1943(昭和18)年、「簡明適切」で現代的な辞書をめざして『明解国語辞典』は誕生しました。
歴史的仮名遣いによる見出し、文語による語釈文という旧来の国語辞書の体裁を脱し、見出しは引きやすい表音式仮名遣い、語釈文は口語体、そして外来語を含む新語の積極的な採録に加え、アクセントも備えて、第一に引きやすく、第二に分かりやすく、第三に現代的なこと、という三つの根本方針に基づく新しい国語辞典が世に出ることとなりました。
遡ること4年前の1939(昭和14)年、三省堂から語釈を口語文にする国語辞典の編集を依頼された金田一京助は、教え子でもあった見坊豪紀にその作業を託します。 見坊はさらに具体的な構想を提案し、その方針のもと、東京帝国大学同窓の山田忠雄に協力を、金田一春彦にアクセントの作業を依頼し、編集執筆作業に没頭、1年あまりで原稿を完成させ、校正期間を経て完成にこぎつけます。その序文には「簡明適切な国語辞典の必要はいつの代にも感ぜられることながら、今日ほど切実なことは曽てない」とあります。 戦時下で物資が不足する中、『明解国語辞典』はその新しさ、使いやすさから、「簡明適切」な辞書を求める人びとに、大好評をもって受け入れられました。
戦後、「当用漢字表」「現代かなづかい」という新たな国語施策を反映し、1952(昭和27)年に『明解国語辞典改訂版』が刊行。そして1960(昭和35)年には新項目約5000語を追加しつつ見出し語を精選し、主に中学生を対象とする学習用途も視野に入れた姉妹版として『三省堂国語辞典』(初版)が発刊しました。
その「あとがき」に「辞書の生命は見出し語の選定と説明のしかたにある」と述べ、見出し語選定のために、見坊は、ことばの実際の使用例を重視し、広範な現代語の用例採集に着手します。
『三省堂国語辞典 第三版』の序文で見坊はこう言っています――
辞書は“かがみ”である――これは、著者の変わらぬ信条であります。
辞書は、ことばを写す“鏡”であります。同時に、辞書は、ことばを正す“鑑 ”であります。“鏡”と“鑑”のどちらに重きを置くか、どう取り合わせるか、それは辞書の性格によってさまざまでありましょう。ただ、時代のことばと連動する性格を持つ小型国語辞書としては、ことばの変化した部分については“鏡”としてすばやく写し出すべきだと考えます。(中略)
そのことばが社会にあることを知り、次に、そのことばが辞書にないことを知る――新しい見出しが辞書に立つまでには、この二つの手続きがどうしても必要です。そして、その手続きを可能にする方法はただ一つ、用例を採集することであります。
用例採集のために、見坊は「見坊カード」の名で知られる膨大な用例カードを取り続け、それは生涯にわたり、その数は実に145万枚に及びました。以降、『三省堂国語辞典』は世の中に生まれる新語と新語義をいち早くとらえて掲載する国語辞書として知られて行くことになります。
その後、1972(昭和47)年には、『明解国語辞典』を大改訂した『新明解国語辞典』が山田忠雄を主幹として誕生します。その序に「辞書は、引き写しの結果ではなく、用例蒐集と思索の産物でなければならぬ」とうたわれ、文字通り実践されました。以降、『新明解国語辞典』はことばの意味を突き詰め、追求する語釈にすぐれた国語辞書として圧倒的な支持を得て行きます。
膨大な用例採集ということばの観察からいち早く新語・新語義を収録し、簡潔明解な語釈で説明する『三省堂国語辞典』と、ことばへの深い思索に基づく意味の追求から、実感あふれる語釈を導き出す『新明解国語辞典』、この二つの辞書が小型現代語辞書の進化と洗練を推し進めてきました。そして、そのいずれも『明解国語辞典』という一つの辞書に源を発しています。
『明解国語辞典』の誕生から80年。それは、現代語辞書の進歩と進化の歴史でもありました。
ここに『明解国語辞典』刊行80周年を記念し、本年、この辞書を受け継ぐ『三省堂国語辞典』と『新明解国語辞典』においてキャンペーンを行います。
時代のことばを見つめ続け、用例を採集し、そして辞書に見出しを立てる、その営為に結び付けて、「見坊カード」を模した一筆箋と、「辞書は“かがみ”である」という『三省堂国語辞典 第三版』の序文から、コンパクトミラーを記念オリジナルグッズとして作成いたしました。
この80年間、常に日本語と向かい合ってきた国語辞典の伝統と事績をあらためてご紹介する機会になればと思います。