合宿の食事時、温泉玉子と千切りのキャベツが並んだ。我が家で、溶いた温泉玉子の容器の中に、キャベツの千切りを箸から落としてしまったことがある。子供にさえ「あ~あ」と言われる始末。仕方ないのでそのまま食べてみたら、実に美味だ。2品の取り合わせが合うのだ。温泉玉子がキャベツをコートして、触感を滑らかにしておいしくすることにそのようにして気付いていたので、そこでも言ってみる。「悔しいけど旨い」と男子。女子たちも真似して、びっくりしている。チーズや紅茶の起源だって、伝えられるところでは失敗からだそうではないか。
合宿では、勉強のほかに参加者同士の親睦も大切だ。ことばに関するお題を出して、優秀なグループには景品として、懐かしい昭和らしい麩菓子を授与する。工場見学もさせていただいた日本最大の「工場」で作られている逸品だ。ここまで崩れないように運ぶのが大変だったが、かぶりついては意外に美味しいと喜び、もらえなかった班も羨ましがる。最後には残りを皆に配って、この歯応えと風味、そして栄養と色彩に満ちた菓子の広告を作るならば、と考えてみた。
合宿所にはそういうことができる教室もある。ゼミ生同士で、「キズナってこんな字?」、「絆」とホワイトボードに書いている。文明の利器と呼ぶケータイから覚えたものだろうか。
伝言ゲームは、言語の変化の縮図でもあり、考えさせる点を含んでいる。広い屋外でやったときには、一時記憶の限界を感じて泡を吹いたものだ。面白そうだが、ただ、室内ではどうしてもよそのグループの発音が聞こえてしまう。
印刷術の発達していなかった昔は、文字は手で書き写して伝えるものだった。写本では、場面(急ぎか、意識が集中しているかを含め)、個人の識字力や使用文字をほぼ等しくする集団の状況によって、元の文字は変わっていった。幕府から出されたお触れなども、市井の末端ではある程度は変容をきたしていたそうだ。音声言語でも、一斉メールなどの手段がなかった頃には、クラスなどに連絡網が設けられ、伝達が繰り返されていたが、最後の人が発信者である教員に念のため電話を入れて確認すると、どこかで集合時刻やら何やらがおかしくなってしまっていた、なんて騒動も耳にしたことがあった。それを競技のようにしたのが、伝言ゲームだったのだろう。
「勉強」と書こうとして、その1字目を「」とホワイトボードに書き間違えている学生が前日にいたのにもインスパイアーされた。女子がヒソヒソと小声で「力だよね」、「違っている」、私に言いに来た人もいた。書いた当人に確かめると、「勉学」でも、「つとむ」という名でも同じ字だという、でも「アレ?」というので、彼にとって臨時的な字体ではなさそうだ。
「間違ってんの?」と聞き、考えて「力」だと気付く。なにか変だなと思いながら書いていたそうだ。自分でも、どこかおかしいと思っていたとのこと。何かを省略しているのか、と考え、「どうしてだろう」と不思議がるので、「鬼」からでは、というと、「鬼」と書き、さらに左に「云」を加え「魂」と書いてみていた。隣の男子が「勉」のほうが先に習うという。もしかしたら、本で印象深く目に入っていただけでなく、次に熟語でよくくる「強」の「ム」が影響したもの(部分字体に生じる逆行同化)なのでは、と指摘してみる。
隣の男子も、実は中学生の時にその字体を注意されて気付いて、「俺だけかと墓場へ持っていこう」とまで思っていたそうだ。こうした呟きからも、共通誤字といえそうだと感じる。それが、新しいゲームを思いつくヒントになったというと、次の日にこうして使われることまで「見越して」、あれをと書いたものだったと話す。これは言い訳っぽく聞こえず、なかなか回転が速い。
「魅力」も逆行同化を起こしやすい。「力が入る」のだ。