社のベルギー・ワッフル以前から、パンケーキ風の生地でクリームをくるんだタイプとか、ビスケットような固いタイプとか、違う種類のワッフルが存在した。

こうなると、そもそも何を以てワッフルというのか分からなくなってくる。実際にはどうもワッフルのメルクマールは、生地の質やふりかける砂糖や塗るジャムやクリームにではなく、あの独特の格子状の形状にあるようだ。

語源辞典によれば、ワッフルはオランダで生まれた言葉だが、その元になったのは、ドイツ語でならweben「織る、編む」に対応する意味を持つ言葉であった。Gewebe「織物」とかWabe「蜂の巣」という、webenと語源を同じくする概念から考えてみるに、やはりあの格子状の形こそがワッフルの特徴とされていたのだろう。


【筆者プロフィール】
石井 正人(いしい・まさと)
千葉大学教授
専門はドイツ語史
『クラウン独和第4版』編修委員


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辞書の定価

2010年 2月 22日 月曜日 筆者: 信岡 資生

クラウン独和辞典―編集こぼれ話―(81)

前回(第77回)取り上げた『大獨日辭典』(昭和8年 大倉書店)は、著者登張竹風先生自ら記すところによれば、5,000枚に及ぶ校正刷りを7、8校して完成には7年かかったそうで、コンピューターはおろかコピー機もファクスもなかった時代のことを思えば、労苦の程が偲ばれる。奥付に「完成記念價拾圓」とある。人事院の資料によると、当時(1926-37)の国家公務員(1種行政職大学卒)の初任給は月額75円であり、また、別の資料によると1929年当時の大学教員の初任給は、私立で普通55円から高いところでも100円であったようだ。これでは大学を出たばかりの教師にとって10円もする辞書はおいそれとは買えない。現在月給20万円そこそこの教師が2~3万円の電子辞書を買うようなものである。恥ずかしい話だが、筆者自身昭和30年春愛媛大学に赴任したときの給料は9,200円だったと記憶している。だから昭和33年6月に戦後はじめての大型独和辞典である『大独和辞典』(相良守峯編 博友社)が2,500円(特価2,200円)で刊行されたとき、私費で購入するのをためらった覚えがある。

昭和8年当時の大型独和辞典には、片山正雄著『雙解獨和大辭典』(昭和2年 南江堂 昭和6年第一次改訂 昭和9年改訂増補版)があって、革表紙で定価8円(特価7円)であった。「雙解」の名にたがわずドイツ語訳もついていたが、活字はドイツ文字(Fraktur)を使用していた。これに対し、登張著『大獨日辭典』ではラテン字体を用いた。

販売事情を考慮したのか、翌昭和9年12月に大倉書店は『大獨日辭典』の普及版を出した。普及版は、もとがB5判で硬くて分厚い表紙だったのを、半分の大きさB6判に縮刷して軟らかい布表紙とし、定価5円30銭、特価5円80銭とした。この普及版も、上記片山著『雙解獨和』も、戦後の昭和20年代に筆者は古本で入手して大いに活用させていただいたものである。三省堂が『コンサイス獨和辭典』を刊行したのは昭和11年で、定価は3円50銭、また『木村・相良獨和辭典』(博文館)が出たのは昭和15年で、定価は6円80銭(特価5円70銭)であった。

大倉書店は明治中期から大正・昭和のはじめにかけて外国語の辞典を刊行した大手の出版社で、夏目漱石の『我輩は猫である』の初版を刊行(明治39年11月)したことでも知られている。竹風先生の御子息登張正實先生は私の旧制高校時代からの恩師であるが、正實先生から直接お聞きしたところによると、大倉書店の創業者大倉孫兵衛は抜け目のない人物で、道で拾った大金入りの財布をネコババしてそれを元手に出版業を始めたとの噂もあるような男、父竹風は金銭才覚に乏しかったから、この社長にいいようにあしらわれ、幾つもの辞書を出版させた割りには自身の懐はさっぱり潤わなかったとの話である。


