「最も画数の多い漢字は何か」。巷間、問われることの多い命題に関して考えてみよう。 実は『当て字・当て読み 漢字表現辞典』には、当て字に限定せず、漢字のこれはという表現を意識的に盛り込んでみた。漢字表現の広がりを押さえ、かつそこから当て字の位置を確かめるためであった。
その一つとして、画数の多い漢字を記録しておこうという方針があった。画数は、少ない方は1画と限りがある。スペースに何らかの読みを与えれば、0画の字(?)という表現もできないことはないが、マイナスになることは現実の文字にはない。
一方、画数が多い字はどうだろう。これは、漢字が開いた集合であるため、途方もないことになりかねない。思いつきのたぐいの遊びの造字はここでは別としよう。今度、「常用漢字表」に加わったことで注目を浴びた「鬱」は、当て字(熟字訓の類を含む)にも使われてきた。中国の簡体字では、発音が等しい「郁」(yu4 イク)で代用することになって久しい。日本人がこの「鬱」という字を書くと、驚かれるのである。
チューリップには「鬱金香」が当てられていた。イメージが合わないことは「鬱金」にもいえ、昨今では飲料などで「ウコン」や「うこん」と書かれることが増え、当初は違和感を覚えたものだが、すっかり定着したようだ。
「鬱悒し」で「いぶせし」は、辞書の見出しによく見る。気分が晴れず鬱陶しいことなので、用いられたのであろう。「鬱陶」で「ものおもい」も熟字訓であった。
応用は続く。陶然とする意の「うっとりする」までが「鬱とりする」「鬱っとりする」と書かれることがある。「俯く」が「鬱向く」と歌詞や WEB などで書かれるのは、語源解釈自体が変わってきたためであろうか。甚だしくは、飲料の TVCM で、ヤンキー風の先生が「トロピカルフルーツ」を板書する際に「吐露非狩古鬱」と書くシーンがあった。暴走族式のおどろおどろしい、禍々しさの漂う当て字の産出である。役割語ならぬ役割字、役割表記といえようか。
近年、「うざい」という関東発で若者に広まったことばには「鬱陶い」が当てられたこともある。語義だけではなく、頭音「う」の一致、関西の「うっとい」の漢字表記「鬱陶い」も影響したものだろうか。
「憂鬱」で「ブルー」、「鬱憂症」で「メランコリア」など、英語などからの外来語にも適用されている。このルビの振られた箇所によってそのイメージが明確になったり、重層的に感じられたりもするのであろう。
「鬱」の字が持つ表現力の高さは、さまざまな派生をもたらす。織田哲郎&大黒摩季の「憂鬱(じょうねつ)は眠らない」(1993)という曲名は、異なる意味を持つ別の熟語で読むという技法が利用されている。
WEBで、間違った書き込みをしてしまった時に軽く使われる「鬱だ。死のう」への漢字変換を経た当て字には、「鬱だ汁濃」などのほかに、「打つだ氏脳」という「鬱」の回避も見られる。JISの実は第1水準にある俗字「欝」は、1978年当初の字体ですでに辞書にあったわけだし、中世の一部の人々が書いた「林四郎」を縦に連ねた異体字や、江戸時代の蘭学者たちが書いていた10画台の略字など、その字体は簡便なものを求めて各種生じていた。
「ウツ」を縦に書いたら良いのではないか、と女子学生からは妙案も出た。しかし、あの「ウツ」の雰囲気が失われるなどといって、イメージ重視の日本人からは好まれない。医学用語では「躁鬱」は「躁うつ」と表記しているが、「躁」が表外字、逆に「鬱」が表内字となったため、どのように対応するのであろう、あるいは対応しないのであろうか。これについては、日本医学会で用語や文字・表記を真摯に検討されてきた開原成允先生も気にされていただけに、先日急に世を去られたことが残念でならない。
30画前後の字は、当て字のたぐいにさえ、ほかにも見られるのだが、続けて60画以上の字に関して述べていこう。(続く)