日本考古学事典

定価
14,300円
(本体 13,000円+税10%)
判型
A5判
ページ数
992ページ
ISBN
978-4-385-15835-8
  • 改訂履歴
    2002年5月15日
     発行
    2011年6月20日
    小型版 発行

旧石器時代から歴史時代まで、歴史・地理・民族・生物などの関連分野にも配慮

約1,600項目収録

田中琢、佐原真(編集代表)加藤晋平、小林達雄、白石太一郎 編集委員

  • 飾る、切る、食べるなど、人間活動の復原にかかわる動詞項目もたて、1,600項目を収録。
  • 考古学の研究史的な視点からの記述。
  • 世界の考古学と日本考古学のつながりと対比を追究。
  • 歴史、民族、地理、生物、建築、化学など関連諸分野にも配慮。
  • 約370点のイラスト・写真や図表、充実した索引「この事典を読むために」。

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特長

関連リンク

さらに詳しい内容をご紹介

「日本考古学事典」の内容より

編集代表・略歴

田中 琢(たなか・みがく)

1933年生。京都大学大学院修士課程修了。奈良国立文化財研究所埋蔵文化財センター長、文化庁文化財鑑査官をへて、1994年奈良国立文化財研究所長。1999年退官。平城宮跡の発掘調査では木簡第1号発見者となった。

佐原 真(さはら・まこと)

1932生。京都大学大学院博士課程修了。奈良国立文化財研究所埋蔵文化財センター長、国立歴史民俗博物館企画調整官を経て、1997年国立歴史民俗博物館長。2001年退官。考古学を易しく解説することに心がけている。2002年没。


執筆者

我孫子昭二、泉 拓良、稲田孝司、猪熊兼勝、岩永省三、上原真人、宇田川 洋、内川隆志、大三輪龍彦、岡村秀典、岡村道雄、小野正敏、小野山 節、粕谷 崇、加藤晋平、金関 恕、可児通宏、金子裕之、亀井明徳、岸本直文、木下正史、木下密運、工楽善通、栗原文蔵、車崎正彦、黒崎 直、桑原久男、古泉 弘、甲元真之、小林達雄、小南一郎、斉藤孝正、酒野晶子、佐川正敏、佐原 真、沢田正昭、寒川 旭、設楽博己、白石太一郎、椙山林継、鈴木隆雄、鈴木保彦、砂田佳弘、清家 章、高橋克寿、巽 淳一郎、田中 淡、田中 琢、谷口康浩、千葉 豊、都出比呂志、当真嗣一、永島正春、中村 大、中村慎一、難波洋三、西村 康、原田昌幸、春成秀爾、広瀬和雄、深沢芳樹、福永伸哉、藤沢典彦、藤本 強、前川 要、前田洋子、町田 章、松井 章、水野正好、宮尾 亨、宮本長二郎、森岡秀人、森本 晋、山内紀嗣、山中敏史、山本忠尚、吉田恵二、和田晴吾


推薦文

梅原 猛(うめはらたけし) 哲学者

 私は、自分の仕事を第三次産業とよんでいる。考古学が第一次産業、歴史学は第二次産業。この二つの産業が確定した事実にもとづいて、自由な想像力で世界とか人間などを問うのが私の哲学者としての仕事である。  こういう私にとって絶好の第一次産業の事典が出た。現代日本で活躍しているすぐれた考古学者による最近の考古学的発見と、それに関する多くの学説を詳しくしかも分かり易く述べた事典である。このような事典をしっかり読み、いろいろ想像力をめぐらせて、私ながらの学説をつくるという老後の楽しみができたのである。  私のような老人ばかりではなく、広く考古学を愛好する若い人にも読んでもらいたいと思う。

