歴史を彩った洋楽ナンバー ~キーワードから読み解く歌物語~

第76回 My Sharona(1979/全米No.1,全英No.6)/ ザ・ナック(1978-2010)

2013年4月3日

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●歌詞はこちら
//www.oldielyrics.com/lyrics/the_knack/my_sharona.html

曲のエピソード

3年前に57歳の若さでガンのため死去したザ・ナックのリード・ヴォーカル兼ギター担当のダグ・ファイガー(Doug Fieger/1952-2010)が、20代半ば過ぎの頃、行きつけの洋品店でアルバイトをしていた8歳年下のシャローナ・アルペリン(Sharona Alperin)に一目惚れしたことがきっかけで出来上がった曲。当時、彼女はまだ学生だったが、ダグが余りに熱心にアタック(←死語)するため、ボーイフレンドがいたにも拘らず、シャローナは情にほだされてダグの求愛に応えたのだった。USオリジナル盤のシングルはピクチャー・スリーヴ付きで、ジャケ写でザ・ナックのデビュー・アルバム『GET THE KNACK(邦題:ゲット・ザ・ナック)』(1979/全米とカナダのアルバム・チャートでNo.1,全英ではNo.65)のジャケ写を手に持ち、白いタンクトップ姿(しかもノーブラ!)で物憂げに立っている若き女性こそが、そのシャローナ本人。なるほど、なかなかチャーミングな女性だ。ダグはよほど彼女に惚れ抜いていたとみえて、当時、ツアーにも同行させていた。また、『GET THE KNACK』には、「My Sharona(邦題:マイ・シャローナ)」以外にも彼女に捧げた曲がいくつか収録されている。有体に言えば公私混同だが、ダグのそれらの行動から類推するに、恐らく身も心も彼女に溺れていたのだろう。両者は結婚するには至らなかったものの、ダグが死去する少し前に旧交を温めていたらしく、彼の死の数週間前を一緒に過ごしたと言われている。いったんは別れたものの、最期には、復縁したわけではないにせよ、“My Sharona”が彼のもとに戻っていたわけだ。ジーンとくるエピソードである。

英語圏では、ごく一部の例外(例えば、本連載第22回で採り上げたボーイズIIメンのメンバーのひとり、Wanya Morris)を除いて、語尾が“a”の人名のほとんどが女性名である。筆者はそのことを、高校時代のグラマーの時間に教師の雑談によって知った。語尾の“a”が日本の女性名の“~子”にあたる、というのである。曰く「Floraなら花子、Gloriaなら栄子、Mariaなら聖子、Dianaなら月子だろうな」と。実に興味深い話だったので、30年以上が経過した今も、その雑談の内容が脳裏から離れない。以来、“a”で終わる女性名を見聞きすると、「これを日本語に直すならナニ子になるんだろう?」と考えるクセが付いてしまった。もともと人名に異常なほど興味を示すタチであるため(特に珍しい名前が大好き!)、この「My Sharona」を初めて聴いた時には、英語圏では余り馴染みのないその女性名にがぜん興味が湧いた。筆者が知るもうひとりの“Sharona”は、大好きだったアメリカの探偵ドラマ『MONK』の初代アシスタントの名前。察するに、脚本家がザ・ナックのこの曲を好きだったのではないだろうか。もちろん、語尾が“a”で終わっているから、タイトルになっている名前が女性を指していることは一目瞭然だが、耳慣れない“Sharona”なる名前は、十中八九、いずれかのメンバーのガールフレンドか奥さんのそれに違いない、と推測した。その謎は、この曲が大ヒットしていた高校時代、ひょんなことから氷解したのである。

曲の要旨

オレの愛しいキミ、一体いつになったらオレとデートしてくれるんだい? キミはオレをどこまでもムラムラさせるよ。このアツい気持ちはもう止まらない、絶対にキミを諦めないからな。若い女の子を見てしょっちゅうアソコがビンビンになっちまうオレは、下心タップリの男なのさ。オレの瞳を覗き込めるほど側に来てくれよ。その謎めいているところが、益々オレをゾクゾクさせるんだ。あーっ、もうたまんねえ! 愛しのシャローナ!

