●歌詞はこちら
https://www.google.com/search?&q=When+Will+I+See+You+Again+lyrics
曲のエピソード
1970年代に欧米のミュージック・シーンで一世を風靡した、フィラデルフィア産のソウル・ミュージック。名付けてフィラデルフィア・ソウル、略称をフィリー・ソウルという。その仕掛人は、ソングライター/プロデューサーのギャンブル&ハフ(Kenneth Gamble & Leon Huff)のコンビで、彼らはフィラデルフィア・インターナショナル・レコーズなるレーベルも経営していた。同レーベルには、本連載第46回で採り上げたハロルド・メルヴィン&ザ・ブルー・ノーツの他、やはり男性ヴォーカル・グループのオージェイズなどを始めとして、売れっ子アーティストたちが数多く所属していたが、女性アーティストの中で最も人気を博したのが、フィラデルフィア出身でトリオのスリー・ディグリーズである。彼女たちは日本でも根強い人気を誇っており、今でも来日公演を行っているが、残念なことに、オリジナル・メンバーのひとりであるフェイエット・ピンクニー(Fayette Pinkney)が、2009年6月に61歳で亡くなってしまった。しかしながら、3人編成というのはデビュー当初から変わっておらず、幾度かのメンバー・チェンジを経て、現在もトリオで活動中。
本国アメリカでは、惜しくも全米No.2だったが(アダルト・コンテンポラリー・チャートではNo.1)、全英チャートでは堂々のNo.1に輝き、3週間にわたって首位の座をキープ。驚くべきことに、この「When Will I See You Again(邦題:天使のささやき)」は、フィラデルフィア・インターナショナルが世に送り出した夥しいヒット曲中、全英チャートを制覇した唯一の曲である。スリー・ディグリーズの代名詞的な大ヒットではあるが、出来立てほやほやのこの曲をギャンブル&ハフから聞かされたリード・ヴォーカルのシーラ・ファーガソン(Sheila Furguson)は、いきなりムッとして、「才能のカケラもない人でも歌えるようなこんな曲、絶対に歌わない!」と、彼らを大声で面罵したという。そのことから筆者が咄嗟に思い出したのは、ポピュラー・ミュージック史上で最も売れた女性ヴォーカル・グループとして今なお人々の記憶に深く刻まれている、ダイアナ・ロスを中心としたシュープリームスの全米No.1ヒット曲「Where Did Our Love Go(邦題:愛はどこへ行ったの)」(1964)を初めて聞かされた際、メンバーのメアリー・ウィルソンが「♪Baby, baby, baby . . . なんて、こんな下らない曲、バカバカしくて歌ってられないわ、って思った」と後に述懐していたこと。ところが、この「When Will I See You Again」もシュープリームスの「Where Did Our Love Go」も、彼女たちの思いとは裏腹に、双方のグループの代表曲となった。第三者から楽曲を提供されて歌っているシンガーが、必ずしも大ヒット曲を好んで歌っているわけではない、ということを筆者は思い知らされたのだが、スリー・ディグリーズの場合は、大ヒットしたこともあってか、以降、「When Will I See You Again」を宝物のように大切に歌い続けているようだ。
曲の要旨
今度あなたに会えるのはいつかしら? いつになったら、ふたりきりで過ごせる時間が訪れるの? 半永久的にその機会が巡ってこなかったら、私、どうしたらいい? そうなったら、夜通し涙に暮れて過ごすことになるのかしら? あなたと私の関係は恋人同士、それともただの友だちなの? あなたとの恋は始まったばかり、それともこれっきり? ねぇ、今度、あなたに会えるのはいつ?
1974年の主な出来事
アメリカ: | ウォーターゲート事件絡みでニクソン大統領が辞任し、第38代大統領に同じ共和党のフォードが就任。 |
---|---|
日本: | 東京国立博物館でレオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」(ルーヴル美術館蔵)が展示され、連日、大勢の観覧者が訪れて長蛇の列を作り、社会現象になる。 |
世界: | ポルトガルでクーデターが勃発し(世にいう“カーネーション革命”)、サラザール独裁体制に終止符が打たれる。 |
1974年の主なヒット曲
The Way We Were/バーブラ・ストライザンド
Dark Lady/シェール
Bennie And The Jets/エルトン・ジョン
The Loco-Motion/グランド・ファンク
I Shot The Sheriff/エリック・クラプトン
When Will I See You Againのキーワード&フレーズ
(a) precious moments
(b) the whole night through
(c) our hearts beat together
筆者は子供の頃、スリー・ディグリーズをTVで観た記憶がハッキリとある。私物の日本盤シングル「天使のささやき」のジャケ写が、その記憶を手繰り寄せてくれた。曰く「第3回東京音楽祭参加曲!!」、そして右上の隅っこには「金賞受賞曲」とある。更に記憶を辿っていくと、確か彼女たちは、この曲の日本語ヴァージョンもレコーディングしていたはずだ、と。果たして、本来の英語ヴァージョンと全く同じジャケ写で、しかしながら「金賞受賞曲」の文字が「日本語盤」に取って代わっただけのシングル盤も存在した(行きつけの中古レコード屋さんで確認済み)。また、最初から彼女たちのために書き下ろされた日本語の楽曲「にがい涙(英題:Nigai Namida)」というものまである。当時の日本におけるスリー・ディグリーズの人気の凄まじさを伝えるには、上記の2枚のシングル盤で充分だろう。また、当時、英語圏のアーティストに限らず、日本で人気を博した外国のアーティストが、自身のヒット曲を日本語でレコーディングしてリリースするという事象が度々あった。日本は小国だが、洋楽のマーケットとしてはかなり旨味があったとみえる。
