『日本国語大辞典』をよむ

第117回 アヤメ・ショウブ・カキツバタ

筆者:
2024年4月28日

近松門左衛門の「女殺油地獄おんなころしあぶらのじごく」は大坂の油商、河内屋の次男与兵衛が、放蕩して借金をつくり、同業の豊島屋てしまや七左衛門の妻お吉に借金を頼み、断られたために殺害するという話です。与兵衛がお吉の殺害に至る、話のクライマックスにあたる「下之巻」は「葺ふきれし、年もひさしの、蓬よもぎ菖蒲しようぶは家ごとに、幟のぼりの音のざはめくは男子持おのこごもちの印かや」と始まります。時は1721(享保6)年の5月4日の夜という設定で、5月5日の端午の節句の前日で、蓬や菖蒲をのきに挟み、幟がすでにたてられています。幟は男の子がいる家だけがたてていたようですね。筆者が見た時は暗い舞台に低い義太夫の声が響き、印象深い場面でした。

現代でも端午の節句の頃になると、いろいろなところでショウブを売っています。筆者もできるだけかかさずショウブ湯に入るようにしていますが、ショウブ湯は現在も行なわれている習慣といっていいのでしょう。

『日本国語大辞典』の見出し「あやめ」には次のように記されています。(3)以下を省略しました。

あやめ【菖蒲】〔名〕(1)アヤメ科の多年草。山野に自生するほか、観賞用として、庭、池辺などに栽培される。高さ三〇~六〇センチメートル。葉は剣の形で、基部は淡紅色をおび、さや状。初夏、紫や白などの花が咲く。外花被は花弁状で垂れ下がり、基部に黄と紫の虎斑(とらふ)模様がある。内花被は細く直立する。漢名、菖蒲、渓蓀は誤用。古名(白菖と区別する必要があったため)はなあやめ。学名はIris sanguinea 《季・夏》*花譜〔1698〕中「菖蒲花(はなあやめ)〈略〉古歌に、あやめとよめるは、沢におふる菖蒲とて、端午に家をふく物をいふ。此あやめにはあらず」*日本植物名彙〔1884〕〈松村任三〉「アヤメ ハナアヤメ 渓蓀」*舞姫〔1906〕〈与謝野晶子〉「日は暮れぬ海の上にはむらさきの菖蒲(アヤメ)に似たる夕雲のして」(2)サトイモ科のショウブの古名。初夏に、黄色の細花が密集した太い穂を出す。葉は剣の形で、香気が強いので邪気を払うとされ、五月五日の節句には、魔除けとして軒や車にさし、後世は、酒にひたしたり、湯に入れたり、種々の儀に用いられる。菖蒲の枕、菖蒲の鬘、菖蒲の湯、菖蒲の兜、菖蒲刀の類。一方、根は白く、長いものは四、五尺に及ぶので、長命を願うしるしとする。また、根合わせといって、その長さを競う遊びもある。歌では「根」を「音」にかけ、「鳴く」「泣く」などの語を導いたり、物の文目(あやめ)に言いかけたりして詠まれることが多い。あやめぐさ。*蜻蛉日記〔974頃〕中・天祿二年「『おはしまさずとも、しゃうぶふかでは、ゆゆしからんを、いかがせんずる』といひたり。〈略〉世の中にある我が身かはわびぬればさらにあやめもしられざりけり」*八雲御抄〔1242頃〕三「菖蒲 あやめ草。抑只あやめとばかりも云り」*文明本節用集〔室町中〕「菖蒲 アヤメ」*俳諧・江戸広小路〔1678〕夏「あやめ生り軒の鰯のされかうへ〈芭蕉〉」(以下略)

『日本国語大辞典』の記述から、和語「アヤメ」は(1)「Iris sanguinea」という学名をもつ「アヤメ科の多年草」と(2)「サトイモ科のショウブ」との2種類の植物を指していたことがわかります。ただしこの「サトイモ科」はアーサー・クロンキストが提唱した分類体系による分類で、現在分類に使われている、1998年に公表されたAPG体系では「ショウブ目ショウブ科ショウブ属」に分類されていると思われますが、それはそれとしましょう。「ショウブ」の学名は「Acorus calamus」です。「アヤメ」という語が指し示す物=指示物が2つあることは「混乱」のもとになります。

