三省堂 辞書ウェブ編集部による ことばの壺
魯迅事典
近代中国の作家・魯迅を複眼的に読む事典。
近代中国の作家・魯迅を複眼的に読む事典。
魯迅の全小説作品をはじめエッセイ・評論を最新の資料をもとに解説。
中国、日本、韓国・朝鮮、欧米の「魯迅をめぐる人々」「魯迅の読まれ方」など歴史的情報も充実。
巻末に読書ガイド、年表など資料編。魯迅文学を20世紀東アジア文化交流史の視点から検証した初の事典。
特長
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「魯迅事典」の内容より
著者紹介
藤井省三(ふじいしょうぞう)
1952年東京生まれ。東京大学大学院博士課程修了。桜美林大学助教授を経て現在は東京大学文学部教授。 1991年魯迅研究により文学博士。 著書に『エロシェンコの都市物語-1920年代東京・上野・北京』(みすず書房)、『魯迅「故郷」の読書史』(創文社)、『東京外語支那語部』『中国映画を読む本』『百年の中国人』(朝日新聞社)、『台湾文学この百年』(東方書店)、『現代中国文化探検』(岩波新書)など。 訳書に『魯迅全集』第12巻「訳文序跋集」(共訳、学習研究社)、莫言『酒国』(岩波書店)、鄭義『中国の地の底で』『神樹』(朝日新聞社)、李昂『夫殺し』(宝島社)、『迷いの園』(国書刊行会)など。
まえがき
21世紀最初の年は、魯迅生誕120周年でもあった。魯迅はその生涯を55歳で閉じたものの、その後の中国にも測り知れない大きな影響を与えてきた。彼を抜きにして、現代中国を語ることはできない。 魯迅は1902年に日本に留学し、7年もの長き青春の日々を過ごした。そして作家としてデビューするや日本の文化界でも注目を集め、現在では完訳の邦訳全集が刊行され、中学国語の全教科書にその作家が収録されている。日本人は魯迅をほとんど国民作家として受け入れてきたといえよう。 韓国・台湾・香港・シンガポールでも魯迅文学は熱心に読み継がれてきた。魯迅は東アジア共通の文化遺産であり、モダン・クラシックなのである。また欧米でも盛んに研究が行われている。 本書『魯迅事典』は、このような東アジアの“文化英雄〔ヒーロー〕”としての魯迅を複眼的に読む事典である。第一部「魯迅とその時代」は、伝統文化に富む紹興に生まれ、新興国民国家の“帝都”東京に留学し、“文化城”北京で作家の道を歩みだし、そして香港・広州を経て東アジア最大の国際都市上海で世界的作家へと成熟していく魯迅の生涯を、これらの諸都市の歴史とともに描き出している。 第二部「魯迅の作品」では小説全作品をはじめ、各エッセー集などに対し、最新の資料を用いて解説を加えた。たとえばデビュー作「狂人日記」はこれまで、1918年4月に執筆され、5月15日発行の『新青年』四巻五号に発表されたと言われてきたが、当時の新聞広告などにより実際には同誌の発行は一か月遅れており作品も五月執筆の可能性があること、そしてその五月には北京の新聞社会面に「狂婦が子を食べるという奇妙なニュース(痰婦食子奇聞)」、「孝子が股肉を割いて親の病を治す(孝子割股療親)」など、食人に関する報道が集中していたことなどが、事典作成の過程で明らかになった。このように本書は最新の研究に基づき、魯迅文学を新しく読み直している。 第三部「魯迅をめぐる人々」では母の魯瑞〔ルー・ルイ、ろずい〕、本妻の朱安〔チュー・アン、しゅあん〕、弟・周作人の日本人妻・羽太〔はぶと〕信子らにも焦点を当て、第四部「魯迅を読むキーワード」では魯迅が影響を受けた外国文学やSF小説・児童文学のほか、日本の挿し絵画家蕗谷虹児やハリウッドのターザン映画への深い関心や、中国医学に対する屈折した情念を探っている。 第五部「魯迅の読まれ方」では、まず中国における中華民国期から毛沢東時代・?