大辞林 第二版
をひらいてみて

《小社PR誌 「ぶっくれっと」
No.118より》

手にとってはじめてひくともなしに、広げてみたら、七三四頁。上段の最初の項目が雲の梯だった。雲梯は、城攻めのハシゴのことだと思ったらほかにいろいろ意味があって、カササギが七夕の夜に天の川に架ける橋のことでもあった。雲がつく字には、夢がある。ひまなとき、たのしめそうな辞書だ。

志茂田景樹(作家)

二六七九頁三段目に「らぬきことば」が採録されているのには驚きました。最近、この「ら抜き」が大変気になっておりました。こうした「現代語の流れ」が辞典に取り上げられましたことは誠に画期的なことで、巻頭カラーの「色の名」も大変参考になります。ことばが動き、辞典が動く。正にその通りです。

平松鷹史(郷土史家)

同音異語を一枠にまとめていることを重宝しています。また姓の項で人物辞典の用を果たせることも便利です。造本の良さも結構です。これで軽ければいうことなしですが――。

福富太郎(実業家)

ありがとうございました。
漢字を勉強いたします。

沢野ひとし(画家・イラストレーター)

私はいま新しい会社を作って、インターネット上のワールド・ワイド・ウェブという表現形式の対外発信サーバーを立ち上げて、これをオンライン・ショッピングという購読形態で何とか商売として成り立たせようと日々苦心している。私が目下ほとんど全力を傾注しているその仕事について語るには、いま述べたような四つのカタカナ言葉を使わざるを得ないが、それらをすべて見出し語として収録して適切な説明を加えているのは『大辞林』であり、それらを一つとして取り上げていないのが、この分野で老舗とされる某社の辞典である。結局のところ、時代の先端で生きようとするジャーナリストやビジネスマンの日常の言葉遣いを大事にするか、現代生活とかけ離れた古典重視の苔生した蘊蓄を基礎にするかという編集姿勢の違いが、その落差を生んでいるのではないか。

高野 孟(ジャーナリスト)

辞典というものは、少し後にさがり、上等の古い布の香がするものでしたが、今回の『大辞林』は違いますね。現代そのものを圧縮しているかのように輝いて見えます。日々求める知識はすべて語っているのに驚きます。国語辞典が「歴史」に立つと同時に、「今」を歌っているのです。

野田正彰(精神科医・作家)

初版よりも格段に使いやすくなっているのに驚きました。とりわけわれわれ文筆業者には、巻末の西暦和暦対照表の整備などがありがたいのです,全体としては、時代を無視せず、かと言って時代におもねることなく、きちんと現代を呼吸している事に好感が持てました。

西木正明(作家)

関西では「はんなり」「まったり」を殆ど対の語として用います。「はんなり」は採られるようになったものの「まったり」は未だ各辞典に採られていません。『大辞林』初版に「まったり」を見出したときは、いい辞典が出たぞと感したものです。収録語数がいっそう充実した第二版に期待がふくらみます。

松本章男(随筆家)

ぼくのモノを選ぶ基準は、できれば生涯、少なくともながくといえる時間、付き合っていられると確信することです。
『大辞林第二版』はきっと、十年後のぼくの机の上でフセンを飾りもののようにまとって鎮座しているにちがいありません。

宮嶋康彦(ノンフィクション作家・写真家)

私は朝鮮で小学校一年生から日本語(当時は「国語」といっていた)を学んで、来年は古希を迎える。にもかかわらず日本語に自信がない。日本人には笑われるかも知れないが、例えば韓国をカンコクとすべきか、カンゴクにすべきか、ほんとに迷うのである。きのう韓国から参りましたとすべきを、カンゴク(監獄)から参りましたといえば、どうなるだろう。ところが似たような間違いをしょっちゅうしている。この「しょっちゅう」も、「そっちゅ」ではないかと迷ったが、『大辞林第二版』を引いて自信を持てた,人名にしてもそうである。伊藤博文をイトウハクブンにすべきか、イトウヒロブミにすべきか、ほんとに迷う。人名辞典や地名辞典をも兼ねて、『大辞林第二版』のような良書を、常に座右の友にしなければならない所以である。

姜 在彦(花園大学教授)

あおそ(青苧)。いらう(弄ふ・綺ふ)。みかさづけ(三笠付け)。の三句をひいてみました。いずれもちゃんとのっているうえ適切な解説がついているのでこれは役にたつ辞書だと思いました。今後どんどん利用しょうと思っています。

大石慎三郎(歴史家)

手にとって質量に圧倒されましたが、最近コンピュータを導入し、CD−ROMの辞書を使い始めた小生にとっては、手にとって調べるには少し荷の重い気がした、というのが正直な感慨でした,内容に関してはまだ詳しく使い慣れておりませんが、色刷りの読物ページは意欲的で、そこだけ独立して読みたい気がするので、同じ箱に入った別冊でもよかったのでは、と思いました。辞書項目では、現代語、それも世間に出回っている、いわば「時局語」に力が入れられているのが、よく分かります。その結果、とても助かるところと、バランスが「時局」に傾きすぎているところと、両面あります。例えば「サリン」の記述が「ラリンジャー」の倍近くありながら、同じ毒ガスの「VX」が本文にない、というようなところに、それを感じます,期待できるのはCD−ROM版です。『広辞苑』にない多彩な機能を盛り込んで下さい。

清水艮典(文芸評論家)

いま、「端居瑣言」という漢詩をめぐる紀行文やエッセイを連載している(NOMAプレスサービス)。中国の古典をめぐる人名や国名・地名は百科事典を引けば出ているが、説明の分量が多すぎるきらいがある。その点『大辞林第二版』は、記述の過不足がない。いろいろな辞書を使ってきたが、今は『大辞林第二版』を机の上に置いて、この一冊で仕事をしている。漢文を読むと、自分の心を洗い、高揚させてくれる。酒と同じく人生の真理がある。

伊佐千尋(作家)

(順不同・敬称略で掲載させていただきました)