「串」の話は、心の準備もないまま、参加者全員の前での「大会報告」という位置づけになっていた。しかし、25分を「不超過」(超過しない)、制限時間はきちんと守るようにとのことだ。時間が過ぎると、中国茶を入れた湯呑みを、司会が蓋で叩いてカンカンカンと鳴らして圧力をかけるのである。私は、時間のことも気になって前もって準備をしたが、結局は壇上でケータイの時計を取り出せなくなって、あとは長年の勘で話すはめになった。それでも運良くぴったりに終わらせられた。少し通訳の方のことも考えて、しゃべるところに下線を引き、合計25分ぶんの見当にしておいたのが役立った。細かい話も交えつつ、なるべく明確な例で順序よく筋を示そうと努める。そこでは字数などは数えてもしかたがない。
それでもその「串」の発表後に、何人もの方がお話しに来て下さった。発表では細かいことに触れざるをえなかったが、おおむね興味を持って頂けたようだったのは幸いだった。辞書をたくさん見て大変だったでしょうとねぎらわれるが、辞書は整然と解釈までまとめられていてまだ楽だ。文字の動態をとらえるために実際の使用例を見つけつつ、辞書の位置も確かめていくのが研究者の腕の見せ所だ。文字・表記の面でも完璧とよべるコーパスが早くできてくれると良いが、それでも資料の位置を確かな目で個々に確かめ、意味付けをしながら並べていくことには変わりがない。たいへんだが目の問われるやり応えのある仕事で、いつだって時代や社会の要請にできる限り応えるのが学ぶ者の一つの使命であろう。
拙い話でもすることによって、それに対してさまざまな方がご存じのことを教えてくれることもありがたい。漢字研究者は日本と違ってここでは多い。異体字はもちろん、俗字までも関心を集めつつある。日常では漢字をやめつつある韓国でも案外おいでである。研究者も就職難だそうだが、まだまだ上昇中の分野となっているようだ。どうして現代の状況までなかなかメスが入らないのか、日本の現状が気に掛かってくる。年長の方々が日本では聞かれないようなことばを掛けて下さるのは、一人で東の辺境から来た外国人への社交辞令なのであろう。活字でのみ存じ上げていた文字学の先生から若い自国の学生を叱る傍ら、「哲学がある」と過分なおことばを頂いたが、どの辺にそれが感じられたのだろうかと、逆に気になる。「漢字は奥が深いんですね」というようなことを韓国人の若い女性研究者が話してくれたのは、「蘊奥(うんのう)」など昔からある表現ではあるが、日本人によく聞かれるものと似た感想であった。
一仕事終わって、あとは現地の方々の発表をゆったりと聴ける。やはり、パワーポイントを使う人が多いのだが、皆がレジュメと同じとは限らず、手間をかけて別に一面ずつ作ってきた人もいた。レジュメが間に合わなかったのか、あらかじめ予稿集に出していない人も結構いた。時間を間違えて当日来られなかったという人もいた。大陸的である。事情があるという人もいれば、分からない人もいた。
そういう発表にはぜひ見たいものがあるものだが、北京案内のお誘いもまた断りがたいものがある。聞いておきたいが、いずれ論文になるだろうという声にうながされ退出する。しかし、部屋の鍵を確かめるために戻ってみた途中で、お名前だけ存じ上げていた韓国からの有名な先生に、エレベーター前でたまたま呼び止められた。せっかくお会いし、またこれから会場でお仕事をされるとのことで、しばし残ることになった。
発表時間は、一人7分と大変短い。それで湯呑みが叩かれるが、発表者はなかなか時間を守らない。もう時間が過ぎたと書かれた紙を見ずにどけて返し、大きな声で話し続けるとても元気なご老人もいた。こちらの研究会は、なんだか活力を感じさせる。