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「ホトトギス新歳時記 第三版」について

序(初版)

虚子編『新歳時記』(三省堂刊)が世の出たのは、昭和九年十一月であるので、はや半世紀が経過したことになる。その間自然の営みは変わっていないが、人々の暮らしは大いに変わったというべきであろう。歳時記の季題の中にもすでにほとんど行われなくなったものや、全くその姿を消してしまったものが少なくない。一方、五十年前には存在すらしていなかったものの中で今日季題とするにふさわしいまでに人々の生活に深く関わっているものもある。

これらの時代の変化に対して虚子編『新歳時記』は昭和十五年、同二十六年の二度にわたって小改訂を行ったのみであった。

このような事情から父高浜年尾は、昭和五十五年ホトトギスが刊行一千号を迎えるにあたり、その記念事業の一つとして歳時記の大改訂を企画したが実行に移さぬままに冥界の人となった。

一方、版元である三省堂は昭和五十六年、創業百年を迎えるにあたっての記念出版として虚子編『新歳時記』の改訂、あるいは姉妹編としての「新しい歳時記」の刊行を強く希望してきたので、私は父の遺志を継ぐ意味もあって本書の出版に踏み切ったのである。

当初は『新歳時記』の全面的な改訂をとも考えたが、虚子編『新歳時記』はやや時代に合わぬ面があるとは言え、古今の名著であることを鑑み、絶版とせず、新たな一書を編み『ホトトギス新歳時記』として出版することにした。両者共に持ち味を生かし句作の助けとなるよう意図したつもりである。従って本書については今後も時代の変化に合わせて改訂を繰り返していくつもりである。

編集方針としては虚子編『新歳時記』におよそ倣っているが若干について以下に触れておこう。

季題の取捨

虚子編『新歳時記』は季題の取捨ということにとくに意を用いていた。そして取捨の方針として以下の五条を謳っている。

①俳句の季題として詩あるものを採り、然らざるものは捨てる。

②現在行はれてゐるゐないに不拘、詩として諷詠するに足る季題は入れる。

③世間では重きをなさぬ行事の題でも詩趣あるものは取る。

④語調の悪いものや感じの悪いもの、冗長で句作に不便なものは改め或は捨てる。

⑤選集に入選して居る類の題でも季題として重要でないものは削り、新題も詩題とするに足るものは採択する。

ここに述べられていることは虚子の季題観を端的に表わしており、要は文学的な価値のある季題を選ぶということである。

そこで本書においてもこの方針で臨んだわけであるが、やや具体的に示せば、

①虚子編『新歳時記』に収録されている季題はそのほとんどを採用した。

②ただし一題としての価値の少なくなったと思われるものは適宜傍題として統合した。

③季題として近年定着してきたと思われるものを新たに加えた。

ということになろう。なお③の例として従来虚子編『新歳時記』に収載されていず、虚子編『季寄せ』に追加されてきたものがかなりあるので、まずこの中より取捨選択し、さらに最近時代の変化とともに現れた新しい季題もいくつか採用した。新季題はおよそ二百余に及ぶ。この場合も、あくまで詩として諷詠するに足るという観点から選んだので、世に行われている他の歳時記に収録されていて本書に載せられていないものがあるのは当然である。

四季の区別

四季の区分については明治時代、それまでの太陰暦に代わって太陽暦が採用されてから月との関係が変わり幾つかの矛盾が生じた。例えば、春であった新年が一月となって寒の前となり盆が七月の暑中となった類である。

しかし、これらはその後の生活の中にいろいろの形で定着して来ており、俳句では立春、立夏、立秋、立冬を各季の初めとする陰陽五行説を採用し、月でいう場合、その大部分が所属している、二、三、四月を春、五、六、七月を夏、八、九、十月を秋、十一、十二、一月を冬とするのである。

この五行説による区分は中国における季節感を基本とするのであるが、おおむねわが国にもあてはまっているようである。

ところで春を二、三、四月としてみると、月名の異称である「睦月」「如月」「弥生」というのが感じとしてそれぞれに対応することとなり、五、六、七月は「卯月」「皐月」「水無月」となった。したがって十二月は「霜月」にあたるわけであるが、「師走」という異称も捨てがたく、結果として十二月に「霜月」と「師走」を入れることとした。なお、このことは虚子編『新歳時記』を踏襲したまでである。

季の決定

季の決定は歳時記にとってまことに重要な問題であるが、世に行われている多くの歳時記が必ずしも統一されていない。

本書においては虚子編『新歳時記』を踏まえ種々検討を加えたが、その主張は「あくまで文学的見地から季題個々について、事実、感じ、伝統等の重きをなすものに従って決定」するというものである。したがって理屈の上からも、事実とややくいちがう部分のあるのは虚子自身の指摘するとおりである。

