出典
戦国策(せんごくさく)・燕(えん)策
意味
人と人が争っている間に、第三者が利益を得てしまうことのたとえ。「漁夫」は「魚父」とも書くが、「魚父」は、漢文訓読ではつうじょう「ぎょほ」と読む。
原文
趙且レ伐レ燕。蘇代為レ燕謂二恵王一曰、今日臣来過二易水一。蚌方出曝。而鷸啄二其肉一。蚌合而箝二其喙一。鷸曰、今日不レ雨、明日不レ雨、即有二死蚌一。蚌亦謂レ鷸曰、今日不レ出、明日不レ出、即有二死鷸一。両者不レ肯二相舎一。漁者得而并二擒之一。今趙且レ伐レ燕。燕趙久相支、以敝二大衆一。臣恐三強秦之為二魚父一也。故願王之熟二計之一也。恵王曰、善。及止。
〔趙(ちょう)且(まさ)に燕(えん)を伐(う)たんとす。蘇代(そだい)、燕の為(ため)に恵王(けいおう)に謂(い)いて曰(いわ)く、今日(こんにち)臣来りて易水(えきすい)を過(す)ぐ。蚌方(ぼうまさ)に出(い)でて曝(さら)す。而(しこう)して鷸(いつ)その肉を啄(ついば)む。蚌合わせてその喙(くちばし)を箝(はさ)む。鷸曰く、今日雨ふらず、明日(みょうにち)雨ふらずんば、即(すなわ)ち死蚌有らん、と。蚌も亦(ま)た鷸に謂いて曰く、今日出でず、明日出でずんば、即ち死鷸有らん、と。両者相(あい)舎(す)つるを肯(がえん)ぜず。漁者(ぎょしゃ)得てこれを并(あわ)せ擒(とら)う。今趙且に燕を伐たんとす。燕・趙久しく相(あい)支(ふせ)がば、以(もっ)て大衆を敝(やぶ)らん。臣、強秦(きょうしん)の漁父(ぎょほ)と為(な)らんことを恐るるなり。故(ゆえ)に願わくは王のこれを熟計せられんことを、と。恵王曰く、善し、と。及(すなわ)ち止(や)む。〕
訳文
趙(ちょう)が燕(えん)を征伐(せいばつ)しようとしていた。外交家の蘇代(そだい)は、、燕のために、趙の恵文王(けいぶんおう)(在位、前二九九~二六六)に次のように言った。「今、わたくしがこちらの国に参りますときに、易水(えきすい)という川を渡りました。そのとき、蚌(ぼう)(=どぶがい)が日向(ひなた)に出て、殻の中の肉をさらして、日に当てておりました。すると鷸(いつ)(=しぎ)が、その肉をつつきましたので、蚌は貝殻を閉じて、鷸のくちばしを挟んでしまいました。そこで鷸が言いました。『今日雨が降らず、明日も雨が降らなければ死んだ蚌になってしまうぞ。』蚌もそこで鷸に言いました。『今日もくちばしをここから出せず、明日も出せなければ、死んだ鷸になってしまうぞ。』どちらも譲ろうとしませんでした。すると、漁師が、蚌と鷸を両方捕らえてしまいました。今、趙は燕を征伐しようとしておられます。燕と趙とが長い間お互いに争っていると、どちらの人民も疲れてしまうでしょう。わたくしには、それに乗じて強国の秦(しん)が、漁師のように最後の利益を得てしまうのではないかと心配です。ですからどうぞ王様はその点を十分ご考慮くださるよう願い上げます。」恵文王はそれを聞いて、「もっともだ。」と言って、燕を討つことを中止した。
参考
蘇代(そだい)は蘇秦(そしん)の弟。「合従連衡(がっしょうれんこう)」の項を参照。
類句
◆鷸蚌(いつぼう)の争(あらそ)い
類句
◆犬兎(けんと)の争(あらそ)い