門脇禎二(かどわきていじ) 元京都府立大学長

項目のたて方、研究史をふまえた叙述、編者・執筆陣の見識と苦心がどのページからも読み取れる。刺激的で、まさに“新しい”考古学事典である。

佐々木高明(ささきこうめい) 前国立民族学博物館長

十数年前から聞いていた考古学事典がついに出来た。待っただけのことはあった。素人でも活用できる便利なものが出来たことを喜んでいる。

戸沢充則(とざわみつのり) 前明治大学長

戦後日本考古学の第一線を歩んだ編者等の豊富で正確な実績に基づく、21世紀考古学のバイブルとなる『事典』である。

平野邦雄(ひらのくにお) 横浜市歴史博物館館長

旧石器時代から歴史時代まで、急激にその分野を拡大させた現代の考古学に、はじめて対応できる網羅的で精密な事典である。


書評など

■ 史学雑誌 111編9号(2002年9月)/新刊紹介

 考古学と文献史学の協同が強調されるようになって久しいが、文献史学の側からすると、考古学は聞きなれない用語を多く使うのでとっつきにくい、考古学の論文を読んでみても本当に理解できたのかこころもとないというのが偽らざる感想ではないだろうか。実は考古学内部でも研究の専門化が進み、よその分野で使われる用語の意味が十分把握しきれないのは評者のみではないであろう。そのような問題の道案内としてよい事典が出た。田中琢・佐原真両氏が中心になって編集した『日本考古学事典』である。  考古学事典と題するものは一九五一年の酒詰・篠遠・平井氏による『考古学辞典』にはじまり、今日まで相当な数になるが(本書の「考古学事典」の項目を参照されるとよい)、近年の考古学上の調査と発見の増大、研究の多様化が進む中で、考古学のすべての分野を一冊に収録することは困難となり、『旧石器考古学辞典』、『縄文時代研究事典』、『日本古墳大辞典』、『図説江戸考古学研究事典』、『日本土器事典』など事典自体が専門分化することによって事態に対応している。これらは考古学の研究者や学生が、多数の個別的な事例を短時間で把握するために不可欠なものとなっているが、その陰で、考古学全体にかかわる基本的な概念、用語、方法論になると、近年のどの専門事典もカバーできない死角に陥っていた。  本書はこの部分を意識的にとりあげた構成になっている。だからこれまでの考古学事典が多くの頁を割いてきたところの個々の遺跡名、土器型式名、人名などはほとんど項目化されていない。それにかわって「時代区分」、「インダストリー」など考古学特有の概念の解説だけでなく、「食べる」、「寝る」のように、どのような事典もとりあげそうもない一般的項目を多数あげ、「食べる」なら、時代と地域を超えて食べ物の種類と時代的地域的変化、入手方法、調理法、研究の方法などが縦横に記述される。このような編集方針であるから、各項目が網の目のような関係を持っている。この関係の見取り図が巻末の三四頁におよぶ関係項目一覧である。  執筆者七八名はすべて学界の中堅以上から長老クラスで、各分野のリーダーに配分した項目を自由に料理してもらおうというかっこうである。当然各項目には大きな紙面が用意されている。  私どもの研究室で学生が卒業論文のテーマを選ぶ場合、まず地域と時代を限定し、その中で遺物、遺跡の種類といった即物的方向で選択を進めるものが多い。しかし本書をめくり興味を引かれた項目を読み進むなら、人間の生活や社会のひとつの面から興味あるテーマを設定することも可能となろう。  考古学の基本的ことがらばかりでなく考古学の方向から人間や文化を知り、考えるための事典であり、くつろいだ気持ちで本書を開くなら、開くたびに知的万華鏡の世界に導かれ、必ずいくつかの小発見をさせてくれる。  この特色ある辞典を構想・編集され、自ら多くの項目を執筆された佐原真氏は、本年七月一〇日闘病の末に逝去された。残された短い時間と競うようにいくつかの仕事の完成に最後の力を振り絞られていた氏が、黄泉の旅立ちの前に日本の歴史学に残した最後の贈り物である。

(今村啓爾)

