三省堂 辞書ウェブ編集部による ことばの壺
現代語から古語を引く辞典
- 定価
- 3,520円
(本体 3,200円+税10%) - 判型
- B6変型判
- ページ数
- 896ページ
- ISBN
- 978-4-385-14042-1
- 寸法
- 18.2×12.2cm
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改訂履歴
- 2007年4月30日
- 初版 発行
短歌・俳句をつくる人へ!
日本語を愛するすべての人に!
現代語から古語が引ける、唯一の古語類語辞典!
- 現代語の見出しのもとに延べ約5万1100語の古語を収録。
- 古語の豊かな表現が実感できる同義語・類語・関連語を多く収録。
- 関連語の多い古語は、「基本語の周辺」としてまとめて解説。
- 動植物の異名も多数収録。
- 「古典のしおり」を新設、読解や創作のための基本情報を多数収録。
- 古語からも類語・関連語が引き出せる「古語総索引」付き。
特長
さらに詳しい内容をご紹介
はじめに
『現代語から古語が引ける古語類語辞典』を世に問うたのは平成七年のことである。書名は、「逆引き古語辞典」「現古辞典」などの案もあったが「古語類語」とした。それから十二年、今インターネットで検索すると多数のサイトが出てきて、「古語類語」という造語が少しは市民権を得たものと誇らしく思う。また、その関連サイトを眺めていると、この辞典が予想を超えて多方面で活用されていることが分かる。短歌・俳句を創る人、時代物の小説や戯曲を書く人などが利用するのは当然だか、例えば、方言調査の基礎資料として利用したという記事があったり、また、「古文の授業で古語による作文の演習を行うことがあるため高校の図書館などに必備」という書き込みがあったりする。中でもうれしかったのは、「読んで楽しい辞典」という感想が少なからずあることだった。この数年品切れ状態が続いて復刊を望む声が高まり、ネット上だけでなく出版元の三省堂にも多く寄せられるようになったというのもうれしいことだった。
そんな多くの声に応えるべく、この度三省堂から再刊の計画が寄せられ、検討の結果、訂正すべきは訂正し、さらに広く利用していただけるよう付録もつけ、書名も一新して新刊として発行される運びとなった。十二年前、世間の話題にもならず静かなデビューであったが、忘れ去られることなく再び世にまみえることとなって喜ばしい。願わくは、より一層多くの人の机上にあって長く活用されんことを。
平成十九年三月
【序】-旧版序
私は『明解古語辞典』を作りながら、英和辞典に対して、和英があるように、現代語から古語が引ける辞典があって然るべしと考えていた。例えば、昔のことを題材にして、小説や戯曲を書く人には、そういうものがあれば便利だろうし、和歌や俳句を作る人も、知らない単語を教えられて好都合だろうと思ったからである。私は今の『明解古語辞典』の単語をカードに取って、語釈を五十音順に並べたら、簡単に出来るのではないかと思い、将来暇があったら作ってみようと思っていたが、今度芹生さんという未知の方が作られたこの辞典の原稿を見せられて驚いた。
開いてみると、本文は現代語が五十音順に並んでおり、それに一々古語が当てられている。正に私が作ろうとしていながら、研究や遊び事にかまけて作りそこなった辞典の体裁である。そうして私の『明解古語辞典』のような小さな辞典は相手にせず、『大日本国語辞典』のような大きな辞典を活用して作っておられるので、私が計画したものより、遥かにりっぱなものになっている。私は自分が作れなかったという残念な気持ちと、見劣りするようなものを作らないでよかったという、安心の気持ちとを同時に味わった。
個々の見出し語の下には、「あな」「あなめ」「あなや」「あはれ」・・・というように、古語が五十音順に並んでいる。これは、古語辞典に当たれば、詳しい意義や、何時代の単語であるかということは分かるから、これで用は果たすはずである。感心したのは、基本語というものを選び出して、それを意味によって分類整理して並べてあるところである。これはすばらしい思いつきで、もし「日」の古語を引いて適当なものが見付からなかったら、そこに挙がっている「朝日」とか「明日」とかの項を探せば、適当な単語が見付かることがあるはずで、これは私など全然考えていなかったところである。この欄の一つひとつの単語を読んでいくと、「月」の条などにはいろいろな月が別の名をもっていたことが知られ、日本人にとって如何に月が大切なものだったかということが伺われて楽しい。もしギリシャ語やアラビア語にこのような辞典ができたら星の条が、むやみに詳しく作られたであろう。
この辞典を見て、もっと望みたいこともないではない。一つの現代語の条に並んでいる古語は、五十音順にするよりも、用いられた時代の順にした方がよかったし、簡単に、上代とか中古とか注記があったらなお便利だった。また、「雨」という語は、『万葉集』以来今の意味で使われていたが、そのようなものも、『万葉集』時代にあったということを記載しておいた方がよかった。そうしないとそのころは、今と同じ用法がなかったのか、それともあったのか、はっきりしない。ちょうど和英辞典に、日本語と同じ形の英語も、挙げていなければいけないようなものである。
それはともかくとして、いい辞典が出来たことは嬉しい。私は早速机の上に置いて愛用しよう。芹生さんは、まだ若い方であるから、これを第一作として、今後ますます内容の充実した辞典をお作りになるであろう。わたしはその前途洋々たることを祝し、筆硯のますます隆昌ならんことを祈ってやまない。
平成七年二月一日