1979年の主な出来事

アメリカ: スリーマイル島の原子力発電所で大量の放射能漏れ事故が発生。
日本: 携帯用小型カセットテープ・プレイヤーのWALKMANをソニーが発売。
世界: イギリスでマーガレット・サッチャーが同国初の女性首相に任命される。

1979年の主なヒット曲

Too Much Heaven/ビージーズ
Ring My Bell/アニタ・ワード
Oliver’s Army/エルヴィス・コステロ
In The Navy/ヴィレッジ・ピープル
Roxanne/ポリス

My Sharonaのキーワード&フレーズ

(a) When you gonna ~?
(b) you make my motor run
(c) It is just a matter of time

去年のことだったと記憶しているが、珍しくTVを見ていたところ、飲料水(缶コーヒーか?)のCMでこの曲が起用されていたのを耳にした。いきなりイントロ部分が流れたのだが、いざ歌の部分が始まろうとする直前でCMが終わってしまったのである! ザ・ナックのファンの方々には申し訳ないが、筆者はたった一度だけ見たそのCMが余りにも面白くて、大爆笑してしまった。どんな映像だったかはまるで記憶にないが、歌い出しの直前で音声が切れたことだけは鮮明に憶えている。「何て頓智の効いたCMなんだろう!」と。洋楽ナンバーをBGMに使用したCMは、得てして的外れな選曲のものが多いが、敢えて歌の部分を排除した同CMには素直に感服した。洋楽ナンバーの起用はこうありたいものだ。少なくとも、歌詞の内容と商品が余りに乖離してしまっている無神経な起用法よりは。

卒業式の送辞での常套句「走馬灯のように……」を拝借するなら、そのCMを見た(聴いた)瞬間、高校時代のある出来事が走馬灯のように脳裏に蘇った。本連載第8回に登場した、バンド活動をしていたクラスメイトに誘われて、高1の冬、高校生のアマチュア・バンドが何組か出演するライヴを八戸市内の小さなハコに観に行った。チケット代はたったの500円。クラスメイトはキーボード担当で、ポップスやボサ・ノヴァのカヴァーをパフォーマンスしたのだが、今となっては、曲名は忘却の彼方。否、正直に言うと、その時に観たバンドの中で、たったひとつしか記憶に残っていない。しかも、たったひとつのカヴァー曲のみ。それこそが、この「My Sharona」だったのである。どこの高校のバンドだったかは記憶にないが、男子4名(もちろん、ザ・ナックと同じメンバー構成)のそのバンドは、小さなステージ上に登場するなり、大音量でこの「My Sharona」をカヴァーした。曲が始まる前だったか、近くの席に座っていた他校の男子生徒が、「この曲、リード(・ヴォーカル)の彼女のことを歌ったものだってよ」と言ったのを、筆者は聞き逃さなかった。謎が氷解した瞬間である。「やっぱり!」と膝ポンしたい衝動に駆られたのは言うまでもない。肝心の演奏だが……これがもう……ド下手だったのである!(笑) 大音量であることを幸いに、我々観客は遠慮会釈なく大爆笑した。中には、腹を抱えて椅子から転げ落ちんばかりに笑っている人も……。以来、どこかで「My Sharona」を耳にする度に、あの時のド下手なカヴァーがありありと脳裏に浮かび、クスッとしてしまう。長年、耳にする機会がなかったのだが、リード・ヴォーカルのダグ・ファイガーの訃報を新聞で見た際にも、やはり同じ現象が起きた。そして例のCMである。おかしな言い方かも知れないが、筆者にとっては、「My Sharona」はオリジナル・ヴァージョンよりもあのド下手ながら一生懸命のカヴァー・ヴァージョンの方が何倍も印象深い。不謹慎ながら、それだけでもライヴに来た甲斐があった、と思ったものだ。