■ 季刊考古学 80号(2002年8月)/書評欄

 「新しい」日本考古学事典が登場した。あえて「新しい」と表現したのには相応の理由がある。それは最新に加えて,新鮮さ,さらにユニークさをあわせもっているからである。  日本の考古学は,すでに数冊の事(辞)典を有しているが,この度の事典は,最新の研究成果を網羅しているのは当然にしても,構成にかつて見られなかった創意工夫が,ちりばめられている。事(辞)典の編集は,言うは易い(方針の立て方)が,その実行となるとなかなか難事なもので,編集者の識見とそれを承けた執筆者そして出版社とのハーモニーの度合によって方向が定まる。  「新しい」事典を標傍する編者は,とくに研究史の重視,国際的視野の展開,人間活動の復原,近接分野の成果の咀嚼を掲げているが,それは現在の考古学の立脚点を明確にし,東アジアをはじめ世界の考古学に眼を向けて日本と対比する必要性を説き,項目として動詞をとり入れ,文献史学・民族学・人類学・民俗学,さらに自然科学の諸分野の研究の成果を積極的に導入したことに表われている。5名の編者(加藤晋平―旧石器,小林達雄―縄文,佐原―弥生,白石太一郎―古墳,田中―歴史)の思いが78名の執筆者との協同作業として,如上の諸点が成就されている。そこには20世紀における日本考古学の成果を総括して研究の到着点を明快に整理し,21世紀に展開する日本考古学の方向性をも提示したものとなっている。  編者は,巻頭の「読者のかたがたへ」,巻末の「この事典を読むために」において,活用の仕方を解説する。そこには読む事典としての視点が説かれ,編者から読者へのメッセージとなっている。  多くの事(辞)典に採用されている項目――土器の様式・型式,人名,遺跡名を収めていないことも編者の識見であろう。増え続ける遺跡,評価の定まっていない遺跡,時代と地域ごとに設定された土器標式の多様性などの現状を踏えて,あえて採用を避け,読む事典を目指した方針がキラリと光っている。しかし,辞典の期待をもって本事典を手にする読者にとっては戸惑いを感じるかもしれない。  考古学は人間を対象とする科学であり,そこに人間活動の復原を考えることが必要とする提言から「飾る」「切る」「座る〈坐る〉」「食べる」「磨く」などの動詞を収め,モノから人間の過去を考える視点が具体的に説明されている。考古学の事(辞)典としてはじめての試みであり,滅法面白い項である。また,「階級・階層」「氏族・部族・種族・民族」「時代区分・時期区分」のごとき隣接分野で論議されている項目を考古学の立場で手際よく触れ,また「威信財」「指紋」「去勢」や「喜怒哀楽」「火事・放火」のごとき目新しく興味ある項も収められ,一味違う趣が感じられる。さらに「コンピューター」「統計」「動物考古学」をはじめ学際研究による新たな考古学の分野などの最新情報,「遺跡地図」「緊急調査」「考古学事典〈考古学辞典〉」「分布調査」「分布・分布図」「報告書」「埋蔵文化財」など実用向きの項目は親しみが湧く。一方,論争として「縄文時代年代」「本ノ木」「ミネルヴァ」「邪馬台国」などの項は研究者にとっても有用であろう。  これらの項目は,巻末の関連用語索引と項目一覧によって検索することができるが,任意に頁を開いて,そこを読むのも楽しいし,安芸早穂子のイラストも眼福となろう。考古学の事(辞)典には写真と実測図が挿入されるのが普通であるが,鏡をのぞいてイラストが用いられ和やか効果を挙げている。それぞれの項目の末尾には「文献」が掲げられており,文献目録としても活用することができる配慮がなされている。  このような本事典は,読むことによって日本考古学の現状を知り,問題点を理解し,明日の考古学を考える糧ともなる内容を含んでいる。読者の活用次第によって無限の有用性が発揮されることは疑いない。ただ,望蜀の言として「縄文」〈縄紋〉についての図による解説や「古墳」項などに挿図の配慮がほしかったように思う。  「過去と未来を現在から展望する視点」を設定し,「正確に調査や研究の成果」の「情報を提供する」ことを目標として企画された本事典は,項目選定のユニークさを通して,研究者,同好者をはじめ,広く人びとに日本考古学の正確な情報を提供したものと言えるであろう。  考古学を生業としている人,関心をもっている人,そして学んでいる人にとって,座右のレファレンスとして活用されることを願ってやまない。

(坂詰秀一)