ケ小平時代を経て現在に至るまでの読書の歴史、評価の変遷を紹介した。その際には単に文芸界や研究者による批評ばかりでなく、魯迅を国民作家そして共産党の聖人へと押し上げていく社会的政治的力関係に注目し、出版社や書店、国語教科書、国語教室など読書市場、読書の現場も検討に加えた。 また台湾・香港・シンガポールという中国語圏および韓国における受容のそれぞれの特異性にも注目した。またあわせて欧米における魯迅研究も紹介している。そして魯迅留学期から1970年代に至る日本での魯迅受容を概観し、80年代以後の魯迅論は第六部「魯迅読書ガイド」で紹介した。 魯迅文学を20世紀東アジア文化交流史の視点から描いた事典は、日本で最初の試みであるばかりでなく、中国や東アジア諸国でもこのような事典はいまだ刊行されていない。魯迅を通じて日本・中国・東アジアこの100年の歴史を考える一つの手がかりとして、本書に親しんでいただければ幸いである。 2002年 1月 2日 東京・本郷にて
藤井省三
晩年の魯迅
凡例
一 日中両国から刊行されている三種の『魯迅全集』には、以下のような略称を用いた。 『10巻本全集』→『魯迅全集』全10巻(北京・人民文学出版社、1956~58) 『16巻本全集』→『魯迅全集』全16巻(同1981) 『学研版』→『魯迅全集』全20巻(東京・学習研究社、1984~86) 二 参考文献・出典等は〔 〕で示し、詳細は資料編参考文献一覧に掲載した。 <例>〔丸山九七p91~110〕→著者は丸山昇、1997年刊行の『ある中国特派員』(田畑書店)91~110頁を参照。 三 魯迅の作品題名は日本語訳・中国語原題の順に示し、日本語訳は『学研版』に準拠した。魯迅の作品本文およびその他の中国語・英語からの翻訳は原則として著者自身が行った。魯迅の翻訳に関しては『学研版』を参考にさせていただいた。 <例>「『フェアプレー』急ぐべからず」(「論『費厄溌頼』應該緩行」) 四 中国人名のフリガナは( )内に中国語読み、日本語読みの順で示した。作品中の人名については、中国語読みでルビを振り、必要に応じて( )内に日本語読みを示した。歴史的人名の場合は、日本語読みでルビを振った。 五 引用に際して途中の一部を省略するばあいは四ドットの点線「・・・・」で、引用文自体の中略は八ドットの点線「・・・・・・・・」で示した。引用文中で言葉を補い、あるいは注釈を付すばあいは〔 〕でこれを示した。
あとがき
私が初めて魯迅を読んだのは、一九六三年東京オリンピック前年の小学五年生の時だった。子供部屋に並んでいた『少年少女世界文学全集』東洋編の巻で短篇「故郷」にめぐり会ったのだ。その後は中学国語教科書でこの作品と再会し、六〇年代末の高校学園紛争で毛沢東が「中国革命の聖人」と推奨しているのを知って岩波文庫や三巻本『魯迅作品集』を読み、大学では中国文学科に進学した。七〇年代半ばに取り組んだ修士論文は、魯迅をはじめとする二〇世紀初頭の中国における英国ロマン派詩人バイロンの受容というテーマであり、修論を書き終えると改革・開放政策が始まろうとしていた北京と上海に留学した。そして現在も香港や台北、ソウル・シンガポールを訪れては魯迅を学び続けている。 本書の刊行は魯迅の生誕一二〇周年と来日一〇〇周年を記念して企画されたものであるが、私は自らのささやかな読書体験を原点として、二〇世紀東アジアの都市物語としての魯迅論、そして二一世紀東アジア共有の古典としての魯迅文学を語ろうと努めた。これまで私は魯迅をめぐりさまざまな角度から幾冊かの研究書を書いてきたが、「事典」を書き下ろすのは初めてのことであった。事典とはいえ大中小の項目を組み合わせることにより、時間的にも空間的にもさらに広がりのある記述が可能になったと思う。