今日の大辞林・
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大辞林第二版制作ものがたり

《小社PR誌 「ぶっくれっと」
No.116より》

一九九五年、初夏

一一月三日に刊行を控えた『大辞林第二版』の編集部。三省堂の本社に隣接するビルの四階のドアを開けると、執筆者や編集者、編集協力者の人たちが真剣に校正刷りに取り組んでいる。空気が張りつめているような感じだ。

現在、刊行直前の特別体制が組まれており、編集者は、他部からの応援を含めて約三〇名が作業にあたっている。もともとの編集部の部屋には入りきれなくなり、たまたま空き部屋ができた同じビルの三階にも特設編集室を作っての体制である。

いま、編集の現場は作業の最終段階に入っている。項目「あ〜ん」までの五十音をいくつかに割ってそれぞれに担当者を決め、最終的なページまとめの決定の確認と決断が行われている。

ページまとめとは、文字を組んで、予定より行がはみ出てしまったりしたところを加減して調整する作業などのことである。文字がはみ出した場合には、なるべくそのページに近いところで吸収させる。『大辞林』初版は活字を手で組む活版印刷で二、六五六ページを作り上げていたが、その技法では、はみ出しや不足が出たページの中で文章を調整しなければ、一ページ分組み上げた版をいったんほどいて調整しなければならないことになるため、はみ出しが出たページの中で調節して終わらせるよう、編集者は苦労していた。『大辞林第二版』をはじめ、現在の辞書の組版はコンピュータ組版に移行したため、ページをまたがった作業も割合に気易くでき、活版時代ほどの制約はないが、全体のページ数の制約があるため、なるべくはみ出さないように収めていかなければならない。このあたりに、編集者としでの経験の差が出てしまう作業でもある。

新語と辞書の「見識」

辞書の編集は「流動的」である。

それはどういうことか。たとえば、この時期になっても『大辞林第二版』では、新語を織り込む作業が統けられている。校了直前と言えども新しいことばに対する目配りを怠るわけにはいかない。

辞書にはそれぞれの編集方針がある。新語がたくさん盛り込まれているからいい辞書かと言えば、すべてそうとも言えない。しかし、どのような新語を、どのような語釈で収録しているか、ということは、その辞書の編集にあたっての態度、すなわち「見識」をはかる一つの物差しと言えるかもしれない。

「トリアージタッグ」。大災害や大事故の際、生存者を最大にすることを目的に、医師が負傷者の損傷の程度や、治療の緊急度を判断して負傷者につけるタッグのことである。救急隊員や搬送先の医師が即座に負傷者の状況を把握するために利用される。阪神大震災や地下鉄サリン事件でも使われた。このことば自体は新語というほどではないが、専門用語として使われ、あまり一般性のある語とは言えなかった。しかし、急濾『大辞林第二版』に入れることになったのである。

きっかけは、九五年六月二六日の朝日新聞タ刊トップ記事「様式バラバラ救命に支障も 緊急時治療の優先順位示すトリアージタッグ」である。翌朝出社してきた編集者の数人が「記事が出ていたね」と話し合った。一九三一(昭和六)年生まれの田中三雄は、軍事教練や軍の救助訓練でもこのようなタッグが使われていたことを思い出した。一九六六(昭和四一)年生まれの佐藤竹哉は、一九八五(昭和六〇)年の日航機墜落事故や阪神大震災でトリアージタッグが使われていた記憶があり、また、救命救急士制度の誕生や地下鉄サリン事件などで、救急医療や医療の危機管理に関心が高まっているという問題意識を持っていた。

田中と佐藤を含む数人の編集者が協議した結果、「トリアージタッグ」は、新聞記事に登場したことで近い将来一般的に使われる語のひとつになるだろうと予想し、『大辞林第二版』に収録することになった。

田中が下原稿を書き、医学・薬学分野の担当である佐藤がチェックし、著者の校閲を受けて入稿した。最終的に原稿は『大辞林第二版』編集長の萩原好夫に渡り、点検され、そこではじめて「トリアージタッグ」は『大辞林第二版』の本文に組み込まれることになるのである。編集者はそれぞれ語彙のジャンル別にも担当が決まっており、自分の担当の著者の原稿は必ず目を通すことになっている。必要があれば修正を加える。

この「きょうの大辞林・あしたの大辞林」を執筆している七月初旬には、すでに『大辞林第二版』編集部は、組版・印刷を行う三省堂印刷株式会社の工場の一室に詰め、刷り上がってきた校正刷りをただちに点検して「出張校正」と呼ばれる体制に突入している。編集長の萩原好夫をはじめ、とりあえず八名が八王子市のJR八高線の線路沿いにある工場に詰めている。間もなく編集部のほぼ全員が八王子入りし、校正刷りを相手に大詰めの校正作業を行う。三省堂印刷のオフセット印刷機がうなりを上げて回り出す日も近い。