『日本国語大辞典』をよむ

第118回 何が何に勝っているの?

筆者:
2024年5月26日

清少納言は「よまさりするもの」すなわち〈昼間よりも夜になった方が見ばえがするもの〉として「琴(きん)の音」「ほととぎす」「滝の音」などをあげています。ホトトギスの鳴き声は都市部ではなかなか聞く事ができなくなっていると思いますが、夜にも鳴く習性があります。滝の音も夜の方が風情があるということでしょうか。「ヨマサリ」は〈昼よりも夜がまさっている〉ということです。

「チカマサリ」「トオマサリ」という語もあります。『日本国語大辞典』はそれぞれについて次のように説明しています。

ちかまさり【近優・近勝】〔名〕遠くから見るよりも近づいて見るほうがまさっていること。近よって見るほど美しいこと。↔近劣(ちかおとり)。*宇津保物語〔970~999頃〕蔵開中「見る目よりもちかまさりする人にぞありける」*紫式部集〔1012~17頃〕「をりて見ばちかまさりせよ桃の花思ひくまなき桜をらまし」*今昔物語集〔1120頃か〕五・一「近増りして眤(むつまし)き事无限し」*古今著聞集〔1254〕二〇・六八一「いみじくちかまさりして、いかにも見のがらかすべくもおぼえざりければ」*初すがた〔1900〕〈小杉天外〉三「何(どう)だい近優りって顔だねえ」

とおまさり【遠勝】〔名〕遠くからの方がすぐれて見えること。遠くから映えて見えること。*俳諧・七柏集〔1781〕朱絃亭興行「紅ゐに老女房も遠まさり〈群人〉 愛宕のぼれば海の夕凪〈蓼太〉」

「チカマサリ」は〈近くが(遠くよりも)まさっていること〉、「トオマサリ」は〈遠くが(近くよりも)まさっていること〉です。ここまでの3語、「ヨマサリ」「チカマサリ」「トオマサリ」は「Xマサリ」のXがまさっているという語構成をしています。今風に言い換えれば「夜映え」「近映え」「遠映え」でしょうか。

おとまさり【弟優】〔名〕弟や妹の方が兄や姉よりもすぐれていること。*宇津保物語〔970~999頃〕蔵開下「くら人の少将の、をとまさりになりわかれぬべかめるかな。ただ今のうへの人は、これ一人なめりかし」*落窪物語〔10C後〕四「『その太郎にはまさりて、かしこくなんある。おとまさりなる』とのたまへば」

「オトマサリ」も〈弟や妹が(兄や姉よりも)まさっていること〉ですから「弟映え」ですね。ところが「Xマサリ」には次のような語もあります。

おやまさり【親優】〔名〕(形動)子が親よりすぐれているさま。また、その子。*俳諧・犬子集〔1633〕三・時鳥「竹の子かおやまさりなる時鳥」*俳諧・崑山集〔1651〕夏「竹の子の親まさりなる郭公」*浄瑠璃・国性爺後日合戦〔1717〕嫁入式三献「国性爺が手柄始は千里が竹、その竹の子の親まさり」

「オヤマサリ」は〈親が子よりもまさっている〉のではなく〈子が親よりもまさっている〉ことをあらわす語なので、「親映え」ではなく「子映え」すなわち「オヤマサリ」の中には含まれていない「コ(子)」についての語ということになります。同じような語に「オトコマサリ」がありますが、『日本国語大辞典』は次のように説明しています。

おとこまさり【男勝】〔名〕(形動)女であるが、男以上に気性がしっかりしていること。また、そのさまやその人。女丈夫(じょじょうぶ)。*浮世草子・好色訓蒙図彙〔1686〕上・人倫「ぬし有おかた、ごけ、主の女房、とかくありていなすずみちにはあらず。もとより都のならひ、男まさりに出ありき」*浄瑠璃・長町女腹切〔1712頃〕下「急所を教へて下されと、おとこまさりの自害の体」*浄瑠璃・源平布引滝〔1749〕三「男勝(マサリ)な女であったが、それが却(かへっ)て身の怨(あだ)」*東京曙新聞‐明治一〇年〔1877〕五月三一日「右の如く男増(オトコマサ)りの度は遙に通り過ぎて無法者ともいふべき婦人なれば」*思出の記〔1900~01〕〈徳富蘆花〉四・一六「彼男まさりの、愚かしい事は虫より嫌ひの母上が!」

