「百学連環」を読む

第108回 result と knowledge の区別

筆者:
2013年5月10日

臆断と惑溺の話が続きます。

臆斷と惑溺とは學者最も忌む所なれは、必すしも眞理を得て此二ツの病を避けさるへからす。其病を避けんとならは、己レ狐を二ツにもあれ、五ツにもあれ捕へ置きて、欺かすか欺かさぬかを能く──驗ミ、而して始めていかにしても狐は欺らかすこと能はさるものたるを知る。是其の眞理なるものなり。其眞理を知るときは二病は忽ち消滅に至るなり。

(「百學連環」第41段落第26文~第29文)

 

訳してみましょう。

臆断と惑溺とは、学者が最も嫌うものであり、真理を得ることによって、この二つの病を避けなければならない。この病を避けようと思ったら、狐を二匹でも五匹でも捕まえてきて、本当に人間を騙すか騙さないかをよく確かめ、その上でようやく狐は人間を騙したりできないということを知るわけである。これがその場合の真理である。この真理を知れば、二つの病はたちまち消滅するのである。

前回の狐の例がここでも活用されていますね。狐は人を騙すぞという迷信がある。このとき、無闇とこれを信じるのも、故なくこれを退けるのも、いずれも臆断と惑溺に囚われていることに他ならない。西先生はそう注意しました。ではどうすればよいのか。

それがここで示されています。思わず笑ってしまったのですが、本当に確認したかったら、本物の狐を調べるしかありません。二匹でも五匹でも、その辺から連れてこればいいというのです。そうして、実際に確かめてみて、はじめて狐は人を騙すものではないということが確認されるという次第。

考えてみれば、私たちが知っていることのうちには、必ずしも自分で確認したわけではない知識もたくさん含まれていますね。例えば、太陽はどんな成分からできているか。教科書などで教えてもらっていれば、知識としては知っていても、たいていの人は自分で確認したわけではないでしょう。そうだとすると、これは臆断や惑溺ではないのか。気になるところです。

講義録はここで改行して、話はこう続きます。

さて negative result と前にいへる negative knowledge とは二ツなから同しやうなれと、そを深く注意して區別せさるへからす。〔子カチフ〕レシユルトは其眞理を知るといへとも不用のものをいひ、子カチフノヲーレジは positive と相關係して眞理を知るときは他の眞理にあらさるを知り、善を知れは又惡を知るか如く、表裏相互に係り合ふをいふなり。

(「百學連環」第42段落第1文~第2文)

 

現代語にしてみます。

さて、先に negative result と言った。これは negative knowledge と同じものに見えるかもしれないが、よく注意して区別しなければならない。「ネガティヴ・リザルト(消極)」は、真理を知ることではあったが、役に立たないものだった。他方で「ネガティヴ・ナレッジ(消極知)」は、positive と互いに関係しあっており、或る真理を知ることによって、〔同じ対象について〕他の真理ではないことが分かったり、善を知ることによって悪を知ることであるように、互いに表裏の関係にあることを指している。

ここで少し困りました。私は、「陰表(negative result)」を、もっぱら「消極」と訳してきましたが、その際、result をきちんと見届けていませんでした。消極的に分かったこと、消極的に分かった真理というほどの意味で捉えてきたわけです。しかし、ここに至って、西先生が negative result と negative knowledge は違うものだとおっしゃいます。

仮に negative knowledge を「消極的な知」と訳すとすれば、negative result もまた「消極的な結果」などとしっかり区別しなければならないでしょう。では、この二つのことはどう違うのでしょうか。

西先生の説明によれば、「消極的な結果」のほうは、真理を知ることではあるけれど、役に立たないものだということでした。これは、「星雲」を例に説明されたものです。

他方で、「消極的な知」は「積極的な知」と相互に関係していると言います。互いに表裏の関係にあるので、一方が分かると他方が分かる、そういうものであるというわけです。

この説明自体は、特に苦労せず理解できます。しかし、以前、西先生が、陰表(消極的な結果)もめぐりめぐって陽表(積極的な結果)を知ることにつながるのだと言っていたことと、どう区別すればよいのでしょうか。少し混乱して参りました。続きを読んで、この困惑が解けることを期待したいと思います。

 

──=くの字点上〳(U+3033)+くの字点下〵(U+3035)
※縦書きで〱となり、「能く能く」となります。

筆者プロフィール

山本 貴光 ( やまもと・たかみつ)

文筆家・ゲーム作家。
1994年から2004年までコーエーにてゲーム制作(企画/プログラム)に従事の後、フリーランス。現在、東京ネットウエイブ(ゲームデザイン)、一橋大学(映像文化論)で非常勤講師を務める。代表作に、ゲーム:『That’s QT』、『戦国無双』など。書籍:『心脳問題――「脳の世紀」を生き抜く』(吉川浩満と共著、朝日出版社)、『問題がモンダイなのだ』(吉川浩満と共著、ちくまプリマー新書)、『デバッグではじめるCプログラミング』(翔泳社)、『コンピュータのひみつ』(朝日出版社)など。翻訳書:ジョン・サール『MiND――心の哲学』(吉川浩満と共訳、朝日出版社)ジマーマン+サレン『ルールズ・オブ・プレイ』(ソフトバンククリエイティブ)など。目下は、雑誌『考える人』(新潮社)で、「文体百般――ことばのスタイルこそ思考のスタイルである」、朝日出版社第二編集部ブログで「ブックガイド――書物の海のアルゴノート」を連載中。「新たなる百学連環」を構想中。
URL:作品メモランダム(//d.hatena.ne.jp/yakumoizuru/
twitter ID: yakumoizuru

『「百学連環」を読む 』

編集部から

細分化していく科学、遠くなっていく専門家と市民。
深く深く穴を掘っていくうちに、何の穴を掘っていたのだかわからなくなるような……。
しかし、コトは互いに関わり、また、関わることをやめることはできません。
専門特化していくことで見えてくることと、少し引いて全体を俯瞰することで見えてくること。
時は明治。一人の目による、ものの見方に学ぶことはあるのではないか。
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