例えば、牡丹より藤は遅いにかかわらず、牡丹を夏、藤を春とすること。西瓜や蜻蛉はむしろ夏が多いのに秋とすること。七夕は陽暦では夏であるのに陰暦の一と月遅れとして秋とし、端午も陽暦では立夏前であるのに夏としたことなどである。

しかし、駒鳥は従来三月であったが五月以降でなければ日本に渡来しないということで六月に配列したごとく、事実や文献の調査、旧季題の歴史的研究等により、明らかになった事柄に則して改めたものもある。

なお、時代の変遷の中で、従来の『新歳時記』とは異なった季へ収めた季題もあり、その一例が「運動会」である。これは従来春秋二回の運動会のうち春季をその代表的なものと考えて「春」の部に属させていたものであるが、昭和三十九年の東京オリンピック以後、十月十日が体育の日に定められたことも手伝って、近年では秋に行われるものが圧倒的に多く、結果としては秋季の季題とせざるを得ない現状となっているのである。

また、行事についても若干の移動があった。例えば「奈良の山焼」は現在一月十五日に行われているので二月から一月へ移した。また「薪能」はその起源である奈良興福寺の薪能が現在五月十一、十二日に行われるので、五月、夏に移した。これは虚子編『新歳時記』の編纂されたときに廃絶していた興福寺法会中のものが復活したことによる。詳しくは解説文を読んでいただきたい。

また古人の忌日などについては陰暦の気分が強いので陰暦(ほぼ一と月遅れとして)で扱ったが、現在陽暦に直して行事が行われているものについては実際の行事に合わせた。例えば「業平忌」は陰暦五月二十八日であるので季節感としては現在の六月にすべきところであるが、陽暦の五月二十八日に実際の「業平忌」が行われているのでこれに従った。という類である。

季題の配列

季題の配列についても虚子編『新歳時記』を踏襲した。すなわち、世に多く出回っている歳時記のごとく、季題を「天文」「地理」「人事」「動物」「植物」に分類することをせず、すべての季題を十二か月の季節の推移に従って配列したのである。

この方法によると同じ春の季節の中にあっても海苔(植物)と海苔舟(人事)が全く別のページに分かれて解説してあるという不便が解消されるわけである。実際に春の海辺に出てみれば「海苔」も「海苔舟」も同時に目にされるわけで、解説も同じ部分でなされているのは当然のことなのである。

これはあくまでも作句の便ということに重きを置いたためである。

また、南北に細長い日本の国土を考えるとき季節の遅速は必ずしも一様でないことは当然である。そこで一つ中心点というか基準点を設ける必要があり、古い歳時記ではそれが京都であったが、虚子編『新歳時記』では東京が基準となった。これについては本書でも東京の季節の推移を一応基準として考えた。

季節、月の中でもどこに配列するかということについては、そのものの感じが最も強調される季節に定めた。従ってものによっては出始め、すなわち走りを重んじたものもあれば、最も多く出回るころ、すなわち旬を重んじたものもある。

なお、やや別の次元の問題であるが、立春、立夏、立秋、立冬を四季の初めとしているので、例えば五月でも立夏前の「メーデー」「憲法記念日」などは四月の末に連ねてある。月としての見方より季節としての見方を重んじたためで、同様の例は他の季節の「ゆきあい」の中にも何例かがある。

解説

あくまでも実作上役に立つようにと心がけた。そのため必要以上に細かな記述はあえて避けた。季題は詩の題材であり、博物学的な知識に偏ることを意識的に避けたためでもある。なお、幾つかの季題にはカットを添えた。

例句

例句は実作の参考となる句をと考慮し、できるだけ新しい例句を採用した。これは虚子編『新歳時記』以後の句を多く載せることによって、長い歴史を持つホトトギスのアンソロジーとしての完成度を高めることを期したからである。具体的には、虚子編『新歳時記』中の例句、『ホトトギス雑詠選集』、および原則として一千号までの「ホトトギス」雑詠欄から選んだ。なお、高浜虚子、高浜年尾、稲畑汀子の三主宰、および星野立子については別に選んだ。

本書を出版するために、とくに深川正一郎氏をはじめとし、清崎敏郎氏、後藤比奈夫氏ほか多くのホトトギス俳人諸氏の力をお借りした。また、今井千鶴子、柴原保佳、野村久雄、橋川忠夫、深見けん二、藤松遊子、三村純也、本井英、松尾緑富氏等、歳時記委員の方々の熱意と三省堂出版局の亀井竜雄氏の御助力には深く感謝している。諸氏の献身的なお力添えがなければ本書は成らなかったであろう。

昭和六十一年一月十二日

稲畑汀子