作詞家の阿木燿子さんから、『当て字・当て読み 漢字表現辞典』へ推薦のおことば、それももったいないほど過分なおことばを頂く機会に恵まれた(//dictionary.sanseido-publ.co.jp/dicts/ja/ateji_ateyomi/subPage2.html)。
阿木さんが実際に手がけられた歌詞では、ことばや表記に対する繊細な感覚とこだわりの数々を、引用させて頂く際に十分に感得したが、実際にお会いしてお話をうかがうほどに心に染みていっそう納得できた。「炎と書いてジェラシー … ルビをふったらジェラシー」と山口百恵に歌わせたそのモチーフなど、プロの作詞家としてのお仕事のほんの一端を教えて頂くことができた。後日、ミュージシャンであり夫の宇崎竜堂さんもご一緒にお話しして下さり、作曲の秘密などを気さくにお示し頂いた。お二人とも、ことばや文字に対しても実に真摯に取り組まれていて、私にも一緒に来てくれたゼミ生にも、キラキラと輝いて映った。
さて、今回は、久しぶりに地域文字について記してみよう。今年、愛知県の豊橋で学会があった。学会での長かった役が満期を迎えたため、気持ちと時間にだいぶ余裕ができ、付き合いの長い風邪の具合が気にはなるが、発表を聴いた後に、どこかに足を伸ばしたくなった。
駅で運賃表を眺めると、信州へと向かう飯田線に「大嵐」があった。そこは天竜川に近いようで、愛知県を越えて静岡県内に位置するようだ。読み方は確か「おおぞれ」という地域訓を含むもので、字体も略字がありそうだ、と思って、駅員に訊くと、やはり「おおぞれ」であった。ただ、ここから2時間半は掛かる、着くのは17時過ぎとのこと、それでは東京に戻れない。
断念し、改めて見ると、「渕」を含む駅名がすぐ近くにあったので、そこに行くことで今回は諦めようと電車に乗った。しかし、急行かなにかだったのか、そこを通過したようだ。偶然というか行き当たりばったりが性に合っており、またワクワク感や意外性も楽しいので、そのまま岡崎に近い東岡崎まで、降りずに乗りつづけてみた。そうして豊橋に次いで、ほとんど何の予備知識ももたずに東岡崎の街を、カメラを持って歩いてみた。
「…だもんで」、「…ら」、なるほどこの辺りの女子高生もおじさんたちも、話し方は浜松など静岡あたりの方言とよく似ている。化粧品店の黒板では、「綺麗」の「綺」は「口」が余分に書かれている(写真)。たまに見られはする「誤字」だが、さすが豊橋、しょっちゅう書く「橋」の字体の部分が干渉したのでは、と推測してみる。石川県羽咋市近くの出身の女子学生が、「昨日」を「咋日」と書き、それを自然に感じていたことを思い出した。
愛知の地域文字といえば、やはり「杁」が気になる。用水路やその入り口を意味する「いり」は、江戸時代の初期から尾張ではこの字が造られ、使われてきた(『国字の位相と展開』参照)。一方、尾張を挟む他の地域では、木偏ではなく土偏の「圦」が国字として造られ、木偏のそれよりも少し遅れたようだが、書籍や幕府の文書でもよく使われたため、ついに辞書に載るほどにまでなった。三河地方では「いり」は、地図などを見ると分かるとおり、やはり「圦」というように土偏の、いわばかつての「共通文字」となっているのだろうか。
古びた看板の残る、だいぶ涼しくなった市内を散策し、カメラで撮るうちに、使用されている「圦」の字をこの目で見て、記録してみたくなってきた。そぞろ神に取り憑かれたような状態とは、こういうことも指すのだろうか。 (つづく)