『日本国語大辞典』は「凡例」の冒頭に10条から成る「編集方針」を掲げています。その、5に「語義説明は、ほぼ時代を追って記述し、その実際の使用例を、書名とその成立年または刊行年とともに示す」と記されています。この10条に続いて「見出しの配列について」「語釈について」「出典・用例について」のように、さらに具体的なことがらについて、『日本国語大辞典』がどのように記述しているかが説明されています。辞典・辞書は「凡例」に目を通さなくてもひととおりは使えることが多いので、なかなかじっくり「凡例」を読むことはないかもしれませんが、1度は読んでみるといいと思います。
さて、「語釈について」の「語釈」は「編集方針」5の「語義説明」とほぼ重なっていると思いますが、辞典について説明する用語、それは「辞典についてのメタ言語」ということになります。当然のことですが、「辞典についてのメタ言語」は統一されていたほうがわかりやすいでしょう。それはそれとしますが、「語釈について」の「1 語釈の記述」には「一般的な国語項目については、原則として、用例の示すところに従って時代を追ってその意味・用法を記述する」と記されています。先に引用した「編集方針」の5と、この「語釈について」の「1 語釈の記述」はふかくかかわっているのですが、少しわかりにくいようにも思います。
一つの語の語義は時間の経過とともに変化します。一つの語がもっていた一つの語義が変化することもありますし、一つの語がもっていた一つの語義Xから別の語義Yが派生することもあります。このような場合、もともとの語義Xを派生した語義Yに対して「原義」と呼ぶことがあります。
『日本国語大辞典』はもともとの語義X=原義を最初に置いて、語義Xから派生した語義Yを、次に置く、というように記述されています。それが「ほぼ時代を追って記述し」ということです。どの語義が「原義」であるかは、現代人が残された使用例などから推測しているので、それが「ほぼ」と表現されている理由だと思います。過去の日本語の語義は残されている文献によって確認することになります。ある語Xが使われている文献を、文献の成立順に並べると、その語の時間軸に沿った使用を概観することができます。先に述べた「語義の変化」も、その「時間軸に沿った使用」の中で観察していくことになります。「用例の示すところに従って時代を追ってその意味・用法を記述する」とは、この文献ではこういう意味で使われている、次の文献ではこういう意味で使われている、というように時間軸に沿って観察し、確認していくことを指しています。
『日本国語大辞典』はこのような方針で編集されているので、ある語の「語釈」の1番初めに置かれている語義が「原義」で、多くの場合その「原義」で使われた文献における使用例が掲げられています。だからといって、この語の使われた初めての文献ということにはなりませんが、ほぼそうであることが多いはずです。これを「初出例」と呼ぶことがあります。日本語の歴史を考えるにあたっては、この「初出例」が大事な観察ポイントになります。『古事記』・『日本書紀』に収められている歌謡や『万葉集』は「日本語のかたち」がはっきりわかる文献として重要です。「初出例」として『万葉集』の使用例があげられていると、「8世紀頃にはすでにあった語なんだな」と思います。
『日本国語大辞典』の見出し「あがく」には次のように記されています。
あ‐が・く【足掻】〔自カ五(四)〕(1)馬、牛などが地面を掻くように足を動かす。そのようにして歩き、走り、また、地を踏む。*万葉集〔8C後〕七・一一四一「むこ川の水脈(みを)をはやみか赤駒の足何久(あガク)たぎちに濡れにけるかも〈作者未詳〉」*新撰字鏡〔898~901頃〕「踠 阿加久」*書陵部本類聚名義抄〔1081頃〕「★ アガク〈略〉躞蹀 アガク」(編集部注:★は、足偏に「世」の下に「冉」) *古文孝経建久六年点〔1195〕序「胡笳(こか)吟動するときには馬、蹀(アカイ)て悲しふ」*平家物語〔13C前〕八・猫間「車をやれといふと心得て、五六町こそあがかせたれ」(2)手足をじたばたする。また、手足を動かしてもがく。*宇津保物語〔970~999頃〕国譲上「思すやうに、平かにてと、手をあがきて祈り」*宇治拾遺物語〔1221頃〕一二・一九「虎、さかさまにふして、倒れてあがくを」*太平記〔14C後〕一四・将軍御進発大渡山崎等合戦事「御方は手をあがいて、如何かせんと騒ぎ悲め共叶はず」*鷹〔1953〕〈石川淳〉四「国助のふところでは、小犬が泳ぐやうな恰好で身をあがいた」(3)いたずらをしてあばれる。遊びまわる。また、騒ぎ立てる。主として子供のことにいう。*浄瑠璃・鑓の権三重帷子〔1717〕上「早くねせて、とく起し、昼あがかせたが万病円」*洒落本・無頼通説法〔1779〕「次には乱舞、琴、三味線、河東、長うた、半太夫あらゆる芸にあがきくたびれ」*和訓栞〔1777~1862〕「あがく〈略〉童はへの躁妄なるを、俗にあがくといふも、馬より出たる詞成へし」(4)目的に向かってじたばたする。もがき苦しむ。気をもむ。