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「大辞林第2版」の内容より

【初版の「序」】

 本辞典は、現代の国語生活をふまえ、現代語の記述に重点を置きつつ、古語や百科語をも含めた総合的な国語辞典をめざしたものである。したがって、古語から現代語に及ぶ一般国語語彙のほかに、現代の各種専門領域の用語や人名・地名などの固有名詞をも数多く収めている。

 わが国における近代の国語辞典としては、明治期における大槻文彦博士の『言海』がその基本的な型をつくったとされており、その後の国語辞典は、この『言海』を土台として発展してきているということがいえる。それは、特に昭和にはいって大きく発展し、いくつかの浩瀚な国語辞典が刊行され、さらに戦後にいたっては、いっそう内容の充実したものも出現している。これらは、そのほとんどが国語の歴史的記述をもとにしている。一冊ものの大型国語辞典も、今日、それぞれ特色のあるものがいろいろ刊行されているが、それらのものも、どちらかというと、歴史的記述をもとにしたものが主流を占めているということができる。

 ところで、本辞典においては、現代語の記述に重点を置きながらも、日本語の長い歴史の中での語義や用法の変遷をも、別の形でしっかり淑り上げておくという方式をとることにした。すなわち、古語から現代語へのいろいろな変遷過程は十分に取り込んだ上で、現代語の記述を中心に据えた、新しい型の国語辞典をめざしている。現代語の語義記述にあたっては、まず最初に現在用いられている最も一般的なものがしるされる。一般的な語義のあとに特殊な語義などが記述され、その後に、必要に応じて、古語としての語義が記述される。もっとも、語によっては、ただ単純に現代語としての語義、古語としての語義というようなわけにもいかないことがある。それで、一つの語のいくつかの語義の関連性などを説明するためには、必要に応じて、語源・語誌欄や補説欄を設けて、その語の語源、語義・用法の変遷などを付説することにした。このようにして、その語の現代語としての語義・用法、また、その語の出自・来歴などを全体として把握することができるようにした。なお、古語としてのみ用いられるような語については、原義から転義へという順序で、その語義・用法を記述することは言うまでもない。

 辞典を使用する人々の立場からすると、従来のような歴史的な記述をもとにしている辞典においては、過去から現代へというつながりの中で語の変遷がとらえられているので、仮に現代語における意味や用法を求めようとした場合でも、古い時代の語義や用法から見ていくことになる。しかも、その場合、語によっては、現在用いられていることばでも、古典における語義や用例の掲出ということで、その語の記述が終わってしまっているということもあり得るのである。しかも、それが現在でも用いられているのか用いられていないのかということは、読者の判断に任せられているわけである。結局のところ、歴史的記述を中心とした辞典においては、ことばの来歴を知るのには役立つが、その語が現在どのように用いられているかを知る上では、その辞典の利用者のしかるべき判断を前提にしないと、効果的に利用することができないということもあり得るのである。それが、本辞典のようにその語が現在どのように用いられているかに重点を置いた辞典では、過去にどのように用いられていたかということを含めて、その語の意味・用法などの情報が、現在の時点において、過不足なく与えられるという利点が考えられるわけである。

 さて、本辞典においては、用例についてもこれを重視し、必要に応じて、作例または出典付きのものを掲出することにした。従来の歴史的記述を中心にした辞典においては、その語が、いつ、どういう場面で、あるいはどういう形で用いられているかを示すために、すなわちその語の出自や来歴を具体的に示すために用例を掲出するのが一般である。しかし、本辞典においては、必ずしもこのような立場で用例の掲出をしようとはしていない。本辞典においては、現代語を重視していることは前述のとおりであるが、現代語について、まず的確にとらえ、これを細かい点までを含めて、しっかり記述することを心がけた。ところで、その語がどういう意味に、また、どういうふうに用いられているかを、ただことばによって説明・記述するだけでは、ややもすると抽象的な記述になり、しかも、限られた字数による説明では、細かい点までを十分に記述しつくすことが困難であるということがある。そこで、その語としての基本的な語義については、十分に説明・記述を行うが、その語が実際にどのように用いられるかについては、用例をもって示すことにした。現代語の用例は一般には作例によるが、明治期の語など、やや今日では特殊な語形・語義・用法と思われるものについては出典付きの用例を掲出する。なお、古語の場合には、どういう時代、どういう文献に用いられているかを示すために、出典付きの用例を掲出する。この場合でも必ずしも初出例ということにはかかわらないことにしている。以上、本辞典の編集に当たり、その基本的な方針、ならびに、それにもとづく特色の一斑についてしるしてきた。これを要するに、本辞典においては、現代語を中心としつつも、古語から現代語にわたり、百科語をも含めて、日本語の基本的な姿を記述しようとした。一冊の大型の新しい国語辞典として、いわゆる形・音・義の三面にわたり、基本的なものを十分におさえ、最も穏健にして中正なものをめざしてまとめたものなのである。

 本辞典は、編集に着手してから今日まですでに28年有余の歳月を費やしている。この間、国語関係項目をはじめ、百科語や固有名詞など万般の語彙に関して原稿の執筆、校閲・整理などにつき、各方面の方々の御援助・御協力を得た。アクセントに関しては、NHKの放送文化研究所関係の方々の全面的な御協力に拠っている。また、この長い期間、三省堂は、終始一貫編者を援けて、編集実務の推進に努めてこられた。これらいろいろとお世話になった多くの方々に対して、ここに深く感謝の意を表する。

  1988年9月

 松村 明