一方で、大阪における労働運動は、この時期、非常な高まりを見せていました。労働者たちは、8時間労働の厳守、賃上げ、普通選挙の実現、など様々な要求を掲げて、労働組合を結成し、集会を開き、集団団交をおこない、要求が通らない場合には大規模なストライキをおこなっていました。住友伸銅所と住友製鋼所、そして住友電線製造所は、1万人を超える労働者を抱え、ある意味、大阪における労働運動の中心となりつつありました。特に、労働組合委員の山内鉄吉の解雇に端を発した住友製鋼所のストライキは、1921年6月16日から7月3日まで続く一大争議となりました。この争議では、大矢省三をはじめとする職工側ストライキ実行委員が、副支配人の細矢も、支配人の工藤も飛び越えて、所長の山下に直接交渉を迫る一幕もありました。6月21日の大阪朝日新聞を見てみましょう。
大矢ほか4名の交渉委員は、午後8時半、突如、住友総本店に山下所長を訪い、要求の内容につき約2時間半にわたり懇談を重ね、同12時、西九条の事務所に引き揚げた。右につき、大矢実行委員は語る。
吾々は自発的に訪問したのではあるが、訪問の目的については何とも言明することが出来ない。しかし吾々の要求について山下氏と懇談の結果、山下氏と吾々との間に多少の諒解を得たことは事実である。その結果、これまでの形式ばった交渉を打切って、あらためて21日再会懇談することになった。 なお山下所長は語る。
従来の交渉は、あまり形式的であったので誤解があるかも知れぬとのことで、実行委員から要求の内容精神について説明があり、私からも回答の意のある所を説明して多少諒解するところがあったので、明日、再会懇談を約した次第である。
昼となく夜となく団体交渉が続き、山下もかなり消耗しましたが、最終的には、大矢を含む多数の職工を解雇し、ストライキをやめた職工だけを復職させるという形で、この労働争議は解決しました。9月25日の大阪毎日新聞(夕刊)は、こう伝えています。
製鋼所の争議で男振りを揚げた大矢省三が、西九条あたりで山内鉄吉と共同でおでん屋を開き、そのかたわら石鹸の行商に歩いているなどは、あまりに悲痛と云うべく。
そんな中も、山下は、カナタイプライターのキー配列を開発していました。「Remington Portable」のためのカナキー配列です。右手小指に濁点と半濁点を置き、濁音となりうるカナ(カ行サ行タ行ハ行)を左手に集めました。最上段のシフト側に数字を置き、上段と中段に使用頻度の高い(と山下が考えた)カナを集めました。小書きのカナは、対応するカナのシフト側に置きました。この42キーのカナキー配列と、カタカナ活字の印字見本を、山下はコーディーに託したのです。
(山下芳太郎(36)に続く)