「書体」が生まれる―ベントンがひらいた文字デザイン

第7回 経営崩壊

筆者:
2018年10月24日

大正元年(1912)10月18日、三省堂の経営破綻があきらかとなった。当初最終巻の予定だった『日本百科大辞典』第6巻が刊行されて2か月後のできごとだった。

 

経営破綻は、社員にも突然のできごとだった。明治44年(1911)2月、数え年16歳で三省堂に入店し、小僧[注1]としてつとめていた高岡一雄[注2]が三省堂の経営破綻をふりかえった文章[注3]には、「明治45年(1912/7月30日から大正元年)に入ると、なんとなく店内に陰気で落ちつかない気分がみなぎっているように感じた」「突如として、三省堂の破産が新聞に伝えられた」「辞書といえば三省堂、三省堂といえば辞書というぐらいに全国津々浦々まで知られていたので、私はじめ、一般のおどろきは非常だった」「店の前でさえ、夕刊の売り子が三省堂の破産とどなって売っていた」と書かれている。その夕刊には、『日本百科大辞典』のまさかりをもって三省堂を破壊している風刺画が掲載されていたという。

 

三省堂は、経営破綻の発表後、出版事業と書店を分離することになった。そうして大正4年(1915)9月8日、資本金7万円の株式会社三省堂が誕生した(出版事業と工場部門のみ)。書店は亀井家の個人商店として継続することになり、代表には忠一の五男・亀井豊治が就いた。

 

出版と書店の分離を提唱したのは、忠一の四男・亀井寅雄だった。明治23年(1890)生まれの寅雄は、当時まだ東京帝国大学法科大学に在籍中の学生だったが、経済科を専攻しており経理にあかるかった。

亀井忠一の四男・亀井寅雄(1890-1951)

亀井忠一の四男・亀井寅雄(1890-1951)

寅雄は、大学を卒業した大正5年(1916)、まだ倒産で混乱中だった三省堂に入社し、大正8年(1919)には常務取締役となった。そして大正12年(1923)には専務、昭和5年(1930)7月には社長に就任した。

 

亀井家としては二代目の社長にあたるこのひとこそ、三省堂の活字を築きあげ、同社を「うつくしい文字印刷」を誇る会社へとおしあげた人物である。

 

なお、三省堂の経営破綻後、『日本百科大辞典』の編修はいったん中止された。しかし大正2年(1913)、各方面の支援と出資を得て日本百科大辞典完成会が設立され、大正5年(1916)3月に第7巻、大正6年(1917)3月に第8巻、大正7年(1918)4月に第9巻、そして大正8年(1919)4月に第10巻が刊行。ついに完成となった。

日本百科大辞典 全10巻(三省堂、1908-1919)

日本百科大辞典 全10巻(三省堂、1908-1919)

※写真は『三省堂の百年』(三省堂、1982)より

[注]

  1. 小僧:見習い
  2. のちに興学堂書店を開業
  3. 『故亀井万喜子刀自追想録』(三省堂、1928)に寄稿。亀井万喜子は創業者・亀井忠一の妻

[参考文献]

  • 『亀井寅雄追憶記』(故亀井寅雄追憶記編纂準備会、1956)
  • 亀井寅雄 述/藤原楚水 筆録『三省堂を語る』(三省堂、1979)
  • 『三省堂の百年』(三省堂、1982)
  • 『故亀井万喜子刀自追想録』(三省堂、1928)

筆者プロフィール

雪 朱里 ( ゆき・あかり)

ライター、編集者。

1971年生まれ。写植からDTPへの移行期に印刷会社に在籍後、ビジネス系専門誌の編集長を経て、2000年よりフリーランス。文字、デザイン、印刷、手仕事などの分野で取材執筆活動をおこなう。著書に『描き文字のデザイン』『もじ部 書体デザイナーに聞くデザインの背景・フォント選びと使い方のコツ』(グラフィック社)、『文字をつくる 9人の書体デザイナー』(誠文堂新光社)、『活字地金彫刻師 清水金之助』(清水金之助の本をつくる会)、編集担当書籍に『ぼくのつくった書体の話 活字と写植、そして小塚書体のデザイン』(小塚昌彦著、グラフィック社)ほか。『デザインのひきだし』誌(グラフィック社)レギュラー編集者もつとめる。

編集部から

ときは大正、関東大震災の混乱のさなか、三省堂はベントン母型彫刻機をやっと入手した。この機械は、当時、国立印刷局と築地活版、そして三省堂と日本に3台しかなかった。
その後、昭和初期には漢字の彫刻に着手。「辞典用の活字とは、国語の基本」という教育のもと、「見た目にも麗しく、安定感があり、読みやすい書体」の開発が進んだ。
……ここまでは三省堂の社史を読めばわかること。しかし、それはどんな時代であったか。そこにどんな人と人とのかかわり、会社と会社との関係があったか。その後の「文字」「印刷」「出版」にどのような影響があったか。
文字・印刷などのフィールドで活躍する雪朱里さんが、当時の資料を読み解き、関係者への取材を重ねて見えてきたことを書きつづります。
水曜日(当面は隔週で)の掲載を予定しております。