【筆者プロフィール】
信岡資生(のぶおか・よりお)
成城大学名誉教授
専門は独和・和独辞典史
『クラウン独和辞典 第4版』編修主幹


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かこつけて(2)―『マーモット』―

2010年 2月 15日 月曜日 筆者: 新井 皓士

クラウン独和辞典―編集こぼれ話―(80)

去年も暮近い朝のことだ。久しぶりに寝坊した床の中で、とある歌曲をめぐって男女が楽しげに会話しつつ投稿の紹介をするFM番組をぼんやり聴いていた。むかし中学で習い好きだった「水うち清めし朝のちまたに、白露宿せる紅花黄花、花売る乙女の・・・」なる美しい詩句の『花売』という歌が、こともあろうに(原題)『モルモット』(作詞ゲーテ)とは何たる幻滅!といった趣旨の投書が披露され、にぎやかな話題になっていことが、段々明らかになった。作曲はなんとなんと(!)ベートーヴェン、短調の特徴あるメロディで、後でハーモニカでちょっとなぞってみると、ラとシが多く、結構息が苦しい。一葉の『たけくらべ』に、公立小に通う連中が唱歌は公立が本家というような顔をする、と(貧しい)私立の生徒が悔しがる叙述もあり、明治期の唱歌国策論をたまたま目にしたこともあって、少し気になるので本務の合間にぽつぽつ調べてみた。

意外だったのは手元のゲーテ作品集などに「マーモット」の詩が簡単にみつからなかったことである。実はこれは『プルンダースヴァイラー(がらくた村)歳の市の祭り』と題された、俄狂言や謝肉祭劇に類する滑稽風刺劇が出典で、歳の市をあてこんだ色々な登場人物中、芸を仕込んだアルプス・マーモット(鼠の仲間モルモットではなく、兎の仲間)を見世物に投げ銭を集めて旅暮らしをする少年が歌うものだった。1772年ごろ書かれた原作が1778年に宮廷人達の余興にも供されるため改作されたとき、この詩も付け加えられたようで、この「劇」自体ゲーテ作品としてはマイナーなものゆえ、専門家でもないと目につきにくいし、選集程度のものには収められていないようだ。僕がこれを漸くみつけたのは、『クラウン独和』第2代編集主幹・故濱川祥枝先生から頂戴したひげ文字の古い全集だった(ついでながら、最近あるインタヴューで有能かつ魅力的なさる女性編集者が濱川祥枝教授は同性とばかり勘違いしていることがわかり、僕得々として然らざる由縁を述べたてたものであります、合掌)。

4連(節)、総計24行のゲーテ詩『マーモット』だが、ドイツ語部は各連2行しかなく、残りは古風なフランス語リフレーンが各連3行、その変形1行から成っている。ドイツ語行をDとし、リフレーン行をFとし、変形をfとすると、各節は D1-F-D2-F-f-F となるわけだが、Fの部分が「このマーモットと共に」という意味であるのに対し、fの部分は厳密な意味は不明で、多分フランス語とイタリア語をもじった戯れ(si だっけ、la だっけ)であり、歌う少年が当時の世相を反映しサヴォア出身の貧しい旅芸人であることを垣間見せているともとれよう。使われる音は(日本やイタリア式)音階名でいえば、ラとシが頻出、ファとソは出てこない短調メロディで、一種独特の哀歓(と諧謔)がこもっている。さてこそベートーヴェン、一件落着、と言いたかったが、なお一つ疑問が残った。この曲は作品番号(Op)でいえば52-7だが、このあたりは「クロイツェル」(Op.47)やら「ヴァルトシュタイン」(Op.53)、「交響曲第3番」(55)など、大きな一級品が並ぶところだ。その片手間にちょいちょい、というわけではなく、出版こそ遅くなったが、どうやら青年期までをすごしたボン時代の作品らしい。それにしても、数多あるゲーテ詩の中で、よりによってなぜこれをベートーヴェンが選んだのだろうか、ライン河沿いの故郷ボンで実際このような旅芸人に出会う機会もあったのか、この詩に関しては友人仲間や師などの影響ないし情報があったのだろうか。印刷公刊されたのは1817年の「ゲーテ作品集」第9巻であるから、その遥か以前、おそらく二十歳前後には知っていたに違いないが、直接証拠はみつからない。父親がテノール歌手であったこともあってか、ベートーヴェンは歌曲と意外に長い付合いがあることだけは確かだが。

