お祭りの屋台で世代を超えて馴染みの食べ物といったら、綿菓子、たこ焼き、天津甘栗、いか焼き、あんず飴、といったところか。的屋も流行り廃りに敏感で、売れない物はいつの間にやら見られなくなり、代わりに新機軸を色々打ち出してくる。都筑道夫のエッセイを読むと、戦前の東京の屋台には、水でといた小麦粉にウスターソースを混ぜ込んで食パンの両面に塗り、油で焼いた「パンカツ」と称するものが売られていたそうで、都筑道夫は好きだったようだが、私は見たこともない。
キリスト教の教会でもクリスマスや復活祭やKirmes, Kirchweih「教会開基祭」(献堂記念日)といった例大祭に市が立って、屋台が並ぶ。焼きソーセージBratwurstは当たり前として、ドイツの屋台で昔ながらのお馴染みのお菓子といったら、綿菓子Zuckerwatte、アーモンド(Mandel)の飴がけ、ハート型のレープクーヘンLebkuchen、それからマーゲンブロートという、一口大の菱形のパンに香料のきいたチョコをまぶした、九州銘菓の「黒棒」のような見かけのお菓子だろう。
ハートの形をした大型のレープクーヘンにはきれいなデコレーションが施してあって、気の利いたテキストが書いてあったりする。娘がドイツの小学校で聞いたところでは、見かけの誘惑に負けてドイツの子供は大抵一度は渋る親にねだってあのハート型レープクーヘンを買ってもらうが、親の警告した通りやはり不味く、全部食べられなかったという経験を持っているそうだ。親も子供の頃に同じことをしたからこそ成り立つ話であろう。
天津甘栗と同じように美味しいのがアーモンドの飴がけである。大粒のロースト・アーモンドが香ばしく砂糖にくるまれている。大学芋のように砂糖で煮詰めて作るらしいが、アーモンドはかりっと乾いている。このアーモンド屋はお祭りの市だけでなく、観光名所の教会やお城の前の広場にひっそりと単独で店を広げていることがあって、思わず買ってしまい、家族全員で競争で食べてしまう。ルートヴィッヒスブルクというシュトゥットガルトの直ぐ北にある小都市で食べたアーモンドが忘れられないほど美味しかった。いやしいことを言うようだが、アーモンドの倍はあろうかというほどたっぷりの砂糖が付いていたのが印象的だった。それ以後、あれほど美味しいアーモンドに出会えない。大都市にあるのはどれも、けちっていて砂糖が薄い。六本木で本格的なドイツのクリスマス・マーケットWeihnachtsmarktをやるというので喜んで行ってみたら、なるほど内容は本物だったが、値段が高すぎて閉口した。いくら大好物でも、たかがアーモンド一袋に千円も払えない。