■ 東京新聞 2002.5.23/中日新聞 2002.5.28「自著を語る  佐原 真さん」

東京新聞2002.5.23/中日新聞2002.5.28「自著を語る 佐原 真さん」

■ 毎日新聞、6.16

毎日新聞2002.6.16

■ 毎日新聞、7.16

毎日新聞、7.16

 弥生時代研究の第一人者で、前国立歴史民俗博物館長の佐原真さんが10日亡くなった。研究の最先端を疾走し、その成果の普及にも人一倍力を注いだ学問人生だった。佐原さんの業績と人柄を後輩の考古学者、春成秀爾・同博物館教授に語ってもらった。【構成・伊藤和史】  20世紀後半の50年間で、考古学者としていちばん「華」と心のある人だった。彼のいるところ、いつも学問中心の話題で明るく楽しい雰囲気があふれていましたね。  若い時は土器の紋様の細かい変遷や、銅鐸の編年研究で実績を上げた。40歳をすぎて、食べ物、環境、戦争、性差別の問題など、考古学の幅をどんどん広げていった。  それができたのは、他の分野の一線の人ともすぐ親しくなれたから。最先端の情報を仕入れ、相手の業績をきちんと評価したうえで自分の解釈を加えるから、誰もが協力しました。 (中略)  今年出た『日本考古学事典』(三省堂)は、彼と共編者の田中琢さん(前奈良文化財研究所長)ならではの発想の事典で、30年、いや50年は凌駕できないと思う。人とモノが緊張しながらも、親密な関係にあった20世紀後半のよき時代の考古学を総括している。若い研究者もそう簡単には越せない。学問には精密さが必要だが、それだけではつまらないものになる。この事典には血と心が通っています。  (後略)


刊行のことば

 わが国では、考古学は現在隆盛をきわめているかに見えます。たしかに今この学問の周辺には、日本の近代考古学百年の歴史のなかでは見られなかったほど多数の人たちが関心をもって集まっております。発掘調査もいたるところで絶えまなく実施されています。それらが新聞やテレビなどのマスメディアの視線を考古学に向けさせ、それがまた人々の関心をひきおこしています。考古学の周辺には、社会の関心と多量の情報とが過剰にまであふれています。  そこでよく感じることがあります。もう少し適切なわかりやすい形で正確に調査や研究の成果に関する情報を提供できないものだろうか、ということです。それは、やさしい文章で書くことはもちろんですが、それだけではありません。やや固くいえば、現在の厖大な情報を分析するとき、新しい調査や研究への出発点にすること、簡潔にいえば、過去と未来を現在から展望する視点を明確にする必要がある、ということでしょう。われわれの考古学が現在おかれている学問的状況がいかに形成されてきたか、学術用語や学術上の概念の一つ一つについてそれを明確にしていくことは、現状を分析し、未来を展望するうえで、有効な、そして、不可欠な手続きでありましょう。この事典を企画するうえで、まずそれを願いました。

(「内容見本」より)


読者のかたがたへ(本文より)

 新しい日本考古学の事典をお届けします。  この事典を手にして「なぜ?」と思われるところがあるかもしれません。そのひとつは人の行為をあらわす動詞形の項目でしょう。そのような項目をなぜ設定したのか。例をあげましょう。「食べる」です。 人が「食べる」行為に関連する項目には、「食料」からはじまって、それを入手する「狩猟」や「農業」あるいは「稲作」、入手するための「弓矢」や「落し穴」、「鋤」や「鍬」あるいは「石庖丁」など、さらに食料を貯蔵する「穴倉」、入手した食料を加工する「石皿」や「磨石」、「鍋」や「釜」など、そして食べるための「食器」や「箸」「匙」の類、すべてを挙げきることはできません。