100年を超える歴史をもつ日本映画の全作品を一望できる書物にしたい。これが本事典の企画の出発時に考えた基本的な編集方針である。そこに重要な一点が加わる。単なる作品リストにするのではなく、各作品に、どんな映画かが分かるような解説を、可能なかぎり付けることである。
しかし、第2次世界大戦の終結以前、いわゆる戦前に関しては、フィルムはわずかしか残っておらず、資料も十全ではない。一方、今世紀に入ってからは、フィルムからデジタルへの媒体転換が進むなか、製作、配給、上映の形態が多様化して、映画というものの定義がきわめて難しくなってきている。この難題をどう切り抜けるか。
日本映画史には二つの黄金時代があった。1930 年代と50年代で、映画が娯楽の王様として多大な観客を集め、質的にも量的にも繁栄を極めた。ひと口に映画といっても、その種類は多岐にわたるが、劇映画が黄金時代を担ったことは間違いなく、それは1960 年代以降、現在に至るも基本的に変わらない。
そこで、本事典では、戦前と戦後、娯楽として量産されたいわゆるプログラムピクチャーを中心に、劇映画に編集の力点を置くことにした。ただし、ジャンルによる情報量の差は大きく、戦後でいえば、ピンク映画はれっきとした劇映画であるが、作品に関する情報がきわめて少ない。その結果、本事典の収録範囲は絞られ、ピンク映画、記録映画、アニメーションなどについては、一部の作品に限っての収録となり、戦前や近年の作品についても、かなり限定的に扱うこととなった。
当初の目論見どおりには進まなかったわけだが、それでも本事典は、2万本近い作品を収載する空前の規模のものとなった。
ただし、編集作業は困難の連続に見舞われた。たとえば封切日や作品の長さが資料により異なったり、作品題名が資料とフィルムで違ったり、と、二十数年の悪戦苦闘の果てに、映画ほど事典に適さないものはないのではないかとさえ思うに至り、愕然とした。力の及ぶかぎり、さまざまな文献を精査し、流布されている諸説の校訂、確定に努めたが、自ずから限界はある。この先は世の諸賢の𠮟正を請うのみである。
本事典は映画の文献学を志したものではなく、映画それ自体の輝きを文字として定着し、映画を愛するすべての人に届けるための基礎過程にすぎないことを強調しておきたい。監督名がインデックスになってはいるが、検索の便宜を考えての構成で、本書はあくまで作品事典である。
21世紀に入り、日本映画は多彩を極め、本数も飛躍的に増えており、新たな黄金時代の到来を予見できなくもない。そうしたなか、本事典が日本映画の豊穣な姿を未来に伝える役割を果たすことができれば、これに勝る喜びはない。
山根貞男
(やまね さだお)
映画評論家。1939年、大阪生まれ。書評紙や映画批評誌「シネマ」69 ~ 71の編集・発行を経て映画評論家に。雑誌「キネマ旬報」に「日本映画時評」を長期連載中。また、朝日新聞の映画評を担当。『日本映画時評集成』全3巻、『マキノ雅弘 映画という祭り』など著書多数。『映画監督 深作欣二』『俳優 原田芳雄』など、共著による映画本も多い。