秋の岡崎の地で、「いり」つまり用水路や水門が設けられているであろう池を求めて歩いていると、風邪のせいでフラついてきた。ちょうどタクシー会社の前にたどり着く。一旦は通り過ぎたが、誘惑に負けて扉を開き、タクシー無線を操る大きな男性に聞いてみた。「いり」が付く地名には、「「どうじょういり」がある」。パソコンを叩くと、画面には「入」。残念、土偏が付かない。
「なかがいり」「うさぎがいり」など、ほかも同様だった。しつこく、「何かあるのではないか」と食い下がって画面を覗き込むと、地名が並んだ下の方に「宮ノ圦」が表示されていた。行き場所は決まった。そもそも、「見ないでね」と笑って言われる物がたくさん貼ってある事務所に、「どうぞ」と入れて、座らせてくれるような何やら醇朴で温かい風土を感じさせるところだ。
「いり」とは何かと尋ねると、「字(あざ)名は、本当に分かりにくい」とその男性は知らないと言い、また年配のタクシー運転手も分からないようだ。地元では、地名に残る化石のような語と字のようである。日常語としては死語となっており、字も「死字」となることを予感させた。
プリントアウトしてくれたその画面の地図を片手に、タクシーに乗り込む。駅に向かうタクシーで、現地に着くと、大きな寺社の池に隣接し、そこに流れ込む用水路を持つ場所であった。地元の住民の方々に話を聞けた。やはり、中高年層でも地名の意味は認識されていなかった。
土偏に入るって書く。書かれた看板や電柱などは無いのではないか。(女性)
ここに来て38年だけど、この土に入るという字が初めは分からなかった。明治のころの地名か。パソコンでこの漢字が出ない。手紙では使うが、「土入」となって届く。(男性)
この字はJISの第2水準にはあるのだが、この男性は、「みやのいり」ないし「いり」という読みからそれを呼び出せなかったのだろう。
この地名が書かれたものは町中には無いと、揃って言う。近年脚光を浴びている「言語景観」の視点からは、この現地での「圦」の使用はゼロであった。しかし、そこの実際の暮らしの中では確かに地名として使われているのである。
せっかく来たので、実際にこの字が使われている物を隈無く探してみた。しかし、確かに見当たらない。かつては「みやのいりそう」なるものもあったそうだが(この「そう」は「荘」ならむ)、すでになくなっているとのこと。古びたアパートで、やっと「MIYANOIRI」とローマ字で書かれた外国の方の郵便受けを見かけた。こういう時に意外と頼りになる自動販売機も、そこでは1台しか設置されておらず、そこには誤って「宮ノ込」と手書きされていた【写真】。恐らく会社の人が書いたものであろう。これも誤表記といえばそういえるが、視点と価値観を変えれば、一般的な字に交替する「共通字化」の一種と捉えられるものだ。
今、改めて調べてみると、この辺りにはほかにも「圦」地名は散見されるのだが、「大圦」などは「竜美大入町」となっているように地図上では見え、ここだけの状況ではないことがうかがえる。そして、「圦」を用いたその他の地でも、同様の事態が人知れず進んでいる可能性が頭をよぎった。
いくつも見られる地名の「入」にも、元は「圦」だったものがあるのではなかろうか。尾張の「杁」に拮抗する形で、近世以降、この辺りでは、江戸幕府も用いる共通文字の「圦」が使われていたのだが、戦後、当用漢字表や常用漢字表による「新たな共通字化」が進展した。そして、見慣れた漢字に書き換えられた結果が「込」だと考えると、この「宮ノ圦」という字の行く末も、決して安泰ではないように思われた。