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図鑑は愉しい! 第9回 だから図鑑はやめられない

2015年 6月 5日 金曜日 筆者: 小須田健

【編集部から】
図鑑の作り手や売り手、愛読者に、図鑑にまつわる思い出や、図鑑の愉しみ方を語ってもらう好評リレー連載。第9回の執筆者は、『哲学大図鑑』『心理学大図鑑』『経済学大図鑑』の翻訳を手がけた小須田健さんです。

だから図鑑はやめられない

 だれしも、その幼年期において図鑑類との幸福な出会いの経験をおもちなのだろう。その具体例については、これまでの連載で多くのかたが語っておられるので、屋上屋を重ねることは控えたい。代わりに、入門書の形式として図鑑を用いるというスタイルについて、このシリーズの何冊かの翻訳に携わった者として若干の感想を述べたい。

 最初にお話をいただいたのは、『哲学大図鑑』であった。これは自分の専門でもあり、入門書の類いならこれまでに何冊もかかわった経験もあったために、まずは不安感が先にたった。哲学とは基本的に抽象的な概念を駆使していとなまれる議論の集積だ。そこに、図鑑というスタイルで表現できるような具体的な内容がどれだけあるのかと訝しがらずにはおれなかったのだ。

 だが、思想的背景を示す年表がどの思想家にもつけられ、さらに図解することで理解が容易になりそうな主題にかぎって各哲学者を紹介するという大胆な手法によって、それぞれの項目が読みものとしておもしろくなると同時にほかの項目へ自由に飛んでゆけるような配慮がなされていて、これはなかなかみごとな手法だと一読して感心させられた。

 つぎにお話をいただいたのが、『心理学大図鑑』であった。心理学はじつは学部生のときに専攻していたこともあって、ある程度の知識はあるつもりでいた。だが、日進月歩の分野でもあり、専門家のご協力が不可欠だろうということで、池田健先生に用語監修をお願いした。これによって、多くの過ちを免れることができた。内容的には、認知心理学や社会心理学系統の最近の展開をあつかっている部分にとりわけ関心をそそられる知見が多く採りあげられていて、読みものとしては前作以上に興味深いものであった。個人的にも、かつて心理学を専攻していた時分にはまったく興味のいだけなかった実験心理学のおもしろさを教えていただけたことには感謝している。図表の卓抜さが前作以上に秀逸であった点もみごとであった。担当させていただいた三冊のなかでは、もっとも事典らしさの発揮された秀逸な一冊であったと思う。

 この二冊を担当していただいたのが、当時三省堂の編集部におられた松本さんであった。非常に年季を重ねたベテランの編集者であられた松本さんには、この二冊の翻訳をとおしてとても多くのことを教えていただいた。その点については、いくら感謝してもしたりない。本来であれば、この時点でこの仕事は終わる予定であった。ところが、松本さんがちょうど定年を迎える年に重なり、最初の『哲学大図鑑』が望外の好評だったこともあって、あともう一冊だけこのタッグでやってもらえないかということで、最後に回ってきたのが『経済学大図鑑』であった。

 だが、これにかんしては本当に躊躇した。なにしろまったくの専門外であり、ずぶの素人以下の知識しかない分野だ。専門家の先生にご協力いただくのは当然としても、そもそも専門家に見ていただけるだけの訳文をつくれるかどうかさえ躊躇せざるをえない状況であった。結果的に、松本さんの熱意におされてお引きうけしたが、案の定これが一番の難産となった。内容については、没にされた後書きの第一校の一部を抜粋させていただきたい。

この仕事にとりかかったのは、ちょうど安部政権が誕生し、アベノミクスなる新しい景気対策が打ちだされるようだという話が世間を賑わせていたころでした。そのときなによりも驚いたのは、そのような計画があるらしいというだけで株価が上向きに転じたというニュースを見たことでした。じっさいになんらかの政策が実行されて、その成果が認められた結果として、経済が上向いたのであれば、腑に落ちます。しかるに、具体的な見とおしとすら言えないニュースの醸しだす期待感だけで、こうも変動するとは、とあらためて経済、そしてそれをあつかう経済学なるいとなみへの疑念が頭をもたげました。

この不信感は、本書を訳したことでどう変わったのでしょうか。なにかが変わったような気もしますが、あいかわらずいかがわしさは拭いされません。私が専攻している哲学は、言うまでもなく、なんの実体的裏づけもないままに頭のなかで展開された思想をあれこれする虚学の筆頭ですが、じつは経済学もあまり大差がないのではというのが現在の正直な気もちです。

 この箇所は、経済学を批判しているように読めてしまうという理由で、松本さんにダメだしを喰らった部分だ。だが、経済学というそれまで未知であった分野にたいする正直な感想がこれであった。おカネというなによりも具体的なものをあつかっているはずでありながら、逆にこれほどまで実体の不透明な学問も珍しいのではないかというのが、いまもっても変わらない正直な感想だ。だが、図鑑形式で説明されることで、かなりわかりやすく整理された本書をつうじて経済学のイロハに触れられたのは得がたい経験であった。いまもこの日本では、経済成長ということばを旗印にすることでどんな無茶でも罷りとおりかねない非常に危うい政治がつづいているように思われる。たしかに、経済成長や景気回復は私たちの生活を左右する根本事ではあろうが、原発事故の傷あともほとんど癒えていないといういま私たちの置かれている状況から眼をそらしてはならないだろう。経済というものにたいする適切な距離感を教えてくれる本書は、ぜひ多くのかたに手にとっていただければと思っている。

 後半図鑑の愉しみとは無縁な話に終始してしまったが、こんな感想をもってしまったのも、このシリーズが図鑑というスタイルをとることで、読みやすさを優先した稀有なものであったからこそだ。だから図鑑はやめられない。

 

【筆者プロフィール】

小須田健(こすだ・けん)
1964年神奈川県生まれ。中央大学大学院文学研究科博士課程満期退学。現在、中央大学、東京情報大学ほか講師。専攻は現代哲学・倫理学。著書に『日本一わかりやすい哲学の教科書』『図解世界の哲学・思想』、訳書に『哲学大図鑑』『心理学大図鑑』『経済学大図鑑』など。

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◆→今年1月から半年にわたり、リレー連載という形で9名の方に図鑑の愉しさを語っていただきました。小須田先生の「だから図鑑はやめられない」という言葉とともに、本連載はいったん終了いたしますが、三省堂は今後も、さまざまな「図鑑」を刊行していきます。8月・10月には、初学者向けの図鑑新シリーズ『10代からの心理学図鑑』『10代からの哲学図鑑』の刊行を予定。ぜひ手にとっていただいて、読者のみなさまそれぞれの、「図鑑は愉しい!」を発見してください。【編集部】

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