これらの考古資料を起点にして「煮炊き」や「蒸す」行為を明らかにし、それを経由して人が「食べる」段階に到着します。このように人の行為の全体像を明らかにすることが考古学研究の出発点だ、と私たち編集委員は考えたのです。今回とりあげることができたのは多くはありませんが、この事典編集の主意の一部はこの動詞形の項目の採用にあらわすことができた、と思っています。  このようなかたちで考古学研究の成果を伝えるには、調査と研究の現状をありのままに伝えることが必要です。現状は過去の成果を展望するなかで浮かび上がってきます。執筆者のかたがたに研究史的な視点からの記述も重視するようにお願いした理由はここにあります。過去は現在の起点であり、現在は未来の日本考古学を展開する足がかりになる、と考えたのです。  日本の歴史は、いうまでもなく、アジアの、そして世界の歴史と分かちがたくつながっています。さらにまた、考古学の研究法の基盤には他の地域の考古学の研究成果との対比があります。直接関係が深かった近隣地域はもちろん、その他の地域の調査研究成果との対比は、日本の歴史の特質と普遍性を明確にするでしょう。日本考古学から離れた記述は避けるとして、外国の考古学とのつながりと対比の追究は欠かせない、と考えました。  考古学の研究は、文献史学や民族学あるいは人類学や民俗学など、多くの近接する諸分野の研究と密接に関連しています。それらの成果の総合が過去の人間活動の解明作業全体を形成するものとなるでしょう。しかし、それぞれ研究課題の設定には違いがあります。一例をあげれば「首長」です。文献史学でも民族学でもそのことばで表現したものの実態の把握が研究課題になります。考古学ではそれを考古資料によってどのように論じているのか。その種の項目設定もこの事典のひとつの特徴になったのではないでしょうか。  考古学に固有の特徴的な学術用語を解説するのもこの種の事典には欠かせない役割です。採用する用語の選択では、かつて考古学用語の類義語彙集〈ルビでシソーラス〉の編集を試みたときに明治以来の考古学書からコンピューターで収集していた用語集を参考にしました。それを検討する作業を数度くり返し、項目として採用する用語を決めていきました。事典として大項目主義か、中項目か、あるいは小項目を基本とするか、その種の議論はありませんでした。また、土器の様式・型式名や人名あるいは遺跡名などは項目として採用しない方針をとりました。それらは、膨大であるだけでなく、年ごとに増加し、評価は変化するし、そのための事典類も別にあるからです。  一般に事典はことばの意味を調べるために引くことが多いでしょう。もちろんこの事典も引いてください。しかし、加えてこの事典は読んでいただくことを望んでいます。引くだけでなく、読む事典であってほしいのです。そのために通常の索引とは違って「この事典を読むために」を作成し、巻末に添付しました。  この『日本考古学事典』編集に着手して十数年、さまざまの事情もあって、刊行が今日まで遅延し、早くに原稿をいただいた執筆者のかたがたにはご迷惑をかけしました。その間、三省堂出版局の欄木寿男さんと最後に編集を担当された増田正司さんの努力も大きく、とくに最初のころ編集委員の議論に積極的に加わっていただいた今井克樹さんのことが忘れられません。挿図を作成していただいた安芸早穂子さんもあわせて、関係者のかたがたにお礼申し上げます。  多くのかたがたのご協力を得てこの事典を編集、刊行しました。しかし、さまざまの試みがなお完成途上にあることを痛感しております。読者のかたがたのご意見とご批判をお待ちしております。 2002年 3月