ともあれこのちょっといわくありげな曲が、ゲーテの詩と無関係に、明治の日本では唱歌のメロディとして採り入れられ、数種の歌詞をもつことになった。それらの歌詞はおよそ滑稽とは無関係な「詩的」情操豊かなものであること、たとえば大和田建樹作詞『あすの日和』では「夕山しづかに雲をおくりて、あらしのなごりは窓の小笹に・・・」とある。これらを一種の換骨奪胎と批判することは可能であろうし、賛美歌をふくめ民謡や西洋歌曲に独自の歌詞を付し取り入れた成長期近代日本の「唱歌」には、小国民育成の政治的意図が見え見えなものもあったようだが、ことばとメロディの調和を意識した努力があったことも確かであろう。『マーモット』の歌など原詩の意味を生かしメロディに載せるのはほとんど不可能かもしれない、と承知しつつ、通勤電車のつれづれに、駄句をひねってみた。

(1)渡り来た邦々(くにぐに)、ともはこのマーモット
   かつかつの暮しさ、ともはこのマーモット
   めぐりシいずラとて、ともはこのマーモット
(2)紳士にも遇い申(も)した、(F)、娘御には目がない、(F)、(f)(F)
(3)淑女にも遇い申(も)した、(F)、ちびっこにも目をくれた、(F)、(f)、(F)
(4)お情けです御喜捨を、(F)、若い衆(し)はひもじい、(F)、(f)、(F)

marmotte2.gif

「お粗末様で」と引っ込むべきところ、なお蛇足を付け加えれば、原詩の第2連(節)と第3連(節)には、hätt’ 及び täte という、接続法とみまがう語が出てくるが、これは南部方言の一種とみてよいだろう。『ファウスト』第1部でグレートヒェンが歌う「トゥーレの王」に類例がある。


【筆者プロフィール】
新井 皓士(あらい・ひろし)
放送大学特任教授・東京多摩学習センター所長 一橋大学名誉教授 
専門はドイツ文学・文体統計学
『クラウン独和辞典第4版』編修委員


【編集部から】
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ドイツの食材―ニワトコ―

2010年 2月 8日 月曜日 筆者: 石井 正人

クラウン独和辞典―編集こぼれ話―(79)

翻訳をしていて面倒なことの一つに、植物の名前がある。ピタリと対応する日本名がないことが多く、かといって正確なだけの学名では感興がそがれる。その昔さるフランス文学の大家は、小説を翻訳していて知らない植物が出てくると、何でも「ニワトコ」と訳したと、大先輩のI先生からうかがったことがある。日本語を壊さないで、ヨーロッパ風の雰囲気だけあれば良いというなら、これはこれである時代には巧いやり方であったと言えるだろう。良心的だとは決して言えないが。

さてそのHolunder「ニワトコ」であるが、以前にはドイツのどの農家の庭にも一本はあって、春に咲く花からも、秋になる実からも、美味しいジュースやジャムを手軽に作ったものだそうである。特に美味しいのは、花から作るシロップである。

春になると、散房花序というのだそうだが、コデマリのように、ニワトコには小さな白い花が房のように固まって咲く。この花を房ごと摘んできて、濃いレモネードに漬けておく。1週間ほどでさわやかな香りがレモネードにうつるので、炭酸水でわって飲む。スイカズラの仲間なので、蜜が甘く、何よりも芳香が特徴である。

こういうものが手作りされなくなったのは日本でもドイツでも事情は似ているらしく、ニワトコ・シロップは季節になると既製品を売っている。

驚いたことに、このニワトコの白い花をテンプラにして食べるという。砂糖を入れて水でといた小麦粉のころもをつけて、さっと油で揚げる。なるほどさわやかなニワトコの香りが楽しめる。まあ、大葉や三つ葉のテンプラと言ったところで、香りを楽しむ箸休めである。ただニワトコも「接骨木」という名の立派な漢方薬だから、副作用もあり、花のテンプラも食べ過ぎるとおなかを壊すそうだ。

