北京でのその研究会では、「乱」に異体字が55種類あるという質問者もいた。また、シンガポールやマレーシアに行くと、華僑らによって繁体字、簡体字、独自の文字が入り乱れているようだ。
言語文字の専門紙(報紙)の記者か編集者も来て、名刺を渡していた。編集は日本とは立場が違い、書評まで行う。そして中国の研究者はとにかく精力的だ。国家の予算の規模も違うそうだ。
中国の若い研究生(院生)が発表したことに対して、中国の著名な先生が途中で漢字の読み方が違う、そして終わった後には新しい内容がなかったと叱責なさっていた。健全な姿であろう。具体性がない場合、よほどの論でないと説得力を持たない。漢字はきれい事や空論では済まないものである。かといって、個別具体の例に振り回されてもいけない。新発見を求めないような発表は、独創性に欠け、確かに続けるのが苦しそうだ。
いくつかの発表に、日本の「常用漢字表」が紹介されるが、1945字となっているなど古い。2135字となっているのは惜しかった。ただ、字種だけの相互比較は、用法や表の性質、各言語での表記体系の現状から見てそもそもあまり意味を持たないのだが、やはり気になる。日本は、中国から見ると韓国よりも一層遠く映る、距離が感じられる国であるようだ。
こうした会には、学ぶ点も多い。刺激的であるし、交流も持てる。
中国語のレジュメでは、「等」の使い方にあいまいなところがある。複数ある例をすべて列挙し終えていても付けるようだ。日本では、公文書などで安全弁としても機能している。
パワーポイントは、撮影をするタイミングが難しい。これで最後かと思うと、行が末尾に追加されることもある。では、まだあるかと待っていると、すぐ次に変わって、先に行ってしまうこともある。急いで何枚も飛ばすものもある。
休み時間を経て、名刺など溜まっていくが、写真が付いていないと顔と名前が一致しにくく混乱する。この名刺は、中国語では「名片(ミンピエン)」、韓国語では「ミョンハム(名銜)」と、漢語の2字目がまちまちになっている。
今回、参加した150人中、日本人は私だけらしく、名前が唯一4字で突出してしまっている。中国の少数民族の姓名のようだ。本来は訓読みという人も私だけだ。
そんな中でも、氏名には特徴や傾向が見られた。ここに挙げてみよう。