ちょいとギョロ目で馬面、しかしながら愛嬌のあるダグが、愛するシャローナに対して抱いていた、悶々とした(笑)思いを余すところなく詞に綴った、いわば私信的なナンバー、それが「My Sharona」である。拙宅には日本盤シングルがあるのだが、ジャケ写には、デビュー・アルバムの帯に記されていたキャッチ・コピ―と一言一句違わない「待ったぜヒーロー! やったぜナック!!」がプリントされている。「待ったぜ」と「やったぜ」が押韻になっているところに、担当ディレクターさんの涙ぐましい工夫が感じられてならない。「来日記念盤 全米大ヒット中!」とあることから、リリース時にはまだNo.1の座に就いていないことが判る。もしNo.1を記録していたなら、間違いなくそこには「全米No.1ヒット!」とあるはずだから。案の定、シングル盤の解説には「BILLBOARD 7/14付45位赤丸上昇中」とある。この「赤丸上昇中」も、もはや日本の洋楽シーンでは死語なのだろうか。ご参考までに言うと、「My Sharona」は計16週間にわたってトップ40圏内に留まったのだが、うち6週間がNo.1の座にあった期間である。快挙と言う外ない。また、この曲は、ビルボード誌における1979年の年間チャートでも首位だった。ノリ一発で聴かせる曲がここまで大ヒットしたお蔭で、何とザ・ナックは武道館で来日公演を行っている。当時、如何にこの曲の勢いが凄まじかったか、ということのひとつの証左。

一見すると疑問文には見えない(a)だが、同フレーズからは(洋楽ナンバーにありがちな)be動詞の欠落を見てとれる。いつものように正しい英語に直してみると――

♪When are you going to ~?(いつになったら~してくれるんだい?)

単純な歌詞のようだが、1stヴァースには、辞書にも載っているれっきとしたイディオムを少しアレンジした言い回しが含まれている。それが(b)で、辞書の“motor”の項目には、“get somebody’s motor running(人を興奮させる、ムラムラさせる、気をそそる、メロメロにする”とある。(b)は使役の動詞“make”を用いているため、“run”が原形になっているのだが、意味は上記のイディオムと全く同じ。直訳するなら「キミはオレの車を走らせる」だが、“motor”には俗語扱いで「覚醒剤」という意味もあるから、恐らくそのことをヒントにして出来たイディオムであろう。なかなか面白い比喩的表現のイディオムだ。

時折、英語の表現や諺には、日本語のそれと全く同じものがあってビックリさせられる。(c)もそのひとつで、読んで字の如く「時間の問題」という意味。(c)の言い回しが歌詞に登場する洋楽ナンバーの中で、最も筆者の印象に残っているのは、本連載第45回で採り上げたワム!の「Everything She Wants(邦題:恋のかけひき)」(1985/全米No.1)である。同曲では、(c)がネガティヴな歌詞(贅沢三昧の彼女にウンザリする男の曲)で象徴的に用いられていたが、恋心爆発ソングの「My Sharona」では、「キミがオレの気持ちに応えてくれるのも時間の問題だな」と、やや手前勝手な男の心理を表現しているフレーズに登場。そして筆者は、ここのフレーズから、シャローナを何が何でもモノにしたい、という、ダグさんの切ないほどの気持ちを強烈に感じ取る。何故なら、彼がこの曲を作った時、シャローナはまだ元カレと別れていなかったのだから。そして彼は本当に彼女をモノにした。歌詞の通り、ふたりが恋人同士になるのは“just a matter of time”だったわけだ。