「オトコマサリ」は江戸時代には使われていた語であることがわかります。小型の国語辞典はこの語をどのように説明しているでしょうか。『岩波 国語辞典』第八版(2019年)『新明解国語辞典』第八版(2020年)『明鏡国語辞典』第三版(2021年)『三省堂国語辞典』第八版(2022年)をあげてみましょう。

女ながら、男もかなわないほど気丈でしっかりしていること。そういう女。(岩波)

女性が男性以上に気持ちがしっかりしていること。また、そのような女性。(新明解)

女性が気性が強く、男性に勝るほどしっかりしていること。また、そのような女性。||「―の気性」▷男性の方が女性よりも気丈だという固定観念からいう語。(明鏡)

女が、男以上に性質・性格がしっかりしていること。また、そのような女。〔「女は男より しっかりしていない」という偏見へんけんによる ことば〕(三省堂)

2021年に出版された『明鏡国語辞典』、2022年に出版された『三省堂国語辞典』には注記があって、「固定観念」「偏見」によって、できた語という説明があります。この語の語釈としては『新明解国語辞典』の説明がニュートラルにみえます。『日本国語大辞典』の「女であるが」、『岩波国語辞典』の「女ながら」は「固定観念」がそのまま語釈に持ち込まれたように感じられもします。「固定観念」よりも「価値観」と表現するのがいいのではないでしょうか。そういう価値観があった時期にこの語がうまれ、そういう価値観に基づいて使われてきた。このことはいわば「事実」なので、その事実を記録しておくことは大事です。『明鏡国語辞典』『三省堂国語辞典』は、現在はそういう「価値観」ではない、ということを積極的に表明していることになります。辞書の語釈もまた、「日本語の歴史」を語っています。

筆者プロフィール

今野 真二 ( こんの・しんじ)

1958年、神奈川県生まれ。高知大学助教授を経て、清泉女子大学教授。日本語学専攻。

著書に『仮名表記論攷』、『日本語学講座』全10巻(以上、清文堂出版)、『正書法のない日本語』『百年前の日本語』『日本語の考古学』『北原白秋』(以上、岩波書店)、『図説日本語の歴史』『戦国の日本語』『ことば遊びの歴史』『学校では教えてくれないゆかいな日本語』(以上、河出書房新社)、『文献日本語学』『『言海』と明治の日本語』(以上、港の人)、『辞書をよむ』『リメイクの日本文学史』(以上、平凡社新書)、『辞書からみた日本語の歴史』(ちくまプリマー新書)、『振仮名の歴史』『盗作の言語学』(以上、集英社新書)、『漢和辞典の謎』(光文社新書)、『超明解!国語辞典』(文春新書)、『常識では読めない漢字』(すばる舎)、『「言海」をよむ』(角川選書)、『かなづかいの歴史』(中公新書)がある。

編集部から

現在刊行されている国語辞書の中で、唯一の多巻本大型辞書である『日本国語大辞典 第二版』全13巻(小学館 2000年~2002年刊)は、日本語にかかわる人々のなかで揺らぐことのない信頼感を得、「よりどころ」となっています。
辞書の歴史をはじめ、日本語の歴史に対し、精力的に著作を発表されている今野真二先生が、この大部の辞書を、最初から最後まで全巻読み通す試みを始めました。
本連載は、この希有な試みの中で、出会ったことばや、辞書に関する話題などを書き進めてゆくものです。ぜひ、今野先生と一緒に、この大部の国語辞書の世界をお楽しみいただければ幸いです。