先に、語釈の不親切な学習国語辞典(学習辞典)は困る、という話をしました(第17回)。語釈をより親切にすることに反対する人は少ないはずです。でも、親切な説明をすれば、それだけ字数・行数が増えるのではないか、と心配する人はいるかもしれません。辞書の編集にくわしい人ほど、この点が気になるのではないかと思います。
たとえば、「提唱」ということばを次のように説明する学習辞典があります。
〈意見や考えを言いだすこと。〉
これでも間違いではありませんが、不親切です。「提唱」というのは、今まで言われなかった新しいことを世間に提案することです。そこで、次のように改めてみます。
〈意見や考えを発表して、人々に呼びかけること。〉
これなら合格です。ところが、もとの13字が22字になり、1.7倍に増えてしまいました。この調子で、すべての項目の字数を増やせるかというと、どうもむずかしそうです。
もし、全体の字数を1.5倍程度に増やしたとすると、単純計算で、1000ページの辞書は1500ページになります。学習辞典の本文はせいぜい1300ページが限界で、それを超えると、分厚くて重くて、実用的でなくなります。すでに1000ページを超えている辞書が、項目当たりの記述を1.5倍とか2倍とかに増やすのは、現実には困難です。
ページ数に上限を設けて、その中で語釈をくわしくしようとするなら、収録語数を減らすという方法が考えられます。かりに、同じページ数で3万語の辞書と2万語の辞書があったとすると、これも単純計算では、後者のほうが項目当たり1.5倍のスペースが確保できることになります。
書店に行って比べてみると、ページ数はほぼ同じでありながら、収録語数が3万数千語の辞書もあれば、2万数千語の辞書もあります。実に1万語の開きがあります。字の大きさなどの条件が同じだとすれば、後者のほうがくわしい記述をしているのではないかと、ふつうには思われます。
もしそうだとすると、語釈の親切さで学習辞典を選びたい子どもには、収録語数の少ない辞書を薦めたくなります。本当のところはどうなのでしょうか。
語数と親切さに関連なし
実際に、収録語数の少ない辞書は語釈が長くなるかどうか、調べてみます。約3万5千語を載せるA辞典(本文約1200ページ)と、約2万5千語を載せるB辞典(本文約1100ページ)とを取り上げます。2冊に共通する192項目を選び、語釈をパソコンに入力します。それから、字数を自動的に計算させます。
結果として、A辞典の語釈は平均30.8字、B辞典の語釈は平均31.1字でした。どちらもほとんど同じ字数です。このことから、必ずしも、収録語数が少なければ語釈が長くなるとは限らないことが分かります。
ページ数がほぼ同じで、1万語の開きがある2冊を比べて、語釈の字数があまり変わらないのは不思議です。これは、主に、1行の字数や1ページの行数など、レイアウトが微妙に違うことが理由でしょう。また、用例の長さなども関係しているようです。
収録語数が少なくて、語釈のくわしい辞書も、もちろんあります。その一方、語数が多くて、なおかつ語釈に力を入れている辞書もあります。収録語数が多いか少ないかということと、語釈が親切かどうかには、関連がないのです。
根本的なことを言えば、語釈を短く切りつめたからといって、不親切になるわけでもありません。今回は、「親切な説明のためには、多くの字数・行数が必要」という前提で話をしたのですが、実は、その前提があやしいのです。私は、これまでも、簡単な語釈だからといってだめな語釈だとは言えない、と繰り返してきました(第8回など)。
先に掲げた「提唱」の語釈は、くわしく書き換えると1.7倍に増えました。でも、同じ字数で、より的確に書き換えることもできます。別の辞書の「提唱」はこんな語釈です。
〈新しい考えを言いだすこと。〉
先の辞書では〈意見や考えを……〉でしたが、ここでは、〈新しい考えを……〉になっています。この「新しい」という要素を入れただけで、「提唱」の語釈としては、簡潔ながら十分なものになりました。
このように、「親切な語釈」は、辞書の収録語数や語釈の字数にかかわらずに実現できます。「それなら、語数を少なくする意味がない」と言われそうですが、低年齢の児童のためには、語数を抑えた辞書も必要です。このことについては、次回に考えます。