主な特徴

* 強力な5名の編集委員と充実した78名の執筆陣。編修担当:旧石器時代=加藤晋平、縄文時代=小林達雄、弥生時代=佐原 真、古墳時代=白石太一郎、歴史時代=田中 琢 * 旧石器時代から歴史時代まで、1,600項目を収録。歴史・民族・地理・地質・生物・人類・建築・化学などの関連分野の項目にも配慮してある。 * 最新の研究成果に基づいた、正確で詳細な記述。従来にない新しい事典とするため、特に次の4点を重視した。 (1)現在の考古学の立脚点を明確にするために研究史を追求した。 (2)日本の日本考古学事典であるが、日本以外の地域との対比、東アジアから世界の考古学の状況にも目を配った。 (3)類書では採用されない飾る・切る・磨くなどの動詞項目を立項し、考古学が人間活動の復原にどのように係わっているかを示した。 (4)遺跡名や人名は立項しないが、必要なものには記述にできるかぎり書きこむことにした。 * 豊富な図版、充実した索引。

新しい『日本考古学事典』は、さまざまの質問に回答します。

編集代表・田中 琢

●質問:お祝いの赤飯は古代米の赤米に起源があると聞いたことがあります。赤米は原始古代からあったのですか。 回答:出土した最古の赤米は日本で稲作が始ってから千年以上後のものです。項目「米」や「イネ」をお読みください。巻末の索引「この事典を読むために」の「稲作」に関連情報のあるページを集めてますので参考に。 ●質問:昔は米を蒸して食べたと聞きましたが。 回答:弥生人は、米を蒸すのではなく、もっぱら煮て食べていました。項目「蒸す」「煮炊き」と巻末「この事典を読むために」の「煮炊き」を参考に。 ●質問:韓国旅行で石鍋料理を食べましたが、日本に石鍋がありましたか。 回答:平安時代から室町時代にかけて日本でも広く石鍋を使っています。項目「石鍋」と巻末「この事典を読むために」の「煮炊き」を参考に。 ●質問:ワールドサッカーで韓国の犬肉料理が問題になっていますが、日本では犬肉を食べたことはなかったのですか。 回答:食べたことがありました。巻末「この事典を読むために」の「食べる」のなかの「犬肉食」を参考に。 ●質問:米がなかった縄文人はなにをどれほど食べていたのですか。 回答:縄文人は地域によっておもに食べたものが違っていたようです。項目「炭素窒素同位体法」や「木の実」と巻末「この事典を読むために」の「食べる」を参考に。 ●質問:日本人の好むタコを捕るタコ壺はいつごろからあるのですか。 回答:弥生時代の中ごろ、紀元前後のころからタコ壺漁が始ります。日本独自の漁法のようです。項目「タコ壺」を、巻末「この事典を読むために」の「漁撈具」を参考に。 ●質問:いま死者の装束は左前(左衽)に着せますが、高松塚古墳の壁画の人物は左前です。死者の装束だったのですか。 回答:古墳時代の埴輪から高松塚のころまで左前が普通の衣服の着かたでした。その後、政府の命令で右前が正式になるのです。巻末「この事典を読むために」の「左衽」「右衽」を参考に。 ●質問:「魏志倭人伝」で倭人の衣服は「貫頭衣」であると読んだのですが、どのようなもので、いつごろまであったのですか。 回答:8世紀ごろまで普段着は貫頭衣だったとする説があります。項目「貫頭衣」を、巻末「この事典を読むために」の「着る」を参考に。 ●質問:『源氏物語絵巻』の貴婦人は髪を後に垂れる「おすべらかし」ですが、浮世絵の美人はさまざまの髪形に結っています。古くは結髪はなかったのですか。 回答:高松塚古墳のころまでは髪をさまざまに結っていたようです。項目「髪形」や巻末「この事典を読むために」の「髪形」を参考に。 ●質問:復原した竪穴住居の屋根の上に土が被せてあったのですが、竪穴住居はこのような土小屋のようなものだったのですか。 回答:最近、屋根に土を被せた竪穴住居が見つかっています。竪穴住居の構造にも違いがあることが判明しています。項目「竪穴住居」や巻末「この事典を読むために」の「住居」を参考に。 ●質問:『万葉集』に「玉藻刈り」「藻塩焼きつつ」と詠った歌があります。「藻塩焼く」製塩法は確認できていますか。 回答:「藻塩焼く」塩づくりがあったことは発掘調査の結果から明らかになっています。巻末「この事典を読むために」の「塩」を参考に。 ●質問:縄文時代にも馬や牛を飼っていたのですか。 回答:旧説ではそうでした。しかし、事実は違っていました。項目「ウシ」や「ウマ」、巻末「この事典を読むために」の「飼う」を参考に。 ●質問:人は花を愛でます。旧石器人や縄文人はどうだったのですか。古代の庭園にはどのような花樹を植えていたのですか。 回答:死者への献花や庭園の植栽などについて、巻末「この事典を読むために」の「花」を参考に。 ●質問:いま日本は長寿社会です。昔はどうでしたか。飢饉や病気など厳しい環境だったのでなかったのではないでしょうか。 回答:巻末「この事典を読むために」の「ヒト」や「病気」を参考にしてページを繰ってください。多様な情報が入手できます。 ●質問:北海道はもともとアイヌの人たちが生活していた土地ですが、その生活は本州以南とは違っていたのですか。 回答:今の北海道の歴史は本州・四国・九州とは大きく違っていました。南の沖縄や先島諸島も違った歴史の途をたどりました。巻末「この事典を読むために」の「アイヌ」や「沖縄先史時代」を参考に。 ●質問:近年、女性史研究に歴史研究の一つの焦点がありますが、考古学では、女性の問題、男女の問題をどのように取りあげていますか。 回答:女性の問題、男女の性差の問題を日本考古学で論じ始めたのは最近といってよいでしょう。項目「男女」や巻末「この事典を読むために」の「男女」を参考に。 ●質問:考古学は、なにをどのように解明するのですか。 回答:この『日本考古学事典』がそれに答えています。

(ホームページ用に執筆していただきました)

