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「日本考古学事典」の内容より

書評など

■ 史学雑誌 111編9号(2002年9月)/新刊紹介

 考古学と文献史学の協同が強調されるようになって久しいが、文献史学の側からすると、考古学は聞きなれない用語を多く使うのでとっつきにくい、考古学の論文を読んでみても本当に理解できたのかこころもとないというのが偽らざる感想ではないだろうか。実は考古学内部でも研究の専門化が進み、よその分野で使われる用語の意味が十分把握しきれないのは評者のみではないであろう。そのような問題の道案内としてよい事典が出た。田中琢・佐原真両氏が中心になって編集した『日本考古学事典』である。

 考古学事典と題するものは一九五一年の酒詰・篠遠・平井氏による『考古学辞典』にはじまり、今日まで相当な数になるが(本書の「考古学事典」の項目を参照されるとよい)、近年の考古学上の調査と発見の増大、研究の多様化が進む中で、考古学のすべての分野を一冊に収録することは困難となり、『旧石器考古学辞典』、『縄文時代研究事典』、『日本古墳大辞典』、『図説江戸考古学研究事典』、『日本土器事典』など事典自体が専門分化することによって事態に対応している。これらは考古学の研究者や学生が、多数の個別的な事例を短時間で把握するために不可欠なものとなっているが、その陰で、考古学全体にかかわる基本的な概念、用語、方法論になると、近年のどの専門事典もカバーできない死角に陥っていた。

 本書はこの部分を意識的にとりあげた構成になっている。だからこれまでの考古学事典が多くの頁を割いてきたところの個々の遺跡名、土器型式名、人名などはほとんど項目化されていない。それにかわって「時代区分」、「インダストリー」など考古学特有の概念の解説だけでなく、「食べる」、「寝る」のように、どのような事典もとりあげそうもない一般的項目を多数あげ、「食べる」なら、時代と地域を超えて食べ物の種類と時代的地域的変化、入手方法、調理法、研究の方法などが縦横に記述される。このような編集方針であるから、各項目が網の目のような関係を持っている。この関係の見取り図が巻末の三四頁におよぶ関係項目一覧である。

 執筆者七八名はすべて学界の中堅以上から長老クラスで、各分野のリーダーに配分した項目を自由に料理してもらおうというかっこうである。当然各項目には大きな紙面が用意されている。

 私どもの研究室で学生が卒業論文のテーマを選ぶ場合、まず地域と時代を限定し、その中で遺物、遺跡の種類といった即物的方向で選択を進めるものが多い。しかし本書をめくり興味を引かれた項目を読み進むなら、人間の生活や社会のひとつの面から興味あるテーマを設定することも可能となろう。

 考古学の基本的ことがらばかりでなく考古学の方向から人間や文化を知り、考えるための事典であり、くつろいだ気持ちで本書を開くなら、開くたびに知的万華鏡の世界に導かれ、必ずいくつかの小発見をさせてくれる。

 この特色ある辞典を構想・編集され、自ら多くの項目を執筆された佐原真氏は、本年七月一〇日闘病の末に逝去された。残された短い時間と競うようにいくつかの仕事の完成に最後の力を振り絞られていた氏が、黄泉の旅立ちの前に日本の歴史学に残した最後の贈り物である。

(今村啓爾)

■ 季刊考古学 80号(2002年8月)/書評欄

 「新しい」日本考古学事典が登場した。あえて「新しい」と表現したのには相応の理由がある。それは最新に加えて,新鮮さ,さらにユニークさをあわせもっているからである。

 日本の考古学は,すでに数冊の事(辞)典を有しているが,この度の事典は,最新の研究成果を網羅しているのは当然にしても,構成にかつて見られなかった創意工夫が,ちりばめられている。事(辞)典の編集は,言うは易い(方針の立て方)が,その実行となるとなかなか難事なもので,編集者の識見とそれを承けた執筆者そして出版社とのハーモニーの度合によって方向が定まる。

 「新しい」事典を標傍する編者は,とくに研究史の重視,国際的視野の展開,人間活動の復原,近接分野の成果の咀嚼を掲げているが,それは現在の考古学の立脚点を明確にし,東アジアをはじめ世界の考古学に眼を向けて日本と対比する必要性を説き,項目として動詞をとり入れ,文献史学・民族学・人類学・民俗学,さらに自然科学の諸分野の研究の成果を積極的に導入したことに表われている。5名の編者(加藤晋平―旧石器,小林達雄―縄文,佐原―弥生,白石太一郎―古墳,田中―歴史)の思いが78名の執筆者との協同作業として,如上の諸点が成就されている。そこには20世紀における日本考古学の成果を総括して研究の到着点を明快に整理し,21世紀に展開する日本考古学の方向性をも提示したものとなっている。

