(前回「爆発物件」からつづく)
異次元空間の事は、よくわかりませんでしたが、新解さんが異次元空間について力一杯説明して下さっているのだな、という事実は、よくわかりました。ありがとうございます。一山、どかーん。
用例は「みじめな―」。
この火山の噴火は小規模かもしれませんが、新解の主張が大爆発しているのである。新解さんの、語釈と用例のバランスは、これでいいのかなぁ、と思う。せっかくなので、「いきざま」も見ます。
はい、ここも強く主張が爆発しています。
したたか、というのは本人ではない人(たち)が、そう思うものだと伝わります。
したたかな人は、きっと頭がいい。
とにかく、あきらめて「もう、これでいいや」と思わない事が大切だと、わかりました。
最初に気が付いた爆発物件は、「いたちごっこ」です。これについては『新解さんリターンズ』p.57で報告しています。写真のいたちごっこを楽しむ二人の子供は、うちの子たちで上の子は、この四月で社会人になり、下の子は成人致しました。八版でも、「いたちごっこ」は変わらず爆発を保っていますので、ぜひ見て下さい。
腰は体の「要」で大事ですから、新解さんは正しく爆発しているのです。
はい、また一岳爆発している。これは火山の爆発と同時にロシア文学でもある。わたしの高校の担任の先生は、吉野孝雄先生です。早稲田大学でロシア文学を専攻なさいました。先生は授業で、『外套』について、
「これはね、『コート』とか『オーバー』では、この作品は成り立たないの。ロシア文学の『外套』はそういう作品です」
と、おっしゃいました。そうだなぁ、その外套は明るい色の布地ではないし、ぶ厚い布で、重くてサイズも合っていないだろうし、着ていてもあまり暖かくなさそうです。吉野先生のあだ名は「山伏」でした。学校の授業以外に宮武外骨、赤瀬川原平について教えて下さり、話の中身は忘れてしまって申し訳ありませんがロシア文学についての認識を、わたしに与えて下さいました。先生、ありがとうございます。
就職の時、出版社を受けると電話で申し上げたら、「かわいそうだけれど落ちるから、受けるだけ無駄だよ」と、おっしゃいました。生徒が悲しまないようにと、常に考えて下さる先生って、ありがたいですね。でも、わたしは入社試験を受けました。それは、なぜか。何でも「物は試し」と思っているからです。
だめだろうと思われる物でも、自分が試してみたいなら、誰にも遠慮せずやってみればいいのです。現実では、思い掛けない事も案外平気で起る。わたしは、ひょうたんから駒は、時々出るものだと思っています。人の言うことを聞かない効能もあります。失敗なんて全然恥かしくない。やりたい事をしなかった自分のほうが悔しくて恥かしい。
(つづく)