新学期、晴れがましい新入生たちでキャンパスは一杯になる。初々しく見える彼らも、高校や予備校を終えるまでの間に、さんざん試験のたぐいを受け、その答案用紙には幾多もの「○」や「×」が付けられてきたはずだ。いや、これからも大学はもちろん、下手をすると社会に出てからも、それらの記号から逃れられない人たちも少なからずいるに違いない。
日本人には、漢字について色々とあげつらう性質がいつの時代にも残っている。要人らの読み間違え、書き間違えに対する昨今の評も、同根であろう。国語のテストに限らず、さまざまな科目で、答案に記された漢字に対して、「○×」を付けるために細部にまで目を光らせることがあるそうだ。字形を確認し、正誤を判断するために、虫眼鏡まで持ち出されることもあると時折聞く。
この「○」「×」と、その中間の点であることを示す「△」という記号は、万国共通のものなのであろうか。このことについて、特に漢字圏での形態と名称を比較してみたい。
まず、日本では、正解には「○」、不正解には「×」が基本である。半分くらいとか途中まで正解、という場合には「△」も適宜与えられる。
実際の答案用紙には、「○」は下から時計回りでひしゃげた形に大きく書かれることが多い。また採点者や採点時の気分によっては、集計の便を図って、また筆記の労を軽減するために、「○」のほかは何も付けない、逆に不正解の「×」だけしか付けないといったこともあるようだ。たしかに、そのほうが採点の集計が楽ということもあるが、採点忘れとの区別が付けにくい。ほかにも、「・」だけを打っておくなど、個性はむろん採点者によって様々に出る。解答内容によっては二重丸、三重丸、さらに花丸と飾りが付くことさえある。
「○」が正解というのは、日本の多くの人々には感覚的に納得できよう。太陽、日の丸の象形性は別格としても、禅僧の「円相」に象徴されるように、円満で満ち足りた完全さを表現するシンボルとしての性質も帯びている。家紋や屋号にもよく利用されてきた。江戸時代の俳諧の「丸五点」(輪五点)は、○が採点に応用された走りであろうか。
「△」は、「○」にはなれないが、「×」でもないことを示す形態だと見られないこともない。図形そのものとしては「うろこ」などと呼ばれ、すでに江戸時代には合い印や家紋など、さらに平安時代にも訓点としてしばしば見られる。「ござる」を「厶る」と書いたのも、畳んだ茣蓙(ゴザ)を横から見た姿を象った記号「△」が元だと言われる。
一方、「×」(ばつ)は明治期から現れる名称のようだ。「凶」の字に含まれ、古代中国でも良くないことの表象とも言われる(「円」も「圓」の中の「口」や周囲の「囗」は古くは○という形に起因するとも説かれる)。「×」を「バツ」と呼ぶのは、「罰点」によると考えられている。一方、関西では「×」を「ペケ」といい、「不可」(第30回)の中国語読みからという説も唱えられているが、その「ペケ」という語の使用者は近年だいぶ減ってきているという。
ほかにも、「×」印のことを青森でいう「エケシ」はローマ字の「X」、九州でいう「カケル」は掛け算の記号「×」に見立てた呼称とされる。確かにそれらは、活字はともかく、手書きではほぼ同じ形に記す人が多い。古来、日本で「×」という形態が意味するところについては、民俗学の蓄積もあるようだ。神域を示す「しめ縄」(七五三縄・注連縄・〆縄)の「〆」と共通するとも説かれる。さらに外国のアニメなどでお馴染みの毒薬入りの瓶に描かれた髑髏マークの下にある骨2本の交差も連想されよう。
さて、日本では採点の際に、「×」の代わりに「チェックマーク」が書かれることもある。これは、名称からみても西洋伝来のものであろうが、結構よく使われる。このマークは、「×」よりも書きやすく、ほかにも確認、作業などが済んだことを表す印としても使用されている。年輩の方が、微妙な解答を書いたときに、「×」にはならないが「チェック」はされた、と教えてくださったが、なるほどそういうニュアンスの差もありえそうだ。
JISの第3、第4水準を策定する過程で、担当した教科書を見ていった際に、あっと思ったのがこの「チェックマーク」であった。確か英語の教科書であったか、文字列の中に何とか存在しており、しめたと思った記憶がある。JISへその時に採用された非漢字であった。このマークがないので、ワープロによる印刷物は不便であった。よく「√」を入れるなど、苦心の跡が見られたものだ。また、「レ点」などと記され、「レ印」や「レ」を書いてください、などともある。なお、「レ点」は元は中国から伝わったもので、字を書く際に順番を間違え、2字の配列が転倒してしまった場合に、2字の間の横に記し入れる符号であった。
さらにその鉤の部分をなくし、「/」と書かれることもある。これは右上から左下に下ろすことが多い。確かに「×」よりも楽だと、採点の時に思った経験がある。筆記の経済ということもあるが、「×」にも値しないような、努力の跡の表れていない解答や空欄などでは特にそれで済まされがち、ということもなくもなさそうだ。