「マジ」という語には、ついに「爻」という漢字まで当てられるようになった。この「コウ」と読み、易の卦(か)を構成する記号( と )を指し、交錯・まじわることを意味する字は、ケータイなどの変換候補で、初めて見るという者がほとんであろう。しかし、むしろ何だか分からないこの特徴あるシンプルな字こそ、それらしい形だと感じ取れるものとして、若者の一部に受け止められ、心をとららえたようだ。
ケータイメールではこれが実際にやりとりされ、さらにWEBにも送られたり、またWEB上で打ち込まれたりされるようになっている。これには、2003年の使用例も残っていた。情報機器の力が個人表記を位相表記へと押し上げる、そういう時代が到来しているのである。
「マジ」の漢字表記の試みは、この先も、よりしっくりくるニュアンスが求め続けられそうだ。「本命(マジ ルビ)カノ」と広告で使われれば、「本命(マジでヤバイ ルビ)」と手紙で使われることも生じている。「マジ」には、「心底」という表記を思いついた女子学生もいれば、「呪」や「蠱」のほうが自分の感覚に合うという女子学生もいる。広い意味での当て字は、今なお生産性を衰えさせるどころか、新たなより心に適う表現を求めて創造力を漲らせている。
WEBの掲示板などでは、「mjd」で「まじで」と読ませる、ローマ字により子音だけを表記するものも流行っている。ヒエログリフなど古代の表記に通じる手法ともいえそうだが、まずはキーボードによる入力の経済化によるものであり、ここには口頭語の歯切れの良ささえも感じられようか。「mjdsk」で「まじですか」もまた、用いられている。
ケータイでは、「まじで」と打てば、「(目の絵文字)(!?の絵文字)」、「(太陽の絵文字)。(太陽の絵文字)」、「(汗の絵文字)(!!の絵文字)」などと、絵文字交じりの候補が表示される機種さえも現れた。
ここまで縷々述べてきた「マジ」の表記の動向に関して振り返ってみれば、「真面目」という表記だって、もとは頼りない存在であった。それが一人一人によって使われ続け、200年以上の歳月を掛け、やっとこのたび「改定常用漢字表」(11月30日)に採用されたばかりのものであった。
そうして考えた時に、これらの「マジ」の漢字表記は、単なる徒花なのであろうか。まだ「マジ」という語の与える印象は正式な表現という感覚が薄い(私も位相語だととらえている)。
同時代人というものは、今となっては歴史的な貴重な発言者だが、文字に関しては一概にそうとは言えないことは、現在、話を聞いたり調べごとをしたりするにつけ、しばしば痛感するところだ。
これらの表記の意義と行方については、また50年後、あるいは100年後、200年後の人たちに、明らかにしてもらいたい。そういう時にも、古書店や図書館などにはあるであろう『当て字・当て読み 漢字表現辞典』が一つの素材となればと願っている。「まじめ」と「まじ」の話だけで、連載も10回を超えてしまった。続けて、当て字・当て読みのたぐいに関して、種々のトピックを紹介していきたい。