ハノイの教室で、「躾」という字を書いて、
これは、どういう意味だと思いますか?
と、尋ねてみた。
この字は、実はチュノムでも、形声文字として存在していた。日本では、室町期に登場する国字で、読みは「しつけ」である。重要な概念を「仕付」より1字に凝縮したかったのであろう。チュノムでは、旁そのままの身体の意であり、彼我で字体がたまたま一致したもの(衝突)にすぎない。
学生たちは言う:美しい人の意だと思う。これは、現代の日本人と似る感覚であった。日本では、男子中学生は肉体美と当て読みし、女子大生はエステと読んだことがあった。
中国では、「しつけ」に相当する語は「教育」などになるそうだ。韓国でも「礼節教育」などになるようだが、この字を人名として使用することが大法院(最高裁)により認められており、実際にその名に韓国式の漢字音で用いていた女子留学生に会ったことがある。大法院が使用を認める前ではあるが、日本語を知らない父親が、韓国の漢字辞書(書名に限らず普通名詞でも玉篇(オクピョン)とよぶ)で見つけて、その命名がなされたという。つまり本名だとのことで、字面からの字義やイメージの解釈が、日本以外の韓国やベトナムの地でも起こることがうかがえる。漢字が漢籍や古典の素養の世界から離れて、すっかり大衆化した状況と関連しているように思われる。
日本と異なり中国では、新たに会意による造字をする際に、旁として、「美」という字を用いることは稀だった。漢字圏内で造字についてあれこれ比較をしていると、より顕著な差も見つけられる。国字では「雪」も多用され、「鱈」という和製漢字は中国にも伝わった。雪の季節に美味しくなり、また身が雪のように白いところから「ゆき」と宮中で女房たちに呼ばれるようになり、「躾」と同じく室町時代になって、公家の日記などに出現する。「鱈」のほかにも「轌」(そり)や「樰」(そり たら)など、国字の旁にはいくつも登場する。
ベトナムでも、中国とは異なり、チュノムに「雪」は声符としてだが旁に多用されており、日本と共通している。なお、ベトナムではめったに雪は降らないが、先日、中国との国境付近で珍しく雪が降ったので、ニュースとなり、若者がバイクで押しかけたとのことだ。
日本人は、上記のように会意文字が好きだ。漢字には、想像を絶する「深い」意味があるはず、という思い入れが、俗解まで生み出し、人々の心の中に染みわたっているのである。
「人」という字は、何人の人からできているように見えますか?
中国の人たちと同様に一人(một モット)という。日本では、「二人の人が支え合っていると解されている」と話して図に描くと、笑いが起きた。日本では教育方法として編み出された「いいお話」が、校長先生やテレビの金八先生などで短縮された話となり、それらを通して多くの日本人が好み、さらに信じるところとなったものだ。中国でも、これを耳にすることがあるとのことだが、どちらが先なのであろう。
続けて、「優」を書くと、ベトナム漢字音で「ウー」と、日本漢字音の「ユウ」に対応する声があちこちから聞こえる。これは、「人が憂える」と日本ではよく説かれる、というと、「ア~」と学生たち。単音節でチュノムを多く形声の方法で作った人たちの末裔だが、会意も解する点は共通する。チュノムにも少数だが会意は作られた。中国でも、古くから旁に発音だけでなく意味も備わっているとする右文説や文字を分解する占いなどに、こうした字解が登場するが、日常ではあまり一般化してはいない。