今週のことわざ

愚公(ぐこう)(やま)を移(うつ)

2008年2月11日

出典

列子(れっし)・湯問(とうもん)

意味

努力さえすれば、どんな難事業でも成功する。小利口な者より、愚直な者のほうが大きな仕事を成し遂げる。「愚公」は、愚か者という意味。「虚仮(こけ)の一心」と同じような意味。粘り強く一歩一歩努力を続けるという意味にも用いる。

原文

北山愚公長息曰、汝心之固、固不徹。曾不孀妻弱子。雖我之死、有子存焉。子又生孫、孫又生子、子又有子、子又有孫、子子孫孫、無窮匱也。而山不加増。何若而不平。河曲智叟亡以応
〔北山(ほくざん)の愚公(ぐこう)長息して曰(いわ)く、汝(なんじ)の心の固(こ)なる、固なること徹すべからず。曾(すなわ)ち孀妻(そうさい)の弱子に若(し)かず。我の死すと雖(いえど)も、子有りて存す。子又孫を生み、孫又子を生む、子又子有り、子又孫有り、子子孫孫、窮匱(きゅうき)無きなり。而(しか)るに山は加増せず。何若(いかん)ぞ平らかならざらん、と。河曲(かきょく)の智叟(ちそう)、以(もっ)て応(こた)うる亡(な)し。〕

訳文

(昔、太形山(たいけいざん)、王屋山(おうおくざん)という二つの高山があり、人々は出入りの際の回り道に不便していた。北山(ほくざん)の愚公(ぐこう)は九十歳になろうとしていたが、山を取り除き、平らにしようとした。河曲(かきょく)の智叟(ちそう)《=利口者》はじめ、多くの人々はその企てをばかにした。)愚公は嘆息して言った。「おまえのほうこそ愚かな心の持ち主だ。とても救いようがない。後家の幼子にさえ及ばない。たとえ私が死んでも子供が残り、子供は孫を生み、その孫がまた子を生む。次々と子ができ、決して尽きることはない。ところが山の方は絶対大きくならないのだ。どうして平らにできないことがあるものか。」智叟は返す言葉もなかった。(天帝は愚公の誠意に感動し、二つの山を神に背負わせて他に移させたので、愚公の住んでいる所には、交通を妨げる山はなくなったという。)

解説

大事業は営々たる努力の集積の結果であり、自分一代の功のみでは成し遂げられぬという教訓である。中華人民共和国の創国直前、一九四五年六月に毛沢東(もうたくとう)は第七回中国共産党全国代表大会で、「愚公移山(ユイコンイーシヤン)」と題して講演し、「帝国主義と封建主義という二つの大山を取り除くには、人民すべてが愚公(ぐこう)となって努力しなければならぬ。」と説き、大きな影響を与え、「七億の愚公になろう」というスローガンも生まれた。一九六〇年代中国で、いわゆる文化大革命の時代、この「愚公移山」と「為人民服務(ウエイレンミンフーウー)(=人民のため奉仕せよ)」「紀念白求恩(チーニエンパイチユーエン)(=べチューンを紀念せよ)」の三つの毛沢東論文が「老三篇(ラオサンピエン)(=身近な三編)」として広く読まれた。

筆者プロフィール

三省堂辞書編集部