今や一世紀を超える日本映画の歴史は、わが国の近・現代における社会や政治の有為転変と密接な関わりを持つ、豊饒きわまりない文化遺産の形成史である。しかし、文学や美術などが特権的な才能の持ち主による高度な表現と見なされ、敬意をもって遇されてきたのに対し、時代の好尚を追って量産される安直な大衆娯楽にすぎないという扱いを受ける時期が長かった映画の場合、文化遺産としての基礎的かつ総合的なデータベースは、これまでまったくの未整備の状態にあったと言わざるをえない。
このたび、山根貞男・編『日本映画作品大事典』という畏怖すべき大著の出現によって、この大きな空白が一挙に埋められたことを慶びたい。映像表現の技法の精錬と進化の過程の解析、個々の作品に投影された民衆意識の深層の分析、諸外国の映画との、また映画以外の諸ジャンルとの交渉や影響関係の解明など、日本映画をめぐる研究は今後ますます盛んになってゆくだろうが、その基盤となるべき情報や知識が、この千ページを超える大部の一冊に圧縮され集大成されているさまは、壮観と言うほかはない。日本映画とは何だったのか──この巨大な問いに正面から向かい合おうとするすべての人々にとって、このモニュメンタルな労作は今後、必携の書となってゆくだろう。
(詩人・小説家・批評家。東京大学名誉教授)
自分たちの国の映画、とりわけ昔の映画を近しいものに感じるまでには、ある程度の経験の蓄積が必要なのではないでしょうか。自分自身を振り返っても、そう思います。けれども、一定の年齢に達し、経験を積み重ねた上で、日本映画に向き合う時、かつて見た映画であっても、まったく異なるものに感じることがあります。量産されたプログラムピクチャーの中にも、時代を経て見直した時、とても素敵な作品があることに気づきます。
『日本映画作品大事典』は、そんな日本映画の歴史に接する機会、日本映画を再発見するチャンスを与えてくれる書物だと思います。
どの映画監督の作品に出演したかったかと問われれば内田吐夢と答えますが、この事典で調べてみたいのは、監督ごとの作品というより、時代と作品との関わりです。それぞれの時代でこの国がどのように揺れていたのか、それがその時代に作られた映画作品にどのように影響しているのか、そんなことをこの事典で考えてみたいと思います。そして、この事典を贈りたいのは、後進の演者たち、とくに30代半ばから40代にかけての、一定のキャリアを積んだ演者たちです。仕事の痛みや苦味といったものを分かってきた世代の演者たちに、この事典で日本映画を見直してもらいたいと願います。〔談〕
(俳優)