コンサイス和仏辞典 第3版

定価
4,400円
(本体 4,000円+税10%)
判型
A6変型判
ページ数
1,184ページ
ISBN
978-4-385-12156-7
  • 改訂履歴
    1980年4月15日
    初版 発行
    1993年3月20日
    新装版 発行
    1995年2月15日
    第2版 発行
    2003年7月30日
    第3版 発行(判型を第2版のB6変からA6変に変更)

コンパクトながら38,300語を収録。

重信常喜、島田昌治、橋口守人、須藤哲生、工藤進、山岡捷利、カブリエル・メランベルジェ 編

  • ハンディサイズに豊富な語彙・用例を満載した「コンサイス和仏」の改訂版。
  • IT関連を中心に新語を追加し、フランス語の作文,会話に必要十分な38,300語を収録。
  • 生きた現代フランス語の表現を豊富に採録した用例9万余。引きやすいかな見出し。
  • 付録に実用的な「数詞」「世界の国々」「手紙の書き方」「電話のかけ方」「手紙の書き方」「動詞活用表」。

※コンサイス仏和辞典は刊行しておりません。

特長

さらに詳しい内容をご紹介

表紙写真。箔押し文字は金。

見本ページ

第3版はしがき

世の中が移り変わるにつれて言葉も変貌するのは致し方ないとしても、今日ほど人々が在来の日本語の代わりに外国語、殊に英語を用いる方が彼らの感性に適合するのかと思えば、事の善し悪しは別として、この和仏辞書を利用されるそのような読者の気持ちに答えるのが辞書の宿命かもしれない。例えば「開業、開店」には英語のopenを用い、「切符」は電車や汽車の場合のみで、その他の場合はticketとやはり英語を用いる現状に鑑みて、この辞書の見出し語もそれに対応させることにした。同時にまた、生活形態又は嗜好の変化に伴い、殊に技術用語の分野ではIT産業を中心とする新語がここ数年の間に著しくその数を増し、日本語も外国でそのまま使われることが多くなった。こうした観点から、今回三省堂編集部の方々の並々ならぬ尽力により新しい見出し語を精選しこれに適切なフランス語訳をつけて第三版の和仏辞典を世に送り出したことは嬉しい限りである。 最後にわたしの気持ちを言わしてもらうのは申し訳ないが、初版、再版を読み返して幼児の片言を聞くような物足りなさを感じて悩んでいたが、その悩みも今回の改訂版を読んで解消したような気がして心晴れやかである。なお、野津 寛氏には新語のチェックなどでお世話になった。ここにお礼申し上げる。 2003年 6月

編者一同に代わりて 重信常喜

第2版はしがき

言わずもがなのことではあるが、フランス語の文章を読解するのに和仏辞典を索く人は殆どあるまい。和仏辞典は飽くまでも日本語に適切に対応するフランス語を求めるためにある。ところが日常使われる日本語が、生活形態や風習の変化に伴い少しずつ変わり、また世界の趨勢にも影響を受けている。殊に、各分野における技術用語はここ数年の間に著しくその数を増し、日本語も外来語を使用して表現することが多くなった。こうした観点に立ってこれらの用語の需要を満たすためには、改訂、増補を行わなければならないが、そのためには永い年月を必要とするので、今回は巻末ADDENDAの形式で、必要かつ採録に緊急を要する言葉に重点を置くこととした。編集基本方針は初版と変わりなく、これに多少の修正を加えただけである。 最後になみなみならぬ努力をしてくださった三省堂編集部の方々、現代的感覚をもって助力してくださった若い泉利明さんに深甚な御礼を申し上げる次第である。 1995年 2月

編者一同に代わりて 重信常喜

初版はしがき

和仏辞典の編纂を思い立ったのは十五年以上も前のことです。敬愛する英語学者から勧められ、その人の紹介状を持って三省堂の辞書出版部を訪ねました。それから数年たって二度目に出版部の方と会ったのが神田神保町のレストラン「ランチョン」で、その時からこの辞書の構想を練りはじめました。つまり、出来るだけ用例を多くして流れの中でフランス語をとらえ得るような、いわば文型を中心としたものを考えたのです。また、日常使用する現代文は純粋に叙述的な文章ではなく、会話的な要素も多く含まれておりますので、是非ともフランス人の助けが必要でした。幸い、現在上智大学の専任講師をしておられるガブリエル・メランベルジェ先生が協力を快く承諾してくださり、それから仕事に拍車がかかるようになりました。ガブさん(これはガブリエルさんに対するわれわれ編集委員の愛称です)を中心にして、悪童連が寄ってたかって粘土細工を製作するときのように、私の家で月に三回集まり互いに検討し合って原稿に手を入れるようにしました。ガブさんは一年足らずのうちに驚くほど日本語が上達し、原稿の殆どの部分にわたって目を通して貰うことが出来ました。最後になりましたが、一部執筆をお願いした方々、校正の手伝い、その他細かい所まで調べてくださった、池田治一郎、根岸純、石田明夫、平井康和、野村喜和夫、鈴木等、原田瑠璃子の皆さんに篤く御礼を申し上げると共に、終始大変な協力を戴いた三省堂の編集部門、工場部門の方々に深甚な感謝の意を表する次第です。 1980年 3月