ザ・ナックは、デビュー当初、アメリカでは“ビートルズの再来”と謳われていたそうである。本連載の準レギュラー(?)で、音楽仲間の主治医の弁によれば、「My Sharona」が大ヒットしたいた当時、「ラジオで“アメリカではビートルズの再来と言われています”って言ってたのをハッキリと記憶してるよ」とのこと。また、やはり筆者の音楽仲間のひとりで、ジャンルの守備範囲が最も広く、ビートルズ・ファンでもあるS氏によれば、「ナックはビートルズと同じメンバー構成で、ファッションも白いシャツに細いタイだったから、ビートルズの再来って言われたんじゃないでしょうか」と。ナルホドー! お恥ずかしながら、筆者は初めてそのことを知った。“ビートルズの再来”にしては、ほぼ一発屋で終わってしまったのが何とも残念だが……。しかし、英語でいうところの“one-hit wonder(一発屋)”と思いきや、ザ・ナックには他にも2曲ほど全米トップ40入りのヒット曲がある(カッコ内はヒットした年と最高位)。「Good Girls Don’t」(1979/No.11)、「Baby Talks Dirty」(1980/No.38)。ただ、トップ40入りのヒット曲はこれらを加えた3曲のみ。6週間にもわたってNo.1の座にあった(そしてゴールド・ディスク認定)「My Sharona」の驚異的大ヒットが、彼らに“一発屋”というありがたくない称号を与えてしまったのだろう。

「My Sharona」のカヴァー・ヴァージョンをライヴで繰り広げたあの男子たち(そして今やすっかりオッサン)は、今でも「My Sharona」を聴いて(歌って)いるだろうか? オリジナル・ヴァージョンのPVやライヴ映像は動画サイトでいつでも鑑賞できるが、筆者は、もう一度どうしてもあのカヴァー・ヴァージョンを観てみたい。そして大声で笑ってみたい。それほどまでに破壊的で凄まじかった。愚直なまでに奇をてらわないカヴァーだった。それもこれも、ノリ一発の単純明快なオリジナル・ヴァージョンがあってこそなのだが。

筆者プロフィール

泉山 真奈美 ( いずみやま・まなみ)

1963年青森県生まれ。幼少の頃からFEN(現AFN)を聴いて育つ。鶴見大学英文科在籍中に音楽ライター/訳詞家/翻訳家としてデビュー。洋楽ナンバーの訳詞及び聞き取り、音楽雑誌や語学雑誌への寄稿、TV番組の字幕、映画の字幕監修、絵本の翻訳、CDの解説の傍ら、翻訳学校フェロー・アカデミーの通信講座(マスターコース「訳詞・音楽記事の翻訳」)、通学講座(「リリック英文法」)の講師を務める。著書に『アフリカン・アメリカン スラング辞典〈改訂版〉』、『エボニクスの英語』(共に研究社)、『泉山真奈美の訳詞教室』(DHC出版)、『DROP THE BOMB!!』(ロッキング・オン)など。『ロック・クラシック入門』、『ブラック・ミュージック入門』(共に河出書房新社)にも寄稿。マーヴィン・ゲイの紙ジャケット仕様CD全作品、ジャクソン・ファイヴ及びマイケル・ジャクソンのモータウン所属時の紙ジャケット仕様CD全作品の歌詞の聞き取りと訳詞、英文ライナーノーツの翻訳、書き下ろしライナーノーツを担当。近作はマーヴィン・ゲイ『ホワッツ・ゴーイン・オン 40周年記念盤』での英文ライナーノーツ翻訳、未発表曲の聞き取りと訳詞及び書き下ろしライナーノーツ。

編集部から

ポピュラー・ミュージック史に残る名曲や、特に日本で人気の高い洋楽ナンバーを毎回1曲ずつ採り上げ、時代背景を探る意味でその曲がヒットした年の主な出来事、その曲以外のヒット曲もあわせて紹介します。アーティスト名は原則的に音楽業界で流通している表記を採りました。煩雑さを避けるためもあって、「ザ・~」も割愛しました。アーティスト名の直後にあるカッコ内には、生没年や活動期間などを示しました。全米もしくは全英チャートでの最高順位、その曲がヒットした年(レコーディングされた年と異なることがあります)も添えました。

曲の誕生には様々なエピソードが潜んでいるものです。それを細かく拾い上げてみました。また、歌詞の要旨もその都度まとめましたので、ご参考になさって下さい。