女が三人=姦。「かしま」しい、と読む。“女三人集まれば姦しい”というが、筆者はこれに新たな読み=「うた」える、を勝手に付け加えたい。というのも、女性ヴォーカル・グループのメンバー構成は、圧倒的にトリオが多いから。古くは先述のシュープリームス、ロネッツ、エンジェルズ、ラベル、エモーションズ、ポインター・シスターズ、筆者が個人的に大好きなトイズとハニー・コーン……etc. 枚挙にいとまがないが、みな3人組である。当時、恐らくそれぞれのガール・グループスにそれ相応のキャッチ・コピーがあっただろうが、スリー・ディグリーズの場合、これがちょっと振るっている。彼女たちのセルフ・タイトルのアルバム(1974/フィラデルフィア・インターナショナルからの第一弾/通算2枚目)の日本盤(邦題:荒野のならず者/天使のささやき)の帯に注目されたし。曰く「フィラデルフィアのセクシー・エンジェル、あの悩殺スタイルでいよいよ日本上陸!!」。筆者は昔から、歌詞のどこにも“angel(s)”と出てこない「When Will I See You Again」の邦題が何故に「天使のささやき」なのか不思議でならなかった。そして数十年後、ようやくその帯にプリントされたキャッチ・コピーを知って謎が解けたわけである。「セクシー・エンジェルズ」ではなく「セクシー・エンジェル」と単数になっているところが、いかにも時代を感じさせる。なお、The Three Degrees=sexy angels、という捉え方は日本独自のもの。そもそも「天使」はクリスチャンの多い欧米諸国では「父なる神(イエス・キリストの父)が地上に遣わした天使」という概念が広まっているため、そこに“sexy”を付けて女性アーティストのキャッチ・コピ―に用いる発想がほとんどないからである(ポルノ界ではあるようだが……)。まかり間違えば神への冒涜にもなりかねないキャッチ・コピーだが、まあ、時代も時代だし、ここは大目に見ておこうと思う。
シーラに「こんな曲、歌うのヤだわ!」と一蹴されかかったこの曲は、ひと言で言えば“恋に恋する女の子”が主人公。良く言えば初恋ソング、悪く言えばカマトト・ソングだろうか。確かに歌詞の内容は、「セクシー」な女性が歌うにしては幼過ぎるし、ちょっぴり恥ずかしい。が、昔は年齢不相応な歌詞を歌うシンガーはいくらでもいたし、逆にそのことで売れた曲も多数ある。話が前後するが、邦題にある「ささやき」は、恐らく曲の冒頭と中盤で聞かれる♪フゥ〜ウ、ハァ〜ア、フゥ〜ウ……というコーラス部分からヒントを得たのだろう。そこは文字通り「ささやき」ながら歌っているように聞こえるから。
曲の要旨では「ふたりきりで過ごせる時間」と意訳した(a)だが、直訳は「貴重な時間」。曲の主旨を汲んで更に意訳するなら、「ふたりきりで過ごせるかけがえのない時間」といったところだろう。ここがグループ交際(これまた死語か?)となると、その時間の“precious”な有難味が半減してしまうこと必至。恋に恋する時期とは、そういうものである。
人間、いつまでもいつまでも泣き続けてはいられないものだが、それは理屈であって、理屈では通らないのが恋愛というものかも知れない。(b)と似たような表現はラヴ・ソングに頻出し、以下のように言い換えることもできる。
♪all night (long)
♪all through the night
♪from dusk to [till] dawn(※やや文語的。詩的な歌詞でたまに見かける)
携帯電話がなかった時代には、「あなた(君)からの電話を今か今かと電話機にへばりついて夜通し待っている」という歌詞が多くみられた。そういった場合、(b)もしくは同じ意味を持つ他の表現が歌詞に用いられていたものである。さて、この曲の主人公の女性は、愛する彼との関係がこのまま終わってしまうようなら、夜通し泣き続けるのだろうか? 最近の歌詞ではあまりお目にかかれない「いじらしい女」だが、現代の男性ならかえって引いてしまうかも……。
(c)もラヴ・ソングに良く出てくる表現。“together”が“as one”になっていても意味は全く同じ。「ふたりの鼓動が重なる」ということだが、実際には人間の脈拍数には個人差があるので、そんなことはあり得ない(これまた理屈、もっと言えば屁理屈)。もちろんこれは比喩であり、「重なる」のは「鼓動」ではなく心臓=胸の奥底にある互いの「思い」であろう。こうして説明している間にも、筆者は顔から火が出そうになっている。正直に言えば、この曲に関する感想は、シーラが初めてギャンブル&ハフから聞かされた時のそれに似ているから。歌詞の意味が解らずに聴いていた子供の頃、この曲が大好きだった。が、長じてその存在が記憶の彼方へと消えてしまい、幼少期にお小遣いで買った日本盤シングルのこともすっかり忘却の彼方だった。今回、「When Will I See You Again」を採り上げるにあたり、シングル盤を詰め込んである箱を「もしや……」と思って探してみたところ、数十年ぶりの対面、となった。「金賞受賞曲」?!――そうか、子供の頃、スリー・ディグリーズをTVで観た記憶がありありと残っているのは、東京音楽祭に出場していたからだ、と。
4人以上の編成から成る女性ヴォーカル・グループも珍しくないが、やはり筆者にとってのガール・グループスはどうしてもトリオである。人数が多ければ多いほど歌が上手く聞こえるってものでもないだろう。それぞれが卓越した歌唱力の持ち主ならば、3人で「姦(うた)」っても充分に人々を感動させられるのだ。