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「コンサイス20世紀思想事典」について

監修のことば

 20世紀も間もなく90年代に入ろうとしているが、振り返ってみればこの1世紀、人類は信じられないような激動を経験してきた。科学・技術の発達によるわれわれの物質生活の変化はいうまでもない。マルコーニが大西洋横断無線通信に成功したのがやっと1901年であったのに、いまではほとんど全世界がエレクトロニック・メディアで結ばれている。ライト兄弟が最初の動力飛行機で260メートルの距離を飛んだのがやっと1903年であったのに、いまでは人類は月まで有人口ケットを飛ばしている。たしかに、われわれの生活は変わり、便利にはなった。しかしその反面、そうした科学・技術の発達が、偶然の過失によって人類の絶滅を招きかねない核戦争の危機や、いかなる結果を生ずるか予測しがたい遺伝子操作、公害と環境破壊、貧富の極端な格差、教育の荒廃など、さまざまな問題を引き起こしてもきた。この間、世紀のはじめには揺るぎないものに思われた欧米中心の世界政治の構図も、2次にわたる大戦の結果大きく様相を変えた。かつての植民地や従属国からなる第三世界の発言力が増大し、欧米の地位が相対的に下落したし、東西の対立が南北の対立に転じつつある。

 こうした情勢に対応して、今世紀の思想の動きも激しかった。間近かなだけに、たしかにその動きには眺望しにくいところがある。しかし、いったい20世紀が何であったのかを、少なくとも思想の面で整理し、その在庫調査をして、これを21世紀に伝えるのはわれわれの責務であろう。そして、なんとかそれを果たすことのできる時期がきているようにも思われる。そこで、この事典では、1890年から1990年まで、つまり前世紀末から私たちが立っている今世紀末までをおおよその目安にして、世界的視野に立ち、科学・芸術・宗教・哲学・社会・風俗の諸分野を展望し、およそ一つの思想としての形をとったもの、そしてそれを読み解くためのキー・ワードを集め、総合的なパノラマをつくろうと試みた。これを現代思想用語辞典として使うことはたぶん可能であろうし、たしかにそれもこの事典のねらいの一つではある。しかし、私たち編集委員の本来の意図は、これをこのままタイム・カプセルにつめて後世に残してもよいような「20世紀思想の決算書」をつくろうというところにあった。そして、多面的な構成によって、かなりの程度までその目論見を達成したと自負している。これから21世紀を生きようとしている若い人たちが、今世紀の遺産を承け継いで、新しい世紀の新しい思想を形成してゆくためにこの事典を役立ててくださることを切に望みたい。

 多くの方々に、こころよく執筆をお引き受けいただいたことを感謝している。望みうる最高の執筆者をそろえることができたと思っている。図版作成をお願いした西本真一氏、付録の作成に協力していただいた村岡晋一氏にも謝意を表したい。また編集を担当された横山民子氏をはじめ三省堂編集部の方がたに心からお礼を申し上げたい。

1989年 1月

編集委員  木田 元
丸山圭三郎
野家啓一
栗原 彬
野家啓一