タイプライターに魅せられた男たち・第181回

山下芳太郎(36)

筆者:
2015年5月14日

1921年10月8日、山下は、堂島浜通2丁目の大阪商業会議所にいました。星野が英米訪問実業団の大阪代表に選ばれ、その送別会が大阪商業会議所でおこなわれたのです。他の大阪代表は、住友銀行の八代則彦、稲畑産業の稲畑勝太郎、大阪商船の深尾隆太郎で、約半年間、アメリカやイギリスを訪問する予定になっていました。ニューヨークに行ったならば、忘れず「Remington Portable」カナタイプライターの進捗状況を見てきてほしいと、山下は星野に、カナタイプライターに関する交渉を委任しました。星野はこれを受け、英米訪問実業団の一人として、10月15日、大阪郵船の鹿島丸で横浜港を出帆しました。

仮名文字協会の活動は、その規模を少しずつ増しており、活動状況を会員に伝えるためにも、機関誌の発行が必要だと感じられるようになっていました。カタカナ横書きの機関誌によって、「カナモジ ウドゥ」の実践を具現すべきだ、と山下は考えたのです。1922年1月には、印刷局の猿橋福太郎が「猿橋式活字」を準備し、いよいよ機関誌を印刷する準備が整いました。そして、1922年2月20日、仮名文字協会の機関誌第1号が発行されました。機関誌のタイトルは『カナ ノ ヒカリ』。「カナモジ ウドゥ」を押し進め、漢字に眩んでしまっている国民の眼をカナモジへと開かせるためには、これ以上ないタイトルでした。

『カナ ノ ヒカリ』 ダイ 1 ゴゥ 表紙

『カナ ノ ヒカリ』 ダイ 1 ゴゥ 表紙

この『カナ ノ ヒカリ』第1号に、山下は「ハッカ 二 アタリテ」という檄文を書いています。

我国は維新以来、国運隆々として進み、幸いにも今や世界文明の先進国の中に加わり得ましたが、これだけでは満足していることは出来ません。この上さらに位置を進めて、ますます世界文化の先頭に立って諸国を指導するほどの大抱負が必要であります。
しかしこれを実現せしめるに絶大の努力を要しますことは、あたかもアルプスの絶頂によじ登るがごときもので、心や身体を錬り固むるのみならず、なるべく装いを軽くして進まねばなりません。しかるに我が国民は、この文化の峰をよじ登るにあたり、西洋諸国の人々の知らない重荷を一つ余分に背負っています。それは難渋な国字であります。
外国ではわずかに26字で用を足しているのに、我々日本人は少なくとも数千の難しい漢字を覚え、かつこれを使わねばなりません。これがため日本の子供は、外国の4年に対し、およそ6年の学習を要し、社会の実務においては、外国の一人に対し二三人の人手を要し、彼の一時間に為し得る仕事を、我は一日を要するという大なる弱点を持っているのであります。我々が一日も早くこの重荷を投げ捨てざる限り、我々の子孫は到底文化の競争において外国に勝ち得る見込がありません。
しかるにここに幸いなことには、我らの祖先は一千数百年を費やして磨き上げた世界無比の片仮名の文字を、我らに遺して授けております。これこそ実に我らの救いの舟で、我らの活路はこれを外にしてはあり得ません。
仮名の光はこの見易き道を伝えて、将来の我が国民の肩より、漢字の重荷を除かんがために生まれたのであります。

ワタクシ ワ ソノ ハッカ ニ アタリ,カイビャクイライ ワガ クニ ヲ マモリ タマエル カミ ノ ミタマ ノ マエ ニ イノリツツ,ドクシャ ショク ニ マミエマス.
ゴドゥカ ノ カタ ノ ゴエジョ ヲ セツ ニ ネゴゥ シダイ デ アリマス.

山下芳太郎(37)に続く)

筆者プロフィール

安岡 孝一 ( やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

https://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。

編集部から

近代文明の進歩に大きな影響を与えた工業製品であるタイプライター。その改良の歴史をひもとく連載です。毎週木曜日の掲載です。とりあげる人物が女性の場合、タイトルは「タイプライターに魅せられた女たち」となります。