 編者は,巻頭の「読者のかたがたへ」,巻末の「この事典を読むために」において,活用の仕方を解説する。そこには読む事典としての視点が説かれ,編者から読者へのメッセージとなっている。

 多くの事(辞)典に採用されている項目――土器の様式・型式,人名,遺跡名を収めていないことも編者の識見であろう。増え続ける遺跡,評価の定まっていない遺跡,時代と地域ごとに設定された土器標式の多様性などの現状を踏えて,あえて採用を避け,読む事典を目指した方針がキラリと光っている。しかし,辞典の期待をもって本事典を手にする読者にとっては戸惑いを感じるかもしれない。

 考古学は人間を対象とする科学であり,そこに人間活動の復原を考えることが必要とする提言から「飾る」「切る」「座る〈坐る〉」「食べる」「磨く」などの動詞を収め,モノから人間の過去を考える視点が具体的に説明されている。考古学の事(辞)典としてはじめての試みであり,滅法面白い項である。また,「階級・階層」「氏族・部族・種族・民族」「時代区分・時期区分」のごとき隣接分野で論議されている項目を考古学の立場で手際よく触れ,また「威信財」「指紋」「去勢」や「喜怒哀楽」「火事・放火」のごとき目新しく興味ある項も収められ,一味違う趣が感じられる。さらに「コンピューター」「統計」「動物考古学」をはじめ学際研究による新たな考古学の分野などの最新情報,「遺跡地図」「緊急調査」「考古学事典〈考古学辞典〉」「分布調査」「分布・分布図」「報告書」「埋蔵文化財」など実用向きの項目は親しみが湧く。一方,論争として「縄文時代年代」「本ノ木」「ミネルヴァ」「邪馬台国」などの項は研究者にとっても有用であろう。

 これらの項目は,巻末の関連用語索引と項目一覧によって検索することができるが,任意に頁を開いて,そこを読むのも楽しいし,安芸早穂子のイラストも眼福となろう。考古学の事(辞)典には写真と実測図が挿入されるのが普通であるが,鏡をのぞいてイラストが用いられ和やか効果を挙げている。それぞれの項目の末尾には「文献」が掲げられており,文献目録としても活用することができる配慮がなされている。

 このような本事典は,読むことによって日本考古学の現状を知り,問題点を理解し,明日の考古学を考える糧ともなる内容を含んでいる。読者の活用次第によって無限の有用性が発揮されることは疑いない。ただ,望蜀の言として「縄文」〈縄紋〉についての図による解説や「古墳」項などに挿図の配慮がほしかったように思う。

 「過去と未来を現在から展望する視点」を設定し,「正確に調査や研究の成果」の「情報を提供する」ことを目標として企画された本事典は,項目選定のユニークさを通して,研究者,同好者をはじめ,広く人びとに日本考古学の正確な情報を提供したものと言えるであろう。

 考古学を生業としている人,関心をもっている人,そして学んでいる人にとって,座右のレファレンスとして活用されることを願ってやまない。

(坂詰秀一)

■ 東京新聞 2002.5.23/中日新聞 2002.5.28「自著を語る  佐原 真さん」

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■ 毎日新聞、6.16

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■ 毎日新聞、7.16

383x339佐原先生

 弥生時代研究の第一人者で、前国立歴史民俗博物館長の佐原真さんが10日亡くなった。研究の最先端を疾走し、その成果の普及にも人一倍力を注いだ学問人生だった。佐原さんの業績と人柄を後輩の考古学者、春成秀爾・同博物館教授に語ってもらった。【構成・伊藤和史】

 20世紀後半の50年間で、考古学者としていちばん「華」と心のある人だった。彼のいるところ、いつも学問中心の話題で明るく楽しい雰囲気があふれていましたね。

 若い時は土器の紋様の細かい変遷や、銅鐸の編年研究で実績を上げた。40歳をすぎて、食べ物、環境、戦争、性差別の問題など、考古学の幅をどんどん広げていった。

 それができたのは、他の分野の一線の人ともすぐ親しくなれたから。最先端の情報を仕入れ、相手の業績をきちんと評価したうえで自分の解釈を加えるから、誰もが協力しました。

(中略)

 今年出た『日本考古学事典』(三省堂)は、彼と共編者の田中琢さん(前奈良文化財研究所長)ならではの発想の事典で、30年、いや50年は凌駕できないと思う。人とモノが緊張しながらも、親密な関係にあった20世紀後半のよき時代の考古学を総括している。若い研究者もそう簡単には越せない。学問には精密さが必要だが、それだけではつまらないものになる。この事典には血と心が通っています。  (後略)