ライン河畔の広々とした緑地帯に、何十本というニワトコが大きく茂り、特に注目されるでもなく、地味な花を満開にさせていたのを思い出す。すばらしく天気の良い春の昼下がり、若い母親が小さな娘を連れ、娘に持たせた大きなカゴの中に、ニワトコの白い花を摘みたいだけ摘み取って集めていた。たっぷりとシロップができたことだろう。


【筆者プロフィール】
石井 正人(いしい・まさと)
千葉大学教授
専門はドイツ語史
『クラウン独和第4版』編修委員


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2008年2月に『クラウン独和辞典』(第4版)が刊行されました。日本初、「新正書法」を本格的に取り入れた独和辞典です。編修委員の先生方に、ドイツ語学習やこの辞典に関するさまざまなエピソードを綴っていただきます。


ドイツのハーブ―ウイキョウ―

2010年 2月 1日 月曜日 筆者: 石井 正人

クラウン独和辞典―編集こぼれ話―(78)

においがなじめないといえば、Lakritze「カンゾウ(甘草)」と並んで、Fenchel「ウイキョウ(茴香)」がある。

ドイツのスーパーマーケットでは、様々な種類のKräutertee「ハーブティー」が並んでいる。伝統の漢方薬や薬湯というわけだ。Pfefferminze「ペパーミント」やHagebutte「野バラ」やKamille「カミツレ(カモミール)」やEibisch「ハイビスカス」のお茶などは珍しくもないが、さらにこれを様々にブレンドして、「こども茶」だの「腎臓茶」だの「おはよう茶」「おやすみ茶」などと称して、様々に特別な薬効をうたうものがある。ノーベル賞作家Günter Grassグラスの『はてしなき荒野』で主人公の老妻が愛飲しているのがこの「腎臓茶」である。

このようなハーブティー中にFenchelのお茶があって、Teebeutel「ティーバック」の箱の封を切っただけで、咳き込むほどのにおいがする。英語でフェンネル、あるいはキャラウェイと呼ばれているものと同じで、御存知の方もあるだろう。しかしウイキョウやキャラウェイと言われてもピンと来ない向きには、要するにSellerie「セロリ」の種であると言えば、風味に想像がつくだろう。

セロリの強い独特の風味も好き好きだが、あれが種になって凝縮している。セロリはもともとセリ(芹)の仲間だそうで、そう言われればにおいが似ていなくもないが、セリのあえかな風味をあっさりした和食に仕立てたものと比べると、セロリの強烈さは同日の談ではない。因みにドイツで普通に見かけるセロリは、葉や茎ではなく、カボチャほどもあるKnolle「球根」を食べる種類である。日本のものよりにおいがもっときつく、ドイツ人でも食べられない人がいるようだ。

しかしFenchelも、香料としては肉のにおい消しとか、Roggenbrot「ライ麦パン」と相性が良かったり、Sauerkraut「ザウアークラウト(酢漬けキャベツ)」の煮物には薬味として欠かせない。Mohn「ケシの実」やSesam「ゴマ」と同じことで、料理やパンや焼き菓子に少量使う分には、Fenchelもちょっと変わった印象的な香料ですむ。だがお茶だといって煎じるとすごいことになる。「ウイキョウ(茴香)」と言えば日本ではそもそもまた漢方薬だから、そう言われて日本人なら何となく納得する、独特の臭さになるのだ。


【筆者プロフィール】
石井 正人(いしい・まさと)
千葉大学教授
専門はドイツ語史
『クラウン独和第4版』編修委員


【編集部から】
2008年2月に『クラウン独和辞典』(第4版)が刊行されました。日本初、「新正書法」を本格的に取り入れた独和辞典です。編修委員の先生方に、ドイツ語学習やこの辞典に関するさまざまなエピソードを綴っていただきます。


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