あかねさす紫野(むらさきの)行き標野(しめの)行き野守(のもり)は見ずや君が袖(そで)振る
出典
万葉・一・二〇・額田王(ぬかたのおほきみ)
訳
(あかねさす)紫草を栽培している野を行き、御料地の野を行って、野の番人は見ているのではないでしょうか、あなたが(あっちへ行き、こっちへ行きして)袖を振るのを。
技法
「あかねさす」は「紫」の枕詞。
参考
「紫野」は染料をとるための紫草を栽培した野で、そこは「標(しめ)」を張って一般の立ち入りが禁止された「標野」であった。題詞に「天皇、蒲生野(かまふの)に遊猟(みかり)する時に額田王の作る歌」とあり、近江国(おうみのくに)の蒲生郡の野であり、山城国の紫野とは別の地。
(『三省堂 全訳読解古語辞典〔第四版〕』「あかねさす…」)
今回は、『万葉集』から、天智天皇の時代の五月五日(旧暦)に詠まれた歌を取り上げました。
『全訳読解古語辞典』で「袖振る」という見出しを引くと、以下のようなコラムが付いています。
[読解のために]「袖振る」が合図となるときの意味とは
袖を振って、愛の思いを伝えることは、上代だけではなく、平安時代においても同様であった。『源氏物語』〈紅葉賀〉において、光源氏は「青海波」を舞いながらそれとなく個人的思いを藤壺(ふじつぼ)に向かって発している。「もの思ふに立ち舞ふべくもあらぬ身の袖うちふりし心知りきや」([訳]もの思いの苦しさに、立って舞うことなどできそうにないこの身ですが、袖を振って舞った意味がおわかりになりましたか。)
「袖を振る」という表現の例は、『三省堂 全訳読解古語辞典』768p「づ(出)」(=「いづ」の短縮形」)の例文でも見られます。
「恋しけば袖も振らむを武蔵野のうけらが花の色にづなゆめ」〈万葉・一四・三三七六〉[訳]恋しかったなら(私が)袖を振ってあげますから、武蔵野(むさしの)のうけらの花のように(人目につくように)顔色に出さないでくださいよ、きっとですよ。