『日本国語大辞典』には「あやめとかきつばた」という見出しもあります。

あやめと杜若(かきつばた) アヤメとカキツバタとが見分けにくいように、物の区分のつけがたいたとえ。いずれ菖蒲か杜若。*滑稽本・浮世床〔1813~23〕二・下「色恋と一緒(ひとくち)に云けれど、色と恋とは菖蒲(アヤメ)と杜若(カキツバタ)ス」

アヤメ、ショウブにカキツバタが参入してきました。カキツバタの学名は「Iris laevigata」です。ところで、東京都葛飾区にある「堀切菖蒲園」はハナショウブの名所です。ハナショウブとショウブとはどう違うのでしょうか。図は玉川大学農学部教授田淵俊人先生のホームページから引用させていただきました(編集部注:http://www.tamagawa.ac.jp/agriculture/teachers/tabuchi/theme/02/03_3.html。ハナショウブの学名は「Iris ensata var. ensata」です。

花によって見分けることもできるのですが、どこに生えているかによって、ショウブ、カキツバタ、ハナショウブ、アヤメは区別できます。アヤメは乾いた土に、ショウブはもっとも水の中で、カキツバタは根が水の中ぐらい、ハナショウブは水辺といった感じでしょうか。そしてショウブがかつては「アヤメ」と呼ばれていたということですね。ショウブの花については三重県総合博物館MieMu(みえむ)のホームページにあります(編集部注:https://www.bunka.pref.mie.lg.jp/MieMu/83013046700.htm。ショウブの花を見ていただくと、アヤメやカキツバタとは異なる植物であることがわかりますね。カキツバタ、ハナショウブ、アヤメの学名には「Iris」が含まれています。植物が好きな方は「アイリス」「ジャーマンアイリス」という花をご存知かもしれません。先に示した図は『世界のアイリス』(2005年、誠文堂新光社)という本にも掲載されています。学名によって植物の「ちかさ・とおさ」がわかることもおもしろいですね。

筆者プロフィール

今野 真二 ( こんの・しんじ)

1958年、神奈川県生まれ。高知大学助教授を経て、清泉女子大学教授。日本語学専攻。

著書に『仮名表記論攷』、『日本語学講座』全10巻(以上、清文堂出版)、『正書法のない日本語』『百年前の日本語』『日本語の考古学』『北原白秋』(以上、岩波書店)、『図説日本語の歴史』『戦国の日本語』『ことば遊びの歴史』『学校では教えてくれないゆかいな日本語』(以上、河出書房新社)、『文献日本語学』『『言海』と明治の日本語』(以上、港の人)、『辞書をよむ』『リメイクの日本文学史』(以上、平凡社新書)、『辞書からみた日本語の歴史』(ちくまプリマー新書)、『振仮名の歴史』『盗作の言語学』(以上、集英社新書)、『漢和辞典の謎』(光文社新書)、『超明解!国語辞典』(文春新書)、『常識では読めない漢字』(すばる舎)、『「言海」をよむ』(角川選書)、『かなづかいの歴史』(中公新書)がある。

編集部から

現在刊行されている国語辞書の中で、唯一の多巻本大型辞書である『日本国語大辞典 第二版』全13巻(小学館 2000年~2002年刊)は、日本語にかかわる人々のなかで揺らぐことのない信頼感を得、「よりどころ」となっています。
辞書の歴史をはじめ、日本語の歴史に対し、精力的に著作を発表されている今野真二先生が、この大部の辞書を、最初から最後まで全巻読み通す試みを始めました。
本連載は、この希有な試みの中で、出会ったことばや、辞書に関する話題などを書き進めてゆくものです。ぜひ、今野先生と一緒に、この大部の国語辞書の世界をお楽しみいただければ幸いです。