私個人にとっては四〇年ほどの魯迅読書体験、二五年の魯迅研究の総決算でもあった。思えば本書もまた、魯迅が二〇世紀文学史の沃野に蒔いた種子により、二一世紀初頭の日本において実った一本の麦穂なのであろう。 本書執筆に際しては参考文献欄に掲げた日本・中国・諸外国の先行研究に多くを学ばせていただいた。特に近人の生没年に関しては王中忱・清華大学教授から、台湾・韓国における魯迅受容史に関しては黄英哲・愛知大学助教授、任明信・ソウル大学講師から特に多くの資料・助言を頂戴した。また友人の魯迅研究者で慶應義塾大学教授の長堀祐造君には、本書の草稿に目を通してもらい貴重な意見を頂戴した。みなさんに心よりお礼申し上げたい。 2002年 2月 18日 東大文学部法文一号館四一三号研究室にて
藤井省三
当時の北京
2002年4月7日の日本経済新聞で紹介されました
今年は中国近代文学の父、魯迅(一八八一-一九三六年)の日本留学から百年にあたる。この国民的作家の生涯と作品を詳細に解説した事典を出版した。 著者が初めて魯迅を読んだのは小学五年生の時だった。以来約四十年、全集の翻訳に携わるなど一貫して関心を寄せてきた。研究の集大成のつもりで出した本書は「伝記ではなく読める事典をめざした」労作だ。 評伝では、魯迅とその文学をはぐくんだ場所に注目した。ハイライトの一つは東京時代。一時、仙台医学専門学校に籍を置きながら東京に戻った理由を探ると思いがけない事実が明らかになった。当時は本を楽しみ消費する「読書階級」が登湯し、新聞が爆発的に普及した。その舞台である「メディア都市東京」に魯迅は魅せられたという。「東京に来なければ、作家にはならずに、医者か行政官になったはず」と推論する。 作品解説では、数々の新発見を控えめに明かしている。例えば反体制のイメージが強い魯迅がハリウッド映画を好み、上海時代、「ターザンの復讐」には三度も足を運んだというエピソードも紹介する。 「日本にとっても魯迅は国民作家」という思いを強くしている。特に高校の教科書がこぞって採用する「故郷」には格別な思い入れがある。「故郷」は「近代化にともない農村から都市へ移動した移民の物語」。そこには東京で生まれ育った著者にも共有できる心象風景があるという。「野球少年だった自分が読書少年になったのも、東京オリンピックを境に空き地がなくなったから。経済発展の結果失ったものがだれにでもある。それに目を向ける『故郷』は永遠の喪失のプロトタイプ(原型)であり、自分にとっても原点だ」 「たいへん幸せな巡り合いだった」という言葉に思いがこもっていた。
目次
第一部 魯迅とその時代
(1)紹興時代1881~1901
(2)東京時代 1902~1909
(3)北京時代1909~1926
(4)上海時代1926~1936
第二部 魯迅の作品
(1)小説ほか
『吶喊』/『彷徨』/『故事新編』/『朝花夕拾』/『野草』
(2)随筆(雑感集)
『熱風』/『華蓋集』/華蓋集続編』/『墳』/『而已集』/『三閑集』/『二心集』/『偽自由書』/『南腔北調集』/『准風月談』/『花辺文学』/『且介亭雑文』/『且介亭雑文二集』/『且介亭雑文末編』/『集外集』/『集外集拾遺』/『集外集拾遺補編』
(3)その他
『両地書』/『中国小説史略』
第三部 魯迅をめぐる人々
(1)中国
郁達夫/許広平/許寿裳/瞿秋白/胡適/胡風/朱安/秋瑾/周建人/周作人/蕭紅/章炳麟/宋慶齢/蘇曼殊/陳独秀/巴金/茅盾/林語堂/魯瑞
(2)日本
芥川竜之介/内山完造/金子光晴/佐藤春夫/清水安三/須藤五百三/夏目漱石/羽太信子、芳子/藤野厳九郎/増田渉/武者小路実篤
(3)アジア・欧米
アンドレーエフ.イプセン/エロシェンコ/申彦俊/スノー/スメドレー/タゴール/張我軍/李陸史/ロラン