ハノイ市内で、見慣れぬ黄色い外壁と、若めのちょっとした人だかりに目を奪われると、そこが首相直属の国家大学ハノイ校とのこと。人文社会科学大学と、なにやら私の今の所属と共通点がある。よその大学に入るのは、いつも興味津々だ。いや、学校というものは一体、同じような仕組みで成り立っているものだが、それぞれに経緯や個性があるため微妙な差が見て取れて面白い。異業種ほどの意外さはないが、むしろ似ているもののもつ違い、異質さというものに、私はどうも惹かれるところがあるらしい。
大学が出してくれる乗り心地の良い大きめの車というのは、中国とシステム自体もよく似ている。書類を何枚も書く手間は、やはり面倒そうで申し訳ない。ベトナムではハンコは土産物になってはいるが、ここでは書類はサインだけでよいのだそうだ。渡航費などはともかく、こうした点は至れり尽くせりなことがありがたい。中国でも似た状況となるのだが、日本では社会的な諸事情から、どうしてもその逆にならざるをえないのがいつも歯がゆい。
教室として使う部屋に入室するや、全員が一斉に、ザッと音を立てて起立して迎えてくれる。日本の高校までのような号令はなく、礼をするわけでもなく、そのまま着席していたのだが、新鮮だ。近所にある北朝鮮系の学校で校庭や授業の開放があって訪問してみたとき、廊下を走ってきた生徒がピタっと立ち止まって一礼し、また走り去っていったのを思い出した。こうしたことは共産圏と儒教のいずれの風習だろう。
わざわざHPでも告知して下さっていたといい、30名くらいが小さめの会議室で待っていてくれた。
最初だけでも現地のことばで挨拶をしよう。声調に気をつけて、「シンチャオ・カクバン」と、20年以上前に習ったベトナム語を使って挨拶をしてみた。こういうことは、どこの国でもおおむね好評のようだ。もし夕方からも、という機会があれば、KARAOKEで地元の歌をその国のことばで歌うのも、また日本らしい歌を日本語で歌うのも、交流にとても効果的であるようだ。
先の挨拶を漢字チュノム交じり表記で書いてみると、
吀嘲各伴。
というようになる。中国の人に見せても、何のことかきちんとは分からないはずだ。
今度は、仮に中国からの純粋な借用語である漢越語だけを漢字で書いてみれば、
Xin chào 各伴.
という「漢字ローマ字交じり文」となる。ローマ字を主として漢字を括弧書きで添えてみると、たとえば次のようになる。
Xin chào các bạn(各伴).
最初のxinは、学生時代には「請」だと習った。日本でも「安普請」などではシンと読みはするが、中古漢語などと比すと声調や韻尾のgなどが合わないなと思っていた。ベトナムには古音や訛音もあるので、語源は必ずしも明確になっていないようだが、この語には「吀」というチュノムが使われてきた(『チュノム大字典』など)。2字目の「嘲」は、嘲る・嘲笑という意味ではなく、チュノムでは仮借ないし新規の形声文字として、あいさつ語を表記する。3字目の「各」は漢越語(朝鮮語、日本語と似る)、最後の「伴」も同じく漢越語で、ここでは漢籍にあった友達の意が生きているのである。
会議室の左前方には、黄金に輝くホーチミン(Hồ Chí Minh)像が安置されている。漢字では「胡志明」、ベトナム建国の父だ。多くの人々に「ホーおじさん」(伯胡 バックホー)と今なお敬われ、親しまれているという彼の姿を描いた大きな看板も市内に立っていたし、永久保存された遺体を展示する広大な廟も設けられていた。それらはローマ字だけで表示されているが、自身は幼くして『論語』を学び、漢詩をよくした。その像に立てかけられていた小さなホワイトボードは、像の金色を少し剥がしてしまっていた。あまり安定せず、薄いマジックで文字を書くたびにボードをカタカタと言わせるのにも、ベトナムの南国らしい大らかさが感じられ、2日目にはすっかり慣れてしまった。