学生:先生、フランス語には英単語と同じ綴りや似た綴りの単語がたくさんありますね。私はフランス語を学びはじめてまだ数ヶ月なのですが、今まで教科書に出てきた単語のなかにも、英単語と同じ綴りのフランス語の単語がいくつもあります。例えば、table「テーブル」、image「イメージ」、attention「注意」、nation「国家」、cousin「いとこ」、service「サービス」、culture「文化」、style「スタイル」、train「列車」、journal「新聞」とか。綴りが同じなので、つい英語読みしてしまって先生に注意されたりすることがあるのですが。英語とフランス語でこんなに共通した語彙が多いのはなぜでしょうか?
先生:英語の語彙の6割ちかくはフランス語もしくはラテン語からの借用語だからだよ。
学生:フランス語は、西ローマ帝国領内で話されていたラテン語が変化したものですよね[注1]?
先生:そうだよ。フランス語、イタリア語、スペイン語などは、口語ラテン語がそれぞれの土地で変化した言語で、ロマンス語って呼ばれている。ロマンス語はラテン語を母親とする姉妹のような言語だから、語彙も文法も互いによく似ているんだ。
学生:英語とフランス語に共通した語彙が多いのは、英語もロマンス語の仲間だからですか?
先生:いや、英語はゲルマン語派の言語で、ドイツ語や北欧のスカンジナヴィア言語(デンマーク語、ノルウェー語、スウェーデン語)、そしてオランダ語に近い言語なんだよ。インド=ヨーロッパ(印欧)語族の言語系統樹を見るとわかるけれど、英語とフランス語は同じ印欧語族に含まれるとはいっても、かなり遠い親戚なんだね。
先生:ただ語彙の面から見ると、英語は純粋なゲルマン語系の言語とは言いがたい。というのも現代英語の語彙構成は、本来の英語や古ノルド語からの借用が約3割なのに対して、フランス語とラテン語からの借用が5割から6割だからね[注3]。
学生:なぜ英語はゲルマン語系の言語なのに、フランス語やラテン語由来の語彙をこんなにたくさん含んでいるのでしょうか?
先生:それには中世の仏英間の歴史が関わっているんだよ。君は確か世界史が得意だよね? 世界史の年号で1066年と言えば何があった年かな?
学生:ノルマン・コンクエストですね。ノルマンディ公ウィリアム William, Duke of Normandy(1027/28-1087)がイギリス王に即位して、ノルマン朝を創始しました。
先生:そうだ。北フランスの都市、バイユーで見つかったタピスリーにこの歴史的大事件の様子が描かれているね。ところでノルマン朝を創始したウィリアム王は何語を話していたのかな?
学生:イギリス王なんだから、英語じゃないですか?
先生:ウィリアム王の生まれも育ちも北フランスのノルマンディだよ。だから彼が話していた言語は、フランス語なんだ。だから名前も英語名のウィリアム William ではなくて、フランス語名のギヨーム Guillaume と呼ぶほうがふさわしいかもしれない。フランス語では、彼は「征服王ギヨーム」Guillaume le Conquérant と呼ばれているんだ。
学生:でもイギリスでは、当然英語が話されていたんですよね? イギリス王になったギヨームは英語を話さなかったのでしょうか?
先生:うん、ギヨームはイギリス王ウィリアム1世になったあとも、フランス語話者だった。イギリス王になってからも、ノルマンディ公の所領と称号は保持したままで、ノルマンディ公としてはフランス国王に対しては臣下だったんだ。ノルマン・コンクエストのあと、2万人のノルマン人がイギリスに渡って、イギリス社会の重要な地位を独占する。それから14世紀の半ばまで、イギリスでは政治、裁判、教会などの公的な場ではフランス語が使われていたんだ[注5]。
学生:もともとイギリスにいた人たちも、フランス語を話すようになったのでしょうか?
先生:いや支配者の王侯貴族や教会の高位聖職者たちはフランス語を話していたけれど、イギリスの住民のほとんどは英語を話していた。イギリスは、少数の支配者のあいだで使用される政治・法律・宗教などの高尚な文化と結びついたフランス語と、大多数の人民が使用する卑俗な日常言語の英語の2言語社会になったんだ。ノルマン朝を引き継いだプランタジネット朝の最初の王、ヘンリー2世 Henry II [注6](1133-1189)は、父からアンジュー伯領、母からノルマンディ公領を受け継いだだけでなく、妻、エレアノール Eleanor of Aquitaine [注7](1122-1204)が所有していたアキテーヌ公領も手に入れ、イギリス全土とフランス西半分をあわせる広大な地域を領有した。
学生:イギリスの王様はフランスとそんなに強い関わりを持っていたのですね。イギリスの王様がフランスにも領土を持っていたというよりは、フランス人の王様がイギリスも支配していたみたいな感じですね。
先生:ヘンリー2世はフランスのル・マン生まれだし、奥さんのエレアノールはフランス南西部のアキテーヌ出身なので、どちらかというとフランスへの帰属意識のほうが強かっただろうね。ただフランスの領主としてはノルマンディ公、アキテーヌ公、アンジュー伯で、王様ではなかった。フランス国王に臣従しているかたちだったんだ。プランタジネット朝の第3代の王、ジョン失地王 John Lackland(1167-1216)の時代にイギリスは、大陸領土の大半を失ってしまうのだけれど、プランタジネット朝の最後の王、リチャード2世(1367-1400)まで歴代イギリス王の母語はフランス語だったんだよ。
学生:この時代の支配層がもっぱらフランス語を使用していたので、英語にはフランス語系の語彙が多いのですか?