*玉塵抄〔1563〕一〇「利欲、名聞、財宝、所知、所領に奔走しさわぎあがきふためけば身を失ぞ祿を求、財宝をほしがってあがけば、わざわい恥辱なことが来ぞ」*浄瑠璃・愛護若塒箱〔1715頃〕二「去られた男の門内へ入らんとあがくは推参なり」*浄瑠璃・道成寺現在蛇鱗〔1742〕二「人雇へば銭が出る、それ出すまいとあがいた代に、肩も腕もめりめりむくむく」*解剖室〔1907〕〈三島霜川〉「自ら意志を強くして其のバチルスを殲滅(せんめつ)しようと勤めて而して踠(アガ)いてゐた」(5)まめに動いて一所懸命に励む。また、気をもんで働く。あくせくする。*日葡辞書〔1603~04〕「Agaqi, u, aita (アガク)〈訳〉〈略〉また、比喩。何かの仕事や労働で、まめに手足を働かす。または、何かの仕事や目標に向かって熱心に励む」*浄瑠璃・淀鯉出世滝徳〔1709頃〕上「わし等は夜昼あがいて、三百は儲けかねるに」*浮雲〔1887~89〕〈二葉亭四迷〉一・二「坐して食へば山も空しの諺に漏れず、次第次第に貯蓄(たくはへ)の手薄になる所から足掻(あが)き出したが」*死者生者〔1916〕〈正宗白鳥〉七「私なんかもうお婆さんだわよ。身体一つを資本(もとで)であがいてゐるんだもの」(6)口をきく、隠語などを使うことをいう、人形浄瑠璃社会の隠語。*洒落本・浪花色八卦〔1757〕桔梗卦「古るけれど折にはせんぼうもあがき」*滑稽本・小野★譃字尽〔1806〕まくらことば「ものいふ あがく」(編集部注:★は、竹冠に「愚」から成る字) (7)会合、密談することをいう、てきや、盗人仲間の隠語。〔隠語輯覧{1915}〕
「アガク」はもともとは(1)に記されているように〈馬、牛などが地面を掻くように足を動かす〉が「原義」で、そこから(2)~(7)の語義を派生したということになります。現代日本語では「ワルアガキ」という(4)の語義では使いますが、(5)の語義では使わないですね。このように、いったん派生した語義が使われなくなることもあります。
今回のタイトル「いつからいつまで」は「いつから」という「初出例」は注目されることが多いけれども、その語がいつ頃まで使われていたか、ということはあまり気にされていないということはありませんか? という問題提起のような気持ちをこめています。
例えば、「アイダヨ」について『日本国語大辞典』には次のように記されています。
あいだ‐よ[あひだ‥] 【間夜】〔名〕男女が会う夜と次に会う夜との間。男女が会わないでへだてられた夜。会わない夜。*万葉集〔8C後〕一四・三三九五「小筑波の嶺ろに月(つく)立(た)し安比太欲(アヒダヨ)は多(さはだ)なりぬをまた寝てむかも〈東歌・常陸〉」
歌手の郷ひろみは2025年12月31日の「第76回NHK紅白歌合戦」で、今回が「紅白歌合戦」に出る最後だと言っていました。その郷ひろみには、1974年に発売された「よろしく哀愁」という曲があって、歌詞の中に「会えない時間が愛育てるのさ」という箇所があります。ぴったり同じ意味ではないですが、『万葉集』で使われている「アイダヨ」という語を使うと、「アイダヨ(間夜)が愛育てるのさ」というようなことですね。こう考えると、現代日本語には〈思い合っている男女が会わないで隔てられた時間〉をあらわす1語はない、ということがわかります。そして、ではこの「アイダヨ」という語は『万葉集』以降、いつ頃まで使われていて、いつ頃から使われなくなって、消えていったのか、ということが気になりませんか。もう一つ使用例があげられていれば、この頃までは使われていた、ということがわかるので、「ないものねだり」であることはわかってはいても、一つしか使用例があげられていない場合にはもう一つ使用例を(あげられるならば)あげておいてほしいなと思うことがあります。
大正14年に、児童の作文を集めた『最近児童文集』が同文館という出版社から出版されています。その『最近児童文集』の尋常小学校第1学年の巻を読んでいると、京都府平屋小学校の1年生が書いた「ウンドウクワイ」(運動会)というタイトルの作文に「キノウ トナリノ ユキヲサント ハシリゴクヲ シマシタラ ワタクシハ 一トウデ エンピツヲ 五本 モラヒマシタ」というくだりがありました。「ハシリゴク」がすぐにはわからなかったのですが、『日本国語大辞典』は「はしりごく」を見出しにしていました。
はしり‐ごく【走─】〔名〕(「ごく」は接尾語)「はしりくらべ(走競)」に同じ。*雑俳・揉鬮題折句〔1751~64頃〕「走りごく・小猫に負て寝る妾」*歌舞伎・加々見山廓写書〔1780〕又助住家「悪さあそびの走(ハシリ)ごく」方言《はしりごく》新潟県佐渡352福井県大野郡435岐阜県養老郡498飛騨502滋賀県犬上郡615京都府629大阪府大阪市637泉北郡646兵庫県加古郡664淡路島671和歌山県690徳島県811香川県829愛媛県840《はしりごおく》岐阜県大垣市512
文献での使用例としては、江戸時代の文献のみが掲げられています。そして現代「方言」として使われている地域の中に京都府があります。『日本国語大辞典』の記述から、「ハシリゴク」という語は、江戸時代に使われ始め、その後、おそらくは近畿地方、中国地方、四国地方において「はなしことば」の中で使われていたことが推測できますが、『最近児童文集』によって、大正期に京都の小学生が「はなしことば」の中で実際に使っていたことが確認できたことになります。『最近児童文集』の例によって、「いつからいつまで」がおおよそにしても確認できたことになり、筆者などは少し落ち着いた気持ちになります。




