タイプライターに魅せられた男たち・第62回

谷村貞治(2)

筆者:
2012年11月29日

この頃、サミュル・サミュル商会は、逓信省から「和文印刷電信機」の開発を請け負っていました。欧米の『テレタイプ』を、何とかカタカナ縦書きで、使えるようにしたいというのです。ただし、キー配列は「和文スミス」と同一にすること、というのが逓信省の条件でした。サミュル・サミュル商社は、逓信省から内山初太郎などの技師を引き抜き、ニューヨーク州ロングアイランドのクラインシュミット・エレクトリック社と合同で、「和文印刷電信機」の開発にあたっていました。

1924年8月に妻を亡くした谷村は、サミュル・サミュル商会の仕事に、のめり込んでいきました。谷村は当時、遠隔タイプライターに関する知識はほとんどなく、クラインシュミット・エレクトリック社の技術を全力で吸収していきました。けれども、欧文の遠隔タイプライターで使われている技術を、そのまま「和文印刷電信機」に使うわけにはいきません。「和文スミス」は42キーなので、5穴の鑽孔テープでは、全てのキーを1対1に符号化することができないのです。少なくとも6穴の鑽孔テープを使わなければならない、というのが、クラインシュミット・エレクトリック社の結論でした。

1925年1月1日、クラインシュミット・エレクトリック社は、シカゴのモークラム社と合併して、モークラム・クラインシュミット社になりました。1925年3月、モークラム・クラインシュミット社は「和文印刷電信機」の試作機2台を完成、サミュル・サミュル商会経由で、逓信省に納入しました。逓信省では、この試作機2台の評価試験をおこなった上で、東京中央電信局と大阪中央電信局に1台ずつ配置し、1925年4月9日に実地での通信実験をおこないました。実験結果はおおむね良好で、逓信省はサミュル・サミュル商会に、「和文印刷電信機」50台を発注したのです。

モークラム・クラインシュミット社の「和文印刷電信機」と6穴の鑽孔テープ
モークラム・クラインシュミット社の「和文印刷電信機」と6穴の鑽孔テープ

しかし、モークラム・クラインシュミット社は、期日の1926年3月になっても、「和文印刷電信機」の量産品を完成できませんでした。サミュル・サミュル商会は、逓信省に違約金を支払って発注契約を解約、その上で1926年5月には日本撤退を決定します。「和文印刷電信機」に関する業務は、大阪の日瑞貿易に移譲されることとなりました。谷村は、サミュル・サミュル商会の業務を日瑞貿易に継承すべく、東奔西走する羽目になったのです。

谷村貞治(3)に続く)

筆者プロフィール

安岡 孝一 ( やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

https://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。

編集部から

近代文明の進歩に大きな影響を与えた工業製品であるタイプライター。その改良の歴史をひもとく連載です。毎週木曜日の掲載です。