タイプライターに魅せられた男たち・第176回

山下芳太郎(31)

筆者:
2015年4月9日

1917年11月22日、山下たち委員会一行は、ニューヨークに戻ってきました。約6週間の予定でアメリカ東海岸一帯での視察をおこなう、というのが委員会の最大の目的であり、マンハッタンのプラザ・ホテルに委員会の本拠をかまえ、各委員がそれぞれに調査をおこなうのです。山下は、ニューヨークの各銀行を調査して回り、日米合弁銀行の設立の可能性、あるいは、独立の日系銀行の設立の可能性を探るとともに、連邦準備銀行のシステムを日本と連動させる方法を模索するのが、主要な任務でした。

しかし、現実に調査を始めてみると、山下は、ニューヨークの巨大銀行での労働効率の高さに、目を回さんばかりでした。ナショナル・シティ銀行にしろ、チェイス・ナショナル銀行にしろ、ほとんど全ての行員が、タイプライターと手回し計算機で業務をおこなっているのです。もちろん、日本の銀行においても、そろばんや手回し計算機は使われていますが、タイプライターは導入されていません。手書きの伝票では、タイプライター打ちの伝票に、スピードも読みやすさも、全く太刀打ちできないのです。これでは、独立の日系銀行をアメリカに設立できたとしても、すぐに競争に負けてしまいます。それに加え、いくつかの銀行では、遠隔タイプライターと呼ばれる機械の導入を検討していました。電信為替(telegraphic transfer)においては、送り元の銀行で伝票を作り、その内容をモールス電信で相手先銀行に送って、また相手先銀行で伝票を作ります。もし、遠隔タイプライターを電信為替に導入できれば、伝票作成と電信を全て同時に、遠隔タイプライターだけでおこなうことができるのです。

実際、ニューヨークの街中を歩いてみると、「Remington Visible Typewriter Model 10」「Underwood Standard Typewriter No.5」「L. C. Smith & Bros. Typewriter No.5」「Royal 10」など、様々な種類のタイプライターがショーウィンドーを飾っていました。それはすなわち、ニューヨークには、タイプライターの需要がそれだけたくさんある、ということを意味していました。ニューヨークでは、銀行だけでなく、ほぼ全ての企業でタイプライターが使われているのだろう、とすら山下には思えたのです。

「Royal 10」

「Royal 10」

山下芳太郎(32)に続く)

筆者プロフィール

安岡 孝一 ( やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

https://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。

編集部から

近代文明の進歩に大きな影響を与えた工業製品であるタイプライター。その改良の歴史をひもとく連載です。毎週木曜日の掲載です。とりあげる人物が女性の場合、タイトルは「タイプライターに魅せられた女たち」となります。