儒学の観点からの議論を終えて、西先生は再び欧文脈に戻ってゆきます。
theory, practiceの如く學に二ツの區別あり。Pure Science and Applied Science. 單純の學とは理に就て論し、適用の學とは實事に就て論するなり。之を算術に依て譬ふときは、2+2=4 pure. 是則ち單純の理に當てゝ用ゆるなり。2犬+2鳥=4匹 applied. 是亦學なりと雖も、業に就て用ゆるを云ふ。是則ち學の區別なり。
(「百學連環」第16段落)
上記の文中、「Pure」の左には「單純」という語が、「Applied」の左には「適用」という語が、また「業」の右には「實事」と添えてあります。
訳してみましょう。
「観察(theory)」と「実際(practice)」の区別と同じように、「学」には二つの区別がある。Pure Science と Applied Scienceの二つだ。「単純の学(Pure Science)」とは、理について論じるものである。「適用の学(Applied Science)」とは、実際の事について論じるものである。これを算術で喩えてみよう。「2+2=4」という場合、これはpure(単純)である。つまり、〔数学の算術の知識を〕単純の理に対して使っている。また、「2犬+2鳥=4匹」という場合、これはapplied(適用)だ。こちらも学ではあるけれども、実際の事に対して使っているのである。これがつまり、学の区別である。
「学」と「術」の定義、そして「知行」の検討を終えて、今度は「学」と「術」の内訳をさらに見てゆこうというところ。まずは学について、このような区別が導入されました。
いくつか補足しながら見ておきます。
theoryとpracticeについては、第45回「観察と実践」で見たように、西先生が「学」にも「術」にも、「theory(観察)」と「practice(実際)」という区別があると論じていましたね。
そして、「学(Science)」にも「Pure」と「Applied」という二つの区別があるというわけです。この区別がなにに由来しているかということは、もう少し読み進めてから検討することにします。英語が持ち出されていることから、なんとなく出所の推測はつきそうです。
さて、Pureといえば、よく「純粋な」と訳されたりもします。ここで西先生は「単純」としていますね。現在の英和辞典でも、pureを引くと、「きれいな」「純粋な」「高潔な」「潔白な」と並んで、「(学問など)純粋の、理論的な」とか「全くの」「単なる」などの訳語が並びます(『リーダーズ英和辞典 第2版』 )。この言葉だけでは、いま一つ意味が判然としないところですが、次に併置されるAppliedと対にすると腑に落ちます。
西先生はAppliedを「適用」と訳しています。現在では「応用」と訳す場合が多いかもしれません。つまり、当世風に言えば「応用学」ですね。「適用(応用)」が、より具体的な話だとすれば、「単純(純粋)」とは、より抽象的な話だと捉えることもできるでしょう。
両者の区別をいっそうはっきりさせるため、西先生は具体例を出しています。「単純の学」のほうでは「2+2=4」という数学で見慣れた形の式が提示されています。それぞれの数字には、単位などがついておらず、いわば抽象的な数同士の関係を示した式。
もう一つの例はちょっと面白いですね。「2犬+2鳥=4匹」という具合に、こちらはそれぞれの数字の後ろに名詞や単位がついています。目の前に2匹の犬と2羽の鳥がいて、「さて、ここには全部で何体の動物がいるかな?」と問われているような場面でしょうか。
現代における学術の例で補足するなら、例えば「理論物理学」と「応用物理学」といった区別を思い出してみてもよいでしょう。前者は「Theoretical Physics」、後者は「Applied Physics」ですから、Pureとは違う言葉遣いです。でも、意味としてはほぼ同じと考えられます。
理論物理学では、例えば、まだ実際に存在することが確認されていない素粒子を、理論の上で「こういう条件の下で存在しているはずだ」などと予測したりします。応用物理学では、例えば、シリコン半導体のように、電子部品の生産につながるものを研究していたりします。もっとも、こうした区別は、便宜のためのものですから、いつでも両者の境界をはっきり線引きできるとは限りません。
西先生が解説している「単純の学」と「適用の学」も、多様な学術を整理して把握するための見立てだと、まずは捉えておきたいと思います。この発想は、後に「百学」の内実を一覧してみるときに役立つことになります。