先生:その通りだよ。この頃の英語は中英語 Middle English と呼ばれるのだけれど、1066年から15世紀頃までに約1万語のフランス語の語彙が中英語に取り入れられ、そのうち7500語が現代英語に伝わっているんだ[注9]。
学生:例えばどんな単語がこの時代にフランス語から借用されたものなんでしょうか?
先生:フランス語からの借用はあまりにも多くて枚挙に暇がないのだけど、よく言及される例としては食肉と家畜の名称だね。英語で牛肉、子牛肉、羊肉、豚肉はどういう単語か言える?
学生:牛肉は beef、子牛肉は veal、羊肉は mutton、豚肉は pork ですよね。
先生:うん、正解だ。これらの英語の食肉名はみんなフランス語が語源なんだよ。beef は bœuf、veal は veau、mutton は mouton、pork は porc。
学生:フランス語ではこれらの名詞は食肉だけでなく、家畜名も示しますね。
先生:そうだね。bœuf は「牛肉」だけでなく「牛」の意味もある。veau、mouton、porcもそうだね。« J’aime le bœuf. » と « J’aime les bœufs. » の意味の違いはわかるかい?
学生:« J’aime le bœuf. » は、「(食肉としての)牛が好き」、« J’aime les bœufs. » は、「(動物としての)牛が好き」ですね。
先生:正解だ。フランス語では冠詞の使い分けで、食肉か動物かを区別するけれど、英語では家畜名を言うときは別の単語を使うよね?
学生:牛は ox、子牛は calf、羊は sheep、豚は pig ですね。
先生:そう。これらの語はフランス語源ではなくて、英語本来の語なんだ。ただ pig は中英語ではじめて現れた語源不詳の語で、古英語の swīn に由来する swine という語が「豚」を表す語としては一般的だったんだけど[注10]。英語では食肉はフランス語系の語彙、動物は英語本来の語彙という風に使い分けがされているんだ。あと英語の綴り字には古いフランス語の痕跡が残っていることもある。英語で「森」ってなんて言う?
学生:forest です。語形から言ってフランス語の forêt ともとは同じ語なのかな?
先生:その通り。でも英語ではフランス語では発音されない語末子音が発音されているし、フランス語の綴りにはない s の音が入っているよね? こういう単語は他にも実はたくさんあるんだけど、思いつくかな?
学生:えっと、hospital (hôpital) はそうですよね。あとは tempest (tempête) とか。
先生:他にもあるよ。feast (fête)、mast (mât)、conquest (conquête)、cost (coût)、master (maître) などなど。何か気づいたことはある?
学生:フランス語でアクサン・シルコンフレックスのついている母音のうしろに英語は s が入っていますね。
先生:そう。後続する子音によって消失の時期は違うのだけど、子音の前の s はフランス語では発音されなくなってしまい、英語では同じ単語の古い時代の発音が維持されているんだ[注11]。ただこの発音されなくなった s は綴りの上ではフランス語では18世紀まで残っていた。1740年のアカデミー・フランセーズの正書法改革で、発音されない語中の s が消去され、その前の母音にアクサン・シルコンフレックスを置くようになったんだけどね[注12]。
学生:イギリスがフランス語から離れてしまったのは何がきっかけだったのですか?
先生:決定的な要因は、フランスの王位継承権を巡って英仏の王が争った百年戦争(1337-1453)だろうね。この戦争でイギリスは最終的に大陸における領土のほとんどを失ってしまい、フランスとの関係が途切れてしまったんだ。
学生:もしジャンヌ・ダルク Jeanne d’Arc(1412/13-1431)が出てこなかったら、イギリス王がフランス王を打ち負かして、フランス語は英仏両国の公用語になっていたかもしれなかったですね。
先生:まあ、歴史のイフって話だね。イギリスがかつてフランス語の国だった痕跡は、イギリス連合王国の紋章で今でも確認することができるよ。紋章に記されている標語は、フランス語で « Dieu et mon droit »「神とわが権利」だし、その標語の上に描かれているガーター勲章にはやはりフランス語で、« Honi soit qui mal y pense »「よこしまな考えを持つ者に災いあれ」と書いてある。« Honi » は、« honnir » の過去分詞の古い綴りだね。
先生:ガーター勲章はイギリスで最も権威ある勲章だけれど、この勲章を制定したエドワード3世 Edward III(1312-1377)は、英仏の分離を決定的なものにした百年戦争を始めた王様だよ。イギリス王エドワード3世も敵対者のフランス王フィリップ6世 Philippe VI(1293-1350)も、2人ともフランス語話者だったんだね。
言語の歴史はその言語を話す人々の歴史と複雑に結びついているのだけど、英語とフランス語の関係は、その事例のひとつとして興味深いね。
[注]