凡例

I 編集方針

1.この事典は、考古学の研究者や学生だけでなく、考古学に関心をもつ一般市民を対象としました。 2.採録した項目は、旧石器時代から現代まで、ほぼ1600項目になります。 3.考古学研究の最新の成果に基づく記述を基本とし、さらに以下の点を重視しました。 (1) 現在の考古学の立脚点を明確にするための研究史の追究。 (2) 東アジアおよび世界の考古学と日本考古学とのつながりと対比の視点からの記述。 (3) 動詞形の項目の採用による人間活動の総体的な復原の紹介。 歌う/埋める/占う/描く〈画く〉/踊る・舞う/飼う/書く/隠す/囲む/飾る/奏でる/切る/着る/組合わせる・組立てる/削る/殺す/捨てる/座る〈坐る〉/供える/貯える/戦う〈闘う〉/食べる/突刺す/繋ぐ・結合する/摘む・刈る/研ぐ・研ぎなおし/寝る/呪う/運ぶ/葬る/彫る/掘る/播く〈蒔く〉・植える/真似る/回す/磨く/蒸す/割る(38項目) (4) 文献史学や民族学など近接する諸研究分野の成果との対比と総合。 4.引く事典であるだけでなく、読む事典であることをめざして、通常の索引とは異なる「この事典を読むために」を作成、付載しました。

II 見出語

1.見出語はゴシック体で示し、「漢字見出し」の上に小さな文字の「かな見出し」を付けました。 2.見出語の表記のほかに、広く用いられる表記は〈 〉内に示しました。 3.他に説明のある同義語や関連語は空見出しとし、→で本項目の見出語を導きました。

III 見出語の配列

1.見出語は、長音および中黒を無視した五十音順としました。 2.清音・濁音・半濁音の順としました。 3.見出語が同音の場合は漢字の画数順としました。

IV 時代・時期区分

本事典の時代・時期区分は以下のとおりとしました。 1.旧石器時代 ― 前期、中期、後期の3期区分 2.縄文時代 ―― 草創期、早期、前期、中期、後期、晩期の6期区分 3.弥生時代 ―― 先I期、I期、II期、III期、IV期、V期の6期区分 4.古墳時代 ―― 前期、中期、後期、終末期の4期区分 5.歴史時代 ―― 古代・中世・近世・近代としましたが、奈良・平安・鎌倉・室町・戦国・江戸など、一般に用いられている時期区分も適宜使いました。 6.北海道は旧石器、縄文、続縄文、擦文・オホーツク、アイヌ文化の時代、沖縄は旧石器、貝塚、グスクの時代としました。

V 解説文について

1.時期・地域・分野などのまとまりによって、1、2、3と分けました。 2.常用漢字・現代仮名遣いとしますが、学術用語や固有名詞などはこの限りでありません。なお、簡潔な文章を旨とし、敬語・敬称・肩書きは付けませんでした。 3.外国語・外来語などの表記は原音を尊重しますが、慣用的表記が一般化している場合は慣用的表記としました。なお、中国の漢字などは原則として日本の通常字体としました。 4.遺跡名は、各項目の初出について県名+遺跡名としました。外国の遺跡名は国名および地域名+遺跡名としました。 5.年号は西暦とし、必要に応じて( )内に元号を付けました。ただし、西暦と元号は厳密な比定はせず、慣例に従って改元年号で示すことを原則としました。 6.数字は算用数字とし、万・億の位には漢字を入れました。 7.度量衡はメートル法で、記号・略号を用いました。 8.書籍・雑誌名などは『 』内に、論文ほかのタイトル名および引用・強調などは「 」内に示しました。なお、欧文書名はイタリック体としました。 9.おおよその地理的概念を表現することばとして「日本」を使用しました。国号の「日本」の成立以前について「日本列島の旧石器時代」などとする考えもありますが、それでも「日本」の使用は避け得ず、簡潔に表現することとしました。「朝鮮半島」についても現在の国号とは別に地理的概念としてそれを採用しました。そのほかの国名・地域名は慣用に従って、中国、アメリカ、イギリスなどとしました。 10.内容を補完し、関連をはかるために、必要に応じて項目となっている用語の語頭に「*」を付けました。 11.読者の理解を深めるよう、約370点の図表を付けました。 12.文末の( )内に執筆者名を示しました。 13.項目全体に係わる参考文献ないし、さらに文献を渉猟する手がかりになる文献はまとめて[文献]とし、編著者名、論文名、書名、巻号数、刊行年(西暦)の順に記し、配列は刊行年の順としました。

VI 略語

歴博:国立歴史民俗博物館 奈文研:奈良文化財研究所 橿考研:奈良県立橿原考古学研究所 教委:都道府県市区町村教育委員会 「雄略記」:『古事記』雄略記 、「雄略紀」:『日本書紀』雄略紀 など 「魏志倭人伝」:『三国志』魏書東夷伝倭人の条